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魔法使いのエリス:三角帽子と夏の星  作者: 帆立
三章:その夜に星が落ちてきて
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第8話:夜に輝いた流れ星

 召喚術。

 異世界から獣や戦士を召し寄せて使役する魔法。


「それをわたしに教えてくれるんですか。シノノメ先生」


 エリスとシノノメは小高い丘の上にいる。

 仰げば満天の星。見下ろせばそれを映した揺らめく黒い海。耳を澄ませば細波の音色。髪をなびかせるのは夏の夜風。一枚の絵画として成立する美しき夜の景色がそこにある。

 ここから見下ろせる町並みには西区も東区も南区も、第一北区も第二北区も線引きはされていない。すべてひっくるめて一つの都市だった。

 魔法の修行を忘れてその風景にしばし見入っていたエリスは、シノノメに太刀の鞘でつつかれて我に返ったところだった。


「魔法は個人の資質に左右されがちだ。とりわけ召喚術は相性の良し悪しがはっきりと分かれる。似た性質の転換術を扱えるエリスなら召喚術も使いこなせるかもしれん」

「だと嬉しいです。炎とか雷とか、人を傷つける魔法はあんまり使いたくありません」

「果物ナイフだって人に向ければ凶器になる。お前の転換術だって、使いようによっちゃ人殺しの道具になる」


 人殺し。

 重い鉛と化した言葉が喉から胃へ落ち、奥へ奥へ沈んでいく。

 エリスは悪寒に震えた。


「その人殺しも、誰かを救うための手段になり得るかもしれん」

「できれば避けたい手段です」

「それに関しちゃ俺も同感だな。要するに使い方次第だって言いたいんだよ」


 ――魔法は神がもたらした奇跡か、はたまた悪魔が背負わせた業か。

 詩人めいた語り口でシノノメは締めくくった。

 エリスとの話が終わるのと同時に、シノノメはレンガの地面に魔法円の図柄を完成させていた。チョークを懐にしまった彼が上着の裾で指の汚れを拭ったので、エリスは不潔そうに眉をひそめた。

 正円の内側に描かれているのは五つの頂点を持った星。いわゆる五芒星である。

 シノノメの説明を受けながら、エリスも同じ図柄の魔法円を少し離れた位置に描く。楕円形の若干いびつな形になってしまったものの、魔法円は完成した。

 片方の魔法円はエリスたちが入り、召喚したしもべの暴走から身を守るための防護壁。もう片方のそれは召喚したしもべを一時的に封じておくための檻である。あとはエリスが呪文を唱えることにより召喚術は発動する。

 シノノメから借りた魔法書を片手に詠唱を始める。長く複雑な文字列を目で追いながら唱える、たどたどしい呪文だった。

 身体が青白く発光しだす。

 足元から微風が起こり、髪やケープ、スカートをはためかせる。

 拡散していた青白い光はエリスが掲げる手のひらの上に集まっていく。集合した光は球を形成し、夜空に飛んでいった。


「今のところは順調だ。あの光の球が空で弾けて異世界への門を開き、魔法円の上にしもべを呼び出すはずだ。ほら、光が弾けたのがわかったろ?」


 夜空に目を凝らす。小さな光が弾けて夜空が少し明るくなっていた。

 ところがシノノメの言う『門』とやらは一向に開かれない。彼も不審がっている。


「流れ星だ」


 門の代わりに彼は夜空を滑る流れ星を発見した。


「流れ星が流れているうちに願い事を言うと叶うらしいぜ」

「先生、案外夢見がちなんですね」

「夢や希望を抱けるのは人間の特権だからな。俺は獲れたての新鮮なカニを腹いっぱい食べたいな。ほらほらエリス、お前も『おいしいイモが食べたい』ってお願いしとけ」

「いい加減、おイモとわたしを結びつけるの止めてください……」


 ――どうか立派な魔動師(まどうし)になれますように。

 両手を握り合わせて流れ星に祈る。

 どうせ願い事を言っている間に流れ落ちてしまうだろう。諦め半分で祈ってから目を開けてみると、驚くことに流れ星はまだ夜空を流れていた。しかも、目をつぶる前よりも幾分、輝きが増している。明らかに異様である。

 エリスが驚いている現在も光はどんどん大きく、強まっていく。


「流れ星が落ちてきそうです!」

「流れ星が本当に落ちてきてたまるかよ」


 シノノメが笑い飛ばしたそのとき――。

 空の枠から飛び出した流れ星が海に落ちた。

 刹那の静寂の後、爆発音。

 海水の砕けるその轟音が二人のいる丘まで遅れて届く。

 海面は嵐に見舞われたかのように豪快に波打っており、停泊していた船舶が上下にもてあそばれて船体をぶつけ合っている。

 流れ星が墜落した地点から、天をつく極太の水柱が立ち昇っている。打ち上げられた水しぶきが雨となって港湾都市アクアの港に降り注いでいた。

 二人が呆気に取られている間に家屋の明かりが次々と灯っていき、静けさを保っていたはずの夜がにわかにざわめきだした。



 ◆◆◆



 幸いにも真夜中だったおかげで、流れ星が海に墜落したのを知る人間は少ない。謎の爆発音と塩気のあるにわか雨を不思議がって、市民は窓や玄関先から夜空を探っている。恐慌には至らない、小さな騒ぎだった。

 エリスとシノノメが東区の港に到着する。

 港は降り注いだ水しぶきで水浸しになっており、海水の生臭さが大気中に立ち込めている。水柱に巻き込まれて打ち上げられた魚などがそこかしこ、地面でじたばたともがいている。

 まさか召喚術に失敗してしまったのか。エリスの顔から血の気が失せていた。

 足元を這いずっていたカニをシノノメが拾う。


「まさかこんなに早く願いが叶うとはな」


 そして海に放り投げた。


「先生、わたしのせいで……」

「お前にあんな力があるわけないだろ。安心しろ」


 船はとりあえずは無事で、陸も水しぶきや魚が降り注いだだけで被害らしい被害は見受けられない。人々が家で眠っている時刻だったのが不幸中の幸いだった。


「さて、警察にどう事情を説明したものか」

「きっとコルネリウス警部が助けてくれます……たぶん」

「クラウスか。助けるどころか、あいつなら俺に引導を渡しかねんぞ」


 後の展開を憂うシノノメが疲労のこもった溜息をついた。

 闇夜を走る警察車両の音がせわしない。


「エリス。お前は丘に戻って魔法円の後始末をしてこい。チョークの線を消すだけでいい。気が動転してて片付けるのを忘れてたぜ。俺はおまわりさんが来るのをここで待ってるよ」

「証拠隠滅ですね」

「俺が犯人みたいな言い草はやめろ」

「ごっ、ごめんなさい! 痛いですよ先生!」


 げんこつを脳天に擦りつけられて、エリスは悲鳴を上げた。


 シノノメと別れたエリスは丘に戻る。

 ガス灯の小さな明かりでおぼろげに姿を浮かべていた街は、今や家屋の明かりが無数に灯って全貌をさらけ出している。地上の星明りによって世界を包む闇夜は払拭されていた。

 早く港にいるシノノメのところへ帰ろう。あの師匠の性格では晴れる疑いも深まりかねない。そうエリスは急いで魔法円をさがす。暗がりの中、レンガの地面にじっと目を凝らしながら歩き回る。

 魔法円はすぐに見つかった。

 暗闇の中でも簡単に発見できたのは、その上に『ある物体』が乗っていたからだった。


「誰かいるんですか?」


 魔法円に重なって横たわる人影にエリスは呼びかけた。

 人影から返事はない。

 異世界から召喚されたしもべだろうか。檻となるはずの魔法円が機能を停止しているとなると、エリスに害を加える可能性がある。シノノメは今頃警察署か。己の力でどうにかするしかない。エリスは勇気を奮って接近を試みた。

 正体をさぐろうと、すり足で、慎重に、一歩ずつ近づく。その正体が判別できる距離まで詰めても人影は横たわったままだった。

 エリスは息を呑んだ。

 魔法円に重なって横たわっていたのは――人間の女性だった。

 妙齢で、癖のついた長い髪が特徴の麗しき女性。

 つややかな髪、潤った唇、長く繊細なまつげ、若々しい肌。女性の美貌をつくる一部分一部分が暗闇でもはっきりとわかる。肌が透けるくらい薄い純白のドレスは豊かな肉体の輪郭を縁取っている。同性のエリスすら魅了する美女だった。

 女性の眉が微動する。唇も震える。

 まぶたが薄く開かれてから、完全に開かれる。


「あら、あらあらあら、まあ」


 上体を起こした妙齢の女性は唖然とした様子で周囲を窺う。背後にいるエリスの存在はまだ認識していない。


「ここはどこなのでしょう。というよりも――」


 間延びした、おっとりとした呑気な声だが、心細さも伝わってくる。


「私は誰なのでしょう」


 誰ともなくそう問うた。

 ――もしかして、宇宙から来た星の王女さま?

 エリスはその女性を『星の王女さま』と表現した。

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