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魔法使いのエリス:三角帽子と夏の星  作者: 帆立
二章:今日から始まるエリスの修行
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第7話:悩んだり喜んだり

「エリス、杖は持ったな」

「はい!」


 北区の雑木林に隠されたシノノメの訓練場。

 木漏れ日の差してくる頭上。エリスたちを囲む木立を鳥のさえずりが飛び交う。新たに訪れた朝を祝福する、ひそやかできれいな歌声だった。

 杖を忘れずに持ってこい。

 出かける前にそうシノノメから命じられていたエリスは、今日こそ魔法使いらしい特訓をするのだと期待に胸を膨らませていた。家政婦のバラードがつくってくれたパンケーキに、実家から持参したハチミツを塗りたくって十分に腹ごしらえしてきた。

 空を飛ぶ魔法だろうか。変身する魔法だろうか。それとも先生が得意とする電撃魔法を習うのだろうか。人を傷つけるための魔法は気が引けるが、魔法使いならば避けては通れぬ道……エリスの妄想と期待は膨らむばかり。


「よし、杖を思いっきり振り上げろ」

「こうですね」


 両手に握った樫の杖を振りかぶる。重心が背中にずれてひっくり返りそうになるのをどうにか踏みとどまる。


「精神を集中させて、力いっぱい振り下ろせ」

「はいっ」


 ぶん、と風を切る音を鳴らして力の限り杖を振り下ろす。十二歳の少女の腕力から繰り出された一撃は本人の気合に伴わぬ、蛇が這う弱々しい軌道だった。


「先生、次の指示を」

「後はそれ繰り返し千回な」

「え?」


 間の抜けた面持ちで首を傾げるエリス。


「朝の特訓は体力づくりを中心に――うわっ」


 地面に転がっていた石ころが何の前触れもなく跳ねてシノノメの頬をかすめる。

 顔を真っ赤にしたエリスが杖の先を彼に向けていた。


「ひどいです先生! 先生はわたしの純粋な想いを裏切りました!」

「人聞き悪いぞ。本格的な魔法は夜だって言ったろ」

「わたしのわくわくとどきどきを返してください!」


 足元の木の実やら石ころやらを無闇に投げていく。

 転換術の補助を受けたそれらは、少女の投てきとは思えぬ速度に加速して射出される。こういうときに限って狙いはシノノメに寸分狂わず定まっていた。さすがのシノノメも彼女のすさまじい剣幕には敵わず、ほうほうのていで木立の中に逃げ込んでいった。

 機嫌を損ねたエリスはそれからずっと、やけくそ気味に杖を振り続けていた。

「シノノメ先生の!」

 と乱暴に杖を振り上げて

「バカ!」

 と力任せに振り下ろす。

 シノノメはこれ以上彼女を刺激しないよう、そしてこれ以上たんこぶを増やさないよう、十分に距離をとって修行の様子を眺めていた。



◆◆◆



 樫の杖をひたすら振るっていたエリスが五十の数字を数えたとき、シノノメが休憩の合図を送ってきた。

 二人は切り株の上に腰を下ろす。

 どっと襲ってきた疲労と熱に、エリスは苦しげにあえいでいた。

 竹筒の水筒を口元にあてがいながらシノノメが言う。


魔動師(まどうし)に選定された連中は皆、人格者ばかりだ」

「はい。学校の教科書にも偉大な人物として載っています」


 魔法動力機関国家技師――通称『魔動師』は他の技師たちを指揮し、国の新たな柱となる魔法動力機関の開発に尽力する使命を背負っている。

 才能と人格と魔法の力、三つを兼ね備えた選ばれし者こそが魔動師と呼ばれるにふさわしい。魔王を倒して世界を救った英雄たちからも魔動師に選定された者がいる。


「俺の知る限り、そいつは超が三つも四つもつく熱血努力バカだったよ。一緒に旅をしていたときも『特訓だ!』が口癖でさ、散々修行に付き合わされたぜ。あいつにとっちゃ素振(すぶ)り千本なんて文字どおり朝飯前だったな」

「つまり、魔動師と同じ修行をわたしもしているのですか?」

「ん、ああ。一応そうなるな」


 俄然気合の入ったエリスは休憩もそこそこに、再び杖を握り締めて復活した。

 それからいくらか時間が経った。


「きゅうじゅうはち、きゅうじゅうきゅう……ひゃく!」


 杖の素振り千――もとい百本をどうにかこうにか達成したエリスは、涼しい木陰でくたびれていた。足腰は震えるし、握力もほとんどなくなっている。しばらくは起き上がれそうになかった。

 身体を休めていると、つい余計な意識が頭に回ってしまう。


「シノノメ先生、質問があります」

「うん?」

「先生は国からたくさん恩給をいただいていますよね。どうしてそれでキアちゃんを市民学校に通わせてあげないのですか。先生が助けてあげれば、キアちゃんは郵便配達の仕事なんてしなくて済むはずです」

「給金なら毎月ちゃんとバラードさんに渡してるぜ」


 今でこそ借家暮らしをしているうえ、風来坊めいた格好をしていても、彼はれっきとした国の英雄シノノメ・マキナである。戦争の終結に多大に貢献した見返りは相当に大きいはず。富と名声どちらを以ってしても、バラード親子を三等市民から二等市民に引き上げるのは容易いだろう。あえてそれを実行しないのをエリスは訝っていた。


「キアちゃんもバラードさんも、先生にとってはただの家政婦さんなのですか?」

「二人とも俺の大事な人さ」

「なら――」

「安易な施しは二人の努力を踏みにじるに等しい。いずれわかるさ。エリス、お前がこれからの人生で多くを見聞きして、多くの経験を積んで、多くの生きざまを理解していけばな」


 たくさん抱える幸せのほんの少しを分け合ったら、みんな幸せになれる。

 なのにシノノメはどうしてそれを拒むのか。

 納得がいかなかったエリスはせめてもの抵抗のつもりで、最後までシノノメの返答に相づちを打たなかった。



 ◆◆◆



 夕食のおつかいを引き受けたエリスは繁華街をさまよっていた。

 男の子が道行く大人に靴磨きをせがんでいる。働きに出ている両親の代わりだろうか、乳児を抱きながら買い物かごを提げている少女もいる。親と揃って荷馬車に荷物を積んでいる少年も。

 正午前。この時間は本来なら皆、学校で勉強に励んでいるはずだというのに。

 海辺に面した大都市アクアには何でもある。善き面も悪しき面もない交ぜになって。

 キアとの一件以来、暗部に隠れていたものが見えるようになってしまっていた。

 明日も知れぬ子供たちが大人に混じって働いている。

 恵まれた自分との生活を比べて、罪の意識に胸が苦しくなった。

 物思いにふける彼女の足は喧騒から遠退いていく……。


「ヴリトラくんはどう思う?」

「何がだよ」

「わたしがシノノメ先生に言ったこと、間違ってたのかな」


 石材加工の工場にエリスは、褐色の肌をした青年ヴリトラといる。

 直射日光から逃れて二人は作業場の隅に座っていた。

 おつかいを済ませて北区の郊外を所在無くぶらついていたら、彼と出くわした。覇気をなくしたエリスを放っておけなくなった彼に仕事場まで連れてこられたのだ。

 威勢のいい男たちが汗を弾けさせ、鍛え上げられた肉体を最大限に生かし、木材や石材を運んだり切ったり組み立てたりしている。真夏の日差しで全身の筋肉が輝いている。

 ちら、とヴリトラの横顔を盗み見る。

 中肉中背にしては、彼も見惚れるくらいたくましい体つきをしている。とりわけ、むき出しの両腕の筋肉が男らしく頼もしかった。


「わたしのは単なる自己満足だったのかな」


 いや、とヴリトラはかぶりを振る。


「お前のそれも『やさしさ』のあり方の一つだ」

「わたしのやさしさ? あり方の一つ?」

「誰かが飛び立つのを後押しする。それが先生と俺の『やさしさ』だ」


 真剣に語るヴリトラの言葉にエリスは聞き入る。


「飛び立つ力を取り戻せるかはそいつ次第だ。そいつがやらなきゃならないんだよ。さもなくば死ぬまで鳥かごで飼われる運命だ――っていうのが先生からの受け売りだ」


 ヴリトラは捨て子だった。

 六年前、第二北区のスラムに置き去りにされていた彼を引き取ったのがシノノメだった。捨てられる以前の記憶を失っていたヴリトラは三年間、シノノメと一緒に暮らして魔法の技術や生きる(すべ)を学んだ。

 現在、ヴリトラは独り立ちし、貧しいながらも工場で働いて生計を立てている。まだまだ半人前で稼ぎも雀の涙にせよ、ゴミ山漁りを生業とする者が大半を占める四等市民の中ではだいぶ真っ当な暮らし方をしている。


「己の生きざまを貫いてこそ命は輝く。先生はそれを俺に教えてくれた」


 ――交代の時間だぞ! 女の子たぶらかすのもその辺にしときな。

 親方らしき大男に呼ばれてヴリトラは腰を上げる。


「いずれお前にもわかる。お前は昔、俺がいたのと同じ場所――先生に一番近い場所にいるんだからな」


 工場の屋外には石材を加工するための機械が野ざらしにされている。

 加工機械はいずれも魔法動力機関を搭載していない、純粋に電気と燃料で稼動する旧式の装置である。普段のエリスなら好奇心に駆られるまま飛びついているだろうが、今日ばかりはそうする気も起きず、さっさとシノノメ宅に引き返した。



 ◆◆◆



 硬いベッドに寝そべりながら無為な時間を過ごしていたエリスに来客があった。

 ハンチング帽の少女キアが開いたドアの隙間から頭を覗かせる。

 後ろ手に隠していたガラスの容器を差し出してくる。

 容器に盛られているのは赤い半球形の氷菓子。


「シャーベット。冷たくておいしい」


 それはキアなりの励まし、気遣いだった。

 甘酸っぱいイチゴ味の氷が喉を伝って落ち、真夏の熱気にうなされる身体を芯から冷やす。剥離しかけた魂が肉体に張りつく。

 エリスとキアはスプーンを渡し合って一口ずつ交互にシャーベットを口に含んでいった。夏の暑さに負けて溶ける前にシャーベットは食べつくされた。


「さっきシノノメ先生が買ってくれた。二人で食べろ、って」

「いつも買ってくれるの?」

「いつもじゃない。ときどき。前に買ってくれたのはボクの誕生日」

「先生、お金いっぱい持ってるはずなのに」

「それはボクのお金でもお母さんのお金でもない。先生がもらったお金。先生がしあわせになるためのもの」


 エリスは空になった容器を真上から覗く。

 底の厚いガラスに丸く歪んだ自分の顔が映っている。

 このシャーベットこそが、エリスの問いかけに対するシノノメの返答だった。

 街の誰もが英雄シノノメ・マキナを知っていて、尊敬している。

 その理由をエリスは今、垣間見た。


「だいじょうぶ。みんなわかってる。エリスがいっぱいがんばってるの。ボクもお母さんもシノノメ先生も、がんばってるエリスが好き」


 ガラスの容器を下げたキアは部屋から去った。

 曇天だったエリスの心に晴れ間が差していた。キアが口にした『エリスが好き』という台詞を頭の中で幾度も幾度も思い出して幸せにもだえていた。枕に顔をうずめて足をじたばたと暴れさせていた。


 ――がんばりたくなっちゃったよ、わたし。

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