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魔法使いのエリス:三角帽子と夏の星  作者: 帆立
二章:今日から始まるエリスの修行
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第6話:少女キアの街案内

 キアと街をめぐる約束は翌日に果たされた。

 東区の港でエリスたちはまず船を見て回った。

 湾口に連なって停泊する数多の蒸気船はそれぞれ形が違っており、各々の個性が光る。エリスはキアが呆れるくらいそれらひとつひとつをうっとり眺めていった。金属の船体に頬ずりしかねない勢いであった。

 暇を持て余してあくびをするキアに、エリスは蒸気機関と魔法動力機関を併用する仕組みを長々と語りだす。結果、彼女をますます退屈させてしまった。


「エリス、船好きだね」

「船に限らないかな。魔法動力機関に興味があるんだよ」

「そっか、魔動師(まどうし)になりたいんだったね」

「シノノメ先生のもとで修行して、ぜったい魔動師になるよ、わたし」

「……なれるといいね。ボクも応援する」


 汽笛を鳴らす船にエリスが手を振っている隙に、キアはハンチング帽で目元を隠した。

 船に満足した次は市場(いちば)を訪れた。

 水揚げされたばかりの新鮮な魚や、輸入された色鮮やかな果物が並んでいる。木彫りの置物や民芸品など、商人がうさんくさい土産物を叩き売る露店もあちこちに。

 地元の住民はもとより観光目的で訪れた人々も雑多な通りを占めている。エリスとキアは身体を横にして人々の間をすり抜け、市場を見物していった。

 すばしっこく雑踏をすり抜けていくキア。

 つばの広い三角帽子が邪魔をしてエリスはだいぶ歩くのに苦労していた。


「シノノメ先生、新鮮な魚しか食べない。味にうるさい」

「魚の味なんてわかるのかな、あの人」

「たぶん、わかんない」


 シノノメはバラードがこしらえる食事を、いつもあっという間に平らげてしまう。オレンジは皮を剥いたら丸々口に放り込んでしまい、酒だって水を飲む勢いで飲み干す。そんな体たらくで味通を気取られてもエリスは信じ難かった。


「キアちゃん、次は繁華街につれてってほしいな。いい?」

「わかった。こっち。ついてきて」


 キアは建物と建物の隙間を指差す。

 ゴミで散らかるその向こうは、陽の当たりが悪い裏通りに続いてる。


「なんか薄暗くてじめじめしてそうだよ……」

「こっちが西区への近道だから」


 今のキア・バラードを動物にたとえるなら猫だった。

 薄暗く狭い建物の隙間をすばしっこく歩く。ひっそりとした裏通りを右へ曲がったり左へ曲がったり、ときには塀を登ったり、入り組んだ迷路を進み、友を先導する。エリスはおっかなびっくりキアの後ろについていった。

 裏通りを抜けて西区の繁華街に出る。

 降り注ぐ日差しがまぶしくて、エリスは青空に腕をかざした。


「ついた」

「め、目が回ったよ……汗びっしょりだよ」


 どうにかこうにかついてこれたエリスは全身汗だくで、肩で息をしていた。

 繁華街も市場に勝るとも劣らない賑わいぶりだった。

 市の許可を得ているのか怪しい露店の類が少ない代わりに、ブティックや本屋などのきちんとした小売店や、喫茶店やレストランが多い。総じて中流層向けの店舗が目立つ。市場との違いはそういった雰囲気であった。


「キアちゃん、百貨店に入ってみようよ。わたし、一度覗いてみたかったんだ」


 エリスは手を引こうとしたがしかし、キアはその場に立ちすくんでいた。


「ボクはいいよ。エリス一人で行って」

「どうして? わたしはキアちゃんと二人で行きたいよ」

「……気持ちだけ受け取る。ありがと」


 キアがつらい気持ちを押し隠していたのがわかり、エリスは素直に諦めた。

 繁華街で最も大きなビルの百貨店。そのガラスのドアからは身なりのよい人たちが出入りしている。着古したオーバーオール姿のキアは、砂漠に浮かぶ泉の幻影でも見るかのように惚けていた。



 ◆◆◆



 噴水が中央に据えられた、緑豊かな駅前の広場。

 キアが周囲を注意深く窺う。

 

「ここならたぶん、大丈夫」


 花壇のそばのベンチに腰を下ろした二人はキアの母バラード手製の弁当を膝に広げた。

 竹編みの弁当箱にはミートパイが一切れずつ入っていた。

 二人は竹筒の水筒の栓を抜いて喉の渇きを潤した。

 緑色の見た目、つるつるとした触感、鼻をひくつかせるとかすかに伝わる自然の匂い。普通の木とは違った趣がある。上から下まで、エリスは竹筒の水筒をためつすがめつ観察していた。片目をつぶって穴の中まで覗き込んでいた。


「面白いかたちの水筒だね」

「シノノメ先生が作ってくれた。お弁当箱も」

「案外器用なんだね、先生って」

「魚釣りはヘタ」

「そ、そうなんだ……」

「シノノメ先生は変な人。でもいい人。お母さんにもやさしい」


 家政婦バラードはシノノメの元恋人。

 昨夜、ヴリトラが言っていたことをエリスは思い出した。シノノメがむきになって否定しているのがかえって怪しい。ときどき彼女を『レア』と下の名前で呼ぶのもエリスの疑いを強める要素となっていた。


「エリス、昨日はありがとう。ボクをさがしてくれて」

「友達だもん。どうってことないよ」

「エリスがいなかったら、先生もボクらを助けられなかった。すごいよ」

「だってわたし、魔法使いだから」


 エリスはめいっぱい胸を張って「ふふん」と自慢げに鼻を鳴らした。

 両親や兄たち以外の人間から褒められた経験が少ないエリスは、知り合って間もない友達から感謝されて嬉しくてたまらなかった。あまつさえ魔法の力を褒められたのだから、その充実感はかつて感じたことのないほど大きかった。


「キアちゃん、いつもその帽子かぶってるね」

「お父さんがくれた帽子。大事なもの」


 キアはハンチング帽を胸に抱く。


「エリス。キミと友達になれてよかった」

「うんっ。わたしもだよ」


 ――誰かのためになる、ってこういうことでもいいんですよね。シノノメ先生。

 決して忘れまいと、エリスはこの新鮮な喜びを噛みしめた。


「お前たち」


 ベンチに腰かける二人の上に影が差す。

 クラウス・コルネリウス警部が二人の前にいた。

 肩幅の広い、筋肉質の彼が仁王立ちになっている迫力にエリスは圧倒される。水筒をすべり落としそうになってしまった。

 彼も休憩中なのか、片手に露店のサンドイッチを握っている。

 ――この人といると緊張する。

 エリスはコルネリウス警部がなんとなく苦手だった。

 警部はキアに用事があるらしかった。


「キア、ここの広場は使わないほうがいいと前も言ったはずだ」

「ごめんなさい」

「長居するのか?」

「もう帰るところ」


 キアは弁当箱と水筒を手早くカバンにしまってベンチから降りる。

 まだ昼食を食べ始めたばかりで、おしゃべりもこれからだったのに、それを中断させられたエリスはどうしても納得できなかった。頭ごなしに叱りつけてくるコルネリウス警部に対して不満が募る。腹に据えかねて警部に詰め寄った。


「コルネリウス警部。どうしてキアちゃんはここにいちゃ駄目なんですか」

「面倒な連中に目をつけられる」

「こんな人目につく明るいところでですか?」

「ごろつきの類じゃない。身なりや肩書きにこだわるつまらん奴らが多いのさ」

「身なり……肩書き……?」

「エリス、クラウスさんは悪くないよ」


 鼻息を荒らげて食ってかかるエリスをキアがたしなめる。

 キアは後ろめたそうに視線を足元に落としている。


「ボクは三等市民だから」


 ごろつきに絡まれていたヴリトラの姿がエリスの脳裏によみがえる。

 ――ふっかけてきたのはあいつらだ。『四等市民は道の端っこを歩いてろ』だとかいちゃもんつけてきやがって。てめえらだって三等市民のくせによ。

 ――なあ、平和主義な一等市民のお嬢さん。てめえはどうなんだ。俺たち四等市民はガラクタの山にしか住むのを許されないのか。

 その台詞も鮮明に再生された。


「今日は友達ができて、ちょっとはしゃいだだけだから。それくらい許してよ」


 キアは年齢に見合わない、世の中を悟ったような皮肉っぽい笑みを浮かべていた。

 街の案内を頼んだとき、一瞬躊躇していた理由。

 あえて裏道を通っていた理由。

 百貨店に入りたがらなかった理由。

 すべてに合点がいったエリスは悔しくて涙ぐんだ。



 ◆◆◆



 その夜。

 歯を磨いて床に着く。

 エリスの自室に入るにはシノノメの部屋を経由しなければならない。階段を上がったエリスはシノノメの部屋のドアにそっと手をかけた。

 彼はベッドにあぐらをかきながら本を読んでいた。

 分厚い書物。小説の類とは違う。学術書か事典か。


「こんな夜更けに本を読んでいたら目を悪くしますよ」

「口うるさい小娘だぜ。お前は俺の嫁かっての」

「よっ、嫁!?」


 エリスの頬が赤らむ。

 特別深い意味はなかったらしい。サイドテーブルに書物を放り投げて、シノノメはベッドに仰向けになった。エリスはどぎまぎしながら「おっ、おやすみなさい、先生っ!」と早口で言い切った。

 シノノメの前を通り抜け、反対側のドアの前で立ち止まる。


「シノノメ先生。わたし、世間知らずでした」

「ははーん、さてはキアを連れてたせいで街の奴らにいちゃもんつけられたな」

「知ってたんですか……って、当たり前ですよね。先生とキアちゃんはわたしが来る前から同居してるんだから。それなら一言言ってくれれば」

「俺が忠告したところでエリス、お前は素直に従ったか?」

「……いえ」


 昼間の百貨店と公園での出来事を打ち明ける。

 懺悔にも似たエリスの語りを彼は黙って聞いていた。


「百貨店の出入りに三等市民の制限はないが、まあ、嫌な顔はされるだろうな。クラウスとの件もあながちおせっかいとも言えないぜ。奴隷が商売として成り立っていた時代の、旧来の考え方に固執している人間はまだまだ多い」

「ねえ、先生――」

「ああ、お前が考えているのでだいたい合ってる。四等市民ほどじゃないにしろ、三等市民も差別的な扱いを受けているのが現実だ。金銭的事情や出自のせいで、大学どころか市民学校に通うのも困難な家庭だって多い。医者や教師といった職にも就けない。無論、魔動師にもな」


 押し黙るエリスの頭をシノノメがなでる。がさつな彼らしくない、やさしい手つきだった。エリスは兄たちに可愛がられていた日々が懐かしくなった。

 足元の床に目をやる。

 ちょうど真下の一階ではバラード親子が同じベッドで眠っているだろう。


「先生はバラードさんやキアちゃんと一緒にごはんを食べたりしないんですか」

「バラードさんは住み込みで働いてる家政婦だし、キアはその娘だ。雇用主と労働者が一緒に食事をとるのはおかしいだろ。おいおい、まさか俺まで差別主義者扱いするわけ?」

「でも、でもでもでもバラードさんと先生って幼馴染なんですよね」

「あーもー、めんどくせえイモ娘だな。いい加減に寝ろ」


 結局エリスは満足のいく返答を得られないまま部屋に押し込められた。

 ――明日の夜、本格的な魔法を一つ教えてやる。

 薄いドア越しにシノノメが言った。

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