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魔法使いのエリス:三角帽子と夏の星  作者: 帆立
一章:魔法使いは魔動師に憧れて
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第3話:一等市民と四等市民

 エリスが表通りに飛び出たとき、熱を帯びた光が一瞬、視界を赤に染めた。

 肌を舐める炎が眼前を横切り、エリスは驚いて足を止める。

 次いで悲鳴。

 柄の悪そうな男たち三人の身体に火が燃え移っていた。彼らは頭や服を燃やす火を消そうと地面をのたうちまわり、火が消えるや、ほうほうのていで逃げていった。

 残っていたのは褐色の肌をした青年一人だけだった。


「雑魚どもが。ケンカ売るなら相手を選べよ」


 指先で安定して点っている火を彼は吹き消す。

 血の気が多そうで、獣のような野性味と粗野な雰囲気を漂わせている。外見から判断するに、年齢はエリスより一回り上くらいか。

 さっきのは魔法で生み出した炎だった。この人は魔法使いなのだろうか。エリスはいろいろと思いを巡らしていた。


「次はてめえか?」


 視線に気づいた青年の鋭利な眼光がエリスを射抜く。

 エリスは必死に首を横に振って否定した。


「ぼっ、暴力はよくないです」

「ふっかけてきたのはあいつらだ。『四等市民は道の端っこを歩いてろ』だとかいちゃもんつけてきやがって。てめえらだって三等市民のくせによ」

「四等……市民?」

「なあ、平和主義な一等市民のお嬢さん。てめえはどうなんだ。俺たち四等市民はガラクタの山にしか住むのを許されないのか」


 しどろもどろになっているエリスに彼は詰め寄る。

 薄汚れたつぎはぎの服をまとう彼は、上等な絹の衣装を着るエリスにそう問うた。

 うつむき加減で目を逸らしながらも、エリスは言葉を紡いだ。


「そんなこといきなり言われても……よく、わかんないです。でも、でもでも魔法は人を幸せにするためのものです。いつまでも人間同士の争いの道具にしてちゃいけないんです」


 どれだけ怖くても、それだけはどうしても言いたかった。

 ――幸せにするためのもの、ね。

 不愉快そうにエリス言葉を繰り返す青年。

 彼は指を鳴らして指先に火を点け、それをじっと見つめる。


「口をついて出るのはきれいごとばかり。反吐が出るぜ、金持ちどもにはよ」

「いい加減にしな、ヴリトラ。エリスはごろつきに絡まれてたお前を助けようとしたんだぜ」


 ヴリトラ――エリスを追いかけて部屋から出てきたシノノメが、咎めるような語気で褐色の青年をそう呼んだ。

 殺気立っていたヴリトラはシノノメが現れると、急に落ち着きを取り戻した。


「ケンカっ早い性格は相変わらずだな。元気そうで何よりだ。ただ自分で言ってた『ケンカを売る相手』はお前も選ぶべきだ。誰彼構わず吠えてちゃ、好いてくれるはずの人にも愛想尽かされるだけだぜ」

「……気をつけます」


 シノノメの硬くて大きな手のひらで頭をなでられたヴリトラは、しゅんとうなだれてしまった。そうなっている姿はまさしく手なずけられた従順な猛獣。その変わりぶりにエリスはあっけにとられていた。

 ヴリトラにぎろりと睨まれてすくみ上がるエリス。

 彼はまだ敵意の目を向けている。


「おい、一等市民。てめえ、先生の何なんだよ」

「えっと、わたしはシノノメ先生の一番弟子です」

「一番弟子だと!」


 ヴリトラは激憤に駆られたがしかし、シノノメの手前でまた暴れるわけにもいかず、怒りをどうにか抑えながら二人に背を向けて去っていった。人だかりは彼を避けて割れていった。

 停滞していた表通りがまた流れだす。


「シノノメ先生。あのおっかない人は」

「ヴリトラは俺の一番弟子だった小僧さ。第二北区のスラム暮らしのな。まあ、口は悪いが人並みの倫理観や正義感は持ち合わせてる。同じ魔法使いのよしみだ。仲良くしてやれよ」


 あの態度からして、打ち解けられるのは遥か遠い未来だろう。エリスは内心思っていた。


「港湾都市アクアでは、貧困層となる三等市民以下には公共施設の立ち入りとかに制限が課せられている。そういうところで諸々と軋轢があるのさ。急速な発展のしわ寄せってやつだな。っていうか、王都だってきらびやかな街の裏側ではそんなもんだろ?」

「一等市民区と二等市民区以外には入っちゃダメだって、お父さんに言われてたので」


 ――あんまりそういうのわかんないです……。

 エリスは世間知らずの自分を恥らいながら、小声で後半をごまかした。



 ◆◆◆



 シノノメの狭い部屋の小さな組み立て式テーブルに二人分の食事が運ばれてきた。

 家政婦のバラードはエリスににこやかなあいさつをしてから下の階に戻っていった。

 夕食のイモのスープからは湯気と食欲をそそる香りが立ち昇っている。

 エリスはさっそくスプーンを手にしてその一さじ分をすくった。口の中に運ばれたスープは実家の慣れ親しんだものよりもだいぶ味は薄く、具も少ない。代わりにまごころのこもった丁寧な味付けがそれを補ってあまりあった。

 エリスが一口ずつ味わっているうちに、シノノメはあっという間にスープを飲み干してしまっており、パンの切れ端で浅い皿の底を拭っていた。


「おいしそうに食べてるな、お前」

「わたし、おイモ大好きなんです」

「あー、なるほど。だからか」


 シノノメは何に納得しているのか。エリスは首を傾げる。

 すると彼はおちょくるような口調でこう続けた。


「お前ってさ、イモに似てるよな」

「わたしがおイモに似ている……?」

「その丸っこい顔がさ」

「ひっ、ヒドイです!」


 この世に生れ落ちて十二年。恋愛に未熟な幼いエリスでも、自分の容姿をそうたとえられては腹が立つのも当然だった。

 頬を膨らませて抗議をする。そのせいで余計にイモの形に似てしまって、シノノメは腹を抱えながら大笑いしてしまった。頬を紅潮させたエリスの視界が涙で潤った。

 シノノメは涙をにじませるエリスの頭をなでてあやす。


「悪い悪い。許してくれよ、イモ娘」

「ちっとも反省してないじゃないですか!」


 自室に戻ったエリスは八つ当たり気味にベッドに飛び込む。

 錆びついたスプリングの軋む音がして、身体がベッドに沈んだ。

 腹の虫が収まらない。

 たとえ謝りにきたって絶対に許さない。

 それほど腹を立てているのに、シノノメを嫌いになれなかった。むしろ、子供特有の天真爛漫さを失っていない大人の彼に不思議な親しみを抱いていた。両親や歳の離れた兄たちに人形みたいに可愛がられて育ったエリスは兄弟げんかの経験がなかったから、不思議な親しみの正体がわからなかった。

 こんこん、とドアを軽く叩く音がする。

 薄いドア越しに聞こえるシノノメの声。


「俺は寝るぜ。おやすみ、エリス」

「おやすみなさい、先生」

「おっ、機嫌直したか?」

「もう、すぐ調子に乗るんですから」


 ドアの隙間から漏れていたオレンジ色の明かりが消える。エリスもサイドテーブルに置いてあるランプの明かりを消した。

 暗くなると表通りのガス灯の明かりがひときわ目立つ。

 光源にいざなわれる蛾のようにエリスは窓際に立つ。

 賑やかだった表通りも、月と暗闇が支配する空の下では寝静まっている。等間隔で立つ背の高いガス灯が街路を薄明かりで照らしていた。

 ときおり通り過ぎる自動車を眺めながら、汽車の遠い汽笛を聞きながら、魔法動力機関と機械の構造についていろいろと思いを馳せる。魔法動力機関が一般家庭にも普及すれば、ランプの油に気を遣うこととも決別できるし、ラジオを聴くためにわざわざ集会場に集う必要もなくなる。時計のネジを巻く煩わしさからも解放される……などと延々。

 あくびをしたエリスは妄想を中断する。樫の杖を抱いてベッドにもぐった。

 いつか必ず魔動師になる。

 そんな夢を抱きながらまぶたを閉じた。



 ◆◆◆



 あくる朝。


「起きろ、イモ娘!」


 シノノメに布団を引っぺがされてエリスは叩き起こされた。

 布団を剥がすと弟子が樫の杖に抱きついて眠っていたので、師匠はびっくりしていた。

 エリスは上体を起こした格好で寝ぼけ眼を擦る。

 カーテンの隙間から光が漏れている。ガス灯の明かりよりもまぶしい。

 家政婦のバラードがカーテンを開け放つと、新鮮な朝の日差しが部屋に差し込んできた。

 バラードは窓辺に花瓶を添える。朝の日差しがガラスの花瓶と清らかな水に透け、床に到達する。

 花瓶には儚げな花が一輪。小さいながらも紫色の花弁を精いっぱい咲かせている。

 エリスは目を細めて光量を絞る。

 日差しを背に受けるシノノメが、鞘に収まった太刀を肩に担いでいた。


「とっとと顔洗ってこい」

「……お兄ちゃん?」

「いつまで寝ぼけてんだ。朝メシ食ったらさっそく始めるぞ」

「始める? 何を?」

「決まってんだろ」


 シノノメがにやりと笑う。


「魔法使いの修行だ」

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