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魔法使いのエリス:三角帽子と夏の星  作者: 帆立
終章:あなたのとなりで
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第27話:遠い憧憬

 悪鬼コルネリウスが繰り出す拳の一撃を、シノノメは紙一重でかわす。

 重心がずれてふらつく悪鬼にすかさず蹴りを放つ。胴体のど真ん中に当たっても悪鬼は意に介さず、力任せの反撃をぶつけてきた。

 軽々と宙を舞ったシノノメは、地面に激突する間際に受身を取って即座に起き上がる。加勢しようとするエリスとヴリトラを「離れてな。これは俺とクラウスの真っ向勝負だ」と手で制した。


「もっと派手なケンカ、この二十数年で散々やってきたさ」


 鼻血を拭ってにやりと笑う。親友との真剣勝負を心底楽しんでいた。


「そうだよな、親友!」


 彼の呼びかけに親友は咆哮で応じ、浮遊する足場が微震した。

 悪鬼が拳を振りかざす。

 シノノメも前傾姿勢で突貫した。

 主導権を握らんと攻守を奪い合う、目まぐるしき肉弾戦。

 軽い身のこなしでシノノメが翻弄し、悪鬼は圧倒的な攻撃力で応戦する。

 攻防が続くうちに、両者とも徐々に疲労があらわになってくる。

 拳と拳の応酬。

 雨あられの早業で繰り出されるシノノメの連続攻撃と、空気を振動させる悪鬼の巨岩のごとき拳が交差する。


「シ……ノ……ノノ……シノ……メ」


 悪鬼がうなり、叫ぶ。


「シノノメエエエエエエッ!」


 悪鬼の乱打をすれすれでかいくぐって、シノノメが着実に攻撃を当てていく。拳と蹴りを浴びるごとに悪鬼の反応が鈍くなっていく。

 そしていよいよ引導が渡された。

 渾身の力をこめたシノノメの拳が悪鬼の腹にめり込んだ。二人の闘いを見守っていたエリスも確かな手ごたえを感じた。

 踏ん張った腰を軸に、勢いを殺さぬまま拳が振り抜かれる。

 吹っ飛ばされる悪鬼。

 数秒間、低空を飛んでから巨体が地面に激突する。残った慣性で地面を滑っていく。おびただしい砂埃が巻き上がって視界をくらまし、衝撃で足場が揺れ、エリスとヴリトラは互いに支えあって姿勢を保った。

 砂埃が晴れると、そこには仰向けに倒れて動かなくなった悪鬼がいた。

 悪鬼から黒き霧が噴出していく。

 肉体が縮小していき、やがて元の人間の姿に戻った。


「今回も俺の勝ちだな」


 白い歯を晒したシノノメが子供じみた喜び方をした。


「力比べなら俺に分があった」


 大の字に寝転がっているコルネリウス警部も、彼らしからぬ負け惜しみを言う。その声色からは清々しさが感じられた。


「ちょっともったいなかったぜ。酒の一杯でも賭けとけばよかったか」

「下戸のくせに粋がるな」


 コルネリウス警部はふらつく足取りで足場の縁まで歩いていく。

 端まで到達するや膝を折り、奈落に身を投げた。

 まっさかさま、深淵に落ちる間一髪、シノノメが彼の手首を掴んだ。


「手を離せ」

「嫌だね。お前にそんな寂しい死に方、させてたまるかよ」

「過ちを犯した者にはそれ相応の死にざまがお似合いだ」

「おいおい、それこそ現代の法治国家にはそぐわないんじゃないか?」

「……フッ、お前にしては賢い屁理屈だ」


 言い負かされたコルネリウス警部は、余っていた手でシノノメの手首を握った。

 宙吊りの状態から引き上げられた警部は、両腕を広げる石像のそばまでどうにか歩み寄ったところで限界に達し、血を吐いて倒れた。

 穿たれた胸から濃い色の血がこぼれている。呼吸のたびに喀血している。エリスの目にも、彼の死期が間近なのが明らかにわかった。

 瀕死の彼のそばにシノノメがしゃがみこむ。うつ伏せに倒れた幼馴染を抱き起こし、楽な姿勢に直した。死にゆく者を見送る面持ちをしていた。

 コルネリウス警部が今にも消え入りそうな声で彼に語りかける。


「なあ、シノ。レアは元気にしているか」

「なんだよ急に。懐かしい呼び方しやがって」

「レアの家はお金がないから、栄養のあるものを食べられない。やたら頑丈なキミと違って繊細なんだ」

「俺をバカにしてるだろ」

「頑丈なのがキミの取り得だ。希望を捨てず、打ちのめされても再起して、ひたむきに前進し続けられる。だからキミは皆に好かれる。皆の希望の光になれるんだ」


 堅物なこの友人に褒められ慣れていないシノノメは「優等生ぶった口振りしやがって」とむずかゆそうに視線を逸らしている。

 何の変哲もない、友人同士のごく日常的なやりとりである。


「そういえば来週は試験日だ」

「警察の昇進試験か?」

「シノ、ちゃんとノートを取っているか。僕は貸してやらないからな。次の算数、赤点を取ったらまた先生から大目玉をくらうぞ」

「おい、クラウス?」


 ちぐはぐな幼馴染との会話に、シノノメの顔に焦りの色が浮かぶ。


「僕の将来の夢は三等市民とか四等市民とか、そういった人間同士のくだらない区切りをなくすことなんだ」

「おい!」

「僕の夢が実現すれば、レアは縫製工場での労働から解放される。僕らと学校に通えるようになるんだ」


 幼馴染の瞳はバラードが少女時代の思い出を懐かしげに語るときと同じ、長い旅路のさなかで遠い憧憬を懐かしむ輝きをしていた。

 すべてを察したシノノメは、ただ単純に「ああ」とだけうなずく。


「だから僕はたくさん勉強して、市民学校を卒業したら大学に入るんだ。警察、いや、政治家になればいいのかな。とにかくキミもちゃんと勉強しろよ」

「……ああ」

「さっきから生返事ばかりだな。ちゃんと僕の話を聞いているのか?」

「ああ」


 彼の友人は血の飛沫を撒き散らしながら咳き込む。


「シノの夢はなんだい?」


 最期に友はそう問うた。

 シノノメは言葉を詰まらせる。

 口が動くばかりで声が伴わない。

 よもやそんな問いかけをされるとは思っていなかったのだろう。

 不意をついた意趣返しはシノノメを大いに戸惑わせた。

 逡巡しているうちにコルネリウス警部は事切れた。

 眠るように死んだ。

 シノノメはしばらく呆然としていた。

 物言わなくなった幼馴染を抱いたまま無為な時間を過ごしていた。ときどき何か口ずさんでいたが、エリスの耳に届くまでに霧散してしまっていた。

 旧友が先立ったのだ。事実を受け入れるのに時間を要するのも当然である。人間の姿で安らかな最期を遂げられたのが、先生へのせめてもの慰めになれば……そうエリスは願いながら、シノノメが立ち直るのを少し離れた場所で待っていた。

 やがて気持ちの整理がついたらしい。息を引き取った友人を外まで運ぶよう、シノノメはヴリトラに頼んだ。彼はその役目を快く引き受けた。


「すまない。お前からすれば先輩の仇だってのに」

「この人は先生の大事な友人です」


 彼は粗野でありながら分別をわきまえている青年であった。

 大柄のコルネリウス警部の遺体を難なく持ち上げる。四肢が力無く垂れているからか、ヴリトラに抱えられた彼はなんだか妙に小さく感じられた。生前の堂々とした姿を思い出したエリスは、胸がきゅっと締めつけられた。


「魔法使いのエリス。先生を頼む。俺はどの道途中で引き返すつもりだった。瘴域(しょういき)の奥に近づけば近づくほど、身体の内側で火花が散る熱い痛みに襲われてたまらない」

「あの、ひょっとしたらヴリトラくんもシオンさんと同じ……」


 幼少の時分、ヴリトラは記憶を失った状態でスラムに捨てられていた。過去の素性が知れないのはシオンと同様であった。おまけに二人は妙な作用を及ぼし合っている。この二つの事実を手がかりに憶測を進めていくと、ある一つの結論に否応にも行き着いてしまう。


「だからって俺は自分勝手に消えるつもりはない。俺に信頼する人がいるのと同時に、俺という存在を求めてくれる人もいるんだからな。俺には確かに四等市民ヴリトラとしての居場所がある」

「ヴリトラくんを求めている人、わたしもそうだよ。だからヴリトラくんまで勝手にいなくなったらわたし、嫌だよ」

「俺は俺の生きざまを貫く。運命だか宿命だかに揺さぶられてたまるか」


 コルネリウス警部の遺体を抱えたヴリトラは、今来た道を後戻りして瘴域の入り口に引き返していった。彼の背中がエリスの目に頼もしく映っていた。

 エリスとシノノメも瘴域の最奥へと臨み、暗黒空間に浮かぶ扉を開いて次なる次元に踏み入った。



 ◆◆◆



 次なる場面は竜の文様が壁に描かれた、古代の城塞の内部。先ほどまでの異次元空間と比較して、だいぶ現実味のある場所になっている。

 壁にかけられているたいまつが屋内を燃える色で照らしている。

 窓の外だけは異様で、コーヒーにミルクを垂らしたような渦が闇の中でうねっている。奇妙な抽象画を見たときと似た不安がエリスを襲っていた。

 シノノメによると、ここは魔王アイオーンのかつての居城を再現した空間らしい。

 息を殺し、慎重な足取りでエリスとシノノメは廊下を歩いていく。

 聞こえるのは二人の息遣いと足音のみ。

 窓の風景がいびつなせいか、閉塞感がエリスを息苦しくさせる。

 たいまつの影に注意しながら曲がり角を曲がる。

 分かれ道のない廊下を延々と進むと、いよいよ大きな扉の前にたどり着いた。

 扉に触れたシノノメが、ふと背後のエリスを振り返る。


「扉の先に待ち受けているのはきっと、最後の戦いだ。望む未来、望まない未来……いずれにしろ俺たちを取り巻く因縁に決着がつくはずだ」

「はい」

「シオンへの口説き文句、ちゃんと考えてきたろうな?」

「あの人と直接顔を合わせれば、たぶん思い浮かびます」


 空元気にならない程度に、わざとらしくエリスはおどける。


「わたし、だんだん先生に似てきたかも」

「どいつもこいつも、俺をなんだと思ってんだ」


 冗談を言い合い、それから二人で最後の扉を押した。



 ◆◆◆



 魔王城。玉座の間。広々とした大広間。

 部屋全体を赫々と照らす炎の球体。

 燃え盛るそれを支える竜の彫像。

 両脇をその二体に守られた最奥の玉座に、星の王女――否、竜の女王は腰かけていた。

 悪意の権化。

 邪悪なる侵略者。

 人類の敵対者。

 黒き竜――魔王アイオーン。

 慈愛に満ちた聖女の外貌でありながら、内に宿すのは数々の異名を与えられ、恐怖の対象とされていた魔王の魂に他ならない。


「待っていました、エリス。そして、不死に等しき我が肉体を打ち砕ける人間。かつての英雄シノノメ・マキナよ」

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