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魔法使いのエリス:三角帽子と夏の星  作者: 帆立
終章:あなたのとなりで
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第26話:罪過の彷徨

 瘴域(しょういき)の入り口目前でシノノメが足を止め、エリスに封筒を手渡した。

 国の紋章が刻印された封蝋――王国の正式な書簡である。

 中の手紙を読んでエリスは仰天した。


「今朝、王城で開かれた会議でこんな話があったらしい。ヌシを退けるのに貢献したエリス・マキナを魔動師(まどうし)に認定するのはどうか、ってな」


 魔法の力で動くエンジン『魔法動力機関』の開発に携わる誉れ高き魔法動力機関国家技師。

 通称、魔動師。

 たかが十二歳の少女が魔動師に選ばれるなど異例中の異例である。二度目の滅びから立ち直るさなかという時代の風が、その異例を許したのだ。

 港湾都市アクアが崩壊し、失意に暮れる国民は明るい話題に飢えている。

 英雄シノノメ・マキナと共にヌシを退けた勇敢なる少女が魔動師に選定されたとなれば、人々は勇気づけられるはず。

 つまるところ、国民に希望をもたらす神輿としてエリスに白羽の矢が立ったのである。

 エリスの決意は固まっていた。彼女自身、驚くほどすんなりと。

 手紙を返す。

 言外から返答を察したヴリトラが「お前、魔動師になりたくて修行してたんだろ」と訝しげに言った。


「ヴリトラの言うとおりだ。不純な思惑が絡んでいるにせよ、紛れもなくお前が憧れていた魔法動力機関国家技師になれるんだぜ」

「わたし、シノノメ先生に認められて魔動師になりたいんです」


 魔法使いの修行を始めたときに交わした最初の約束。

 エリスが宝石箱にしまっている一番大事な宝石だった。



 ◆◆◆



 黒き霧の影響で瘴域は歪んだ空間に変容していた。

 エリス、シノノメ、ヴリトラの三人がいる砦の外周は屋外であるはずにもかかわらず、空が黒色の殻でふたをされている。鳥のさえずりや草むらを揺らす獣の気配が消えている。不思議と保たれていた自然との調和がついに乱れ、邪悪な霧に支配していた。

 魔物の襲撃を警戒しつつ歩を進める。

 錆びた門の前につく。

 格子は蝶番が錆びたせいで柱から外れ、地面に倒れている。奥にある砦の正面入り口も同様に扉が外れ、よそ者の好き勝手な出入りを許している。

 砦の内部は暗黒の幕で正体を隠されている。

 いよいよもって人間の生活圏から魔の者たちの縄張りへと侵入する。


「案内ありがとうな、ヴリトラ。ここから先は危険だ。魔物が現れる前にスラムに帰ったほうがいい」

「いえ、俺も先生たちについていきます。俺たち四等市民はある意味、瘴域の存在によって生かされてきた面もありますから。それに……」


 台詞の半ばで少しためらってからヴリトラは、ごまかすように「先生にもエリスにも待っている人がいます。だから俺もついていくんです」と無難な言葉を続けた。


 ――シノくん、必ず帰ってきてね。クラウスさんのこともお願い。あの人はシノくんのいないところで私を大事にしてくれたから。

 ――シオンさんと帰ってくるの、ボクも待ってる。


 シノノメにもエリスにも、帰りを待つ人がいる。

 そして、迎えにいかなければならない人も、また。



 ◆◆◆



 砦の内部は現実から隔絶された、非現実的な異次元世界に変貌していた。

 黒い霧が支配する暗黒空間に、正方形の足場がところどころ浮かんでいる。足場と足場には危うげな吊り橋がかけられている。高所、ときには低所、立体的に繋がっている。

 足場の下は底知れぬ闇。

 万が一足を滑らせでもしたらどうなるか……想像したエリスは冷や汗をかいて足場の中央に寄った。

 エリスとヴリトラを置き去りに、衝動的に走り出したシノノメは、揺れる吊り橋を渡って次の足場に渡った。

 シノノメがたどり着いた足場は空間の中央に位置しており、面積が最も広い。

 吊り橋のそばに一体の石像が立っている。

 両腕を広げた男性の石像。

 彼もヌシによって石化させられたのだろう。


「先生、この石像はまさか、三年前に送られた調査隊の」

「……レアの旦那さんだ」


 シノノメは涙声ながら嬉しそうに言った。


「クラウスの奴、やっぱり嘘ついてやがった」


 両腕を広げた石像の表情は毅然としている。

 石像が正面を向ける方向は出口ではなく瘴域の奥。

 シノノメが流す涙によって、エリスは石像の格好が何を意味しているのかわかった。

 バラードの夫はコルネリウス警部を逃がすため、迫りくるヌシを阻む盾となったのだ。

 ――よかった。本当によかった。

 エリスも心底安堵した。


「シノノメ、やはりシオンを追ってきたか」


 反対側の吊り橋から人影が近づいてくる。

 コルネリウス警部である。

 石化のナイフの呪いにより、黒い筋が全身に脈打っている。


「シオンだけじゃねえよ。お前も迎えにきたんだ」

「石化事件の犯人が出頭してはマフィアどもへの牽制も無意味となる」


 腰から抜いた拳銃の銃口をシノノメに定める。


「それに、お前とレアが愛し合うのを見るのはもうたくさんだ」


 疲れきったため息をつく。

 それが本心なのだろう。

 一瞬だけ彼の生の感情が垣間見えた。


「俺は人殺しを行った。レアだって傷つけた。報いとして悪鬼の呪いを受けた。だのにどうしてお前はこの期に及んで俺を救おうとする」

「幼馴染を助けるなんて当たり前だっつーの」


 警部は引き金にかけていた指を引っ込め、腕の力を抜いて銃口を下ろす。手のひらから抜け落ちた拳銃は足場を滑り、深い深い暗黒の底へと落ちてしまった。


「瘴域の最奥で俺と魔王アイオーンが刺し違えれば、忌むべき存在は両者とも消える。すべて良き方向へと流れていく。だから俺はシオンに従った。理解したのなら……頼む、邪魔立てはよせ」

「勝手に死なせやしないさ。シオンもクラウスも。お前は幼馴染で、あいつは家族なんだからな」

「二十年も欺き続けてきた俺を幼馴染と呼び、たかが十数日共に過ごしただけのシオンを家族として接するのか」

「時間なんて関係あるかよ」


 シノノメが自分の胸に手を添える。


「大事なのは、俺たちが胸に抱えている本当の想いだ」


 覆りようのない本当の想い――本心。

 どれだけ残酷なる現実も、どれほど強固たる理屈も、それには及ばない。決して。


「……なるほど」


 コルネリウス警部はシノノメにつられ、不敵にほくそ笑んだ。


「お前のそういうところをレアは好いたのだな」


 そして、手にしている石化のナイフを逆手に持ち、おもむろに――

 自らの心臓を突いた。

 目を剥き、短くうめいて喀血する。

 死を連想する赤黒い血が茶色のスーツを汚す。

 それでも彼は深々と刺さるナイフを抜かないばかりか、ますます胸に押し込んでいく。

 ナイフが突き刺さった周りに血が滲みだす。

 二度目の喀血で、ついにうつぶせに倒れる。

 全身から立ち昇る黒き霧の奔流がシノノメの接触を拒絶する。

 霧はまたたくまに警部を覆い尽くした。

 黒き霧が晴れ、人影が起き上がる。

 コルネリウス警部は漆黒の巨人『悪鬼』に姿を変えていた。

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