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魔法使いのエリス:三角帽子と夏の星  作者: 帆立
終章:あなたのとなりで
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第25話:やさしい嘘

 ――近日、王国軍特別部隊が編制され、瘴域(しょういき)の浄化が行われる。


 アクア復興会議を取り沙汰した号外が、さっそく病室にも届いていた。


「『悪鬼』のせいですね」


 夜中、王都に突如出現した『悪鬼』は住民たちを震え上がらせた。

 王都に住まう貴族や一等市民たちは、アクアの惨事を対岸の火事と片付けられなくなってしまった。早急に魔物をせん滅して瘴域を浄化すべきだと主張しはじめていた。

 魔物は瘴域から外に出てこない、などという根拠無き認識。

 平和に慣れた人々は内心で高を括り、ゴミ山でふたをして、人類の文明は順調に発展しているのだと自己暗示にかかっていたのだ。


「わたしたちも瘴域へ急ぎましょう」


 三角帽子をかぶったエリスは樫の杖を持つ。

 瘴域の浄化を阻む最大の障害であるヌシが倒された今、魔王の断片が眠る最奥への道は拓かれた。特別部隊が最奥へ到達した場合、必然的にシオンやコルネリウス警部とも対峙してしまう。

 特別部隊に先んじて瘴域に赴き、二人を説得する。

 それがエリスの狙いであった。

 ところが、肝心のシノノメが今朝からふさぎ込んでいる。

 招聘された会議を欠席し、昨夜から病室に籠ってバラードに寄り添っている。

 精根尽き、口数少なく、無意味に天井を見つめるばかり。


「シオンさんとコルネリウス警部と話し合いましょう」

「話し合う? 何をだよ」

「わたしたちのところに帰ってきてください、って」

「かたや魔王、かたや連続殺人犯の二人をか?」


 核心をつかれてうろたえるエリスにシノノメは追撃を加える。


「シオンの正体が魔王アイオーンなら、人間社会にあいつの居場所は皆無だ。魔物の力を利用して殺人を行い、瘴域の呪いに蝕まれて悪鬼になってしまったクラウスだってな」


 消極的で投げやりな態度にエリスは愕然とする。

 彼なら病み上がりの身体を押して二人を助けにいくものだと期待していた。ついてくるなと釘を刺されても強引についていく心積もりだった。だからエリスはなおさら失望していた。


「魔王アイオーンが討たれれば、第二北区の瘴域と海底に沈んだ魔王の心臓も同時に消滅する。クラウスだって、殺人犯だと暴かれる前に魔物として倒され、行方不明扱いにされれば警察の権威を……あいつの名誉を守れる。万事上手くいくんだよ」


 そのとき、乾いた音が病室に響いた。

 エリスがシノノメの頬をぶった音だった。

 師匠をきつく睨む。


「友達を見捨てるなんて、わたしはぜったいに嫌です」


 腫れた頬に触れたシノノメが「友達か」とつまらなそうにつぶやく。

 鬱屈した物言いと伏せがちな弱々しい眼がエリスをひどく落胆させた。


「友達だなんて、俺の一方的な思いあがりだったじゃないか。しかもさ、レアの旦那さんを殺したのまで白状したんだぜ」

「あれがあの人の本音だって、真実だって、先生は本気で信じているんですか?」

「エリスにはわからないだろうよ。俺の気持ちなんて」


 シノノメは嘲る。


「俺とレアがにこにこ仲良くしている裏で、あいつは俺を憎んでいた。どす黒い感情をひた隠しにして悪友ごっこを演じてくれていた」


 卑屈な嘲りが痛ましい。

 エリスの苛立ちは同情に変わっていた。


「俺とクラウスは子供のころからの付き合いだったんだ。二十年以上だ。お前が生きている倍くらいの年月だぜ。その日々を丸ごと否定された俺に、これ以上どうしろっていうんだよ。なあ」


 失意に塞ぐ彼をバラードが柔らかな抱擁で慰める。


「俺はどうすればいいんだよ。頼むから誰か教えてくれよ」


 両手で顔面を覆い隠し、シノノメは懇願した。

 エリス、キア、バラードは無力感に打ちひしがれながら黙りこくっていた。


「ごめんなさい、シノくん」


 沈黙に耐えかねたバラードがか細い声を出す。


「どうしてレアが謝るんだよ」

「私のせいでシノくんもクラウスさんも怒ってるから」

「ちげーよ」


 すげない扱いをされてますます落ち込んでしまったバラード。後ろめたさを覚えたらしいシノノメは「レアは悪くないさ」と付け足した。


「帰ろう、エリス。先生、休ませてあげないと」


 キアに耳打ちされて、エリスは渋々踵を返した。

 病室を出ようとしたところ、外側から扉がノックされる。

 現れた見舞いの者は、奇妙な形をした物体を抱えたヴリトラだった。

 薬箱くらいの大きさをした箱の上にラッパのようなものが乗っかっている。頭でっかちでアンバランスな格好である。

 ヴリトラはその奇妙な物体をエリスによこす。


「これ、蓄音機って奴だろ。酒場の焼け跡で拾ったんだ」

「シオンさんのピアノ、聴けるかも」

「音を留める機械じゃないのか?」

「録音した音も再生できるんだよ」


 録音フィルムは熱に弱い。きっと壊れている。

 でも、シオンのピアノを聴きたい。

 不安と期待を渦巻かせながら、エリスが蓄音機の音声再生ボタンを押す。

 かすかなノイズに混じって、ピアノの音色がラッパから流れてきた。

 山麓のゆるやかな渓流を思い起こす、落ち着いた上品な音色だ。エリスが以前、酒場で聞き惚れていた曲である。

 客たちがコーヒーと軽食を味わう店内、ピアノの前に座る女性の王女さまみたいな美しい髪や背中、肩の動きや鍵盤上を躍る滑らかな指づかいまでが想起される。

 一同はしばしピアノの演奏に聞き入っていた。

 演奏が終わってラッパからノイズしか聞こえなくなると、誰ともなく「あっ」と名残惜しげな声を出した。

 エリスが蓄音機の再生停止ボタンに指を伸ばす。

 ……そこに、にわかに女性の声が流れてくる。

 ボタンに触れていた指先が硬直した。


 ――私の演奏、どうだったかしら。


 録音停止ボタンを押し忘れていたのだろう。

 演奏が終わってからも女性と男性の雑談がしばらく続く。

 年老いた声の男性は上機嫌で、ピアノ奏者の女性をしきりに褒めている。


 ――もっともっと上達して、たくさんお客さんを集めるわね……え? そんなにいっぱいお客さんが来ても手に負えない? ふふっ、確かにそうかも。


 男女の声は近くなったり遠くなったりする。イスとテーブルを引く音や食器を重ねる音も聞こえてくる。開店の準備を始めたらしい。

 来店の合図のベルが鳴り、別の声がする。


 ――まだ準備中だったか。


 いかつい男の声だ。

 ベッドから飛び起きたシノノメが蓄音機にくらいつく。


 ――あら、警部さん。

 ――捜査の合間に朝食でもとるつもりだったのだが。

 ――ちょうど開店するところですの。どうぞ座ってくださいな。

 ――コーヒーとサンドイッチだ。

 ――かしこまりました。

 ――ピアノも一曲頼む。お前の演奏、街中の噂でな。俺も興味が湧いた。

 ――はい、ただいま。


 それからまたピアノ演奏が始まった。

 すばらしい演奏が一曲終わり、彼女たちの雑談が再開する。


 ――その美貌、それだけのピアノの腕前、恐らく名のある家の生まれだろう。俺も個人的に一等市民や貴族の行方不明者を洗っているのだが、お前に該当するような女性の情報はとんと拾えん。

 ――私、記憶が戻らなくてもいいと思っていますの。

 ――なぜだ?

 ――だって、エリスちゃんやキアちゃん、シノ先生にバラードさんがいるんですもの。このまま五人の生活がいつまでもずっと続けば、すごく幸せではありませんか?

 ――……かもしれん。


 同意してから男の声がすぐさま「だが」と否定する。


 ――永久不変のものなどありえん。シノノメの魔法使いはいつか魔動師(まどうし)となり、キアもやがて親元から巣立つ。シノノメとレアも遠からず結ばれるはずだ。お前にだって待ち焦がれている家族がきっといる。

 ――ちょっとさびしいけれど、変わるのも大事なことなのね。私もヴリトラくんといつかお友達になりたいですし。

 ――移りゆく時間の流れを受け入れる強さ。それが俺たちには必要なんだ。

 ――『たち』?

 ――人は誰だって臆病なんだ。変化に対して。


 イスを引く音。


 ――コーヒーとピアノ、堪能させてもらった。ところでシオン。さきほどシノノメたちが海軍の連中にニンバスまで連れていかれた。何か聞かされていないか。

 ――はて……?


 慌しい足音が二人の会話を中断させる。

 年老いた男性の「魔物が街に現れた!」という叫びが響いた。


 録音フィルムが切れ、蓄音機は停止した。

 シノノメはテーブルに突っ伏した状態で背中を震わせていた。


「お前も俺も、変わることに怯えていたんだな」



 ◆◆◆



 一等市民区への帰路、エリスとシノノメは若い警察官たちに呼び止められ、コルネリウス警部の居所を尋ねられた。

 悪鬼の出現を境に音信不通となっている警部。このまま連絡がつかなければ、正式に行方不明者扱いとしての捜索が行われるとのこと。


「クラ……コルネリウス警部は悪鬼を追って単身アクアの瘴域へ乗り込んだ」


 シノノメはそう答えた。

 若い警察官たちは「さすがコルネリウス警部だ」「正義感は人一倍ある人だからな」「すぐに我々も応援にいこう」と口々に彼を賞賛し、シノノメに礼をして警察車両を走らせていった。


「友人への最後のはなむけさ」


 シノノメは強き決意をこめてエリスに告げた。


「俺たちも瘴域に行くぜ」

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