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魔法使いのエリス:三角帽子と夏の星  作者: 帆立
終章:あなたのとなりで
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第24話:胸のうちの告白

 身体の左半分を石にされたシノノメが死に物狂いで床を這いずり、クラウス・コルネリウス警部の足首をかろうじて掴む。

 警部は感情を消した眼で彼を見下ろしていた。助けの手を差し伸べるわけでも、邪険に振り払うわけでもなく。

 血塗られたナイフが、窓から差し込む光を反射させる。


「ヌシの牙を加工したナイフだ。斬ったものを石にする力を秘めている」


 石化の侵食は徐々に進行し、シノノメの肉体を着実に蝕んでいく。

 シノノメは自由の利く片腕を支えに立ち上がろうとしたがしかし、途中で力尽きて床に身体を打ちつける。石になった部分が床にぶつかり、硬い音が廊下にこだました。悶絶する彼をバラードが泣きじゃくりながら抱き寄せた。


「牙は三年前、瘴域(しょういき)の調査に赴いた際拾った」

「ニンバスの艦長、工場の工員、新聞記者……三人を殺したのもお前か」

「そうだ」

「ヌシを街に呼び寄せたのもか」

「意図はしていなかった。恐らく、俺が持ち去った牙を取り返しに来たのだろう。俺にしてみれば好都合だった。あんな腐った街、消えて清々した」


 警部は感情を殺した、機械じみた調子で淡々と事実を述べていく。


「かつてのアクアは影でマフィアが暗躍していた。表向きは商社の肩書きで百貨店を経営し、裏では四等市民を駒にした麻薬取引の元締めをしていた。俺が石にしてやった三人はいずれもマフィアと通じる者どもだった。中でも艦長と新聞記者の男は、権力を笠に着て法的な罰から逃れていた屑だ。だから裁きを下した」

「それを正当な手段で暴くのが警察の役目だろうが」

「警察だからこそわかるんだ。どれだけ法が近代化されようと、こういった輩が絶えずはびこる現実をな。これは見せしめだ」


 ナイフを払う。

 まとわりついていた鮮血が壁と床に飛び散る。


「わかる者にはわかるんだ。一見して共通点の無い三人は、実はマフィアと取引をしていた者たちだとな。そんな奴らが石にされたとなれば、他の連中も萎縮する。臆病者の末端どもはだいたいそういう性質なんだ」

「人間を侮るなよ! 十五年前、一度滅びかけたアクアだって生まれ変わったんだ。せっかちにならなくたって、少しずつ変わっていけるんだよ」

「そしてまた、魔物によりアクアは破壊された。次の復興はないだろうな。今度は人間の業により内側から蝕まれ、復活を待たずに腐敗していく」


 人の光を信じるシノノメを、コルネリウス警部のどす黒い闇が踏みにじる。


「どうしたんだよ……何がお前を変えてしまったんだよ」

「俺は何も変わっていない」


 失意に喘ぐシノノメに警部は追いうちを加える。


「三年前、ヌシに襲われたのに乗じてレアの夫を殺した、あのときからな」

「なっ!?」


 絶句するシノノメ。

 驚愕のあまり、あごが外れんばかりに口を開いている。

 バラードも血の気が失せ、死人めいた顔色をしている。


「片付けるのは簡単だった。ヌシから逃げるため、瘴域の深部から脱出しようとしていたあのとき、調査隊員は俺とシノノメとレアの夫を除いて全滅していた。おあつらえむきにシノノメともはぐれていたのだからな」


 心底失望するシノノメにも、警部は意に介さぬ様子であった。


「……だから真相に近づく俺も始末するってのかよ」

「いいや、違う」


 そこで初めてコルネリウス警部は感情の片鱗を表に出した。

 表した感情はいかにも人間らしい『負』に相当する醜いものだった。


「お前とレアが唇を重ねる瞬間を、俺は見てしまった」


 傍からでも感じ取れる、混沌と渦巻く妬みと底知れぬ恨み。

 バラードはシノノメを膝に抱きつつ恐怖にわなないていた。


「正義の遂行にのみナイフを用いると誓ったはずだった。お前たちが愛し合うところを目撃した途端、その誓いもあっけなく瓦解した」


 血塗られた石化のナイフが小刻みに震えている。


「身体を寄せ合い、指輪をもらってはしゃぎ、将来を約束し合って、挙句の果ては俺とシノノメに差をつける決定的な行為をレア、お前は」

「ク、クラウスさん」

「昔からそうだった。レアは俺たちを平等に愛していなかった」

「おい、クラウス!」

「思い出の中の主役はいつもシノノメだった」


 平静を繕おうとする彼から底知れぬ狂気が溢れている。


「レア、何故だ。何故、俺ではなくシノノメを選んだ」


 歯軋りを伴う苦悶。


「どうしてシノノメばかり……シノノメばかり……」


 握り締めている拳は、血管が破裂しそうなほど浮き上がっている。


「お前はいつだって恵まれていた」

「俺が、恵まれていた?」

「関わる者すべてから慕われ、頼られ、愛されていた。風向きは常にお前の追い風となって吹いていた。幸運の女神すらお前に惚れ込んでいた。欲するものを求めるままに得られる至高の権利を有していた」


 そう、病的なまでにまくし立てる。


「お前が『魔王アイオーンを倒す』だなんて馬鹿げたことをほざいて勝手に旅立ったときだって、俺がお前の代わりにレアを守っていたんだ。なのにレアは……」


 コルネリウス警部の目はいつしか、悪魔が憑依したかのように冷たく据わっていた。


「お前は俺を親友か何かだと思ってくれていたようだが」


 次に放たれる台詞を予感したシノノメは「やめろ!」と裏返った声で叫ぶ。


「やめろクラウス! それ以上は言うな!」

「俺はお前のことが」

「言わないでくれ!」

「お前のことが嫌いだった!」


 コルネリウス警部は、ひたかくしにしていた想いをぶちまけた。


「憎い」


 足元から黒い霧が生じる。


「俺は憎い。シノノメ、貴様が!」


 雄叫びを上げ、感情を爆発させる。

 足元に漂っていた黒い霧が噴出し、彼を急速に包みだす。

 黒い霧に飲み込まれながら、感情を爆発させた彼は獣の咆哮を上げ続けていた。

 黒に染まった全身がひと回り、ふた回りと巨大化していく。

 天井まで届く背丈、溶岩が固まってできたかのような黒き肉体、理性を奪われた赤い眼。四肢こそあるものの、人とは異なる存在と成り果てている。

 その外貌、さながら悪鬼。

 悪鬼コルネリウスによる拳の一撃が壁を粉砕する。

 明かり煌く王都が一望できる。

 冷たい夜風が吹き込み、塵を舞わせる。

 風穴の空いた壁から悪鬼は飛び降りた。

 数拍の後、震動と破砕音が地上からした。

 ――悪鬼を追わなくてはいけない。動けるのは自分一人だ。

 そう自覚していながらも、エリスの心配は石化に蝕まれるシノノメに一心に注がれていた。

 石化は全身の八割近くまで及んでおり、自由が許されているのはもはや肩から上の部分のみ。絶望的な状況を直視したエリスはめまいを覚え、身体の感覚を失い、しまいには床にへたり込んでしまった。何かしゃべろうとしても意味を為さぬ吃音ばかりが出てくる始末であった。

 シノノメが腕を軋ませながら動かし、エリスの頬を滑る涙を指先で拭う。

 エリスは震える手で彼の指を握り締めた。


「魔法使いは魔法に耐性がある。じきに石化は解けるさ」

「それ、それって本当ですよね? ホントですよね先生? ねえ、先生!」

「ホントだっつーの。手だってこんなふうに動くんだからよ」


 シノノメは溜息をついて、それから、


「……嘘も隠し事はもうこりごりだ」


 心底疲れたふうにかぶりを振った。

 遅れて駆けつけてきた医者たちがシノノメを取り囲む。

 エリスは力を振り絞って立ち上がり、階段を駆け下りた。



 ◆◆◆



 悪鬼コルネリウスは病院の三階から落下しても無傷だった。

 放射状に破砕した石畳の中心に悪鬼はたたずんでいる。

 雷鳴の轟きのごとき咆哮が鼓膜を震わせる。

 人間たらしめる理性は彼に残っているのか。エリスはかつて戦ってきた魔物たちの姿に悪鬼の姿を重ねてしまった。

 そばに停まっていた集荷トラックを悪鬼は軽々と持ち上げる。

 エリスは杖を構える。


「コルネリウス警部、わたしの声が届いていますか」


 返答の代わりに悪鬼は集荷トラックを遠心力に乗せてぶん投げてきた。

 地面のきわを水平に飛んでいく鉄のかたまり。

 既に迎撃の姿勢を取っていたエリスは、すかさず「落ちて!」と唱えた。

 エリスめがけて飛んできていたトラックは突如、超重力の檻にかかったかのように慣性を殺され、直下の地面に衝突した。


「警部、正気に戻ってください!」


 エリスの説得に、野性的な咆哮で悪鬼は応じる。

 引っこ抜いたガス灯を得物に躍りかかってくる。

 その恐るべき迫力にも臆さず、エリスは再度「逸れて!」叫んだ。

 脳天めがけて打ち据えられたガス灯は転換術の影響によりすれすれで逸れ、彼女の真横の石畳を粉砕した。

 砕け散ったガラスが夜空に舞う。

 ガス灯の支柱は無残に歪曲してしまった。

 続けざまに悪鬼は拳を振りかざす。

 こうも肉薄されては二度目も凌ぎきれるかどうか……。


「およしなさい」


 間一髪のところで、女性の高らかな声が悪鬼の自由を縛った。

 闇夜の中からシオンが出現した。


「魔に魅入られた哀れな人間よ」


 膝をついて崩れる悪鬼にシオンが接触する。

 悪鬼から黒い霧が吸収されていき、コルネリウス警部は人間の姿に戻った。

 忌まわしき力から解放され、理性を取り戻した彼は頭痛にうなされている。呪いの印めいた脈打つ黒い筋が肌に透けている。

 手を差し伸べるシオン。


「行きましょう。我々の還るべき場所、瘴域へ」


 朦朧とするコルネリウス警部は救いを求め、彼女の手を取った。

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