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魔法使いのエリス:三角帽子と夏の星  作者: 帆立
六章:壊れた世界の穏やかな場所
23/29

第23話:十数年越しの約束

 そして夜。病院の屋上。

 澄み渡る星空にまどかなる月。黄金の色が暗闇に映えている。

 眼下の地上には人の営みを映す灯り。城にも見張りの兵士が持つ魔法トーチの光が無数に浮かんでいて、規則的な移動を繰り返している。

 バラードが月を仰いでいると、肩にカーディガンがかけられる。夜景に見とれていた彼女は、そうされてようやく背後のシノノメに気づいた。


「夏だからって、夜風は身体に悪いぜ」

「シノくん、憶えてる? 子供のころ、私とシノくんとクラウスさんの三人で丘に登って星を眺めたの」

「昼間に散々聞かされた。ったく、子供たちの前で恥ずかしかったぜ」


 バラードは「そうだったかしら」とわざとらしくとぼけていた。


「流れ星に託した願いは叶う――シノくんが教えてくれて私、流れ星が消えるまでいっしょうけんめい願い事を星に届けていたわ」

「……レア。手、出せ」

「手?」


 シノノメからあるものを手渡されたバラードは「あっ」と声を出して固まる。それから柔らかな表情になって、感謝の祈りを捧げるように指輪を両手で握り締めた。


「ほらね、こんなふうに」


 涙声。

 目じりにもきれいな涙がにじんでいた。

 手のひらには小さな輪っか。

 鉄を曲げてつくられた拙い指輪。くすみ、傷つき、汚れ、歪んで正円を崩している。彼女はその鉄くずを愛しげに愛しげに握り締めていた。たまごを温める親鳥を真似て体温を送っていた。

 シノノメは赤らめた顔を背け、所在無さそうに頬をしきりに爪で掻いていた。


「そっ、そんなに大事かよ。俺がやったガラクタ」

「私の二番目の宝物」

「おいおい、そんなに喜んでるのに二番目? じゃあ一番は?」

「キアに決まっているわ」


 拗ねていたシノノメは「なるほどね」と機嫌を直した。

 バラードの背中に腕を回して肩に触れ、抱き寄せる。

 シノノメの腕の内に収まったバラードは身体の力を抜き、体重を彼に預けた。


「明日、魔動師(まどうし)や国の要人たちが城に召集される。俺のところにも遣いが来た。ヌシに滅ぼされたアクアの今後や、瘴域(しょういき)の管理方法についての会議が開かれるらしい。しばらく忙しくなる。顔もなかなか合わせられないかもしれん。それで、さ、ええっとな」


 歯切れの悪い情けないシノノメを見かねたバラードが「シノくん?」と続きの台詞を催促する。腹をくくった彼はなんともないような、さりげなさを装った口振りでこう言った。


「この騒動が一段落ついたら一緒に住もう。どこか静かな場所にさ。今度は本当の家族として。ああ、もちろんキアが許してくれたら、だよな。それくらいわかってるっつーの」


 返事の代わりに、バラードは彼の胸に寄り添って甘えた。

 月明かりの下に伸びるおぼろな影二つが重なった。


「この距離まで近づくのに随分と遠回りしてきたな」

「長い、長い旅だったわね」

「子供のころの俺はさ、レアとこんな関係になるなんて夢にも思ってなかった。指輪だって、大人たちがやってたのをカッコつけて真似しただけだった。釣りや剣術、魔法ばかりに夢中だったな」

「くやしかったわ。私がどれだけ合図を送ってもシノくんはクラウスさんと遊ぶほうが大事で、お魚を釣るのばっかり楽しんでたんだもの。ねえ、シノくんはいつ私を好きになったの?」

「旅の途中で、お前が結婚した報せを受けたときかな。まっ、俺の自業自得だよな」

「ごめんなさい……でも私、シノくんへの当て付けで他の人と結婚したわけじゃないのよ。あの人はあの人で愛していたの」

「知ってる。あいつが死んだとき、ずっと泣いてたもんな」

「シノくんは絶対にいなくならないでね」

「心配するなって。魔王をやっつけた俺だぜ?」


 身を寄せ合った格好で、それきり二人は言葉をなくす。

 三十数年の月日に思いを馳せているのだろうか。

 野を駆け、丘に登った輝ける青春の思い出は、満天の星すら飲み込むほど胸の中で輝いているのかもしれない。


「シノくんが恋を知るまでに私、おばさんになっちゃったわ。肌はすぐ乾いちゃうし、口元のしわとか、ほら、こうやって近づくとはっきりわかるでしょ? 髪だってぼろぼろ。シオンさんがうらやましかったわ。シノくんは私の思い出の中にあるシノくんのままね」

「どうせ俺は大人の子供だよ」

「褒めてるのよ?」


 バラードが冗談めかした。


「私、お花に囲まれたお家がいいわ。家の前にお花畑が広がっていて、ちょうちょやミツバチが飛んでいて、ぽかぽか暖かくて、のんびりとしていて、私とシノくんとキアがいつまでも幸せに暮らせる……」


 バラードは夢に描いた理想を愛しげに語っていった。星が流れていなくても願いを叶えてくれる人がそばにいるからだ。

 見詰め合っていた二人が、互いの唇を求めて顔を近づけて――

 その唇が重なる寸前、二人の成り行きを物陰に隠れて見守っていたエリスは屋内に引きずり込まれ、強制的に排除された。


「魔法使い。そこから先まで盗み見るのは野暮ってもんだ」

「息がっ、首が苦しいよヴリトラくん! 服が伸びちゃうよ!」


 首根っこを掴んでいたヴリトラが手を離して、エリスは床に尻を打った。

 涙目で尻をさする。


「盗み見なんて人聞きが悪いよ。わたしはただ、ヴリトラくんが配給の薬を取りにきたから、配給の場所を先生たちに訊こうと……」

「んなもん、病院の関係者から訊けばいいだろ」


 アクアの災厄による負傷者を多数収容している王立病院は、深夜にもかかわらず人の出入りがたびたびある。貴族と一等市民だけを受け入れているここはまだまともで、周辺の町や村の病院はさながら野戦病院であるという。

 配給の薬品一式を医者から受け取ったヴリトラは病院を後にした。


「シノノメ先生とバラードさん、お似合いだよね」

「ああ。二人はああなるべきだったんだ」

「シノノメ先生がキアちゃんのお父さんか。なんか似合わないかも」


 おどけて笑うと、ヴリトラも彼女に釣られて口元をわずかに吊り上げた。それを目ざとく見つけたエリスが「あっ、ヴリトラくんが笑った」と指摘したせいで、彼は元の反抗期真っ盛りの少年に戻ってしまった。


「ねえねえ、ヴリトラくんにはいるの?」

「何がだよ」

「恋人とか」


 いてたまるか、とヴリトラはつまらなそうに吐き捨てる。


「ちょっと意外かも。ヴリトラくんて無愛想なフリして実は面倒見がいいし、腕っ節も強いし、頼りになるから女の子に好かれると思ってたんだけどな」

「恋愛とかくっだらねえ。魔法使い、お前こそどうなんだよ」


 訊き返されたエリスは眉間に指をあてて唸りながら考える。


「うーん、わたしはお父さんが決めた人と結婚するんじゃないかな。親戚の人とか、お仕事に関わってる人の家族とか。昔、お父さんがそう言ってたよ」

「お前のことだからてっきり『白馬の王子さま』とか幼稚な夢物語を語ると思ったら、政略結婚とは時代錯誤な話だな」

「別に嫌じゃないよ。わたし、お父さんのこと大好きだし。お父さんがわたしのために決めてくれた人ならきっといい人だよ」

「金持ちには金持ちなりの事情があるってわけか」


 小走りになって病院の玄関前に先回りしたエリスは、背をちょっと曲げて前屈みになり、上目遣いでヴリトラの顔を覗き見る。


「わたしは好きだよ。ヴリトラくんみたいなやさしい男の子」

「……バカか」

「えっ、ええっ?」


 ヴリトラを喜ばせるつもりだったエリスは、予想していたのとだいぶ違った反応をされたため慌ててしまった。

 ヴリトラはエリスの横を素通りして外に出て、仲間の荷馬車に乗り込んでしまった。


「ガキのくせに色気づきやがって。子供はとっとと寝ろ」

「ひっどーい!」


 御者を務めるスラムの仲間が手綱を取る。

 薬箱を馬車の荷台にベルトで固定してから、ヴリトラはエリスのほうを振り返る。


「夜もふけた。帰るときは必ず先生に同伴してもらえ」

「そろそろお兄ちゃんが迎えにきてくれるよ。うん、やっぱりヴリトラくんってやさしいよ」

「多かれ少なかれ、人間誰しもやさしい部分は持ってんだよ。そんなの何の褒め言葉にもなりはしねえ」


 荷馬車は夜の闇に消えてしまった。


「ひどいなあ、ヴリトラくん」


 ひとりごちたエリスが院内に戻ろうとした、そのときだった――絹を裂くような女性の悲鳴が薄暗い廊下に響き渡ったのは。

 バラードの悲鳴だ。

 息が詰まるほどの胸騒ぎに駆り立てられたエリスは、全速力で廊下を走りだした。

 向かう先は屋上。

 一階から順々に階段を駆け上がっていく。

 固い床をせわしなく叩く靴の音が響く。

 二階に上がった時点で早くも息切れしはじめる。

 緊張と疲労で異様なまでに震える脚を強引に動かしていく。


「バラードさん!」


 屋上の階段へと向かう途中の廊下にバラードは立ちすくんでいた。

 数歩離れた正面には人影がある。

 窓から入る街のガス灯が頼りの暗い廊下のため、正体は暗闇に隠れている。

 放心状態のバラードがその人影と自分の足元に、視線を交互に移していた。

 彼女の足元に別の誰かが伏している。


「エリス……レアを……ッ!」


 伏している『誰か』はシノノメだった。

 彼は身体の右半分だけを必死にもがかせている。どうしてか右腕の力だけで起き上がろうとして歯を食いしばっている。左腕も左足も微動だにしない。

 目を凝らしていたエリスは、やがてシノノメの不可解な行動の理由を理解した。

 肉体の左半分が……灰色の石になっている。

 人影がガス灯の明かりが溜まる窓の前まで歩み出て全貌を晒す。


「無様だな、シノノメ」


 茶色のスーツを着た大柄の男――コルネリウス警部が象牙のナイフを携え、石像と化しつつあるシノノメを侮蔑のまなざしで見下ろしていた。

 象牙のナイフの白に鮮血の赤が絡んでいた。

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