第22話:大人の子供
夕刻、第三の『事件』が起きた。
石にされた人間が廃墟アクアで見つかったのだ。
ヌシの魔法で石にされた市民は瓦礫の下から多数掘り起こされていた。しかし、エリスたちが発見したそれは、他の石像たちと明確に違う点があった。エリスを戦慄させる恐るべき相違点が。
石像になっていたのは新聞記者だった。
「おかしいですよ、シノノメ先生。復旧活動の取材に来た新聞社の人が石にされるなんて、矛盾しています」
エリスが指摘したとおり、石像の腕には腕章がついていた。廃墟アクアの取材を承認された証である。つまるところ、新聞記者は瘴域のヌシが消滅した後に石にされたことになる。時系列順に考える限り辻褄が合わない。
もしかするとヌシがまだ生きているのかもしれない。もしくは同質の能力を有した魔物が廃墟を徘徊している可能性がある。
病院の待合室でシノノメを相手に、エリスは自説を興奮気味に披露していた。
彼女とは対照的にシノノメはいたって冷静だった。
「やっぱりお前、早とちりしていたな。ヴリトラの知人とニンバスの艦長が石にされたの、ヌシの仕業だと思っているだろ」
「違うんですか?」
「前にも言ったろ。石像はどこからか人目につかないゴミ山に移された。要は二人を石にして殺した奴は死体の隠蔽を図れる知能を有している。人間の仕業なのは明白だ」
海上で戦った海蛇型の魔物、街で戦ったヌシ。両者とも知性に限れば人間に劣っていた。本能の赴くまま暴れていた。シノノメの言うとおり、死体を隠すなどという芸当、到底できっこない。
シノノメが指を三本立てる。
「誰かが石化の魔法を悪用していること。ヌシの襲撃を隠れ蓑に人殺しを行っていた可能性があること。ヌシ襲撃の犠牲者に見せかけて今後も人殺しを重ねること。俺が危惧していたのはその三つだ」
現在行方不明の生存者が殺人者に石にされたとしたら、ヌシの犠牲者と区別がつかなくなる。畢竟、完全なる殺人の成立を意味する。今回の新聞記者殺害も犯人の手抜かりが無ければその運命を辿っていた。
「警察だってその程度は把握しているに決まっている。市民の混乱を恐れて表沙汰にするのを控えているだけさ。新聞社もさすがに今は犠牲者に配慮してなりを潜めている。それも時間の問題だ。近いうちに騒ぎだすだろう」
ヌシと石化事件の犯人は全くの別。
人々を脅かす殺人鬼がどこかに隠れ潜んでいる。
認識を根底から覆されたエリスは愕然としていた。
竹筒からコップに注いだ飲み物をシノノメはエリスによこす。冷たい麦茶は彼女をいくらか落ちつかせた。こんがらがっていた頭の中身が徐々に明瞭になってきた。
「今日、廃墟でシオンさんと会いました」
「魔王アイオーンの化身か。肉体を失った奴がどうして今更。女の姿がかりそめの肉体だとすると、竜の姿も不完全なものか。まさかあいつも石化の能力を――」
「違います!」
エリスがいきなり叫んだせいで、ぶつくさ考え事をしていたシノノメは肘掛けから手を滑らせて前のめりに倒れてしまった。
「シオンさんはシオンさんです。先生が名前をつけてくれたシオンさんなんです。シオンさんは美人でやさしくておっとりしていて、ピアノが上手なわたしたちのお姉さんなんです! シオンさんは魔王でも殺人犯でもありません!」
早口で一度に言い切ったエリスの顔はリンゴみたいに真っ赤で、鼻息も蒸気機関車の勢いであった。とうとう最後は涙ぐんでしまう。シノノメはそんな彼女を持て余している様子であった。
「だがなエリス。俺たちはシオンが黒き竜に変幻したのを目の当たりにした。あれはまさしく魔王アイオーンだ。十五年前、俺は奴と戦った。奴のおぞましい姿はちゃんと眼に焼きついている。翼の羽ばたきで形あるものをことごとく薙ぎ払い、口から吐き出される灼熱の息吹は万物を灰燼と帰し、赤い眼から千種万種の魔法を繰り出す、な。だいたいさ、真実を告げてきたのはシオン本人なんだぜ」
「きっと理由があるんです」
「理由って?」
「えっと……」
エリスは返答に窮する。
目を閉じ、まぶたの裏にシオンの姿を思い描く。
癖のかかった長い髪、透き通る白い頬、無垢なる双眸、繊細な指先……記憶に残っている美しきその姿を。
記憶の中のシオンがゆっくりと唇を上下させ、言葉を紡ぐ。
――私の名前はアイオーン。
はっと目を開けたエリスは、力いっぱい首を振って悪夢を追い払った。
エリスが葛藤している隙にシノノメは席を立っていた。
「先生、待ってください」
エリスは胸ポケットにしまっていたものを彼に差し出す。
渡された鉄の輪っかを彼は、ためつすがめつ窓辺の夕日にかざす。
「俺がレアに渡した指輪」
てっきり喜んでくれると思いきや、シノノメはぞんざいな手つきで指輪を腰のポケットに突っ込んでしまった。エリスは病院から立ち去ろうとする彼に慌てて追いすがった。
「ちゃんとバラードさんに返してください。それは先生のじゃなくてバラードさんのものです。バラードさんの宝物なんです」
「ならさ、お前が返せばいいだろ」
幼稚な態度にエリスは「もう、先生!」と頬を膨らませる。
バラードに関わる話になるとシノノメはあまのじゃくになってしまう。毎回毎回やきもきさせられていたエリスは、今回ばかりは強気に出た。何が何でも決断させる意気込みであった。
「バラードさんにはシノノメ先生が必要なんです。住んでいた家を失って、心の拠り所がなくなったあの人を支えてあげられるのは先生だけなんですよ」
「確かに俺は戸籍上なら一等市民で、将来は親父の遺産も分配される。国の恩給もあるから、所帯を持ったところで食いっぱぐれる心配もない」
「わたし、そういう意味で言ったんじゃありません」
「いつだっけか、クラウスに馬鹿にされたぜ『お前は大人の子供だな』ってな」
シノノメは自嘲する。
それから、エリスの頭を豪快にかき混ぜた。
彼女が望んでいた、シノノメ・マキナの自信に満ちたきざな笑い方をしながら。
「わかってるさ。大人の子供な俺だって、つけるべきけじめくらい」
エリスは安堵した。
「善は急げ、です。早く病室に戻りましょう」
ところが、シノノメは大人の余裕を一瞬で崩して「ばっ、バカ!」と焦りだす。
「バカだろお前! いきなりすぎるって。善を急ぎすぎだって。まだ時期が悪いんだよ。ほら、な? 雰囲気っていうか、その……心の準備とかあるだろうが。だってさ、指輪を渡す意味って……こっ恥ずかしいわ!」
大人の子供――言い得て妙であった。




