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魔法使いのエリス:三角帽子と夏の星  作者: 帆立
六章:壊れた世界の穏やかな場所
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第20話:炎と竜の去りし後

 ――お嬢さま。

 ――エリスお嬢さま。

 ――お目覚めの時間です。

 呼ばれ、エリスは目を覚ます。

 上体を起こし、重いまなこを擦る。

 ベッドのそばに立つメイドが「エリスお嬢様、おはようございます」と恭しくお辞儀する。エリスも寝ぼけながら「うん、おはよう」とあくび混じりに返した。

 スプリングの利いたやわらかいベッドを這いずって、カーペットの敷かれた床に降りる。浴室で軽い湯浴みを済ませ、メイドが用意した服に着替える。それから鏡台で髪型を整えてもらい自室を出た。

 吹き抜けの階段の前でキアと鉢合わせる。


「おはよう、キアちゃん」

「おはよう」


 心なし彼女はそわそわしている。

 刺繍の裏側がくすぐったいのか、襟の辺りをしきりにいじっている。


「似合ってるよ、そのお洋服」

「スカートはちょっと恥ずかしい」


 胸元にあしらわれた銀のボタン。鳥の図柄が彫られた凹凸の肌触りが心地よいらしい。指の腹でもてあそんでいる。

 薄い布地で織られた純白のワンピース。癖っ毛の影に見え隠れするうなじが健康的な美しさを引き立てている。オーバーオールを着ていたときと比べてだいぶ垢抜けた印象で、外見の年齢も二歳分は見違えていた。


「三つ編みをほどいたエリス、きれい。お嬢さま」

「メイドさんにお手入れしてもらわないとすぐ痛んじゃうけどね」


 エリスははにかんだ。


「エリスのおうち、広い。お城みたい」

「お城はさすがに大げさだよ」


 かつては平凡な一等市民に過ぎなかったマキナ家は、エリスの父の代で養蜂所とハチミツ工場の経営が軌道に乗り、マキナブランドの高級ハチミツで名を上げた。一家は一代にして莫大な財産を築き上げた。

 マキナ家の邸宅は王都の一等市民区に連なる屋敷の中でもひときわ大きい。キアがお城とたとえるのもあながち大げさとは言い切れない。


「わたしはシノノメ先生のおうちも好きかな。先生にキアちゃん、バラードさんにシオンさんもいて楽しかったよ」

「ボクたちの家、壊れてなくなった」

「……うん」

「シオンさんもいなくなった」


 お互い押し黙る。

 港湾都市アクアは、瘴域(しょういき)から現れたヌシによって壊滅的な被害に見舞われた。

 被害が甚大だったのは、瘴域に隣接する第一北区の工業団地と第二北区のスラム。都市機能の集中する西区もヌシとの戦闘のせいで致命的な打撃を受けていた。市庁舎と警察署が破壊されては都市の運営もままならない。街は機能不全に陥った。

 市民の大半はアクアを離れた。

 裕福な貴族と一等市民は王都へ。

 二等市民や三等市民は周辺の町や村の身内を頼った。

 四等市民を筆頭に、行く当てのないものは廃墟に置き去りにされている。

 キアは一時的にマキナ家の屋敷に預けられていた。

 エリスの両親と兄たちはキアを家族同然に歓迎した。人見知りのキアはその喜びを相手に伝えきれず、密かにもどかしがっているようであった。上等な服もかえってこそばゆいらしい。


「ご飯食べたらお母さんのお見舞いにいこう、エリス」



 ◆◆◆



 港湾都市アクアが海の都だとしたら、王都は黄金の都である。

 人口の大半が裕福層を占めるここは、建っているもの何もかもが豪華絢爛きらびやか。秋の紅葉を想起させる優雅な雰囲気が満ちている。機械にかぶれる世の中で、古式ゆかしき封建社会の色を濃く残している。

 王立病院へ行く道すがら、エリスとキアは新聞売りから朝刊を買った。

 一面にはやはり、おとといのヌシ襲来の記事が載っていた。

 紙面にはこうある。


 ――瘴域から侵攻してきたヌシはアクアを破壊しつくした。しかし、かつての英雄シノノメ・マキナが再び我らを救った。もはや魔物に脅かされる心配は皆無である。ずさんであった瘴域の管理が今後の課題であろう。港湾都市アクアの復興を我らは願う。


 廃墟と変わり果てたアクアの写真が添えられている。

 魔王アイオーン復活について一文字たりとも語られていなかったのに違和感を覚えつつも、とりあえずエリスは安堵した。シオンの秘密はまだ外に知られていない。

 キアは珍しそうに王都の町並みを見回している。


「アクアより静か。建物もみんなぴかぴか」

「お金持ちばっかり住んでるから」


 エリスは後ろめたそうに言った。

 ――受け入れを拒まれた三等市民、四等市民らの王都での暴動。王国軍によるその鎮圧。

 そんな記事が紙面の端の端に、小さく小さく載っていた。



 ◆◆◆



 バラードはベッドに腰かけ、病室の三階の窓から王都の風景を眺めていた。

 秩序だって並べられた建築群の中央に、荘厳たる白亜の城が鎮座している。堀の水が美しく輝いている。その上に渡された跳ね橋も古風かつ芸術的。都市全体を囲う灰色の城壁もまた立派である。

 バラードは隣に座るシノノメの手に自分の手のひらを重ねていた。見舞いに来た娘たちに「いらっしゃい」とにこやかにあいさつしながら、さりげなく手を引っ込めていたのをエリスは目ざとく見つけてしまっていた。


「お母さん、だいじょうぶ?」

「平気よ。キアはエリスちゃんのおうちでご迷惑かけてない?」

「かけてない」

「おりこうね」


 バラードは娘の背中に腕を回し、胸に頭を抱き寄せた。

 キアは目を閉じて母親の愛情を堪能していた。


「ここは涼しいわね」


 さわやかな微風が吹き込み、レースのカーテンを揺らす。

 庭の木で羽を休めていたつがいの小鳥が揃って飛び立つ。

 羽ばたきに揺らされた新緑の木の葉も一枚、枝から旅立った。


「あの街の熱気を忘れてしまいそう」


 バラードのまなざしは過去の情景を見つめていた。

 人という人がひしめき合う、熱気と活気が盛んな港の都市を……。

 窓辺で頬杖をつくシノノメが憂鬱そうに嘆息する。


「海に沈んだ魔王の心臓、ヌシの来襲、シオンの正体……なんかさ、考えるのもだるいな。この静かな場所でぼーっとしてると、もう何にも考えなくてもいいんじゃないかな、って気分になるぜ」


 完全に覇気をなくしている。


「これからアクアはどうなるのでしょう、シノノメ先生」

「十五年前からやり直しさ」


 魔王との戦いの爪あとを十五年かけて癒した街は、たった一日で振り出しに戻った。人間という存在の脆さとあっけなさを人間は再認識させられた。


「これからどこに住むか考えないとな。バラードさんも数日したら退院だしさ。はぁ、実家に帰るとなると兄貴やイモ娘どもと同居か」


 シノノメは封の切られた便箋をエリスによこす。

 移住先をさがしているのなら、下女ともども屋敷に帰ってこい。ついでに嫁もあてがってやる――便箋の中の手紙にはそういった旨がタイプライターの文字で書かれてあった。隅にはエリスの父の署名が添えられていた。


「わたしは大歓迎です。お父さんとお母さんにお兄ちゃんたち、それにキアちゃんとバラードさんとシノノメ先生、ヴリトラくん、できればシオンさんも。みんなみんなで暮らしましょう」

「何うかれてんだか。俺はゴメンだぜ」


 シノノメと自分との温度差にエリスはがっかりした。

 実の兄の説得なら先生も受け入れてくれる。そう高を括っていた彼女の予想以上に彼は強情であった。


「やっぱりお前の差し金かよ。兄貴もその息子どもも、エリスにはめっぽう甘いからな。だいいち、実家に帰ったらおせっかいな兄貴が結婚しろ結婚しろうるさいだろうし、俺は遠慮させてもらうぜ」

「他にあてはあるんですか?」

「ねえよ。後で考える」


 いつもながらの師匠のいい加減さにエリスは呆れるばかりであった。

 扉の向こうからノックの音。

 病室の扉が開く。

 茶色のスーツを着た男クラウス・コルネリウスが一輪の花を携えてやってきた。

 コルネリウス警部はバラードを一瞥してからシノノメに花を渡す。

 見舞いの花はひまわりだった。


「仕事のついでに立ち寄った。レア、加減はどうだ」

「へっちゃら。ケガをしていたわけじゃないもの。ちょっとした貧血よ」

「住む家のあてはあるのか。なら――」

「バラードさんはわたしのおうちに住むんですよ」


 横からエリスが割り込む。


「……マキナ家。シノノメの実家か」

「バラードさんとキアちゃんと先生、みんなで住むんです」

「おいこらイモ娘。確定事項みたいな口振りで事実をでっちあげるな」

「痛いです先生っ。頭にげんこつ押しつけないでください」


 エリスとシノノメがじゃれあう。

 二人を尻目にコルネリウス警部は早々ドアノブに手をかける。


「また見舞いにくる」

「お花、ありがとう。鮮やかな黄色で茎も太くて力強そうだわ。クラウスさんが守ってくれているみたい。嬉しいわ」

「俺はこの花のようにまっすぐには生きられない。資格すらない」

「いやいやいや、お前以上に愚直な男なんてそうそういねーから」


 そうシノノメが茶化し、バラードもつられて笑う。

 バラードはついでとばかりに幼馴染三人の青春時代の思い出を口ずさんでいった。


 ――二十年近くも昔の話になるのね。

 あの頃もアクアは魔物の襲撃から立ち直っているときだったわ。

 北区の林は私たち子供にとって絶好の遊び場だったわよね。シノくんが自前でこしらえた罠や弓矢でよく野兎を狩ったわ。私、本当は兎を殺すのがかわいそうだったの。知ってたかしら。

 市民学校から帰ってきたクラウスさんが教科書を貸してくれたのが嬉しかったわ。暇さえあればつきっきりで勉強を教えてくれたのも。

 夜な夜な家を抜け出して、見晴らしのよい丘で夏の星を眺めたのも憶えてる。流れ星に願いを託して……。

 私が魔物に襲われたとき、シノくんが身を挺して私をかばってくれて、クラウスさんは大人の助けを求めに必死に走ってくれた。二人とも頼もしかったわ。

 何にも物怖じしないシノくんが私たちを引っ張って、真面目で優等生のクラウスさんがシノくんを陰ながら支える。二人の後ろに自分はついていく――そんなバランスで成り立つ幼馴染の関係が幸せだったの。


 思い出の宝石箱をバラードは閉じた。


「損な役回りだった」


 優等生な幼馴染は淡白に言った。

 バラードは「クラウスさんがいてこそ私たち三人だったのよ」とひまわりの瑞々しい花弁を指先でいじる。シノノメは「あーもう、子供たちの前でやめろっつーの……」とむずかゆがって窓の外を向いていた。

 去り際、コルネリウス警部はぽつりと漏らす。


「アクアは人の業を抱えすぎた。栄華の煌きの逆光で姿を隠され、忘却の彼方に追いやられた多くの業をな。人は、いずれは購わねばならぬ定めだった」


 皆、水を打ったようにしんとなる。


「……お前、ちょっと疲れてるぜ。あれから働き詰めなんだろ?」

「ああ。今のは気の迷いだ。忘れてくれ」

「気負うなよ。警察にだって守れるものに限度はある。お前は職務を全うしたさ」

「どう言い繕おうとレアが傷ついたのは俺の責任だ」


 彼は頑なだった。

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