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魔法使いのエリス:三角帽子と夏の星  作者: 帆立
一章:魔法使いは魔動師に憧れて
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第2話:港湾都市アクア

 市警察署。

 机と椅子だけの殺風景な小部屋で警察官と二人きり。

 エリスは先ほどからずっと涙ぐんでいる。


「わ、わわわたし、牢屋に入れられちゃうんだ……し、死刑になるのかも」

「脅かして悪かったな。別にお前を逮捕するわけじゃない」

「死刑は?」

「あるわけないだろ」


 茶色のスーツを着たいかつい警察官が持て余し気味に言った。

 港で魔法使いと魔物が大立ち回りを繰り広げている――そんな通報を受けて急行したら、現場にいたのは三角帽子の少女とシノノメだった。彼は詳しい事情を知るため、とりあえず二人を警察署まで連れてきたのだった。


「俺の名はクラウス・コルネリウス。一応警部という身分でね。形式上、こうやって事件の当事者から状況を聴取する必要があるんだ。お前が魔物と果敢に戦ったのは野次馬どもの証言でわかっている。さて、お前の名前は確か」


 いかつい警察官――コルネリウス警部は警察手帳をめくっていく。

 なるほど、あいつの姪か。そう小声で独りごつ。


「エリス・マキナだな」

「ひゃい」


 涙声でエリスは返事をした。しゃっくりが重なって変な声が出てしまっていた。


「富豪マキナ家のお嬢さまが、どうして東区の港なんかにいたんだ」

「わたしなんてお嬢さまなんかじゃぜんぜんぜんぜんないです。お行儀が悪い、ってお兄ちゃんたちにいつも叱られてるし」


 勢いよく何度もかぶりを振る。

 的外れな返答をされたコルネリウス警部はもどかしげに頭を掻いていた。


「で、どうして港に?」

「蒸気船とか汽車とかが好きなんです。魔法動力機関に興味があって。わたしもいつか自分で魔法動力機関を造って、あんなおっきな乗り物を動かしたいな、なんて」

「なるほど。まだ十二歳なのに大した夢を抱いているんだな」


 警察手帳にペンを走らせながら、警部はエリスの格好をためつすがめつ観察する。視線を感じたエリスは、つばの広い三角帽子を目深に被って顔を隠した。


「魔法使いか」

「今年の春、魔法の力に目覚めたんです。叔父のシノノメから魔法の手ほどきを受けるために、王都からこのアクアまでやってきたんです。将来『魔動師(まどうし)』になりたくて。あっ、王都からアクアまでのバス運賃はちゃんと払いましたよ」

「別に無賃乗車を疑っているわけじゃ……まあいい」


 それからいくつか質問をされた後、エリスは無事に解放された。



 ◆◆◆



 警察署を出たエリスは新鮮な空気と光を浴びて、ほっと息をついた。

 丘の上に建つ警察署から都市の全容と青い海を一望できる。

 港湾都市アクア。

 港には絶えず船舶が行き交い、市場では新鮮な海産物や舶来の果物が卸されている。繁華街も多くの市民や観光客で賑わっている。王都に次いで規模が大きく人口の多いこの大都市は真夏の青空の下、繁栄と活気に溢れていた。


「おい、魔法使い」


 ぶっきらぼうに呼ばれる。

 見送りにきていたコルネリウス警部のほうを振り向く。

 警部はタバコを口元でくゆらせていた。


「世間はあいつを英雄などともてはやしているが、本当は子供のころからだらしなくていい加減で、人をおちょくるのが好きな奴だ。これから苦労するかもしれん」

「えっと……『あいつ』って誰ですか?」

「シノノメだ」


 署内のエントランスから、噂をしていた彼の嫌味たっぷりの声が聞こえてくる。

 ――おまわりさんよ。善良な市民をしょっ引くのがお前らのお仕事なのか?

 自分の抱いた第一印象が正しかったのをエリスは確信した。



 ◆◆◆



「クラウスの奴、融通が利かない頑固野郎なのはガキのころから変わってないぜ」


 自宅までの道すがら、シノノメはコルネリウス警部への悪態を散々ついていた。

 二階建ての集合住宅が表通りを両側からずらりと挟む、西区の住宅街。中流階級の市民が主に住むこの区は、立派なひげをたくわえた紳士から煤を被った半袖半ズボンの子供まで、多様な人たちが歩いている。

 道路を自動車が通り過ぎたかと思えば、その後ろから荷馬車が東区の港を目的地に走っていく。さすがに辻馬車は十年以上も前に廃れた。市は成長の過渡期にあった。


「そういや、俺のところで暮らす間、学校はどうするんだ?」

「校長先生に特別留学許可を頂きました」


 魔法の修行も学業の一環という半ば強引な理屈が通って、エリスは留学生という都合のよい肩書きを得られた。つまるところ、エリスにとってシノノメは文字どおり『先生』なのである。


「一ヶ月と短いですが、わたし、せいいっぱいシノノメ先生から魔法を教わります」

「そう気張るなよ小娘。俺の兄貴――つまりお前の親父は、お前に箔をつけたがってるだけだ。『魔王を討伐した英雄に師事した、将来有望な魔法使い』ってな。修行の成果なんてアテにしてないさ」


 健気なエリスをシノノメは鼻で笑った。

 エリスもむきになって対抗する。


「お父さんはシノノメ先生をいつも褒めてました」

「俺が兄貴と暮らしてたころは、穀潰しやら放蕩次男やら散々な言い草だったぜ」

「先生は魔物に襲われたわたしを助けてくれました。だから先生はいい人です。お父さんとどことなく雰囲気も似ていて、わたし、先生のとなりにいると落ち着きます」

「どんだけお人よしなんだよお前は。なんか逆に心配になってきたぞ」


 結局、言い負かされたのはシノノメのほうだった。

 人を疑うということを知らないのか。

 エリスはにこにこと人懐っこい笑みを浮かべていた。


「ついたぜ」


 表通りの途中でシノノメが立ち止まる。

 中流層向け集合住宅。その一室がシノノメの自宅だった。

 同じ形の建物が続くので部屋を間違えないよう、エリスはドアの前に記されている住所を頭の中に叩きこんだ。

 部屋に入るや、腰のひもをほどいたシノノメが太刀をベッドに放り投げる。カタナはサムライのタマシイだと耳にしていたエリスは、彼の随分とぞんざいな得物の扱い方に面食らった。

 シノノメの私室には二階にあった。

 狭い一室はベッドだけで面積の半分を占めてしまっている。圧迫感が恐ろしい警察署の取調室よりも更に狭い。壁に立てかけてある長い釣竿は天井に触れかけている。窓から見下ろせるすばらしい都市の眺望が唯一の救いだった。

 隣にあてがわれたエリスの部屋は、長らく使われていなくて埃だらけだった。ドアを開けたエリスは湿っぽい熱気と舞い上がった埃にむせかえった。


「実家の豪邸に比べたらウサギ小屋みたいなもんだろ」

「えっと、ノスタルジックな雰囲気が素敵です」


 どうにかこうにかひり出したお世辞にシノノメは苦笑していた。


「バラードさんっていう家政婦さんが掃除してくれるから、しばらく待ってな」

「いえ、わたしが住む部屋なんだから、わたしが掃除します」

「案外積極的だな。そういうの俺は好きだぜ」


 掃除道具を借りにいこうと階段を下りている途中で、くだんの家政婦バラードと鉢合わせた。

 ――きれいな人。

 散る間際の花に似た儚げな美貌に息を呑んだ。地味な身なりが女性としての根本的な美しさをかえって引き立てていた。

 彼女から掃除用具一式を借りたエリスは一階の共同水場でバケツに水を汲み、危うい足取りで再び二階に上がって自室の掃除を開始した。

 三角帽子を脱いで、髪を後ろにまとめて縛って意気込む。

 ベッドのシーツを剥いで水洗いして布団と一緒に干す。それから部屋中に張られた蜘蛛の巣を取り除き、水で絞ったぼろきれで壁や窓を拭き、モップで床をきれいにしていく……。

 シノノメはドアで繋がった隣の部屋越しにエリスの奮闘ぶりを見物していた。


「それが終わったら俺の部屋も頼むわ」

「ええー?」

「修行だよ、修行」


 さすがのエリスも訝しげに顔をしかめていた。



 ◆◆◆



 掃除が終わる時分にはすっかり日が暮れていた。

 開け放った窓から吹く風が汗ばんだ肌をなでて心地よい。

 薄暮の街に灯るガス灯が幻想的で美しい。

 エリスは窓辺に肘をついて満足感にひたっていた。

 これから一ヶ月間、ここでシノノメと二人で暮らしていく。夢に見た魔法の修行が始まる。海辺の街は賑やかで、魔法の先生もいい人でエリスは安心していた。古くて狭いこの部屋も、彼女の眼にはさながら秘密の住処に映った。


「エリス。こっち見ろ」

「はい?」


 呼びかけに反応して振り向く。

 シノノメが果物のオレンジをもてあそんでいる。

 彼はそれをエリスめがけて投げつけてきた。

 投げて渡すには勢いがありすぎる投てき。


「わっ! よけて!」


 反射的に手をかざしたエリスが命じる。

 果たしてエリスの命令どおり、一直線に飛んできたオレンジは彼女に直撃する寸前で不自然な動きで軌道を逸らして『よけて』彼女の脇を抜け、窓の外に飛んでいってしまった。

 シノノメが意味深にうなずく。


「なるほどね。それがお前の魔法『転換術』か」


 あらゆる事象の『方向』を操作する魔法、転換術。

 それがエリスに目覚めた魔法の力だった。

 力に目覚めたきっかけは今年の春。王立学校六年生に進級して間もないころのできごとである。階段から足を踏み外して転げ落ちそうになった友人を『助けたい』と強く願ったとき、地面に激突する寸前の友人がふわりと浮いて、ゆっくり地面に降りたのだった。

 魔法を、機械を動かすためのエネルギーに変換する魔法動力機関。

 それに強い興味と関心を抱いていたエリスにとって、魔法使いとしての覚醒はまさに神さまがくれた奇跡だった。

 小型かつ高出力。加えて石炭や石油といった燃料も使わない。魔法動力機関は革新的な次世代エンジンとして軍事兵器や運輸に普及しつつある。

 その開発に携わる誉れ高き魔法動力機関国家技師。

 通称――魔動師。

 魔動師になるには学歴はもとより、魔法を操れる人間『魔法使い』であるのが必須条件である。熟達した魔法の腕前も当然必要である。


「船や飛行船、汽車、車だけじゃないです。魔法動力機関さえあればラジオや洗濯機、冷蔵庫だってみんなの家に広まっていくと思います。機械はみんなの生活を豊かにするんです。わたし、魔動師になってみんなを幸せにしたいです」


 ぎゅっと両手の拳を握ってエリスは力説した。

 腹を力ませると、子犬が主人を恋しがるような鳴き声が聞こえてくる。彼女は頬を赤らめながら腹をさすった。


「お腹がすいちゃってたの忘れてました」

「食欲旺盛な小娘だ。ちょうどいい。そろそろバラードさんが食事を運んできてくれる時間だ。そこのテーブルを組み立てとけ」


 シノノメに指示されて壁に立てかけてあるテーブルに手を伸ばそうとしたそのとき、窓の外から複数の男たちが言い争う大声が聞こえてきた。

 窓から身を乗り出して表通りを見下ろす。

 褐色の肌をした青年が三人の男に詰め寄られている。青年もあからさまにケンカ腰の目つきで三人をねめつけている。一触即発の雰囲気。今にも殴り合いが始まりそうである。

 居ても立ってもいられなくなったエリスは三角帽子をかぶり、樫の杖を手にする。シノノメの制止を振り切って階段を駆け下りた。

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