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魔法使いのエリス:三角帽子と夏の星  作者: 帆立
五章:あの日見た竜
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第18話:地の魔物は踏み荒らす

 並ぶ露店はどれもこれも柱を折られ、屋根を剥がされ潰されている。でこぼこの地面に野菜や果物、土産物が無残にも散乱している。

 大勢の人間も道端にうずくまっていたり伏していたり苦痛にもだえていたり……東区の市場は凄惨を極めていた。

 シノノメが駆ける。黒煙が立ち昇り、銃声と爆発音がする繁華街のほうへ。

 エリスは言いそびれてしまった。崩壊した市場の片隅にところどころ、石と化した人間と警察車両が転がっているのを。


「魔法使い。お前はじっとしていろ」


 コルネリウス警部もエリスを部下の警察官に預けてシノノメを追いかけていった。

 安全な警察車両に乗って待っていなさい、と警察官がエリスを車内に促す。

 エリスは警察車両に乗り込む……ふりをして、回れ右の後に猛然と走り出した。



 ◆◆◆



 割れた窓ガラスや鉢植えが石畳の道路に散らばっている。

 物干し竿から落ちた白いシーツが不自然に目立つ。

 ガス灯はへし折られており、街路樹も恐るべき力で根元からなぎ倒され、緑の葉が地面を汚している。自動車はひしゃげ、馬車馬やロバが横たわっている。

 倒壊した集合住宅から激しい火の手が上がっている。民間の消防団や警察官、軍の兵士が力を合わせて消火活動に当たっている。瓦礫の下敷きになった女性を助けながら絶えず励ます者もいた。

 木々の爆ぜる音。

 引火した燃料の爆発音。

 災禍に抗う人間たちの必死な声。

 音と声のせめぎ合い。

 無情にも火炎は目に見える勢いで広がっていく。

 街を染めるオレンジ色が濃くなっていく。

 火災の煙は街の上空で層を成し、太陽光を遮っている。訪れる昼間の夜。

 平和で文明的だった街並みの、地獄と見紛うばかりに変わり果てた様相。

 信じがたき光景にエリスの意識は朦朧としていた。


「戦争が……起こったの……?」


 三十年前のモノクロ写真をエリスは学校の授業で見たことがあった。

 魔王の尖兵として遣わされた魔物の攻撃で街は炎に包まれ、人々が逃げ惑う混沌たる様子が生々しく写っていた。今のアクアの惨状はそれを忠実に再現していた。


「民間人は避難所に誘導しろ。重症な者は救護所へ運ぶんだ」


 軍の兵士と警察官が各区への道路を封鎖している。

 市民たちは封鎖の外に設置された避難所で一箇所に固まっている。

 救護所では医師や衛生兵が負傷者の手当てに追われている。

 負傷者の中に、身体の一部が石になった者も見受けられた。

 ――私たちの街が……。

 ――そんな、俺たちの住む街が。

 ――全部、燃えちゃってる。

 災禍にただれる街を皆一様に、一心に見つめている。絶望に怯えながら。


「つべこべ言わずに私たちを南区へ連れていけ!」


 一等市民か貴族だろうか。身なりのよい小太りの中年が何やらわめき散らしながら、南区側の封鎖にあたっている兵士に詰め寄っている。隣に停めてある自家用車には家族と思しき婦人と子供が乗っている。中年の理性を欠いた言動に兵士は困り果てている。


「南区には小型の魔物が大挙して押し寄せており、目下我々王国軍と警察が対処に当たっている次第です。北区も工業団地の火災で火の海です。西区の目抜き通りでも巨大な魔物が暴れています。安全なのはもはやここだけです」

「家の金庫をまだ開けておらんのだ!」

「戦闘中ですってば!」


 見苦しい押し問答は埒が明かない。

 エリスは人ごみをかいくぐって西区封鎖の最前列に出る。


「あのっ、バラードさんとキアちゃんは無事ですか。あっ、えっと、西区三番地のシノノメ・マキナの部屋で住み込みで働いている家政婦のレア・バラードと娘のキア・バラードです。シオンっていうピアニストの所在も教えてください」

「危ないからお嬢ちゃんはあっちに避難していなさい。安心しなさい、私たち王国軍が必ずアクアを守ってみせる――おい、こっちにも手を貸してくれ。迷子の女の子がいる――さあ、あのおじちゃんについていって」


 封鎖を守る兵士に藁にもすがる思いで訊くも、子供のエリスではまともに相手をされなかった。仕方がなかった。身内の安否を尋ねる住民は他にも大勢押し寄せており、警察と兵士の許容量を超えていた。

 エリスは三角帽子を脱いで、樫の杖とまとめて胸に抱いて屈む。

 そして兵士の注意が他へ逸れた瞬間を狙って、小柄な身体を生かして足元から封鎖をくぐり抜けた。兵士が「あっ」と驚きの声を上げたころには、彼らが追いつけない距離まで走り抜けていた。



 ◆◆◆



 封鎖の先、東区と連結する西区繁華街中央で魔物が暴れていた。


「……瘴域の『ヌシ』」


 そいつの姿はシノノメたちが語っていた『ヌシ』の特徴と合致していた。

 魔物特有の赤く光る眼。片方が折れた一対のツノは牛のそれを模している。黒光りする分厚い胴体は戦車の砲弾すら易々と跳ね返してしまうであろう。

 たとえるなら、暴力という概念を生物化した存在。

 猛牛の姿を借りた『ヌシ』と畏怖される超大型の魔物。

 燃え盛る都市の只中でそいつは暴虐の限りを尽くしていた。

 海で戦った海蛇型と同じく、ヌシも地上の生物とは一線を画す巨体である。歩くたびに集合住宅二階部分に角がぶつかって壁ごと抉っていく。石畳に深い足跡を残していく。その圧倒的質量は、三年前に送り込まれた調査隊が返り討ちに遭ったのも当然だとエリスを納得させてしまった。

 ヌシの赤い瞳が強く光る。

 行く手を遮っていた建物が瞬時に石と化す。吊られていた海洋保険会社の看板がちぎれて落ちる。石になった壁に自重で亀裂が走った。

 ヌシが全体重を乗せた体当たりをぶちかます。

 むずかる赤子が積み木を突き崩すかのごとく、三階建ての建物をいとも容易く横倒しにした。

 ヌシは街路樹を踏み潰しながら街を蹴散らしていく。直進を阻む建物は石にしてからツノで破砕していく。洋食店もブティックも商社のビルも。道端に転がっていた石化した警察官も踏み潰されて粉々になった。

 ヌシが向かう先にはコルネリウス警部がいた。


「追いつかれたか」


 血がにじむ肩を押さえつつコルネリウス警部は片手で拳銃を撃つ。銃弾は命中したものの、ヌシからすれば小石が跳ねた程度であった。

 警部を睨むヌシの眼が強く光る。

 警部は拳銃を捨て、腕と両脚をバネにして地面を転がって警察車両の陰に隠れる。

 魔法の標的となった警察車両は石に変質した。

 エリスはコルネリウス警部のもとまで駆け寄る。

 肩の止血を施そうとするのを「派手なわりに浅い」と拒まれた。


「ヌシの目的は俺だ。避難所に戻れ」

「どっ、どうして警部が?」


 ヌシが突進を繰り出してきた。

 石化した警察車両が粉砕される。

 二人は巨体の直撃をかろうじて回避したが、衝撃で離れ離れに吹き飛ばされた。

 うつ伏せに倒れる警部をヌシは睨みつける。

 赤い眼光が強まる。


「左を向いて!」


 エリスがやぶれかぶれに魔法を唱えた。

 発動した転換術が作用し、ヌシの首が真横に曲がる。

 ヌシの視界に入ったのは二階建ての建物。

 火災の灰で汚れた窓にはヌシ自身が反射して映っていた。

 エリスの思惑どおり、窓に映る自分自身を睨んでしまったヌシの顔が灰色に変わった。筋肉の塊だった頭部が徐々に硬質化していった。

 エリスが「やったぁ!」と勝利を確信したのも束の間、石化は半ばで収まってしまい、ヌシの顔から薄い石の膜が剥がれていった。驚異的な魔法耐性にエリスは絶句した。


「こいつは俺が食い止める。魔法使い、お前はシノノメとレアを頼む」

「先生とバラードさんはどこに?」

「シノノメの家だ。早く行け」


 コルネリウス警部が上着の懐から白いペーパーナイフを取り出す。

 そんなもので魔物を相手にするだなんて無謀も甚だしい。この状況で警部と別行動を取るのは、彼を見殺しにするも同然。

 まごつくエリスに警部が「もたもたするな。早くしろ」とまくしたてる。


「これは俺の招いた災いだ。ここで死ぬのならそれが俺への咎なのだろう」

「わからないです。警部はさっきから何を言っているんですか?」

「かといって宿命を甘んじて受け入れるつもりはない。早くシノノメを連れてこい。約束の時間をとうに過ぎている。あいつは昔から約束事に無頓着だ」


 エリスは「すぐに戻ります」と約束してその場を離れた。



 ◆◆◆



 既に二階から火の手が上がっている、半壊したシノノメ宅。

 そこにシノノメとバラードは残っていた。

 一階の寝室でバラードが嗚咽を上げながらクローゼットを漁っている。

 大人が号泣するのを思いがけず目のあたりにして、エリスは衝撃を受けた。

 普段は物静かで微笑を絶やさない、慈愛溢れる一児の母レア・バラード。その彼女が狂ったように取り乱しているのだから、なおさら怖かった。

 シノノメがバラードの肩を掴んでクローゼットから引き剥がす。引き剥がせど引き剥がせど、泣きじゃくるバラードは意固地にクローゼットにしがみつく。


「キアは避難した。レアも逃げるぞ。クラウスを待たせていられない」

「ない、ないの。ないのよシノくん」

「何がさがしているんだ。教えてくれ。さがしものなら俺も手伝う」

「ないの……」


 バラードはクローゼットの中身をやたらにひっくり返している。古着や古本、古ぼけたぬいぐるみ、空の薬瓶などを掴み取っては床に放り投げている。気がふれたのか、何かに憑かれたのか。奇妙な言動にシノノメはうろたえている。


「ないの。ないのよ」

「何がないんだ」

「指輪、指輪がないの」


 シノノメはバラードの左手首を掴む。

 銀色の環がはまった中指を彼女自身に見せつける。


「ほら、指輪ちゃんと嵌めている。なっ、落ち着けよ」

「これじゃないの!」


 バラードはヒステリックに叫び、シノノメの手を乱暴に振り払った。

 感情の波が一旦収まってから、ぽつりと言う。


「シノくんからもらった指輪」

「俺からの指輪?」

「十七年前にシノくんからもらった指輪。魔王をやっつけるために旅に出た日『帰ったら結婚しよう』ってシノくんからもらった指輪。ここに隠しておいたの。ずっとずっとずっとずっと持ってたの。死んだ主人にも、キアにも、シノくんにも内緒で」


 とうとう泣き崩れる。


「ごめんなさい、ごめんなさいシノくん。私、シノくんを裏切った。約束を破ったの。街のみんな、シノくんたちが帰ってくるなんて思ってなかったから、私も段々そんな気がしてきて、他の人と結婚しちゃったの。だから私、シノくんが怖かったの。私のことを恨んでいるんじゃないかって。ごめんなさい、ごめんなさい……」


 泣きはらしながらシノノメへの懺悔を繰り返す。

 この期に及んでまさかの告白に、シノノメは唖然としていた。

 巨獣が足を踏み鳴らす音と震動。

 ヌシが目前まで迫ってきている。二階の火の手も同じく。

 シノノメは我に返った。


「バラードさんは少し動転している。エリスはバラードさんを連れて封鎖の外に避難しろ。ったく、また遅刻だ。クラウスにどやされちまう」

「指輪はさがさないんですか?」

「んな状況かよ。指輪っていっても銅貨一枚の価値にもならん、俺が工場で鉄を曲げてつくってもらったガラクタなんだぜ。まさかレアがあれを大事にしていただなんてな」

「でも、でもでも。バラードさんにとっては――」

「子供時代の口約束だ」


 食い下がるエリスをぴしゃりとねじ伏せる。

 待ちわびる親友を助けに、シノノメは部屋を飛び出した。

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