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魔法使いのエリス:三角帽子と夏の星  作者: 帆立
五章:あの日見た竜
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第16話:災厄の種は発芽する

 軍艦ニンバス。

 輸送コンテナが格納されているその船倉。

 居合わせているのはエリス、シノノメ、後任艦長の合わせて三人。彼女らを乗せるニンバスは大海原の只中に浮いており、港湾都市アクアは遠い陽炎に揺れるまぼろしと化している。念入りな人払いであった。

 コンテナの隙間を縫って、薄暗くて埃っぽい船倉の奥の奥まで案内される。

 コンテナだらけの迷路と化した船倉は薄暗い。天井の拙い照明が唯一の頼りで足元がおぼつかない。魔法動力機関による冷房が作動しているため肌寒い。エリスの胸に巣食う嫌な予感は増していた。

 船倉の最奥に到着する。

 ある『異形の物体』が安置されている場所にたどり着くや、エリスは驚愕した。


「何……これ。動いてる」

「……隕石の正体か」


 赤黒い肉塊がむき出しのまま鎮座している。

 エリスは学校の図鑑で見たことがあった。

 生物の核を司る心臓である。

 何の生き物の心臓だというのか。鯨か、巨人か。生物の臓物にしてはあまりにも大きすぎる。

 心臓らしき物体は隣に並んでいる正方形の輸送コンテナより一回り大きい。シノノメすらそれを視界に収めきるのに天井を仰ぐ必要がある。

 巨岩のごとき異形の心臓は、肉体から切り離された状態であるにもかかわらず規則正しい鼓動を繰り返している。膨らんだり縮んだり。同期して血管の断面から体液らしきものが吐き出されている。

 後任艦長いわく、異形の心臓は海底から回収されたものとのこと。

 隕石の回収に成功した場合、本来なら帰港して王都に輸送する手はずとなっている。本部からの電信に従った後任艦長が一旦それを留め、わざわざボートをよこしてシノノメを招いたのには理由があった。

 目を凝らせばわかる。

 異形の心臓の表面からうっすら漏れ出ているのだ――黒い霧が。


「……アイオーン」


 シノノメの呪詛じみたつぶやきに、エリスと後任艦長は目を剥いた。


「アイオーン……アイオーン! それってまさか先生」

「他に同じ名前のものなんてあってたまるか。これは」


 シノノメがまばたきをすると大粒の汗が一滴、落ちた。


「これは――魔王アイオーンの心臓だ」


 現在より三十の年を遡る。

 悪意の権化、邪悪なる侵略者、人類の敵対者……数多の異名を持つ魔王アイオーンは魔界との隔たりを破って人間界に侵攻し掛けてきた。

 尖兵として送り込まれた魔物は地上を闊歩し、人間の文明を片端から蹂躙していった。力無き者は逃げ惑い、力ある者は果敢に立ち向かった。魔王の眷属である魔物は獰猛かつ凶悪で、犠牲となった人間はおびただしかった。それでも人類は己が居場所を命がけで守り抜いていった。剣を振るい、弓を放ち、銃を撃ち、魔法を唱え……。

 侵攻から十五年目、ついに魔王は若き人間の英雄たちにより敗れ去る。

 今わの際、魔王は破滅のさなかにある自らの肉体に呪いをかけた。呪われし魔王の肉体は死と同時に無数の破片にちぎれ、災厄の種となりて人間界にばら撒かれた。

 種は短い期間を経て芽生え、根を張り、魔物を生む黒い霧を発生させた。

 人々は霧に覆われた地を『瘴域(しょういき)』と呼称し、禁忌の地とした。

 魔王が滅ぼされてから更に十五年経つうちに、数多の町や集落が黒き霧に呑まれていった。王都に次ぐ規模の都市アクアとて無関係ではいられなかった。郊外に落ちた分、他の都市に比べれば幸運といえた。

 そして現在、アクアは二度目の災厄に見舞われんとしている。

 陸に上がれば鼻の利く新聞社に勘付かれる。アクアが瘴域と化すだなんて噂が広まれば収集のつかない混乱に陥る。諸国との貿易にも悪影響を及ぼす。心臓は既に霧を吐いている。本部からの応援を待つだなんて悠長はなはだしい。

 ゆえに後任艦長はかつての英雄シノノメに助けを求めたのだ。


「魔王の心臓だなんて……十五年経って落ちてきたっていうの? シノノメ先生、どうすればいいんですか」

「逆に考えれば絶好の機会だ」


 意外なシノノメの発言にエリスは驚く。


「心臓は地上に落ちたばかりで休眠期から覚めていない。目覚めて本格的に霧を吐きだして瘴域を完成させてしまったら手の施しようがない。破壊するなら今だ」


 心臓から漏れ出る黒い霧の量が増えてきた。

 鼓動も明らかに力強くなっている。

 心臓が目覚めつつある。


「魔王を打ち倒した英雄がここにいて、無防備な魔王の心臓がここにある。これ以上ない絶好の機会だ。今をおいていつやるんだ?」


 シノノメが太刀を抜く。

 垂直に構えた刀身を視線の先に据え、呪文を唱える。


「大神の名を冠す聖剣マシロナギよ」


 足元から微風が起こり、髪をはためかせる。

 その聖なる風は薄く漂っている黒い霧を打ち消す。


「滅びてなお人に仇名する邪悪なる者を――」


 詠唱が続くにしたがって刀身が白き光を帯びだす。

 自由に舞っていた風が刀身に集中する。


「浄化しろ!」


 不気味に呼吸を繰り返す魔王の心臓めがけ、太刀を振り下ろした。

 空気を震わす甲高い金属の振動音が大音量で響く。

 シノノメが弾き飛ばされる。

 後方に吹っ飛ばされた彼はコンテナに背中を打ちつけて崩れ落ちた。

 太刀の刀身が中ほどで折れている。

 対して魔王の心臓は無傷。鼓動を規則正しくしている。

 エリスの手を借りて起こされたシノノメは忌々しげに心臓をねめつけていた。


「先生の剣が全然通じてないなんて」

「冗談キツイぜ。神さまの加護を受けた武器なんだぞ」

「心臓がいっぱい動き出しました!」

「とうとう目覚めたか!」


 心臓の血管の先から黒い霧が勢いよく噴出した。

 霧は船倉に充満していく。

 霧の一段と濃くなった部分から赤い光が二つ浮かび上がる。

 三人がまごついていると、爬虫類を模した小型の魔物が霧から躍りかかってきた。

 エリスを狙ってきた魔物は、シノノメの折れた太刀に中空で斬り捨てられた。重力に引かれて床に落ち、黒い霧に還った。

 突如、船底に垂直方向の衝撃。

 揺れる船体。

 天井の吊り照明が激しく振れる。

 外部から攻撃を受けている。魔物か。

 船倉に充満する霧から、次から次へと二つ一組の赤い光が生まれていく。心臓が収縮するごとに黒い霧が無尽蔵に吐き出されていく。


「逃げるぞ! エリス、艦長、全員船から脱出だ。早くしろ!」

「心臓はどうするんですか」

「俺たちが生き延びるのが最優先だ。艦長、他の船員にも退避命令を」


 シノノメの怒号にはじかれた後任艦長は、船員たちに退避を伝えるため大慌てで階段を駆け上がっていった。エリスとシノノメも一目散に船倉から逃げた。

 しんがりのシノノメが船倉から脱出し、厚い鉄扉を閉める。

 魔物の体当たりが断続的に浴びせられる。鉄扉は体当たりを食らうたびにへこんでいき、蝶番が変形していく。今、鉄扉の向こうに何匹の魔物が生まれているのか。考えるのも恐ろしかった。



 ◆◆◆



 甲板に出たとき、再び船体が大きく揺さぶられた。


「海から魔物が」

「海蛇型の魔物だと。しかも洒落にならないくらいでかいぞ」


 甲板で彼女らを待っていたのは更なる敵だった。

 海面から長い首を出す黒い化け物。

 海蛇の姿をした巨大なその魔物が、海上でニンバスの行く手を阻んでいた。

 紛うことなき海の怪物。口を最大限に開けばニンバスを丸ごと飲み込めかねない。

 海蛇型の魔物は粘液をしたたらせながら口を開く。

 上あご、下あご共に、のこぎり状の鋭い歯が生え揃っている。

 もたげていた鎌首が豪快に海面を突く。

 海を砕く轟音。

 立ち上がる水柱。

 船員を乗せて港を目指して逃げていた小型の救命ボート。それが魔物の口に咥えられて掬われて……あっけなく丸呑みにされた。

 漂流していた他のボートが蜘蛛の子を散らすように逃げていく。海蛇型の魔物は手近なボートを次々と捕食していく。魔物の首が海面を叩いて海水ごとボートをさらうたび、エリスたちの足元が揺れた。

 船内からも船員たちの狂った悲鳴や断末魔が銃声混じりに聞こえてくる。

 恐慌、狂乱、阿鼻叫喚の地獄絵図と化している。

 血糊を床に垂らしながら甲板に這い出てきた船員が、血走った眼でエリスに助けを求めてきた。

 エリスは一歩、ほんの一歩だけ後ずさる。

 力の限り伸ばしていた船員の指先は、エリスの服に触れるかどうかのところで床に落ちた。息絶えた彼は、エリスがゴミ山で目にした石像と同じ絶望の表情をしていた。

 エリスの瞳にぶわっと涙が溜まる。


「し、死んじゃった……せ、先生ごめんなさい。わたしが怖がったからこの人を助けられませんでした。ど、どうしよう。わたしが……わたしが……」

「エリス、落ち着け。冷静になるんだ」


 船に残っていれば爬虫類型の魔物の餌食。さりとて船から脱出しようにも、海蛇型の魔物に行く手は阻まれている。前門の虎後門の狼。万事休す。希望は遠い果て。絶体絶命というべき危機的状況に陥っていた。

 直視してしまった死の数々。

 エリスはめまいに襲われる。

 圧倒的絶望を前にして、判断力と冷静さが瓦解していく。


「使わせてもらうぜ、海兵さん。今まで国の平和を守ってくれてありがとな」


 シノノメは船員の死体に祈りを捧げ、腰から拳銃と軍刀を拝借した。


「エリスは船内から上がってきた魔物を転換術で海に落とせ。俺は親玉を引き受ける。軍の救助が来るまでの辛抱だ」

「できません。無理です」

「できるかできないかじゃない。やるしかないんだよ」

「死にたく……わたし死にたくないよ!」


 聞き分けのない子供みたいにエリスはしゃがんで髪を振り乱す。

 迫りくる悪夢から逃げるため、耳を塞いで、父母と兄たちの名前を叫んでひたすら助けを求めた。身内の死すら未だ体験していない十二歳の女の子にとって、置かれているこの状況は覚めるべき悪夢である……はずだった。

 夢とは違い、現実はどれだけ叫んでもエリスを追い詰める。完全なる死の淵まで。


「エリス!」


 肩を揺すられる。

 片目をうっすら開ける。

 シノノメがエリスの肩を掴みながら真剣なまなざしで見つめていた。

 エリスの思考をぐちゃぐちゃにかき混ぜていた悪夢が、ふいに追いやられる。

 心の闇が消えて光が差してくる。冷え切った世界に熱が戻る。

 意志に満ちたシノノメの眼は深い霧すら払ってしまう。きっと、これが彼を英雄たらしめる真の力なのだ。そうエリスは思った。


「戦うぞ。俺と共に、生きるために戦うんだ」

「……生きるため」

「ああ。生きるために俺たちは戦っている」

「……戦ってる」

「形こそ違ってもバラードさんやキア、ヴリトラ、クラウス、シオンだって戦っている。いろんなものと。みんなだ」

「わたしたちは戦ってる。生きるために」

「これまでも、これからも、今だってな」


 差し伸べられた手。

 逡巡の時間はまばたきを二つか三つする刹那。

 エリスは差し出された手を握って立ち上がった。

 目元の涙を袖で拭う。


「はい。戦います。わたし、戦います。キアちゃんたちが戦っているのなら、わたしだって戦わなくちゃ」

「それでこそ俺の弟子だ」


 シノノメが不敵に笑った。

 海蛇型の魔物は首を周囲にめぐらせ、獲物をえり好みしている。


「必ず帰るからな、レア」


 シノノメは胸に手を当て、想い人に誓う。


「エリス、俺に力を貸してくれ」


 世界を救いし英雄シノノメはエリスに力を求めた。

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