第14話:王女さまの厚意
シノノメ宅の玄関前。
コルネリウス警部が足元に捨てたタバコを踏みつける。
硬い靴底に押しつぶされた吸殻は石畳の道路に散乱した。
エリスは背伸びしてシノノメの肩越しに紙面を覗き込む。
彼が広げている朝刊の一面には、さっそく昨夜の殺人事件が取り沙汰されていた。
スラムと港、二つ起きたうちの後者である。
――隕石の回収に派遣された軍艦ニンバスの艦長、全身を石にされ殺害される。ヌシがいよいよ瘴域から出てきたか。邪悪なる魔法使いの仕業か。はたまた魔王復活の兆しか。
そういった旨を煽り立てるような文体で。
心なし今朝の表通りは閑散としている。
シノノメは新聞を雑に閉じてエリスに投げてよこした。
「警察は新聞社にかん口令を敷こうとしてしくじったってわけか」
「『我々は権力に屈しない』だと。市民の不安をいたずらに煽るのが奴らの掲げる信条らしい。俺たち警察はあくまで正義のため、市民のために――」
「わかったわかった。クラウス、お前の熱意はよーくわかったよ」
熱血漢を発揮する幼馴染を暑苦しそうにいなしたシノノメは、片手のパンケーキをかじった。つれない態度を取られたコルネリウス警部は、熱い想いを向ける先を失って歯を噛みしめていた。
警部は炊事の音がする窓に視線を投げる。
「レアは元気にしているか」
「家族が増えた、って喜んでる」
「子供ができたのか!」
突如、鬼気迫る勢いでシノノメの肩を揺する。
パンケーキを喉に詰まらせたシノノメは、むせ返りながら傍らのエリスを必死に指差す。冷静さを取り戻した警部は握力を弱めた。
「妙な言い回しは止めろ。俺はてっきりレアとお前が――」
「結ばれたとでも勘違いしたか。ったく」
図星をつかれたコルネリウス警部の顔色にかすかな焦りが表れる。
噂をすれば、ドアの向こうから足音が近づいてくる。
警部は幼馴染との世間話を切り上げた。
「俺は署に戻る。昨夜は長い事情聴取につき合わせてしまったな。感謝する」
「借りは作っておいて損はないからな」
「調子に乗るな。この程度、利子にもならん。忘れたのか。お前が夜な夜な市立公園に忍び込んで夜釣り勤しんでいたのを俺が――」
「だから、わかったっつーの。お前の説教長すぎ!」
鬱陶しがるシノノメに追い払われたコルネリウス警部は、部下の警察官を従えて警察車両に乗り込む。濃い緑のそれは全方位に分厚い装甲が装着されており、軍の下手な戦車よりも強靭な印象であった。
玄関前に出てきた家政婦のバラードがシノノメにコーヒーのカップを手渡す。
「ハチミツはいらないの? 苦いわよ」
「苦いからこそのコーヒーだ。大人の男は砂糖もハチミツもジャムも入れないのさ」
「シノくんてば、エリスちゃんが来てから急に大人ぶっちゃって」
からかわれたシノノメは、ばつが悪そうに頭を掻く。
「クラウスさんはハチミツ入れるわよね。エリスちゃんのご実家から送られてきたの。ハチミツなんて贅沢、何年ぶりかしら」
二人の何気ないやりとりをつぶさに眺めていたコルネリウス警部はバラードと視線が合うのを避けるかのように、彼女を無視して警察車両のドアを閉めてしまった。湯気の立つカップを持った格好で取り残されたバラードは困り顔を浮かべていた。
――結局、お前には勝てなかった。何一つ。
ドアが閉まる間際、やかましいエンジン音に紛れた彼の密かな呟きをエリスは聞き逃していなかった。
「シノノメの魔法使い」
警部はドアの窓を下ろしてエリスに呼びかける。
そしてこう警告した。
「くれぐれも深入りは控えろ。子供に何ができる。自分を取り巻く者たちの立場を鑑みろ。魔動師になりたくて、名声を欲するあまり躍起になり、余所の事情に首を突っ込んだ挙句に身を滅ぼしては元も子もない。これは警告だ。わかったな?」
しかし、黙りこくるエリス。
握っていた新聞がくしゃり、潰れる。
痺れを切らしたコルネリウス警部は部下に発進を促す。
警察車両はエンジン音を轟かせながら警察署の方角に去った。
やはりエリスは彼と対面すると緊張してたまらなかった。
◆◆◆
郵便配達に行くキアを止めてほしい。
シノノメを送り届けにきたコルネリウス警部が帰った後、エリスはバラードにそんなことを頼まれた。
バラードは憂いをこめた溜息を繰り返している。
理由は当然、昨夜の殺人事件である。
石にされて殺される怪事件が近所で起きたのだ。しかも、立て続けに二件も。幼い娘を働かせる母親が憂鬱になるのも当たり前である。
「お母さん、行ってきます」
「いけないわ、キア」
ドアノブに手をかけたキアをバラードは両腕で抱き寄せる。母親の心配をよそに、キアは心底迷惑がっており、エリスの救助を目配せで求めていた。親子の板ばさみにされてしまったエリスは進退窮まって、苦笑いでその場をごまかしていた。
「郵便配達のお仕事はおしまいにしましょう」
「仕事しないとお金もらえない。お金がないと生きていけない。シノノメ先生が字の読み書きを教えてくれた。だから女のボクでも昼間に真っ当な仕事に就ける」
「お母さんはね、キアがいればそれでいいの」
母性たっぷり、ぎゅっと娘を抱きしめる。
娘は困り果てたのを通り越して呆れ果てている。
「ボクとお母さんが一緒にいられるために、ボクは働いてる」
「いいのよ。お母さんに全部任せて。キアはエリスちゃんやシオンさんとたくさん遊んで、シノノメ先生にお勉強をたくさん教えてもらって、たくさん元気に育ってくれればそれでいいの。キアは私の大事な大事な宝物なの」
親子の会話はちっとも成り立たなかった。ただし、説得力に関しては三十を迎えた母親より十二歳の娘のほうがよほど勝っていた。
結局、キアはバラードを強引に押しのけて家を出ていった。
「ああいうお母さんだから、ボクがしっかりしないと」
見送りに玄関先に出てきたエリスに、キアはそう言い残した。
稼ぎ頭の父親を亡くして路頭に迷いかけたバラード親子を、シノノメが幼馴染のよしみで家政婦として雇ったという。彼の救済がなければこの親子の未来はどうなっていたか。エリスはいろいろと考えさせられた。
「エリス、お前も無闇な真似はするなよ。治癒魔法なんて禁呪級の超高等魔法、さすがに俺も門外漢だからな。石にされたって漬物石に利用してやれるのが関の山だぜ」
さっそくシノノメに釘を刺される。
「シノノメ先生。石にされた二人の共通点は何なのでしょう。二つの事件が同一人物による犯行だとしたら、ニンバスの艦長さんとヴリトラくんの先輩に何かしら繋がりが――うぇっ」
しゃべっている途中でシノノメに首根っこを引っつかまれたエリスは、喉から変な声を出してしまった。襟を掴まれたエリスは猫みたいに軽々と持ち上げられ、強制的に家の中に放り込まれた。
「シオンをさっさと起こしてこい」
「シオンさんですか? わたしが目を覚ましたときにはもうベッドからいなくなっていましたよ」
「おいおい、俺も今朝から見てないぜ。今度は何をやらかすんだ」
中庭で他の住人たちと洗濯をしているバラードにシオンの所在を尋ねる。彼女も二人と同様、今朝からシオンを見かけていなかった。まだエリスの部屋で寝ているものだと勘違いしていたという。
まさか瘴域へ向かったのか。
シオンは何故かあの場所に惹かれていた。
エリスとシノノメが焦りの色を浮かべたそのとき、家のドアが乱暴に開かれた。
キアが息を荒らげて舞い戻ってきていた。
配達の途中なのか、出るときには平べったかったカバンが膨らんでいる。
「シオンさんが酒場にいる」
◆◆◆
繁華街の地下に居を構える、サックスの音色が似合う上品な酒場。
昼間は喫茶店に姿を変えてコーヒーと軽食を扱っているそこでは、数人の客が既にモーニングのトーストとコーヒーを静かに楽しんでる。
カウンターでサイフォンと向かい合っていた壮年のマスターは、チャイムの音を耳にするや、来店したシノノメとその子供たちに愛想よく会釈した。
「どういうことだよ――って台詞、あいつが来てから俺、千回は言ってるぞ」
「マスターに手紙を届けに来たとき見つけた」
あいつ呼ばわりされた星の王女さまシオンは店内の片隅、壇上のピアノの前に座っている。繊細な指を優雅に操って、心落ち着かせる音色を人々に捧げていた。エリス、シノノメ、キアの三人はしばし演奏に聞き惚れていた。
演奏が終わる。
常連たちからささやかな拍手が送られた。
マスターの話によると、シオンは今朝早く「仕事が欲しい」と押しかけてきたという。その艶かしい雰囲気から最初、踊り子志望の娘だと勘違いしてしまったらしい。自分の店で踊り子は雇っていないと告げようとしたところ、シオンが壇上のピアノに興味を示し、試しに弾かせてみたら見事な演奏をしてくれたのだった。
「オペラ歌手じゃなくてピアニストだったんだね」
「かっこよかったですシオンさん」
「でも私、お料理を運ぶお仕事かお料理をつくるお仕事をさせてもらうつもりだったんですの。白と黒の素敵な服を着たり、縦にながーい帽子をかぶったりしたかったわ」
シオンは残念がる。
せっかくの才能を捨て置くなどもったいない、とマスターはピアノ奏者になるのを頑なに勧めていた。シオンの演奏に魅せられたマスターは何が何でも彼女を雇うつもりで、シノノメにも彼女を説き伏せるのを強く求めていた。
シオンはピアノの冷たい質感を指で確かめている。本人とてピアノ奏者の自分に未練がないわけではないらしい。
「おい、シオン。ウェイトレスやコックよりピアニストのほうがたくさん稼げるぞ。たくさん稼げば、それだけバラードさんたちの暮らしが楽になる。お前、バラードさんの力になりたくて仕事さがしてたんだろ?」
「はい。実は」
「シオン。お前の願いは何だ?」
「私の、願い……」
惚けた表情で復唱するシオン。
「自分自身が一番望んでいることは何か、よく考えるんだな――まっ、どれか一つを選べないなら、ウェイトレスの制服着て頭にコックの帽子かぶりながらピアノ弾けばいいんじゃないか? 結構似合うかもしれないぜ」
そんな自分を想像したのだろう。迷っていたシオンはくすりと吹き出す。
「素敵ですわ」
立ちこめる霧は晴れた。
事の行く末を見守っていたマスターは大いに喜んでいた。
以降、シオンはこの洒落た酒場でピアノ奏者として働くことになった。それが彼女自身の望みに続く近道であった。
宇宙の星からやってきた、記憶の無い、黒い霧に魅入られ、魔物を魅入らせ、ピアノを弾けるおとぼけた美女――シオンの謎は解けないどころか日を追って深まるばかりであった。




