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魔法使いのエリス:三角帽子と夏の星  作者: 帆立
四章:暗雲きたる
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第13話:刃を向ける影

「シノ先生を追わないの?」


 立ち呆けていたエリスにシオンが問うた。

 表通りは石畳を叩く蹄鉄の音と自動車のエンジン音、人ごみの賑わいが混在している。夕暮れ時のため、仕事帰りの男がひときわ目立つ。長方形の集合住宅が連なるここは人間の営みで溢れている。

 町並みを染める夕焼けの茜色が、今に限って凶兆を予感させる。


「エリス、行こう。ボクたちは守られているだけの子供じゃない」


 エリスの背中をキアが押す。

 逡巡していたエリスの意志が次第に方向を定めていく。

 迷いが模索へと昇華していく。

 機関車の力強い汽笛の音が遠い駅から届いたのを機に、エリスは意を決した。


「シオンさん、キアちゃん、先生たちを追おう!」



 ◆◆◆



 第二北区のスラム。

 廃材を積み重ねてつくった不恰好な家屋が雑然と建ち並んでいる。ところどころ立ち昇っている煙は炊事のそれか。

 文明の灯火できらめく繁華街の風景が木立を隔てて遠目に眺められ、このゴミ山とまざまざと対比させられる。さながらここは、すべてを背負わされて置き去りにされた忘却の地であった。

 薄汚れた住人たちは三人に奇異の目を向けている。

 闖入してきたよそ者たちを排除せんと数人の大人が動きだす。


「待ちなさい。彼女らはシノノメ先生のお弟子さんだ」


 諌めたのは、以前キアの行方を教えてくれた白ひげの老人だった。


「お嬢さんたち、どうされた。シノノメ先生はいらっしゃらないのかな」

「その、シノノメ先生とヴリトラくんをさがしているんです」

「……すまんの。心当たりがない。ううむ、どうしたものか」


 白ひげの老人は、思いつめるエリスたちを無下に追い返すのを躊躇していた。

 視界が悪いうえに土地勘もろくにないため、シノノメたちがどこにいるのか皆目見当もつかない。おまけに自分たちが足を踏み入れるのをスラムの住人たちは歓迎していない。エリスたちは不本意にも足を止めざるを得なかった。


「二人とも、こっちよ」


 途方に暮れる二人に先んじてシオンが暗闇のゴミ山に乗り込んでいた。仰天したエリスとキアは白ひげの老人に会釈してから慌てて彼女の後を追った。


「シオンさん、わかるんですか」

「ヴリトラくん、だったかしら。あの子の魂の光を感じるの。心細い真っ暗な夜空でも独りで輝こうとする、強くて頼もしい光なの」


 果たしてシオンの言ったとおり、無節操に継ぎ足されて迷路と化したゴミの町を彼女に先導されて進んでいくと、スラムの裏手でシノノメとヴリトラに再会できた。


「エリス、俺が何て言ったか忘れたか?」

「友達が困っているのを放っておけません」

「……やれやれ」


 シノノメは嘆息する。

 こうなる展開を予想していたらしい。険しかった口調は元通りになった。


「いい『友達』を持ったじゃないか、ヴリトラ」

「まあ……こいつら、結構度胸はあるみたいですからね」


 茶化されたヴリトラは曖昧な返事で逃げた。


「けど、後ろにいる髪の長い女。そいつだけはどうもいけ好かないぜ」

「シオンと顔見知りなのか」

「危険な奴だって俺の本能が告げるんです」


 ヴリトラの本能とは裏腹に、シオンは危険の二文字からだいぶ縁遠い外見と性格をしている。元一番弟子が何ゆえ必要以上に彼女を警戒するのか、シノノメは思案していたようであった。


「お前も人見知りなトコあるからな。せいぜい仲良くしな」


 まずは当面の問題を片付けるのが最優先と判断したらしい。曖昧に濁した。


「ヴリトラくん、ここはどこなの?」

「第二北区の最外周、最終ゴミ処分場だ」


 打ち捨てられたゴミが山を築いている。

 ぬかるんだ地面には車両のわだちが引かれている。

 廃油の悪臭にエリスは鼻をつまむ。

 磨耗、欠損、汚染された工業部品がゴミの大半を占めており、都市が発展の佳境にあるのを示している。そして、第二北区全体が発展の代償そのものだということも。

 シノノメがランタンをゴミ山の一角に近づける。

 オレンジ色の灯りが山の表面を照らす。

 仰向けになった男の顔が陰影濃く現れた瞬間、エリスはシノノメに飛びついた。キアも目をまん丸にして硬直していた。

 薄目を開けていま一度、男の顔を覗く。

 雄叫びを上げる悪魔と表現するに相応しい、世にも恐ろしい今わの際の形相。天に救いを求めるかのように諸手を挙げてあえいでいる。

 凝視していくうちに冷静になると、それが人間に似せた精巧な石像であるのがわかった。ランタンの灯りでわかりづらかったが、男は全身灰色だった。エリスは安堵の息をつくと共に胸をなでおろした。


「先生ったら脅かさないでくださいよ」

「ボクもびっくりした」

「こいつはヴリトラが働く工場の先輩と瓜二つだって話だ」

「あら、まあ。その人に似せて彫られたのかしら」


 髪の毛の一本一本、唇のしわ、頬に伸びる長い傷跡、服のたるみ具合、ズボンのほつれた糸――見れば見るほど精巧な出来栄えである。暗闇のせいもあって石の硬い質感と色は隠され、本物の人間となんら見分けがつかない。


「よくできてますね。ちょっと怖いです」

「おかしいと思わないか。この石像、よくできすぎているんだよ。彫刻家がボタンを縫いつける糸の一本まで精確に彫るのか?」


 シノノメが石像の頭に指先を触れると、毛先はもろくも崩れた。

 不自然なまでに精巧な石像。その表情と仕草は死の瞬間を再現したかのよう。しかも、近頃行方の知れなかったヴリトラの知人と瓜二つだという。

 頬に伸びた傷跡がどうしても目につく。エリスもこの人物を以前どこかで見たような気がしてならなかった。

 市場、雑踏、山積みにされた野菜……次から次へと記憶の断片が湧いてくる。

 ――お前らにやるよ、そのイモ。

 ああも若々しく快活な青年が、こうも形相を歪ませられるのか。


「先輩は『ヌシ』に石にされたんだよ!」


 我慢の限界に達したヴリトラが叫んだ。


「ヌシ?」

瘴域(しょういき)の親玉だ。奴は石化の能力を持っている」


 三年前、瘴域の浄化を目的に結成された軍と市民混合の調査隊は、瘴域深部に棲む大型の魔物、通称『ヌシ』によってむごたらしく壊滅させられた。

 調査隊の数少ない生き残りであるシノノメはヌシについて詳しかった。ヌシは猛牛の姿を借りており、睨んだ対象を石と化す力を秘めている。石にされれば当然、普通の生物ならば死に至る。入念な準備の下、満を持して乗り込んだ調査隊は、その能力を浴びせられるやあっけなく潰走したのだった。


「ヌシ……ボクの、ボクのお父さんを殺した魔物」


 キアの口から負の感情を含んだ声が漏れていた。


「二人とも早合点するなよ。瘴域深部に棲むヌシに石化させられたとしたら、コイツがゴミ山に捨てられているのと辻褄が合わない」


 シノノメが石像の足元にランタンの灯りを当てる。

 ゴミ配送トラックのわだちに紛れて、重い物体を引きずった跡が地面に引かれている。石像の両脚にも固まった泥がこびりついている。

 男はどこか別の場所で石にされて殺され、人目につかないゴミ山まで運ばれてきた。つまるところ、証拠隠滅を働かせられる知性の持ち主によって殺害は実行された。素人目にはそう推理できた。


「だとしたら結局、これはどういうことなんですか」


 ヴリトラに急かされ、シノノメはついに口を開いた。


「魔法使いの魔法によって石化させられたのかもしれん」


 エリスは顔が土気色になった。


「いるんだよ。快楽や狂信的な動機で社会に害を為す外道がな」

「果物ナイフを、誰かに向ける人」

「そうだ」


 隕石が落ちた夜の会話を思い出す。

 吐き気に見舞われてうずくまる。


「エリス、立てる?」

「シノ先生、大変。エリスちゃん顔色が悪いわ」

「……わたしは平気だよ。キアちゃん、シオンさん」


 エリスは立ちくらみを押して強がった。

 シノノメがランタンをエリスに渡す。


「俺は警察――クラウスに事情を説明してくる。今度こそお前らは家に帰れ。それとヴリトラ。事件の全容が掴めるまで絶対に魔法使いであるのを明かすなよ」

「ヴリトラくんだけ? どうしてですか?」


 エリスに訊かれたシノノメは「簡単な理由さ」と答える。


「魔法使いの比率は一つの町に一人か二人程度だ。王都と肩を並べる大都市のアクアでも両手で数えられる範囲だろう。だとすると国や警察が真っ先に疑うのは――」

「四等市民の俺ってわけですね」

「近隣に住む第一発見者の、って俺は言いたかったんだがな。まあ、それもある」


 殺人犯と疑われる可能性が高いのなら、なおさら早い段階でヴリトラの潔白を証明するべきではないか。後になって彼が魔法使いだと判明した場合、隠していた事実が悪い方向へ働きかねない――エリスのそんな懸念をシノノメは否定する。


「この国の司法が第二北区の連中にまで及ぶかは怪しい。むしろヴリトラなんて、汚れ役にはうってつけの条件が揃い踏みだ。よしんば警察からの疑いが晴れたとしても、スラム出身のこいつが魔法を使えると市民が知ったらどういう感情を抱くか……わかるだろ?」

「そんな……」

「俺たちを取り巻く社会は不平等の犠牲の上に成り立っているのさ」


 キアがハンチング帽を目深に被り直す。

 静かに憤るヴリトラが手のひらで躍る火を握りつぶす。

 エリスは押し黙った。



 ◆◆◆



 彼女たちの心配事は一晩明けて杞憂に終わった。

 杞憂に終わらせてくれた出来事が幸いなものかどうかはさておき。

 石にされて殺された別の人間が同時刻、港で発見されていたのだ。

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