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魔法使いのエリス:三角帽子と夏の星  作者: 帆立
四章:暗雲きたる
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第12話:凶兆と胸騒ぎ

 港湾都市アクア近海に落ちた隕石。

 その調査に当たるため派遣された軍艦『ニンバス』は、今日もシノノメ宅の二階から見物できる。

 錆びた船体が物々しい。

 調査は難航しているらしい。昨日と同じ場所を延々さまよっている。

 新聞にも目新しい情報は載っていない。

 エリスはよだれを垂らして窓にへばりつき、老兵というべきその勇姿に見とれていた。巨大クレーンを上下させるだけで歓声を上げてはしゃぐ有様であった。


「あっ、キアちゃんだ。おーい、キアちゃーん。いってらっしゃーい」


 片足で跳ね、靴の履き心地を直しているキアが玄関前に現れた。

 エリスが二階の窓から手を振る。

 キアも普段の愛想のよい無表情で手を振り返してきた。

 駆けるハンチング帽の少女の背中が、表通りの雑踏に消えていく。


「キアちゃんはどこへ行ったのかしら」


 お盆を運んできたシオンが、サイドテーブルに紅茶のカップを置いた。


「郵便配達のお仕事です。わたしもキアちゃんに負けてられないな」


 エリスは隣のシノノメの私室から折りたたみテーブルを運んできて組み立てる。そしてカバンから王立学校の教科書とノートを広げた。留学という建前でシノノメに師事している以上、学校の授業に遅れては本末転倒というもの。


「エリスちゃんも偉いわ。今朝もシノ先生との修行でくたくたなのに」

魔動師(まどうし)になるには大学に入らなくちゃいけないですから」

「私も何か、何かしないといけないわね……」


 上の空のシオンが、何事かつぶやきながら部屋を出ていった。



 ◆◆◆



 今朝、ご機嫌な足取りで魚釣りに出かけていったシノノメが、午後になってあからさまに不機嫌さが伝わる足音を鳴らして帰ってきた。

 手にしているのは釣竿だけ。獲物がどこにも見当たらない。

 ニンバスが海を荒らしまわっているせいで魚が寄ってこない、とシノノメは竿を振り回しながら憤慨していた。船なんて湾口に四六時中行き交っているではないか、とエリスは言い返しそうになったが、余計に機嫌を損ねさせるだけだと判断して引っ込めた。


「俺の数少ない人生の楽しみを奪いやがって。バラードさんだって、俺が夕飯のおかず釣ってくるのアテにしてたってのに」


 エリスは午前の記憶を思い起こす。

 ――下手の横好きっていうのかしら。あの人ってば我慢するのが苦手なの。釣りは大人の趣味って考えているのよ、きっと。

 シノノメが意気揚々と釣りに出かけた後、ベッドのシーツを換えながらバラードが密かに肩を揺すっていた。

 憤るシノノメをよそに、エリスは「なるほど」と納得していた。


「なら先生、お夕食は外で食べませんか? わたし、入ってみたかったお料理屋さんがあるんです。とってもおしゃれなんですよ。みんなで行きましょう! 先生昨日、わたしとシオンさんの歓迎会を開いてくれるって言ったじゃないですか」


 声を弾ませてエリスは提案する。

 敗北とみなされるのが悔しいらしい。シノノメは気乗りしない様子である。


「わざわざ高い金払ってどうする。バラードさんの料理じゃ不満か?」

「先生がそのおかずを逃してしまったので」


 弟子の鋭い指摘に、釣竿を担ぐ師匠はぐうの音も出ない様子であった。

 エリスはさっそくバラードを外食に誘った。

 だがしかし、予想外にもエリスの誘いは断られてしまった。バラードは皆より先に夕食を食べてしまったとのこと。台所のテーブルには確かに、空になった皿が残っていた。


「バラードさんが行けないのなら日を改めます」

「おばさんのことはいいから、先生たちと楽しんでらっしゃい」

「いいんですか?」

「キアをよろしくね。あの子、お友達少ないから」


 そうお願いされて頭をなでられた。

 バラードは花瓶の花と水を換えに二階に上がっていった。黄色い花を大事そうに手の中に包み込んでいた。



 ◆◆◆



 エリス、シノノメ、キア、シオンの四人は繁華街の洒落た料理店に訪れた。

 外食する機会が滅多にないキアは、席についてからもそわそわと落ち着きなかった。シオンは逆の意味で落ち着きがなく、天井の綺麗な照明にはしゃいだり、厨房の奥を覗き込もうとしたりして、従業員や他の客たちの顰蹙を買っていた。


「入ってよかったのかな。ボクこんな汚い服だし」


 キアは汗の染みたシャツの臭いを嗅ぐ。

 木目の内装とオレンジ色のランプが幻想的な、上品な内装にキアは気後れしている。他のテーブルで食事を楽しんでいる客も、大体は小奇麗な服装の紳士や婦人である。二等市民――特に、生活に余裕があると見受けられる層が多数を占めていた。

 王立学校の由緒正しい制服の上にケープを羽織ったエリスはともかく、オーバーオールのキアやバラードの部屋着を借りたシオン、タンクトップ姿のシノノメは若干悪目立ちしている。


「あの黒と白の服を着た人たちは誰なのかしら?」


 シオンがエリスに耳打ちしてくる。

 夕食どきのため店内は大繁盛。若い従業員たちがあくせく働いている。


「ウェイターさんですね。お料理の注文を受けたり運んだりする人です。あっ、チップを用意しないと」

「あっちの奥でながーい帽子をかぶっている人は?」


 あっち、と指差す先はカウンター奥の厨房。

 こちらも料理人たちが休む暇もなくフライパンを振り回している。


「厨房で働くコックさんです。お料理を作る人ですよ」

「なら、バラードさんもコックさんなのね」

「それはちょっと違うような」

「あの帽子、かわいいわ。私にもいただけないかしら――え、無理? 残念だわ」


 料理を注文してからシノノメが痺れを切らす頃合になって料理が運ばれてきた。

 女子三人の目が輝き、うっとり吐息を漏らす。

 エリスが頼んだのは半円形に盛られたチキンライス。シノノメはバターの香りが食欲をそそるムニエル。キアはビーフシチューハンバーグ。シオンが頼んだのは……東洋の島国の主食と言い伝えられている、炊いた米に生魚を乗せた一口大の珍妙なる料理だった。


「久々の外食も悪くない」

「ハンバーグ、おいしい。お母さんがつくるのと同じくらい」


 それを聞くなりエリスはスプーンの動きを止めてしまう。

 しゅんと萎れ、ごちそうを前にして輝いていた瞳が次第に曇っていく。


「バラードさん、本当に来なくてよかったのかな」

「お母さん、男の人と外にいかない」

「どうして?」

「わからない」

「亡くなった旦那さんへの義理立てさ」


 首を捻っていたキアの代わりにシノノメが答えた。


「キアちゃんのお父さんって、確か」

「死んじゃった。三年前」


 素っ気なく言って、キアはフォークに刺したハンバーグを食べた。

 エリスはある考えに至った――幼馴染二人が常に一定上の距離を保っていたのは、亡くなったバラードの夫に配慮していたからでは。そしてその言外による約定を部外者たる自分が破ってしまった。

 ――わたしって何やっても裏目に出ちゃうな。

 駄々をこねる子供みたいにしつこく食事に誘っていた無神経さが嫌になり、ますます食欲が失せる。


「でもお母さん、いっぱいしゃべるようになった。楽しそう。エリスのおかげ」


 普段滅多に表情を変えないキアがにっこり笑う。

 胸にこみ上げるものが迫り、エリスの視界が涙に揺れる。

 他者に肯定してもらえる喜び。

 それがエリスの身に染みた。


「ある意味、こいつは面白い奴だからな。俺も毎日飽きないぜ」

「もう、先生にだけは言われたくありませんよ」


 シノノメに水を差されたエリスは頬を膨らませて抗議した。


「コックさんというお仕事があるのね」


 シオンの興味は依然として厨房の奥にあった。

 意識が余所へ向いていたせいで、フォークの先から米の料理がぽろりと落ちる。

 重力の法則に従って床に落下していたそれは硬い床に激突する寸前、突如天井に向かって逆戻りし、主のフォークに再度突き刺さった。シオンは「まあ、すごいわあ」と素直に喜んでそれをほおばった。

 手をかざしていたエリスは「間に合った」と胸をなでおろした。


「エリスちゃんの魔法は、落っこちたお寿司を元通りにする力なのね」

「えっ、いや、そんな限定的な能力じゃない、はずです……」


 一連の出来事をシノノメが真剣なまなざしで見つめていた。

 不用意に魔法を使ったのを叱られるのでは。エリスはお叱りに備えて身構える。

 ところが師匠は別段どうするわけでもなく「寿司が好きなんて、シオンてやっぱ変な奴だよな」と今更ながらの感想を述べていた。



 ◆◆◆



「先生! シノノメ先生!」


 空腹を満たした四人が家路についていると、雑踏からシノノメを呼ぶ大声がした。

 ヴリトラが通行人たちを肩で突き飛ばし、鬼気迫る勢いで走ってくる。

 エリスたちの前に着いた彼は息切れし、しばらく荒い呼吸を繰り返してろくにしゃべれなかった。尋常ならぬ事態が起きたのをエリスは直感した。

 未だ動揺と混乱の中にある彼は早口でまくし立てる。


「人……っ、石が……死んで……ゴミ山に!」


 説明が説明の用をなさない。

 ただ、彼がどうにかこうにか吐き出す言葉の断片はいずれも不穏なものであった。


「エリスたちは家で大人しくしていろ。いいな?」


 それだけ言い残したシノノメはヴリトラを伴って第二北区へ駆けていった。

 夕日は、そびえたつ集合住宅の背に隠れつつある。

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