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魔法使いのエリス:三角帽子と夏の星  作者: 帆立
三章:その夜に星が落ちてきて
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第10話:黒い霧にいざなわれ

 シオンが部屋を出たきり戻ってこない。

 時計の長針が頂点の数字を跨いだのを機に、エリスはベッドから這い出た。

 隣の部屋ではシノノメが眠っている。階下の台所は無人。青白い月明かりに染まる中庭の共同水場も静まり返っている。

 まさか、と表通りに出る。

 嫌な予感は的中した。

 癖のかかった長い髪、背の高い女性が通りの闇に消えていく。糸で手繰り寄せられる人形のような、生命のこもっていない動き。その足取りは左右にぶれながらも着実にある方面へ向かっている。彼女への呼びかけは儚くも夜の闇に霧散する。エリスはシオンを追いかけた。

 走れど走れどシオンの背中は遠ざかるばかり。不安定なあちらの動きに対して、こちらは全速力で走っているというのに。水中をもがくのに似たもどかしい重力にエリスは焦らされる。

 追いかける影が北へ北へと吸い寄せられていくごとに焦燥と不安は増していった。



 ◆◆◆



 魔物の巣と化し、放棄された砦――瘴域(しょういき)にシオンは侵入していた。


「嫌な胸騒ぎがして来てみれば……魔法使い、てめえか」


 ガラクタの山の陰から褐色の青年ヴリトラが現れる。

 指先に灯した小さな魔法の火が、彼をオレンジ色に染めている。


「こんな夜更けにここらをうろつくなんて、よほど命知らずだな」

「わたしの友達が瘴域に……」

「この前の帽子をかぶったガキか」

「髪の長い綺麗な女の人なの」

「……ったく」


 ヴリトラは舌打ちし、バリケードを乗り越える。


「魔法使い、てめえはここで……いや、俺についてこい。絶対に離れるなよ」


 バリケードの頂上からヴリトラはエリスを引っ張り上げた。


 シオンは瘴域の入り口から近い場所にいた。

 錆びて苔むし、蔦の絡まる朽ちた砦。その正門前の地べたに座っている。

 闇夜のうえ、黒い霧が立ち込めているせいで視界がかなり制限されている。それでもエリスにもヴリトラにもわかった。彼女とじゃれあっているのが黒くて巨大な異形の怪物――獅子の輪郭を借りた魔物だと。

 立派なたてがみを梳くシオン。大人しくそばに伏せる黒き獅子。くつろぐ美女と魔物の異様な光景にエリスたちは当惑していた。

 侵入者の気配を察知した魔物が立ち上がってエリスたちに唸る。赤い目を光らせる。ヴリトラはエリスを背中にかばった。


「怒らないで。エリスちゃんは私のお友達よ」

「シオンさん!」


 牙を剥く魔物の頭をシオンがなでる。その無謀極まりない行為に、エリスは金切り声で彼女の名を叫んでしまった。

 その次の瞬間、更に驚くべき事態が起きた。シオンに諭された魔物は次第に大人しくなり、踵を返して瘴域の奥深くへと帰っていった。予想だにしなかった出来事の連続に思考が追いつかず、エリスとヴリトラは唖然としていた。


「魔物を手なずけやがった、だと」

「あら、あらあらあら」


 裸足のままで外にいる自分自身に、シオンは今更ながら戸惑っている。着の身着のまま瘴域まで歩いてきたので足は泥だらけ。地べたに座っていたので、バラードから借りた寝巻きもスカートの裾が無残に汚れている。


「私ったら、どうしてここに」


 案の定、彼女の記憶はベッドで眠りについた時点で途切れていた。

 ――まだ夢の中なのかしら。

 つねって伸ばしたり戻したり。彼女の頬は自由自在に変形していた。

 何はともあれここから出るのが先決。

 ヴリトラがシオンの腕を掴んだ――そのときだった。接触した手から火花を散らして彼が吹き飛ばされたのは。

 腕を痺れさせてうずくまるヴリトラの傍ら、シオンは平然としている。


「あら、あなただいじょうぶかしら?」

「俺に触るな!」


 ヴリトラに吠えられ、伸ばした手を引っ込めて立ちすくむ。


「触った瞬間に伝わってきた。てめえが危険な奴だってな」


 ヴリトラは指先に魔法の炎を燃やしている。シオンが不審な行動を取った瞬間、骨肉もろとも焼き払いかねない気迫である。


「そうかしら」

「……なに?」

「私は逆の予感がしたわ。きっとあなたと仲良くなれる、って」


 聖母を髣髴とさせるシオンの微笑。

 ヴリトラどころかエリスまで終始ぽかんと口を開けていた。



 ◆◆◆



 夜空を仰ぎながらシオンが溜息をつく。天に伸ばした指で星座をなぞる。

 やはりこの人は星の王女さまなのだ。故郷の星を無意識にさがしているのだ。いよいよエリスは確信する。

 寝静まった表通りを歩くのは二人だけ。ガス灯の光源で伸びる影も二人分。薄明かりから生じる影は夜の闇に半分溶け込んでいる。通りに面して建ち並ぶ二等市民・三等市民向け集合住宅の窓は、まだいくつか明かりがついている。

 最初、エリスは裸足のシオンに自分の靴を貸そうとした。

 残念ながら足のサイズの関係で、その心意気はふいになった。小柄で子供っぽいエリスと、女優と見紛う豊かな肉体のシオン。二人で靴を共有するなど端から無茶だったのだ。シオンは「その気持ちだけで嬉しいわ」とエリスを慰めた。


「……お前は」


 シノノメ宅の目と鼻と先で、曲がり角から現れた人影と鉢合わせする。

 影の持ち主はコルネリウス警部だった。

 足元から石畳に伸びる肩幅の広い影は悪鬼に似ている。


「子供は寝ている時間だ。魔法の修行か。シノノメはどうした。隣のご婦人は誰だ」

「あっ、えっと、この人は、わ、わわわわたしのお姉ちゃんです」


 脅しに近い口調で問い詰められたエリスは、震える声を絞り出す。でまかせの整合性を吟味する余裕など皆無。シオンが「あら、私はエリスちゃんのお姉ちゃんだったの?」と首をかしげるせいで、緊張は否応に増していた。


「お前を預かるシノノメは一時的ながらも保護者という立場だ。お前の不始末は奴の責任に直結する。自分の行動が誰に影響を及ぼすか、よく考えろ」


 知り合いのよしみか、コルネリウス警部は裸足のシオンを一瞥するだけで、へたくそな嘘に対する言及はあえて控えていた。エリスは彼の説教に萎縮しながらも、強張っていた肩の力を抜くことができた。


「コルネリウス警部こそ、こんな夜中にお仕事ですか」

「どこぞの馬鹿が毎度毎度騒動を持ってきてくれるおかげでな」

「昨夜の隕石事件についての捜査ですか?」


 流れ星の落下事件は今朝の朝刊で大きく取り沙汰されていた。

 港湾都市アクア近海に落ちたそれの調査をするため、後日海軍が派遣される予定である。野次馬が集う港の写真が添えられて紙面に書かれていた。外国や武装勢力の兵器の可能性も視野に入れて市警察も協力するという。

 自分が隕石事件に関わっている可能性を捨てきれないエリスは、他人事ではいられない。召喚術に失敗してシオンと出会った夜からずっと気を揉んでいた。


「あの、あのあのあの、隕石の正体ってわかりました?」

「……藪蛇という言葉を覚えたほうがいい。俺がせっかくお前たちの夜遊びを目こぼししてやっているのだからな」


 胃の底まで響く声色に震え上がったエリスは「ごっ、ごめんなさい!」と言い残し、シオンの背中を押して一目散に逃げ帰った。



 ◆◆◆



 あくる日の朝刊を、エリスはパンケーキを口に運びながら読みふけっていた。

 長々と新聞を独占されており、シノノメは腕組みで苛立ちをあらわにしている。

 エリスが首ったけになっているのは、もっぱら紙面にでかでかと載っている軍艦の写真であった。隕石の回収に訪れたそれは退役した軍艦『ニンバス』を工作用に改造したもので、引き上げ用の巨大クレーンがチャームポイントである。

 海水をかき混ぜるスクリュー、煙突から豪快に吹き上がる煙と水蒸気、心臓部で膨大なエネルギーを生み出す軍事用魔法動力機関。想像するだけでエリスは目じりが垂れて、よだれが口から落ちそうになった。


「いつまでにやついてんだ」


 シノノメに朝刊をふんだくられて正気に戻った。

 シノノメはベッドに寝そべって新聞を広げ、行儀悪く素手でパンケーキを食らう。

 新聞を奪われてしまったエリスは窓枠から身を乗り出して、二階から見える港に目を凝らしていた。お目当てはもちろん、海上に浮かぶニンバス。ニンバスは他の船舶よりも一回り大きく、遠い場所からでも目立っていた。


「花瓶、倒すなよ」


 シノノメに注意されて、エリスは窓辺の花瓶をサイドテーブルに移動させた。ガラスの花瓶には新鮮な水が満たされており、薄桃色の小さな花が一輪、飾られていた。



 ◆◆◆



 朝食の後はいよいよ朝の修行。

 三角帽子とケープを身に着けて、樫の杖も忘れない。


「ボクも先生たちと行くよ」


 シノノメのズボンをキアが引っ張る。

 エリスちゃんたちの邪魔になるわよ、と家政婦のバラードが娘をたしなめる。

 不服そうに眉をひそめるキアの頭をシノノメが荒っぽくかき混ぜる。


「構わないさ。久しぶりに俺と散歩だな、キア」


 頬を上気させたキアはさっそくハンチング帽をかぶった。


「ごめんね、ワガママな娘で」

「いいってことよ。レアの昼食、楽しみにしてるぜ」

「シノくんの好きな料理、いっぱい作って待ってるわ」


 胸を張ったバラードは三人を見送ってからさっそく台所に戻っていった。


「待ってぇー」


 雑踏の喧騒に混じって間延びした声が聞こえてくる。

 シオンが両腕を前後に振りながら表通りを走ってくる。人ごみをかいくぐって、ときどきぶつかって。力の限り振り回す腕の動きに対して脚の動作はのろまで、エリスたちを追う速度は残念なほどに遅い。

 たっぷり時間をかけて三人に追いついた彼女は膝に手をついて息を切らす。


「私も連れていってくださいな。黒い霧のところへ行くのでしょう?」

「いえ、瘴域へは――」

「待て、エリス。今日は瘴域へ行くぞ」


 昨夜の奇妙なできごとを聞かされていたシノノメは、何か思うところがあるらしい。今日の修行は急きょ、瘴域の観察に変更された。


「私、あそこにいるとどうしてか落ち着くんです」


 記憶喪失の王女さまは無邪気に喜んでいた。

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