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魔法使いのエリス:三角帽子と夏の星  作者: 帆立
一章:魔法使いは魔動師に憧れて
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第1話:エリスの戦い

 エリスは今、巨大トカゲの怪物と対峙している。

 非生物的な黒一色で硬質の皮膚。爬虫類に酷似した輪郭。邪悪な気配をまとったその怪物は、ぎらつく赤い眼でエリスを捉えている。獲物を狙う捕食者の眼だった。

 つい先ほど、その怪物が荷馬車の馬一頭を丸呑みしていたのをエリスは目撃している。年端もいかぬ十二歳の少女を口に放り込むなど造作もないだろう。

 へっぴり腰で怖気づく本人とは裏腹に、遠巻きにエリスの戦いを見守る港の人々は彼女に期待のまなざしを注いでいた。

 魔法使いがきてくれたならもう安心だ、とでも言いたげに。

 分不相応な期待をされてしまうのはエリスにも原因があった。

 つばの広い三角帽子にフリルがあしらわれたケープ。おまけに身の丈もある樫の杖ときたら、誰もがエリスを魔法使いと認識するのは必然だった。確かにエリスは魔法使いだが、実のところ戦闘魔法の一つも習得していない、ひよっこ魔法使いだった。


「なんで街中に魔物が。わたし、魔物なんて本でしか見たことないのに」


 街の港はその怪物――巨大トカゲの魔物一匹によって破壊しつくされていた。

 船から下ろされた積荷の箱は踏み潰され、果物や魚がそこかしこに散乱したり焼け焦げたりしている。血を流していたり足を引きずったりしている者も大勢いる。

 ほんの少し前まで、エリスは呑気に蒸気船を眺めていたというのに。

 貿易で賑わうはずの昼間の港は恐慌と戦慄に支配されていた。

 港を突破されて市場や繁華街に侵入されたら、何万という市民たちにも被害が及ぶ。


「せ、せめて警察か軍の人たちが来るまでわたしがなんとかしないと。わたしはみんなを幸せにする『魔動師(まどうし)』になるんだから、に、逃げちゃいけないんだ」


 にじんだ涙を震える手の甲で拭う。口元はまだ頼りなさげに波打っている。エリスは逃げ出したくて逃げ出したくてたまらないのを瀬戸際で踏ん張っていた。

 次の瞬間、地に張り付く両脚をバネにした魔物が跳びかかってきた。


「こっちにこないで!」


 杖を突き出してエリスが叫んだ。

 彼女を丸呑みにせんと大口を開けて襲いかかってきた魔物の身体が突如、物理法則を無視して中空で急旋回する。エリスが命じたとおり魔物は直角に曲がって、置き去りの荷馬車に激突した。古い木製の荷馬車は、巨大トカゲの大質量の体当たりを食らって粉砕された。レンガ組みの倉庫も勢い余って破壊された。

 ――魔物の動きを操った!

 ――魔法を使ったのか!

 見守る水夫や商人らが沸き立つ。

 歓声はすぐ喚声に変わった。巻き上がった粉塵が止むと、魔物は木片とレンガの瓦礫から這い出てきた。漆黒の皮膚にはかすり傷すらなかった。

 開かれたままの口の奥で赤い熱が光る。魔物は炎の塊を口から発射した。

 エリスが再び腕をかざすと、射出された火炎の玉は彼女の身体を紙一重で逸れて背後の集荷トラックを火だるまにした。

 耳が熱い。

 毛先の焦げる臭いがする。


「もうダメ。お腹へった」


 腹を押さえながらへたり込むエリス。


「魔法が使えたって、やっぱりわたしはドジでのろまで不器用でチビで泣き虫なんだ」


 拭ったはずの涙がまた溢れ、瞳を揺らす。


「わたし、ここで死んじゃうのかな」


 垂れてきた鼻水をすする。


「将来立派な魔動師になって、魔法動力機関を搭載した船や車をいっぱい造りたかったのに。今朝のハチミツトーストとハチミツコーヒー、ちゃんと味わって食べとけばよかった。お父さんとお母さん、お兄ちゃんたち、心配してるかな」

「おいおい小娘。両親や兄弟もいいけどよ、肝心な誰かを忘れてないか?」


 独りごちた弱音に返事をされて、エリスは驚いて顔を上げた。

 エリスの前に、背の高い痩身の青年が立っていた。

 その外見から二十代半ばから三十代前半と推察される。

 青年は湾曲した鞘に納まる異国の剣『太刀』を腰に差していた。

 魔物が口から無数の触手を伸ばす。

 人間の動体視力ではとても追いつけない速度の、舌に似た触手。たった一本に巻きつかれただけで、たちまち口の中に引きずり込まれて体内の炎で焼かれた後、骨も残さず消化されるであろう。よしんばそれらを回避できたとしても、鞭のように叩かれて皮膚を裂かれれば重症は免れない。

 青年はそれをも超える速度で攻撃を迎え撃った。

 踏み込みと同時に、鞘から太刀が素早く抜かれた。

 一陣の疾風。

 刀身が真夏の日差しを受けてまぶしく閃く。

 目にも留まらぬ太刀筋によって触手は一本残らず細切れにされた。まばたきの刹那に青年は幾重もの剣閃を繰り出していた。

 破れかぶれに射出される魔物の火炎球。青年が腕を掲げると薄い光の壁が目の前に出現し、それをいとも容易く相殺した。

 青年は間髪いれず追撃を繰り出す。掲げた手から電撃魔法がほとばしり、後ずさりして逃げる魔物に追い討ちをかけた。

 感電して激痛にもだえる魔物のそばを水平に跳ぶ。

 頭からしっぽの先まで、一瞬ですれ違う。

 何者にも捉えられぬ、神速の太刀筋。

 横一文字に振りきった太刀を鞘に戻したその瞬間、巨大トカゲの身体は上半分と下半分まっぷたつになった。

 絶命した魔物は黒い煙となって跡形もなく消滅した。

 人々の興奮と歓喜が緊張の糸を断つ。

 取り巻く人々は「さすが先生だ」「魔王を倒した英雄なだけあるぜ」と口々に彼を賞賛していた。

 青年はエリスに手を差し伸べる。


「いっちょあがりだな。ほら小娘、いつまで尻餅ついてんだ」

「あっ、ありがとうございます。助かりました」

「お前もついてないな。魔物が人里に迷いこんでくるなんて、年に一度あるかないかだぜ。ったく、軍も警察もしゃきしゃき動けよな。高い税金払ってやってんのに」


 エリスを引っ張り起こしてから、青年は朝飯前といったふうに背伸びとあくびをした。

 エリスは青年の顔をじっと覗きこむ。

 腰にぶら下げた太刀。痩せた体躯。皮肉を好みそうな飄々とした顔つき。さがしていた人物と一致する。


「あの、あのあのあのあの。あなたがもしかして『先生』ですか?」

「ああそうだ。俺が――」


 両腰に手を当てて仁王立ちを決める。


「今日からお前の魔法の師匠になるシノノメだ。直々に迎えにきてやったぜ」


 痩身の青年――シノノメは白い歯を見せてキザに決めた。

 スカートの埃を払ったエリスは丁寧にお辞儀をする。


「わっ、わたし、王都からやってきました王立学校六年生、エリス・マキナといいます。シノノメ先生、これから一ヶ月間、どうぞよろしくお願いします! わたし、立派な魔動師になるために、いっしょうけんめいがんばります!」

「魔法使いとしての誇りは多少なりともあるみたいだな。エリス、お前の戦いぶりは見物させてもらってたぜ」

「わたしが戦っているところ、ずっと見ていたんですか」

「悪く思うなよ。魔物退治のついでに入門試験を兼ねてやったのさ」


 それからほどなくして、市民の通報を受けた市警察の車両が駆けつけてきた。

 そして、エリスとシノノメは――警察署に連行された。

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