~初めてのキスは、人では無かった。~
参ったな、俺はこれまでストレスを感じない体質だと自負をしていたのだが、それは思い込みというだけであり、精神的にも肉体的にも俺の心身は疲れきっていた。
爆発に巻き込まれて? 異世界に飛ばされて? 食われそうになって? そしたら人間じゃない奴に助けられて? その子を追いかけようとして倒れた?
今日、俺の身に起こったことを、向こうの世界で目覚めてから時間換算してみると、なんと、まだ半日しか経っていない計算になった。
数分おきに自分の身に起きたことといえば、死にそうな目にあっただけなのだが、なるほど、今思い返してみれば納得がいくほどの膨大なストレスに悩まされていることになる。
挙句の果てには、俺の言葉が通じないときた。
あ、でも、俺はまだあの子と喋っていないっけか。
だからと言って、俺の耳に届いてきたのは、英語でもなんでもない、言葉だ。漫画とかで例えるなら吹き出しの中の言葉の欄がハングル文字となっているに間違いない。
あ~、さてと、これからどうしようかな? まぁ、とりあえず目を覚まさない限りは前に進まないの、せーので起きようか。
せーのっ!!
「………んっ!?」
目を覚ますと、俺が今置かれている状況に、頭の中で埋まっていた半日までの出来事が白紙になる程の衝撃によって、上書きされてしまった。
異性のしなやかな指が、俺の頬に手を添えて、挙句の果てには女の子の唇が俺に触れていたのだ。彼女のさらっとした髪の毛からいい匂いがする。
女の子と視線が合うと、何事も無かったことのように離れると。
「目は覚めた?」
「………」
まだ俺の頭の中では情報整理が出来ていない。呆けた顔を浮かべているに違いないだろうが、それでも、今のはなんだったんだ? え? 俺キスされたの? しかも、女の子に?
「いやっほぉぉぉ!!!?」
起き上がって俺は天井を突き破るような勢いで飛び上がって喜んだ。
オーバーすぎると諸君は思うかもしれないが、生まれた年齢イコール、彼女なんか出来なかった年齢と同じと考えてて欲しい。
しかも、目を覚ますと可愛い女の子にキスをされて起こされるなんて最高の起こされ方だよ。飛び上がるしかないだろうに。
「安静にしなさい!」
「あっつぅぅぅぅぅぅ!!?」
背中が焼かれたような錯覚に陥った俺は、飛び跳ねるのを止めてジンジンとする背中を見ると、本当に服が燃えていた。
「うをっぉぉぉぉぉぉ!!? 燃えてる!? 俺、燃えてる!?」
服を急いで脱ぎ、バンバンと服を叩いて沈下させる。ほっと一息ついている所に女の子は「騒がしい人ですね」とバッサリと切るような物言いで腕組みをしていた。
「人をいきなり燃やしといてなに……を?」
あれ? 今思えば、いま俺たちって会話をしているのか? 急に冷静になると不可思議な現象に首を傾げることしかできなくなった。
「なんで?」
「今置かれた状況が分かっていないようですね。まぁ、それもしょうがないですけど」
女の子はベッドの傍らに立て掛けてある椅子に座る。
黒い髪に赤い瞳、耳は俺たちの世界で言うとエリマキトカゲみたいな感じのような形が耳である場所に生えており、体全体を覆うようなブカブカな服を来ていて、ちょろちょろと視界の隅に現れている蛇みたいな物体は、辿ってみると女の子のお尻の位置まで伸びている。
そして、俺は理解する。
この娘は人間じゃないと。いや、そもそも火を吐く時点で人間じゃないとは分かっていたが、冷静になって考えるとやはり非人間じゃない女の子と初の唇を奪われたのかと思うと…う~ん、でも、正直好みの部分に入る顔立ちをしているし、何より、あんまり人間と姿が変わらなかったのが唯一の救いと考えればいいのだろうか?
「なぁ? ここどこ?」
突発に出てきた言葉が場所の確認とは、いやまぁ、普通はそうするだろう。無人島に行き着いて孤独で場所を探索するよりは、この世界の住人が目の前にいるわけだ。
「ここですか? 私の家ですけど」
「あぁ、いや、そうじゃなくて」
ん? そういえば、なんで会話ができている事を先に聞かなければならないのが先決じゃないか。まずはこのことから聞かないとな。危ない危ない。なにが危ないのかとかは言葉の流れとして受け取ってちょうだい。
「なんで俺と君は会話ができるんだ? あの森で会った時はわからなかったのに」
「先ほど貴方と口づけを交わした際に、この世界の標準言語を組み込ませました」
「はっ?」
「ついでに、貴方がどこの種族なのかも理解するために採血もしたのですが…」
女の子は思い出したように、椅子から立ち上がってベッドに両手を付けて顔を近づけた。ふわりとした女の子の匂いに、鼻の下が伸びそうなのを堪えながら女の子の目を見つめるが。
うわ、五秒も合わせてらんねぇ! 気恥ずかしい。言っただろ!? 女の子とはあんまり話したことがないってさ!
「貴方はどこの種族なのですか? 私たちみたいに赤い瞳をしているわけでもないし、エルフのように耳が長いわけでもない。獣人のように変化をするようには見えないし、吸血鬼のように陽に弱くも無かった。一番近い鬼の種族かとも思いましたが、角はどこにも無かったので違う」
ずいずいと近づいてくる顔に、心臓がバクバクだ。キスをされたおかげでこの女の子の口元が妙に気になって仕方がないし、目を合わせ辛さが増してくる。どこに視線を漂わせればいいのかわからなかったから、首元から徐々に目線は下に下がり、行き着いたのは胸だった。
なんとまぁ、だぼ付いた服の上からではあまり分からなかったけれど、意外とこの女の子のスタイルは良い。ていうか、ブラをしろブラを! 丸見えじゃないか!
「俺は人間だよ。にんげん! なんでだよ? 人間を知らないのか?」
動揺しまくりの俺の声は、なんだか震えていて、すごく……情けなかった。
「ニンゲン?」
「そう、人間だよ」
ニンゲンと言った時の彼女は、本当に知らないのか、首をかしげながら俺から離れる。
「う~ん、これまでに人間という種族は発見されなかったので、私にはなんとも言えませんが」
なんともって言って困ったような顔をされても、俺が困るだろうに。大体、眉を八の字にして悩む姿が可愛らしい――じゃなくて、俺以外にこの世界には人がいない? なんで? この女の子だって俺みたいに似ている造形をしているじゃないか。
種族とか言っていたっけ、この子。
「ところで貴方は、なんであの森にいたのですか?」
「あ? なんでって、気がついたらあそこにいたんだよ」
「気がついたらって…」
ジト目をしながら、女の子は俺を見つめる。
「しょうがないだろ? 事実なんだからさ」
「ふ~ん? でも、見つけたのが私でよかったですね」
女の子はニッコリと笑う。だが、その笑みは、こちらの背筋をゾクリと感じさせるほどの邪悪さで染まった笑顔だった。
「私以外の人に見つかったら、間違いなく殺されていました」
「………へっ?」
殺されていた? なんで?
「貴方がどこの種族か分からないまま排除されてしまいますよ」
彼女の話は、俺の疑問なんて知ったことかと言わん張りに淡々と喋っていく。
「私たち、竜人の種族は、あんまり他の種族と交わろうとしないのです。昔から我々は高貴な種族であるのです。だから、他の種族なんかが我々の陣地に入ってきたら、迷わず殺しています」
「だからって…それは」
「酷いというのは分かっていますよ。でも、昔からの仕来りなので誰も咎めません」
彼女の話はそれで終わった。
だが、やはり一つだけ引っかかることが合った。
「なんで、俺を助けたんだよ? 仕来りなんだろ? それを無視してもいいのかよ?」
俺が一番聞きたいことを聞く。助けたことには何処か意味があるのだ。ボランティア精神という言葉が俺の世界にはあったが、助けたかったから助けたとか、理由のない理由がある。かくいう俺だって、ボランティア活動をしたことがあり、他人の笑顔を見るのがたまらなく心地良かったのは今でも覚えてる。
だから、彼女が俺を助けた理由だって――
「あぁ、それですか?」
彼女はあっけらかんに言葉を発すると、俺の予想を遥かに上回った返答が帰ってきた。
「そうですね、それじゃあ、貴方の右手を見てください。それ、私が採血した跡なんですが」
俺は裾を捲って右手を見ると、その腕には何やら紋様が浮かび上がっていた。これ、タトゥーか何かだろうかと思い、軽く指でなぞってみるが、落ちる気配はない。
そもそも、タトゥーって落ちたっけと、やったこともない事に疑問に思いながら、紋様を擦っていたら、彼女が何やら話していたので、耳を傾けると。
「それ、落ちないですよ? 私と契約を交わした紋様なので」
「は? 契約?」
彼女は頷いて、ニッコリと、またまた邪悪な笑顔を浮かべる。
「貴方はこれから私の奴隷です。ちょうど、私に使えてくれる人がいて欲しかったのですよ」
「な、なにぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!?」
冗談じゃない! 一生をこの女の子に付き従うだって!? ……良いかも。じゃなくて!!?
「それじゃあ、まずは名前を聞かせてください従僕」
わ~お、なんかいきなりハードルが高い呼び方されたよ。
「国後楓」
渋々言うように俺は名前を告げると。
「クナシリカエデ? ふふ、変な名前ですね」
クスクスと笑う笑顔は、さっきみたいに邪悪なものではなく、本当に可愛らしい少女の笑みで、正直に思ったのは、この子に付き従えるのなら、それはそれでいいのかもなって考えてしまったことだ。
「それじゃあ、カエデ。私の名前を言いますから、ちゃんと聞いてくださいね?」
「はいよ」
名前を交わすだけでも、なんだか大げさだなぁって思いつつ、俺は彼女の名前を聞いた。
「私の名前は、カンナ。カンナ・カムイ。カンナが名前で、カムイが性です」
名前をお互いに交わしあったところで、俺はカンナに手を差し伸べる。
「なんですこれ?」
「握手だよ。知らないのか?」
彼女はむっとした表情で「そんなことは無いです!」と怒鳴ったが、結局意味がわからないまま、俺の手が触れたのは尻尾だった。
「なんだ、結局知らないんだ」
俺はベッドを擦ってカンナの傍にまで寄り、彼女の手をとって手の平を握る。
「これが握手。まぁ、俺の世界でいう、挨拶みたいなものだよ。よろしくなカンナ?」
「む、従僕のくせに呼び捨てとは生意気ですね。まぁ良いです」
一言余計だなって思いながら、彼女もぎゅっと握り返してきて。
「よろしくね、カエデ」
こうして、奇妙な繋がりを持ってしまった俺は、カンナと一緒に、世界を改変するまでの物語に発展するなんて、誰が思っていたのだろうか。