010110_知識と記憶【Knowledge and Memory】
ほむらと月見里は学校付属のホテルの一室で、向かい合ってベットに座っていた。オートロックの電子錠が開かないと分かってから数分後、二人は諦めて復旧を待つことにした。
「ねぇ、停電って何?」
「え……。停電は……電気が止まる、ことかな?」
「電気? 止まるってどゆこと?」
「ええと……」
停電の仕組みを説明しても全く理解してくれないほむらに、どう教えて良いか分からず月見里は戸惑っていた。
少しばかり、常識があるようである月見里だが、停電という概念はこの街の常識ではない。この街の大半が、人生で停電を経験したことがない。さらに、電気という概念でさえも、広く知れ渡っていないのだ。
「どう説明しよう……。それより、何で私は知っているの?」
科学技術の発展により、超安定的な電力供給システムが出来た。枯渇しない電気量と強靭な送電網、さらに電磁誘導のワイヤレス電源駆動。この三つによってこの街の全ての電子機器が動いている。
日常的に電子機器を使っていても、電気を意識することが出来なくなっているのが、一番の原因である。電池交換や電源プラグの煩わしさを知らない人には電気の概念が無いことも納得出来る。
「ほむらちゃん、電気って分かる?」
「知ってるよ! 大雨の日とかに『ドッカーーン、ゴロゴロ』ってなるやつ!」
「た、確かに、それは電気だけど……」
当然のように、ほむらは電気というものがよく分かっていないようだった。別に月見里が説明をする必要はないのだが、部屋に閉じ込められた状況で話す事もなく、仕方なく月見里は説明を試みる。
「ドッカーンって音がするのは、大きな力がいるって分かるよね?」
「う、うん。太鼓とか、そうだね」
「その大きい力を使って、この世界の色んな物が動いてるの。そのドアとかバーチャルの機械とか」
月見里は説明をしながら、本当に合っているのか不安になった。そもそも自分の事がよく分からないのに、この世界の常識を越える事を知ってる。それが本当にこの世界で通用するかも分からずに、こんな説明をしていて良いのかと疑問に思った。
「電気というのはわかったよ。でも、どうして止まるの?」
「それは……」
今、確かに電気が流れていないので止まってはいるのだが、なぜ止まっているのかは知識だけではわからない。大体、停電の理由なんて幾らでも考えられる。
月見里が答えられずに口を閉じていると、ほむらが申し訳なさそうに言った。
「もういいよ。電気が分かれば十分だよ? よみちゃんって本当に凄いんだね!」
「……そっか。でも、凄いってどうして?」
「えっとね、私の知らないこととか色々知ってるし、教えるのが上手なところかな。あ、私って教えられても全然わかんないの。凄いでしょ」
凄い、とほむらが言うと、月見里の顔色は暗くなった。
確かに、自分よりも知識があってそれを使いこなす事が出来る人は凄い人なのだろう。そうならば、ほむらの言ったことが説明できる。
しかし、その意味合いであるなら、月見里から見ても月見里は凄い人だ。自分がなぜ知っているのかも知らずに、出所不明の知識を使いこなせている。それは自分の知らない月見里が凄い人であると、かつての月見里は凄い人だったと、意味している。
「わ……私の知らない私ってどんな人なのかな?」
「んん? よみちゃんは一人しかいないよ?」
一人しかいない。その言葉はほむらが事情を分かっていないまま、言ってしまった言葉だろう。そうであっても、前のとか今のとか、そんなこと関係なしに月見里は一人しかいない。どんな人でも一人しかいない大切な存在だと月見里は思った。
「……よみちゃん、大丈夫?」
「え!? あー、うん。だ、大丈夫だよ」
月見里がほむらの何気ない言葉に感銘を受けていると、その様子を心配したほむらが声をかけてきた。余計な心配をさせてしまったことに謝罪の念を抱きつつ、その行動に感謝をしたいと思った。
「私、この先どうやって生きていこうか、ずっと不安だったの。これからもずっと知らない自分がついてきて、自分の知らない知識があることに怯えながら生きてく、そんなのイヤだった」
突然、月見里が長く語り出したことにほむらは一瞬驚いたようだったが、直ぐに真剣に耳を傾けて話を聞いた。
「でも、ほむらちゃんの言葉で私は一人しかいないって分かった。過去に居た私でも、今の私でも、さらに未来の私でも、何も変わらない。記憶なんて、過去の累積でしかなかったの。だから、ゼロからのスタートでもいいかなって思えたの」
「あれ? 私ってそんなこと言った……かな?」
ほむらは自分がなんて言ったのか思い出そうと、記憶を掘り返すものの一向に思い出せない。過去の記憶の累積であるのに、部分的に欠落してしまうのは、ほむらでなくとも起こりうることだ。
そういった、スカスカのスポンジみたいな記憶の累積をしていって、今の自分がある人に比べれば、月見里のような全ての記憶が今日一日しかない状態は凄いはずだ。スポンジを押し潰した嵩と、月見里の記憶全ての嵩が等しいくらいなら。
「ほむらちゃん、本当にありがとうね。私、自分に自信がついたよ」
「えへへ。私が何かしたっていうのは良く分からないけど、よみちゃんが分かってればいいかな……よっと」
ほむらは照れ臭そうに表情を緩め、月美里の右隣に腰を落として右手を握った。
「ほむらちゃん?」
突然、隣に来て手を握られて驚いた月見里は声をかけた。
すると、ほむらは月見里の手を握っている自分の手を離して、一人が座れる位のスペースを開けて座り直した。
「わははは。ご、ごめんね。別に私は百合とかそんなのじゃなくて、よみちゃんが好きって訳でもないし……。あ、好きじゃないけど、友達としては好きだよ。尊敬して崇めたい、いや、だから私は普通の人だからね?」
はじめは両手を世話しなくぱたぱたぱたぱたと動かしていたほむらだったが、急に背中を丸め込んで縮こまって恥ずかしそうにしだした。そうかと思えば、今度は片手だけを動かしていた。
「ほ、ほむらちゃん……。友達って?」
「ととトモダチ? そう、友達だよ。私とよみちゃんで友達。ダメだった?」
友達。その言葉に何か引っ掛かるような感覚が月見里を襲った。とても響きの良いもので、きれいに聞こえるが、そうとも限らないと知識の奥底から込み上げてくる。
記憶のない月見里には友達がどういった関係で、何があるとかが全くわからない。
月見里は新しい記憶の中で友達を知りたかった。
「嫌じゃないよ。こちらこそ、よろしくね」
「うん!」
二人の間の一人分の隙間を、月見里が動いて埋めた。その隙間と月見里が重なって、ほむらとピッタリと隣り合った。
クリーム色の制服に光を受け、二人は手を握って窓の先を見る。
小田原の町の果てに光輝く海が近くにあると思えた。




