010101_エリートの屈辱【Humiliation of the elite】
黒い空間が一瞬にして白く光ったかと思うと、頭がぼーっとして意識が遠くなっていった。バッテリーが切れて、VR空間からの強制ログアウトによる、魂の喪失が起きたのだと瑠璃川は思ったが違った。
意識が遠くなる感覚があってから、間髪を入れずに瑠璃川は目覚めた。
周囲にはおびただしい数の人がいた。瑠璃川は仰向けになって上を見ていたが、視界の右半分は救急隊員で、反対側にはスーツを着た人が写った。
「気が付きましたか、社長。記憶に異常は無いですね?」
瑠璃川の左側から、床に座って声をかける人がいた。
午前中まで会議があったので今日会うのは二度目だが、間違いなく、秘書の野田梅郷だ。
どんな人であれ秘書をつけるとなったら、自分好みの人を選ぶのが当然と言うか、必然的にそうなってしまう。もちろん、瑠璃川の秘書もそうして選ばれたのだが、全てが納得いくものではなかった。
「大丈夫、みたいね。まさか、ネットワークから追い出されるとは……」
「色々と厳しい状況なので、報告しますね」
野田の……いや、野田さんの報告によると、本当に大変な状況のようだ。
まず、最初に何が起きたかと言えば、今日未明、2時51分40秒から41秒にかけて、山北の第六天天文台で高エネルギー反応を検出。その6時間後、小田原工科高校の地下倉庫で原因不明の火災が発生。そしてさらに6時間後、サイバー攻撃による停電。
偶然にも、全てが6時間間隔で発生しているが、それ以外にも共通点があった。
なんと、第六天天文台、小田原工科高校、そして街の総電力を賄う海上プラントのサーバー、これらの被害を受けた施設が全て同じ経度にあるのだ。
偶然に全てが6時間間隔だった。
偶然に全てが同じ経度にあった。
全く関係のない事象が偶然にも関係性が有るように見える。本当に関連が無いのならば、問題の重要性は下がる。
しかし、そうでない場合――何かの繋がりがあるとき、想像できない程の結末があるはずだ。
現状では何も分かっていないものの、事の重大さは大きく見積もっていた方が安全だ。
「サイバー攻撃の解決が最も楽に犯人を特定出来るわね。もう進んでる?」
「計画は出来ていますが、何しろ先程電源が復旧したばかりですので。早くて明日の朝には、遅くとも二十四時間以内に、何としても犯人を特定させます」
「……そう。よろしく」
瑠璃川は起き上がると周囲を見渡した。どうやら、四人で座っていたテーブルからはだいぶ離れていて、そこには救急隊員に加えて白衣の人が何かをしている。
気になった瑠璃川は野田さんに頼んで、白衣を借り、それを制服の上から羽織る。そしてその格好で白衣の集団に溶け込んで、色々見て回った。
どうやら科学捜査の集団の様で、電磁波、放射線を測定したり、脳波を測ったりする専用の機械がある。
「……ぁ」
瑠璃川はあるものを見て、小さく言葉を漏らした。
そこには二人、神楽坂と美佳が横たわっていた。体のあちらこちらに電極が張り付けられていて、目を逸らしたくなるような姿だった。髪や服が乱れた姿は計測の為には仕方のない事だったが、瑠璃川は分かっていても受け入れがたかった。
「み、みかぁぁ!!」
瑠璃川は周りにいた科学者集団を押しのけて、美佳の隣に寄り添い、声をかけた。
「美佳……。起きてよ、ねぇ。もう友達を失いたくないよ……」
美佳の肩に手をかけ、軽く揺すっても全く起きる気配がない。瑠璃川は美佳の体に纏わりつく無数の電極を、乱暴な丁寧さで外していった。大体、外し終えると乱れた髪や制服を直していった。
ある程度、整えてから瑠璃川が美佳の両手を取って、握りしめて言った。
「私、あなたが一番古い友人なの。記憶があって、一番長い時間、一番楽しい時間を一緒に過ごせたのよ」
握りしめた美佳の手を瑠璃川は胸の前に寄せて、祈るようにして涙した。
「絶対、助けるから」
瑠璃川の背後では白衣の人が何かを話していた。その話を聞く限り、脳波が正常でないために神経が伝達しないそうだ。魂云々の前に脳が肉塊では助けられる物も、不可能となってしまう。特殊な昏睡状態だ。
神楽坂と美佳と同様に瑠璃川も、同じ条件で脳に影響を受けたはずだった。しかし、瑠璃川に異常はない。さらに、その理由さえも分からないそうだ。
再び、脳の活動が再開するには多くの運が必要となる。
「何で私だけが助かったの? どうやって助ければいいの?」
美佳に向かって瑠璃川自身に問いかける。その想いが届かないと知りながら。
瑠璃川は秘書の野田さんに言って、二人を力の限りを尽くすように言った。
「事件解決が出来ても、人命が失われればこの街の信用は下がる。絶対、誰も死なせないで」
「私情は関心しませんが、一般性はあるでしょう。言われた通り、絶対に信用は下げません。」
「私情は……。それより、私、絶対なんて言葉を使ったのね。この世の理を越えてまでも……。絶対を越えて絶対を願うなんてパラドックスでしかないわ」
瑠璃川は絶対という言葉を嫌った。絶対に助けるとか不可能だと十分に理解していた。
どんな事象にも誤差は存在する事実があれば、絶対的な法則が正しいとも限らない。絶対なものは光だけが唯一正しく、人間がその域に達することは出来ない。
だから、自身が絶対にと使ってしまうことが、どれだけ愚かなことか瑠璃川は知っていた。
「神楽坂……。神楽坂だったら、私が嫌うものも、その理由も、当然のように分かってしまうんだろ?」
今度は神楽坂の傍に行って、電極を剥がす。
「最近の私はずっとトップで、誰もが私よりレベルが低くて、安心していた。偉ぶって自惚れして、イキがってたと言ってもいい。でも神楽坂がテストで軽く抜き去った。会話していても、私は常に敗北感を感じていたかもしれない」
瑠璃川は仰向けになった神楽坂の上に跨がって、彼の額をやさしく撫でる。
額を撫でたその手は小さな振動をしていて、瑠璃川はそれを信じられないとばかりに、自分に戸惑っていた。
なぜ、私がこのような感情を抱いているのか。
なぜ、神楽坂相手にこんなにも震えるのか。
瑠璃川にはその理由が全く分からず、戸惑っていた。そもそも、瑠璃川自身にとって、敗北したのは初めてであって辛いものもあっただろう。エリートが集まるクラスで勝負をすれば当然、エリートが惨敗ということが起きる。つまり、井の中の蛙大海を知らず。
井の中の蛙が大海を知ったら、大海の中の蛙となる。結局、蛙であることは変わらず、瑠璃川も何度かそのような事を経験してきた。環境が変わっても常にトップでいたのだ。
「神楽坂の事を知ってから二ヶ月、私は何度も負けたわ。わ……私があんたに、理不尽に当たっているのも、なんとしてでも勝ちたいから。」
神楽坂の両肩に手を置いて、瑠璃川は力を加える。瑠璃川は顔と顔を限りなく近づけた。額と額がくっつきそうな位、接近して言った。
「私はあなたを何としてでも助ける。あなたの為じゃなく、私の為に。私が負けたまま、神楽坂が居なくなったら、もう立ち直れないわね。絶対に助ける。そして、絶対に勝つ」
そして瑠璃川は額と額を完全に密着させて言った。
「宣戦布告よ!」
瑠璃川はその場から離れて、周りの大人達にその場を任せた。美佳と神楽坂は担架で運ばれ、寝ていただけの志那水も医師に連れていかれた。
瑠璃川は自分の湿った目を、制服の袖で拭った。赤くなっていたのは涙の為だけではなかった。