001010_私は好きじゃない!【It's not my cup of tea!】
瑠璃川はさっき倒れこんだソファに座った。ソファの右側に座って、腕組みをしながら足を組んだ。
調子がいいのか、普段は絶対にしない髪型を整えるといった動作をしているところから見てよほどうれしいのだろう。
「ひめ……じゃない、月見里さん。ドアのカギをかけてくれる?」
「……かぎ? あ、わかったよ」
月見里はドアに向かっていき、扉を閉める。すると、『ガシャン』という金属がぶつかる音がして、『ピッ』という電子音が響く。この街では木製の扉はほとんど見かけず、さらにカギも電子式の、金のかかった、重装備になっている。
将来、宇宙に行ったら当然のように密閉された空間となるわけで、もうすでに実験段階からこのような取り組みをしているのだそうだ。
「今回のこの事件について、セキュリティレベルAAAの機密とする。神楽坂、言ったら体がはじけ飛ぶわよ」
「はいはい、言いませんよ! それより、パラレルワールドって……」
神楽坂は首をかしげる。コロコロと変化する瑠璃川の考えにはついていけないようだった。
その様子を見て瑠璃川も首をかしげている。
「なぁ、さっき量子論は嫌いだって言ってなかったか?」
「嫌いとは言ってないわよ? ただ……」
瑠璃川は少し間を取って、足を組み替え、腕を前に出して伸びをする。
「量子論が決定論じゃないところが好きじゃないわ。誰かが『量子論を言い訳にしていいのは中学まで』とか言ったらしいけど、中学生で本質を分かっている人なんているのかしら?
私は量子論が好きじゃない。でも量子論を利用できない人は嫌いなのよ」
「じゃ、じゃあ、僕は違うんだな?」
「はぁ、なんでそんなことが言えるの? 私は量子論を理解したように振る舞ってる人がこの世で一番、大嫌い。特にあんたみたいなね」
瑠璃川は人差し指を付き出して、神楽坂を指差した。それはもう、どこの名探偵だってくらい決まってた。
その勢いのあまり、瑠璃川の髪が軽く揺れる。
姫……もとい、月見里と瑠璃川の二人は黒髪だ。月見里の髪は眩しいくらいに艶やかで、長く癖の無い、綺麗な直毛。服装を変えれば『竹取物語』とか『源氏物語』みたいな物から出てきましたって言われても、信じるんじゃ無いだろうか?
それに対して、瑠璃川。月見里ほど長い毛ではないが、質はいい……だろう。完全に黒いことはなく……いや黒ではなく、とてつもなく暗い紫と言ったような感じだ。しかし、人間の髪が青系の色を持つことは滅多にない。最新のVR技術はこんなことも出来るのか……
という具合に神楽坂は関心していた。もちろん、あんなに酷いことを言われれば、逃げたくもなる。
それでも、このまま引き下がる訳には行かないので、少し相手の揚げ足を取る。
「確かに、あの妄想はパラレルワールドを考えていない。だけど瑠璃川。お前だって、パラレルワールドを考えたテレポートの方法を考えてないじゃないか」
「言ったでしょ、何も話さないって。この現象、事実は隠蔽されるのよ? それとも、小田工祭のときに上がる花火と一緒に、自分で空に浮かぶ赤い赤い花になりたいの?」
「……ぁあ、それ、は……何だろうね? は、ははは……はぁ……」
さらっと恐ろしいことを言う瑠璃川とその恐ろしさにもうすでに、心が折れかかってる神楽坂のせいで、部屋の空気は徐々に悪くなっていく。
月見里はその空気を何とかしようと二人の間に入って何か言おうとしたが、蛇に睨まれたカエルを救える自信はなかった。結局、蛇の威圧感に圧倒されてよろめきながら、ドアに寄りかかった。
さっき、鍵をかけたドアだ。そのドアに月見里は体を預け、しばらく俯いてから、再びその部屋を見た。
二人は先ほどの姿勢から、まったく動かずに固まっている。一瞬、瑠璃川の口元が緩むと、それに続いて神楽坂の口元も緩む。
「……ぁの、ちょっと……」
月見里はそれを見て、勇気を声に変えて出した。しかし、二人は無反応。向かって左側のソファには腕を組みながら座っている瑠璃川がいる。そして右側には物理学の本が大半を占める本棚があり、神楽坂はその一番下の棚に足を引っ掛けて、上へ上へと行こうとしている。
もう一度、目を閉じ、頭を抱えて、俯く。すると、月見里の背後、ドアの方から思いっきり蹴破ろうと一つの衝撃が走った。
『ガァァン……』『ガァァン……』と大きな音が部屋の空気を変える。
「まさか! もう、情報が外に漏れている?!」
「情報を持っているにしては、あまりにも物理的じゃないか? 金属の扉を蹴破ろうなんて、常人のすることじゃないだろ」
電子式のドアは人体に埋め込まれたICチップで開錠できる。ドアより高いか同じ『セキュリティレベル』を持った人が開けようとすれば勝手に開く。
今は『セキュリティレベルAAA』という、最高機密の情報が部屋の中にあるので、同じレベルでないと開けることはできない。神楽坂の知っている限り、開ける人はただ一人、瑠璃川だけだ。ちなみに神楽坂はドアを開けて、出ることもできない。
「とにかく、ドアから離れて。武器を持っているかもしれないわ」
そして、瑠璃川は顔の前で手をかざし、空間にインターフェイスを呼び起こす。その中には雨が降る速さで文字の塊が上から下、右から左へと動いていく。
しかし、鉄壁のセキュリティは破られた。
「ばぁぁああーーん」
いかにも、わざとらしい、人が口にしたその音は間違いなく、ドアの方から聞こえた。
三人の視線が一気に集まる。
そこに立っていたのは、『お騒がせほむらん』こと、天野ほむらだった。
「あおいくーん!! 探したったんだよ! 『みつけた!』って思ったら違ったりするし、いろいろ走り回ったりして大変だったんだからね!」
「……あの、さ。一応聞くけど、どうやって開けた?」
念のため、念のために聞いた。それ以前に瑠璃川は床に転がってるエタノールを拾うかと思ったら、棚から水酸化ナトリウム水溶液を取り出して、いつでも投げ出せる姿勢になっている。
酸性よりも人体に有毒な塩基性の液体を、こんなところで撒かれたらみんな被害者になるだろう。
「どうやって、って言われても……ちょっと叩いてたら勝手に開いたんだよ?」
「かけてもいいかしら、これ?」
「ねぇねぇ、あおいくん。私からも質問するね。お人形さんみたいに可愛いこの子は誰?」
神楽坂は答えようとしたが、先程の忠告を思いだし、瑠璃川の方を見る。すると、首を横に振って何やら手を動かしている。
「か、かわいいって……そんなこと」
「そんなに恥ずかしがらないでよ。凄い、この服すごい! とってもフワフワ」
ある意味、修羅場