石のなる木
「ねえ、君は石のなる木を知っているかい?」
ここは星空が綺麗な丘。私に声をかけたのは銀髪の少女。彼女は丘の上の大きな岩に座って、夜空を見上げている。ああ、なんて宝石を粉々に砕いたような空なのだろう、とつぶやく。なぜそんな壊れた幻想を抱くのだろう。
彼女は私よりも少し年上かな。その銀色に輝く髪を夜風に揺らして彼女は続ける。
「石、と言ってもそれは岩石の類ではない。宝石のような鉱物のなる木だ。君はそんな、石のなる木を知っているかい?」
彼女は同じ質問を問いかける。でも私は知らない。そんな有機物から無機物が生まれてくるようなもの……
「残念ながら、そんなおとぎ話に出てくるような木のことなんて知らないわ。それに、ここは一体どこ?」
彼女は、やれやれ、といった風に溜息をつく。
「おとぎ話に出てくるような木のことよりも、今自分がどこにいるのか、という方が気になるなんて。面白い娘だね、君は」
君の質問もいいけど、まだ僕の番だよ、と彼女は続ける。
空には輝く星々。月は見えない。月なんてあったら、夜空に輝く星々が見えないじゃない、と子供の頃私はよく思った。圧倒的な輝きよりも細々と輝いている方が素敵だ、と思ったから。その後、小さな星はそこに浮いている月よりも本当は大きなものだと知ることになるのだけれど……
「そう、おとぎ話。物語だ。君は東の国の昔話、かぐや姫を知っているかい?もちろん知っているよね。かぐや姫は求婚してきた五人の貴公子に宝物を持ってくるように言い、それを持ってきた人と結婚すると言った。その五つの宝物は、仏の御石の鉢、火鼠の裘、龍の首の珠、燕の子安貝、そして蓬莱の玉の枝」
なるほど。
「それが石のなる木」
「ご明察」
と彼女は嬉しそうに微笑む。
竹取物語に記述されているものとは少し違うけどね、と付け足す。
彼女は大きな岩から降りて、私の隣に立つ。背丈は私と似たり寄ったり。きれいな肌、すらっとした四肢。銀色の前髪が少し憂いを込めた瞳にかかる。きっと無駄のない体なんでしょうね。
さあ行こうか、と彼女は私の手を取り歩き始める。
どこへ、という私の質問を遮って話を始める。
「物語はお爺さんが光る竹を切ったところから始まる。かぐや姫の成長と月に帰るまでの話だ。今日は僕が君に出会ったところから、いや、君が僕に出会ったところから始まるのかな。ここでは、主語がどちらになるのかが重要だよ。主人公が変わってしまうからね。君は主人公になりたいかい?」
「いえ、私は別に……物語って、どういうこと。私は今頃ベッドの中で眠っているころのはずなのだけれど?」
くすくす、と彼女は何がおかしいのか笑う。
「君はさっき僕に、『ここはどこ?』という質問を投げかけたね。でも君は今自分でその答えを言った。答えと言うよりもヒント、かな。頭のいい君なら答えはすぐに分かるだろう?」
夢……?
「そう、夢。僕の夢なのか君の夢なのかそれは分からないけどね。人間の深層心理は無意識の海で繋がっているから、君と僕の夢が混ざり合った世界、とでも言うべきだろう。二人して同じ夢を見ている気分はどうだい?」
彼女はそう決めつける。他には選択肢がないのか。
「それこそおかしいわ。だってあなたは私の夢に出てきただけの登場人物かもしれないのよ」と私は続ける。
「それは僕も言えることなんだけどね。君が僕の夢に出てきた登場人物なのかもしれないんだよ?」
そんなはずはない、と私は思う。だって私の意識はここに表れているのだから。ああ、なんて嫌な明晰夢なのだろう。私が彼女の言葉を信じ込むと私が私でなくなりそうで、どこかに引き込まれそうで怖い。
夢は夢のまま、さあ、存分に見るがいい、と彼女は踊る。
そんな話をしながら、私と彼女はどんどん丘を下っていく。私の手を引いて。目の前には暗闇に閉ざされた深い森。不安の加速装置。
「さあ、怖がらないで。今日の物語の主人公は君なんだ。森の木々たちも歓迎してくれるよ」
そう言われるとそんな気がしてくる。夢の世界だという理由もあると思うけど、主人公と言うものは現金なものね。
森の入り口。
木々が生い茂り、枝という枝が私に襲いかかってきそうな鋭さを感じる。この森に入るもの全てを拒もうとするような、そんな気持ちが感じられる。
その奥は暗く、深いのだが、一番奥に何かが光っている。
「光る竹?」
「いや、石のなる木さ」彼女は簡単に答えを言ってしまう。
その木の枝についているという宝石が光っているのかしらね。全く……
「せっかちね」
「それは君の方さ。僕が答えをはぐらかすと、君は明確な答えをすぐに求めてきそうだからね。結果は同じだから先に言っておいたんだ。夢がなくなったかい?」
夢の中だけどね、と彼女は嫌味を言う。夢は結局夢なのだ。それはもちろん、承知していること。だから石のなる木なんてものは存在しないことも分かっている。なんて不毛な夢を見ているのだろう。
「それは違うよ」と彼女は続ける。
「だってかぐや姫は実際に蓬莱の玉の枝、要するに石のなる木を取ってこいと命じたわけなんだからさ、存在するんだよ」
「でも、物語の中の世界でしょう?」
「かぐや姫が存在したとしたら、君はどうする?」
彼女はにやりと笑う。そんなことあるわけないじゃない、と冷めた感じで私は言葉を返すけれども、内心、本当だったらどれほど美しいことだろう、面白いことだろう、と思っていた。
ほら、顔に出てる、と指摘され、私は顔が熱くなるのを感じた。表情と言うものは正直なものだ。
森の中は暗い。でも、私たちの進む道はほんのりと明るくなっている気がする。夢の中だからかな。
「いや、森が歓迎してくれるからだよ」
私の心を読んだように彼女が言う。全く、やめてほしいわね。
「仕方ないさ、夢だもの。多少のご都合主義だって神様は認めてくれるさ」なんて冗談を言う。
「で、石のなる木だけど、どうしてあなたはその木を知っているの?」
彼女は少し考えた後、さあ、どうして僕はそんな木のことを知っているんだろうね。もしかしたら、僕の前世はかぐや姫なのかもしれないよ、なんてことを言った。彼女は冗談が好きらしい。
「君はいつもそうやって冗談冗談と僕の言葉を否定するんだね。でもさ、その可能性は誰にも否定できないんだよ。ある一つの仮定。まあ、そんな非科学的なことを言うな、って言われるとおしまいなんだけどね」
彼女は私の手を引きながら答える。時折振り返っては私に笑顔を見せる。
「はっきり言ってしまうと、僕はその木について初めから知っていたんだ。生まれた時から頭の中に知識としてある、そんな感じ。僕も訳が分からなかったし、この知識の所為で色々悩んだりもしたけど、今はそうでもない。こうして石のなる木を探せている……」
その知識があったからこそ、彼女は自分のことをかぐや姫の生まれ変わりだと言ったのだろう。そう考えてしまうのは仕方がないのかもしれない。
彼女は一体今までどんな人生を送ってきたのだろうか。石のなる木をずっと探してきたのだろうか。ずっと訳のわからない知識に悩まされてきたのだろうか。想像しても想像しきれない。それがどんなに楽しくて、どんなに辛かったのかも分からない。
「石のなる木の話をしようか」
と、彼女は切り出す。
「そもそも、有機物から無機物が生まれてくる。これはおかしいことじゃないかい?」
「普通に考えたら、そうよね」
「うん。木っていうのは結局植物だから主にセルロースからできている。セルロースは細胞壁、(C6H10O5)nだね。見て分かる通り、炭素、水素、酸素の三種類の元素からできている。例えば、ダイヤモンド。ダイヤモンドは炭素からできている結晶だ。だから極論を言ってしまえばね、木にダイヤモンドがなることだってある。でも金銀、ルビーやサファイアなどの酸化アルミニウムのような金属元素は一体どこから生まれてくるのか……」
炭素が金属元素に変わる……
「錬金術?」と、言ってみる。
「ありきたりな答えだね。でも錬金術なんて人間でもできないことを木が出来るわけがないよね」
「え、でも物語の……」
「君はいつも物語中心に考えてしまうんだね。まあ、夢の中で、しかも現実にありえないような木の話をしているから仕方ないんだけどさ。先入観にとらわれる癖は良くないよ。現実的に考えようよ」
そんなことを言われて、私は少しムカつく。それは確かに私は先入観に左右されやすいのかもしれないけど、信じられない話をされて、それでいて現実的に考えろと言われるなんて全く心外だ。
「木に限らずすべての植物はどこから栄養を取っている?」
それは、土から……
「そうだね。石のなる木は、その枝に付ける鉱物の構成元素を土の中から吸収しているんだよ。金のなる木は金の原子を、銀のなる木は銀の原子を、ルビーやサファイアのなる木はアルミニウムの原子を、それぞれ土の中から取り出しているんだ」
まあ、理屈は合っている。実際に出来るかどうかは別として錬金術よりかは話が通っている。
「つまり、金がなるところには金脈が、銀がなるところには銀脈があるっていうこと?」
彼女はにやり、と笑う。
「いいところに気付いたね。そうさ。石のなる木の種があれば、金脈とか銀脈が分かって億万長者になれる可能性がある。それに気付く人は少しばかり存在した。そして始まるゴールドラッシュ。様々な地域に石のなる木が植えられた」
彼女は続ける。調子は良いが真剣な顔で。
「ただもちろん、植えられた場所すべてが育つのに適した環境でなかったり、採掘がはじまって、せっかく育った木が切り倒されたりもした。そのせいで石のなる木はどんどん数を減らしていったわけさ」
鉱物をつけるようになるのにも、十数年かかるしね、と彼女は付け足す。
「話がそれてしまったね。まあ、簡単に言えばこんな感じで石のなる木はその姿を徐々に消していった。人間は欲が出るから、あまりいい環境で育つこともなかった。今でも、残っているとしたら森の奥深く。人の目に触れないところだろうね」
悲しそうな顔で彼女は言う。
この森も深い。
もしかしたら、ここは森全体で石のなる木を守っているのかもしれない、そんな気がした。じゃあ、彼女が言っていた歓迎してくれている、とは……
私の手を引いて、暗い森を進む。もはや恐怖なんてない。月が出ていない夜なのに、進む道がしっかりと見えているから。
夢。
完成された幻想。
それはなんて都合の良い世界なのだろうか。いや、実際はそうではないのだろうけど、そういう感じに思えてくる。
風は無い。動物たちの声も聞こえない。静かな森に私と彼女の足音と、話し声だけが響く。何だか楽しくなってきた。
この森は静かだ。木々たちはきっと私たちの会話を聴いているに違いない。そう思う。彼女も、僕もそう思うよ、と言った。
「さあ、見えてきたよ、石のなる木」
行く手には森の入り口で見えた小さな光。それは石のなる木の枝についている宝石だった。
背丈は2メートルくらい。そこまで大きくない木だ。その木の枝いっぱいに、宝石がなっている。木の根元には、枝から落ちたであろう宝石で輝いていた。
それでもやはり、枝についている宝石が星のようだった。
緑色の宝石。
壊れた幻想でもなければ完成された幻想でもない。原石としての現実。
「綺麗……」
「ナトリウム、アルミニウム、ケイ素、酸素……NaAlSi2O6……ヒスイ輝石。俗にいう、翡翠だね。他にも違う宝石がなっているけど、翡翠が一番多いかな」
翡翠。それはエメラルドと同様、私の誕生石、五月の誕生石だった。だからとても、
「貴麗」
と思った。
欲しい、と思ってしまった。
その途端、怖くなってしまった。私の所為でこの木が枯れてしまうのではないか、と。どこかへ行ってしまうのではないか、この夢が覚めてしまうのではないか、と……
「じゃあ君にはこれをあげるよ」
差し出してきた彼女の手には一粒のエ翡翠。でもこれは……
「君がこれを欲しいと思ったのはお金のためじゃない。綺麗だったからでしょ。自分の子供を褒められてうれしくならない親がいないように、自分のつけた宝石を褒められてうれしくない木もいない。そうでしょう。だからこれは君が受け取るに十分なものなんだ」
そう、彼女は告げた。私は手のひらに転がる翡翠を一目見て、大切にポケットにしまう。
それに、この木は自分を、君に見つけてもらいたかったんじゃないかな、と彼女は続ける。
「なぜ?」
「だってさ、君なら大切に育ててくれそうだから」
どういうこと、という質問が言葉にならなかった。何かに引き込まれる感じ。怖い。
忘れないでね、その綺麗な心を。おやすみなさい。と彼女が言っていた気がした。
◇◇ ◇
目が覚める。
体を起こすと周囲は見慣れた部屋。もちろん私はベッドの上に座っている。まだ肌寒い三月の朝。
やっぱりあれは夢だったのか、という気持ちで少し残念だ。ポケットを探ると、翡翠は無かった。けれども、緑の宝石の代わりに一粒の種が出てきた。
それが何の種なのか、私には分からない。ただの雑草かもしれないし、石のなる木なのかもしれない。やっぱり分からない。
私は早速、それを庭に植えてみることにした。石のなる木だったらいいな、という期待を胸に。この庭の土の中にどんな元素が含まれているのか分からない。でもきっと、綺麗な翡翠をその枝に付けてくれる。そんな気がした。
「あと十数年か……」
その頃には、私も大人である。
石のなる木、というフレーズが天から降ってきて書きました。
久しぶりの小説だったので、少し時間がかかったりもしましたが、
いいリハビリになったと思います。
感想などありましたら、よろしくお願いします。