『 セツナとサクラ 』
前総帥の義妹である、マリアの悲鳴が響き渡る。
その尋常ではない声に、マリアの夫であるオウルと前総帥のオウカが顔色を変えて立ち上がり
今朝、総帥を継いだばかりのリオウも同様に一目散に部屋を出て行く。
その後を追って、黒の全員が総帥であったサクラの部屋へと駆けつけた。
「嫌! 嫌! 嫌!! サクラ! サクラ!!」
半狂乱になりながら叫ぶマリアに、オウルとオウカが何があったのかと聞く前に
口をあけたまま一点を凝視して、体が固まりその目を見開いた。
彼等の表情を訝しげに見つめ、一歩遅く部屋に入った
私達黒も、息を飲み時を止める。
私達が見た光景は、そう簡単に理解できるものではなかったから。
頬に涙のあとを残し、何も映していない薄っすらと開いた瞳に涙を溜め
淡く開いた唇に残る朱から目が離せない。
ベッドの上には、見たこともない魔法陣が血の色で描かれている。
彼女の着衣は、胸元の辺りが少し肌蹴ており心臓の位置に深々とガラスのように
透き通っている剣が刺さりサクラの体をベッドに磔にしていた……。
「サ……クラ……?」
リオウが、蒼白な顔をしてサクラを呼ぶ。
だがサクラは何の反応も示さない。示すわけがない。
彼女は、サクラはもうその呼吸を止めていたのだから……。
「アギトちゃん!」
サーラの声が聞こえ、振り返ると
真剣な顔をした、クリス達が部屋へと入ってきた。
サーラの声に、全員の呪縛が解ける。マリアが意識を途切れさせ
それをオウルが支えるが、オウルもその身を絨毯の上に沈ませながら座り
呆然とサクラをただ見つめていた。
リオウは、ゆっくりと足を踏み出しサクラに近づこうとするが
オウカがリオウの手をとり、それを止めると同時にリオウの手の紋様を白に変えた。
サーラ達が、私達の側に来た瞬間サクラの姿を眼に入れて
その体を硬直させ、サーラの視線がサクラに釘付けになり息を詰め
その目には涙が浮かび上がっている。小さく「さくらちゃん……」と呟く。
エリオとビートも呼吸を忘れたように、呆然とサクラを見つめていた。
クリスは、サクラを見て息を飲みながらも
無意識に情報を探すように、サクラから視線を外し
一番最初にそれを見つけ体を強張らせる。
クリスの反応につられてか、エリオもビートも同じように
視線をクリスが向けた先へと向け、唇を噛んだ。
「なぜここへ来た」
私がクリスを睨みながら問う。
本来ここは、総帥の一族のものしか入れない。
黒でさえ許可がなければ立ち入る事が出来ない。
クリス達がいていい場所ではない。
誰かが、何かの意図を持って手引きしたのかもしれないと
頭の片隅で考える。エレノア達も目を細めてクリス達を見ている。
「……」
クリスは、サクラから視線を外さない。
いや、サクラではなくサクラの側にあるものから目が離せないのだろう。
「クリス」
クリスの名前を意思を込めて呼ぶ。その声にクリスが体を揺らして
緩慢に私を見、そして1度呼吸を深くしてから少しかすれた声で用件を告げた。
「セ……セツナさんとアルトが、見つかり……ません。」
前総帥と黒の全員がクリスを注視する。
「ナンシーさんが、急を要する事かもしれないから
直接黒に判断を仰げと言って、通してくれました。
了承は得ていると聞きましたが……」
サクラが自宅にいないことと、セツナとアルトが消えた事から
ナンシーは何かを感じ取ったのかもしれない……。
オウカに視線をやると、連絡用の魔道具を確認して溜息をついている。
どうやら、返信の操作を間違えたようだ。
オウカがナンシーに、誰もこの階に上げるなと連絡を送っていた。
私はクリスに、短く言葉を投げる。
「部屋に持ち物は」
「ありません」
「……書置きなどはなかったのか」
「……ありません」
「ベッドの状態は」
「セツナさんのベッドは使われた形跡はありませんが
アルトは、寝ていたと思われます」
「……」
黙り込んだ私に、サクラを凝視していたオウルがポツリと口を開く。
「彼が、サクラを、殺したのか?」
彼の問いに、それは違うと答える事が出来なかった。
なぜなら、セツナはこの部屋に居ただろうから。
結界針がサクラの側にささっているのを
私達家族は知っている。その持ち主が誰かも。
だから、私もクリス達も口を開く事が出来ない。
そして、誰もオウルの言葉を否定しないのは
サフィールが否定しないからだ。
この部屋で魔法が使われた形跡があるのなら、1度会った事がある魔導師なら
サフィールはその魔力の主を知ることが出来る。
使われていなかったのなら、サフィールがそれを告げるはずだ。
「サクラ……。サクラ」
リオウのサクラを呼ぶ声と、リオウの手の甲にあるサクラの紋様を見て
私はもっと早く気がつくべきだったと、苛立ちを心の中に押し込めた。
朝の訓練の時間に、セツナもアルトも起きてこなかったことに
もっと注意を払うべきだったのだ。珍しく、セツナもアルトも訓練場に居なかった。
珍しい事もあるものだと、たまにはゆっくりと体を休めるのも必要だと
セツナ達の様子を見に行く事もしなかった。
訓練の途中で、黒の魔道具に召集の連絡が入る。
ギルドに出かける準備をし、エリオがサフィールとの訓練を終え帰ってきても
起きてこない2人に、サーラ達はよほど深く寝ているんだろうと話していた。
体調を崩している可能性もある事を考え、サーラ達の食事が終わっても
起きてこないようなら、1度様子を見に行くようにとサーラに伝え私は家を出たのだ。
ギルドの黒の間へ行くと、私以外の黒がそろっており
何時もなら、遅いと文句を言うサフィールは黙ったまま
私に視線をよこす事もなかった。
何処か重苦しい空気を感じながらも、自分の席へと座る。
エレノアに視線を送り、どうしたのかと目で問うがエレノアも首を振る。
私が口を開こうとした時、私が入ってきた扉とは別の扉が開き
前総帥のオウカとヤト、そしてリオウが部屋へと入ってくる。
そしてそのまま、リオウは総帥の席へと座ったのだった。
エレノアもバルタスも驚きの表情を作っていたし
私も驚きを隠せなかった。サフィールだけがその表情を変えずにいたところを見ると
魔力の強いサフィールには分っていたのかもしれない。紋様の主が変わった事を。
リオウは真直ぐ顔を上げ、私達1人1人と視線を合わせ口を開いた。
「サクラに代わり、私が総帥を継ぐ事になりました」と……。
誰もなぜと問う事はない。
何を守るために動いたのかは、分らないが
それだけ、オウカ達も必死だという事だろう。
リオウは淡々と、これからの事を告げていく。
纏めてしまえば、方針は今までと変わらず黒の制約に関しても
そろそろサクラが来るだろうから、そのまま制約を引き継ぐという事。
制約の引継ぎは、オウカからサクラへと代わる時にも経験しているから知っていた。
リオウが硬い表情を作ったまま、口を閉じ
その後、誰1人口を開くことなくサクラが来るのを待った。
何時までたっても現われないサクラに、オウカが連絡を入れる。
暫くして、サクラの両親であるオウルとマリアが現われ自宅にはいないことを告げた。
サクラが心配で、ここまで来たのだろう。2人の顔色は悪かった。
黒の間のある階に、総帥の部屋があるからそこに居るのかもしれないといい
マリアがサクラを呼びに行ったのだった。
そして暫くして聞こえてきた、マリアの悲鳴……。
駆けつけた先には、剣が胸に刺さったままのサクラがベッドに横たわり
その瞳は虚ろに開かれたまま……。
リオウの側を音もなく横切り、ヤトがサクラへと近づく。
ヤトが動いた事で、私は思考を中断させヤトを見た。
ヤトの顔は、蒼白で無表情に近いがその目だけは複雑な色を宿しており
エレノアがヤトを呼ぶが、その声は届いていないようだった。
サクラの顔を見て、その瞳を揺らし声が漏れないように歯を食い縛っている。
1度顔をふせ、手をゆっくりと上げサクラの胸に刺さっている剣に手をかけようとした。
その瞬間、サクラを中心に魔法陣が浮かび上がりヤトの手を弾き
サクラの周りに、結界のようなものを作り出す。
「っ……」
「サクラ!」
リオウがオウカの手を振り解き、サクラに触れようとするが結界に阻まれて近づけない。
リオウが唇を噛み、涙を落としながら魔力を練りその魔力を結界へとぶつけるが
結界はリオウの魔力を弾かずに、取り込んでしまったかのように消えた。
何度も何度も、魔力を練り結界へとぶつけるリオウ。
だが、何度やってもリオウの魔力は結界へと吸い込まれていく。
オウカがリオウの肩をつかみ止めさせ
リオウはその感情のまま、拳を結界に叩きつけた。
「どうしてっ!……どうして、セツナっ!」
リオウが叫び、ヤトは剣を見つめたままその目に怒りの感情を乗せた。
オウルが怒りで声をかすれさせながら、低い声で呟く。
「娘が彼にした事は、人としてやってはいけない事だ……。
娘が、彼をここによんだのかもしれない……彼を害そうとしたのかも知れないが
それでも! それでも! 呼吸を止めていてなお! 娘を……娘に剣を突き刺したまま
放置する事はないだろう!!」
この階は、黒の私達でも総帥一族の許可がなければ入れない。
セツナがここにいたという事は、サクラが招いたという事だ。
オウルの目からとめどなく溢れる涙に、歯を食い縛りマリアを抱きしめ
ここにはいないセツナに、憎悪をたたえた瞳を向けた。
「娘を殺さなければ、彼が危うかったというのならば……。
私は、仕方がないと諦めただろう。サクラの持つ力は大きい。
この国を巻き込む危険性があるのなら……」
国のために殺す覚悟はあった。言葉にならない声が聞こえる。
この言葉はオウルの本心だろう。
だが、親としての本心はまた別の所にある。
そう簡単に、親が子供を見捨てる事などできないのだから。
「だが、彼はなぜ姿を消した? それも弟子を連れて!
疚しい事がないなら……姿を隠す必要はないだろう!」
「……」
「まるで見せしめのように……殺す必要がどこにあるというのだ……」
見せしめ……。
セツナがこんな殺し方をするとは、到底思えない。
だが、サクラの呼吸は止まりその胸には剣が刺さっている。
何の意図があって、サクラを放置し姿を消したのか
それは誰にも分らなかった。サクラの剣を抜く事も、サクラの涙をぬぐう事も出来ない状態だ。
親として……もし私の子供が同じ状態で晒されていたのなら
私はどんな事をしても、そいつの息の根を止める為に走るだろう。
状況は、サクラを殺したのはセツナだと語っている。
だが、私にはセツナがサクラを殺すとは到底思えない。
この部屋でいったい何があったんだ……?
私を含め、黒は沈黙を貫いていた。己が胸中はどうであれ
彼等と同じ場所に立つわけには行かない。冷静に判断し事が決まれば
即行動に移さなければならないのだから。
サクラの名前を呼びながら泣いていたリオウが
何かに気がついたように、後ろを振り返りサフィールに視線を合わせる。
「サフィール! 貴方なら、この結界を壊せるでしょう?
サクラの……胸の……剣を……」
リオウが縋るような瞳を、サフィールに向ける。
サフィールは、サクラを見て浮かんでいる魔法陣を見てそして首を横に振った。
「僕には、その結界はこわせないわけ」
「どうして!!」
サフィールは静かにリオウを見て答える。
「僕も見たことがない魔法なわけ。
魔法陣の形からして古代魔法だというのはわかるわけ」
エリオが睨むように見ていた魔法陣から視線を外し
目を見張りサフィールを見た。その視線に気がついたのか
サフィールが深く溜息を吐き、エリオを見返す。
「なんなわけ?」
「……なんでも……ない、です」
サフィールでも読むことが出来ないという事に驚いたのだろう。
「僕も何種類かの古代魔法は使うことが出来る。
だけど、ここまで大掛かりな魔法は見たことがないわけ。
古代魔法は属性に関係なく、使用できる魔法が多い。
だから、この魔法がどういう構成で組み立てられているのかが分れば
僕にも解く事が出来るかもしれないけど、今の僕では無理なわけ」
「属性に関係なく……?」
エリオの呟きに、サフィールが馬鹿にしたような視線を向ける。
「お前は、頭が軽すぎるわけ。
もう少し勉強しろ。古代魔法を他人に教える魔導師はいないから
自力で学ぶしかないだろうけど。古い文献には、最低限の情報はのってるわけ」
「……」
「僕もお前に教える気はないわけ」
「サフィールの魔力を当てて、無理やり壊す事は出来ないの?」
リオウが、エリオとサフィールの会話を断ち切ってサフィールに聞いた。
「……リオウが壊せなかったのなら、僕にも壊せない。
それはリオウが、一番良くわかっているだろう?」
サフィールの言葉に、リオウとオウカそしてヤトが体を揺らした。
「どうして」
「フィーが教えてくれたわけ」
「何時から」
「覚えていないわけ」
「そう……」
「僕もフィーも誰にも話してないわけ」
「……」
サフィールとリオウの会話に首を傾げるが
エレノア達も眉を顰めている事から、思い当たる事がないようだ。
「兄さん。彼を全てのギルドで指名手配にしてください」
オウルが俯いたまま、オウカに願う。
「オウル」
「……彼の話が聞きたい」
「……」
「彼が一方的に、娘をサクラを殺したのなら
私は、彼を許さない……」
オウカとオウルに視線を向けながら、クリスがそっと側に来て
私だけに聞こえるように話す。
「セツナさんとアルトが、怪我をしていないか心配です。
私達は、2人を探しに行きたいのですが」
出来るなら、ギルドより先に2人を見つけたい所だ。
視線だけで、エリオを見てビートを見る。
2人とも微かに頷いたのをみて、声を出さずに「行け」と促す。
クリスが動こうとした時、オウカがこちらを向き
「この部屋から出ることを禁ずる」と一言告げた。
どうやら、読まれていたらしい。
オウカの視線が、クリスからサフィールに移る。
「サフィール。フィーを呼んでくれないか」
「フィーを呼んでどうするわけ?」
「フィーなら、精霊ならこの結界を壊せるのではないか?」
「確かに……。壊せるかもしれないけど……」
サフィールにしては珍しく、視線を彷徨わせながら曖昧に答える。
そんなサフィールから、オウカは視線を外すことなく引かないと訴えていた。
「フィーを呼んだとしても、手を貸してくれるか分らないわけ」
「サフィールの願いなら。聴いて貰える可能性はあるだろう?」
「多分無理なわけ。報告がいっていると思うけど
フィーは、セツナに懐いているわけ」
「それは聞いている」
「それに……。フィーはサクラが嫌いなわけ。
今のサクラの状態を見ても、同情する事はないわけ。
鼻で笑って終わる可能性のほうが高い。
精霊は、自分が気に入ったもの以外の生き死にに関しては冷たいわけ」
「……」
「フィーを呼んでも、状況がよくなるとは思えない」
「サフィール、それでも頼んでもらえないかな。
私も、フィーに一生懸命お願いするから……」
リオウの必死な言葉に、サフィールが首を横に振る。
「リオウ。以前フィーが君の願いを聞いたのは
フィーがセツナに会いたかったからだ。
間違ってはいけないわけ。
精霊は、契約者以外の願いをかなえる事は殆どない。
精霊は決して優しくない。下手したらリオウ、君もフィーに恨まれる事になるわけ。
セツナは精霊にとって特別な存在らしいから」
リオウの頬を伝って、ハタハタと落ちる涙が絨毯にしみを作っていく。
「なら、サクラは、どうなるの?
こんな状態で、ずっと……」
溢れる涙をぬぐう事もせずに、リオウがサフィールに問う。
「わからない」
「……」
リオウの泣く声が、部屋に響く。オウカも目元を片手で覆い俯いている。
深い沈黙が続き、サフィールが何かを決意するように息を吐き出し
否を言わせない声で言葉を吐いた。
「僕とフィーの会話に絶対に口を挟むな」
サフィールは、1人1人うなずくのを確認してから
「フィー。来てくれないかな?」とフィーを呼んだ。
サフィールの側に、音もなく可愛い少女が現われる。
暖かそうな服を着て、セツナからもらった熊のぬいぐるみを背負い
頭には、お気に入りだという髪飾りをつけている。
その姿は、この部屋には場違いなほど明るく可憐だ。
「サフィ? どうしたのなの?」
フィーは何時もの通り、サフィールを一番最初に視界に入れ
呼び出した理由を聞く。そしてゆっくりと室内を見渡しサクラを視界に入れた。
私達を見ても、泣いているリオウを見ても、蹲っているオウルを見ても
倒れているマリアを見ても、表情1つ変えない。そしてそれは、サクラを見ても同じだった。
「サフィ? 私になんのようなの?」
「サクラの結界を壊して欲しいわけ」
「どうしてなの?」
「僕では壊せないわけ」
「そんな事を聞いているわけではないのなの」
「……あのままの状態は可哀想なわけ」
「……ふーん」
「せめて、身なりを整えてやりたいわけ」
「そう、頼まれたのなの?」
「僕が、そう思ったわけ」
「サフィが?」
「そう」
「ホントウに?」
「……」
「サフィ、嘘をつくのはよくないと思うのなの」
「嘘じゃないわけ」
「なら、どうしてサフィの感情が酷く伝わりにくいのなの?」
サフィールは、フィーから一瞬も視線を外さず
フィーも、サフィールから視線を外す事はなかった。
サフィールとフィーの探り合うような会話に
誰もが、呼吸の音さえも極力消す努力をしているように見えた。
「サフィは、私があの女を嫌っている事を知っているのなの。
なのに、そんな願い事をするのはおかしいのなの」
「……」
何も答えないサフィールをフィーは目を細めて見つめ
サフィールは、ただ黙ってフィーを見つめる。
根負けしたように、フィーが溜息を落とし口を開いた。
「私が、結界を壊した後はどうするのなの?」
「剣を抜いて、水辺へと送る準備をするわけ」
「そう……」
チラリと、フィーがサクラを見る。
「フィー?」
「結界を壊すだけでいいのなの?」
「それだけでいいわけ」
フィーがサフィールから視線を逸らし、小さく頷いた。
「分ったのなの」
フィーの返事に、オウカやリオウの瞳に安堵の色が灯る。
私の横にいるサーラも詰めていた息を吐き出し「よかった」と呟く。
だが……サフィールだけは、何処か納得が行かない表情を見せた。
「フィー?」
「何?」
「フィー」
「どうしたのなの?」
「いや……なんでもないわけ」
サフィールの行動に、フィーは可愛らしく首を傾げサフィールを見た。
「無理はしなくていいわけ」
「セツナの魔法は、人を傷つけるようには出来ていないのなの」
そう言って、フィーがサクラが横たわっているベッドへとゆっくりと近づく。
サフィールは、フィーの横顔を真剣に見つめながらも
何処か張り詰めたような空気を纏っていた。
エレノアも何かを考えているような表情を見せている。
「人を傷つけるようには出来ていない……?」
そう小さく呟くサフィール。
フィーが結界の前に立ち、ゆっくりとその小さな手を近づけた瞬間
フィーが笑った。それは今までに見た事がないほどの酷薄な笑み。
その表情に、腹のそこから震えが来る様な恐怖を感じた。
【フィー!】
サフィールの切羽詰ったような声。その声と同時にフィーの体がピタリと止まる。
サフィールは、息を荒くして片膝を突いていた。
「どうして邪魔をするのなの?」
「フィー……」
「束縛を解いて欲しいのなの」
「駄目だ……」
「サフィが頼んだ事なのなの」
「取り消すわけ」
「……」
「結界を壊すのはやめるわけ」
「サフィ達は、サクラを水辺へと送りたかったのでしょうなの?」
「……」
「なら、どうして止めるのなの?」
サフィールがフィーを止めた理由を聞きたいが、口を挟む事が出来ない。
フィーが纏っている空気は尋常じゃなく、その瞳の色も真紅。
それを、こちらに向けられたらきっと命がない。
今までも、フィーが暴れた事もあれば、嫌っている私達を
魔法で攻撃してきた事もある……。だが、ここまで冷たい表情を見た事は1度もなかった。
今までのフィーの暴れ方が、フィーにとってはお遊び程度だったのだと今理解した。
「フィー、教えて欲しいわけ。
この結界の意味と、サクラに刺さっている剣の意味はなんなわけ?」
呼吸を荒くしながら、サフィールがフィーに問う。
オウルが弾かれたように、顔を上げてフィーを見る。
サフィールの問いに、エレノア達も真剣な表情でフィーに視線を送った。
だが、フィーはサフィールの問いには答えない。
サフィールの言葉に、思わず奥歯をかみ締める。
なぜ、そんな簡単なことに気がつかなかったのか……。
セツナが、簡単に人の命を奪う人間ではないと思っていながら
彼がサクラを殺したのだと、頭のどこかで考えていた。
サクラの胸に刺さった剣。
呼吸を止めている体。
何も映していない瞳。
そこから導き出されるのは死であるはずだった。
だが、私達はとても大事なことがすっぱりと抜け落ちていたのだ。
彼が時使いだということを……。
もしかしたら、サクラはまだ生きているのかもしれない。
サフィールとフィーの攻防は、まだ続いている。
「……束縛を解くのなの」
「その結界に、触れないと、約束してくれるまでは解けないわけ」
「そのまま続けたら、命を削る事になるのなの」
「かまわないわけ」
「サフィが命をかけるほど、サフィールにとってこの女は大切なの?」
「いや……」
「ならどうして邪魔をするのなの!」
「フィー。僕はフィーに間違ったことをして欲しくないわけ!」
「……」
「あいつが、セツナの魔法が人を傷つけるものでないのだとしたら
フィーが、あいつの魔法を壊した事を知ったら! 後で傷つくのはフィーだろう!?」
「……口が滑ったのなの」
フィーはゆっくりとその手を下ろす。
だがその顔に、表情はない。
「束縛を解いて欲しいのなの」
サフィールはまだ、フィーの拘束を解いていないようだ。
何かを探るように、サフィールはフィーを見つめる。
「サフィが願わないのなら、私はこの結界を壊せないのなの」
「どうして?」
「セツナに魔法をかけられているのなの」
「何の魔法をかけられたわけ!」
サフィールが、苦しそうに息を吐きながらも
怒りの感情を見せ、フィーに問う。
自分が大切にしている精霊に、魔法をかけたというのが許せないのだろう。
サフィールの怒りに、フィーは無表情から一変泣きそうな笑顔を浮かべ
小さな声で、かけられた魔法を口にした。
「セツナが選んでくれた、髪留めが壊れるのなの」
そう言って、小さな手で頭の上の髪留めを触る。
「……フィーが勝手に、セツナの為に魔法を使うと
髪留めが壊れてしまうのなの。
初めてセツナが贈ってくれた宝物が、壊れてしまうのなの……」
そう言ってフィーは俯いた。
サフィールは安堵の息を吐きながら立ち上がり
大きく息を吸い込み背筋を伸ばし、フィーの元へと歩いていく。
そしてゆっくりとフィーの頭を撫でた。
「あいつらしい、優しい魔法をかけられたわけ」
「……」
「ごめん……フィー……僕が悪かったわけ……ごめん」
「……」
サフィールはそっとフィーを抱き上げ、フィーの感情が静まるまで
黙ったままフィーを抱いていた。
読んで頂きありがとうございます。
2018/5/24 髪留めの説明に【フィーが勝手に】という言葉を付け足し。