『 サクラ : 後編 』
黙ったまま私を見つめるだけで、その場から動こうともしない彼を
私もただ見つめた。
数日前、行方不明だった彼が、アギトと一緒にギルドへと顔を出した。
アギトがハルの街に入り次第、ギルドに連絡をと告げてあり
その連絡を受けて、黒達を招集する。
月光、邂逅の調べそして他のギルドから脱退した者達の紋様が
一斉に灰色になった事についての会議を開く事になっていた。
ギルド本部最上階にある、黒の間にアギト以外の全員が集まり
私は総帥の椅子に座り、アギトがくるのを待ちながら
魔道具で映し出されている受付の様子を眺めていた。
初めて見た彼の印象は、綺麗な人だった。
クットのギルドマスターは、優しそうな美男子と言っていたが
私には、どこか冷たい感じに見えた。
ふと彼が、こちらを見る。
真直ぐに視線をこちらに向け、そしてすぐに視線を外す。
その目の色は、薄い紫色。眼鏡を外せば、優しい印象になるのかもしれない。
彼は目が悪いのだろうか?
そんな事を考えている途中で、彼が穏やかに笑った。
その笑顔を見て、受付の周りに居る女性達が顔を赤くしている。
笑うとその印象を全く別のものに変えてしまう。
眼鏡を外すと、もっと印象が変わるのかもしれない。
私が観察している間に、ナンシーは次々と彼に連絡事項を告げていく。
ナンシーの言葉に、エレノアもバルタスも息を飲んでいた。
私達が知りたいと思うことを、ナンシーとアギトが聞き出そうとしていたが
彼は頑なとしてその答えを告げる事はなかった。その様子を見て
バルタスが、『一筋縄ではいかなそうだの』と呟き
エレノアが、『……確かに』とバルタスに同意を返す。
サフィールは彼には興味がないのか、サーラを見て気持ち悪い笑みを浮かべていた。
アギトが、彼のチームと同盟を申請した事でサフィールの目が細くなり
バルタス達は、サフィールにチラリと視線を送っていた。
そして、邂逅の調べと同盟を組む意味がないとアギトが言ったところで
サフィールの表情が消えた。この2人の関係は、いまだに私には理解できない。
アギトが魔道具を取り出し、彼と彼の弟子の戦闘風景をナンシーに自慢げに
見せている。私は魔物と戦った事はないが、その戦闘が洗練されている事はわかる
彼の魔法制御にしても、詠唱にしても無駄が一切なかった。
ここでサフィールが無言で席を立ち、扉から出て行く。
多分、アギトを迎えにいったのだろう。もう少し、この場に留まっていたら
迎えに行こうとは思わなかったかもしれない……。
サーラが嬉しそうに子供が出来たと、ナンシーに話しているのを見て
エレノアとバルタスが深く溜息を吐いた。受付が修羅場にならないといいけど。
サフィールとアギトの会話は、サフィールが心を負傷した為に
修羅場には発展しなかった。だけど……。
何か良からぬ事を考えているアギトに、釘を刺すためかどうなのか
彼が余計な事をアギトに教える。
『サーラさんによく似た女の子が生まれたら
きっとものすごく、可愛がってくださいますよ。
溺愛してくださるんじゃないですか?』
この言葉で、アギトの顔色が変わりその目には誰が見ても分るほどの……。
バルタスとエレノアそしてヤトまでもが、余計な事をと呟いていたのだった。
サフィールがどんよりとした空気を纏って、元いた場所に座り
アギトがクリスに羽交い絞めにされている様子を見て、鼻で笑った。
このままでは受付は混乱する一方だろうという事で
エレノアが、アギトのお守りついでに彼をこの場に呼んだらどうかと提案する。
『黒の会議に、黒でもないものを入れるわけにはいきません』
『……ヤト、私は会議に参加させろとは言っていない』
『ですが……』
『……あの青年は、黒になる事が出来る人材だろう』
『……』
『……アギトは彼に執着しているようだ。それは、先ほどの映像からみてもわかるが
多分、アギトが認めるだけの腕があるのだろう。
彼をアギトに任せたままにして
彼が、アギトやサフィールのようになったら困るのはヤトだとおもうが?』
『それは、どういう意味なわけ?』
サフィールが、エレノアをチラリとみる。
エレノアはそれには答えずに、続きを話す。
『……アギトが黒の常識だと思われる前に
私達に紹介しておいたほうが、後々楽だろうという事だ』
『アギトはともかく、どうして僕まではいっているわけ?』
『自覚がないのか、サフィールよ。
お前達2人は、何時までたっても問題児のままだろうが』
『うるさいわけ』
ヤトは、エレノアとバルタスそしてサフィールを見て溜息をつき
そして私を見る。
『今後の為にも、彼と対面しておくのはいいことかもしれないわ』
彼は色々と謎が多すぎるのだ。
彼が問題を起こした場合、力の持ちようから見ても動くのは黒になるだろう。
ヤトは私の言葉に1度頷き、職員に彼を呼ぶようにと連絡を入れた。
その事を、ナンシーから告げられた彼は何とか断ろうとしていたみたいだけど
彼の味方になる人は誰もいなかった。
彼等が来る前に、私は席を立ちヤトを座らせる。
手の甲の紋様の色を黒から白に変え、ヤトの後ろに秘書として立った。
黒以外の冒険者の間では、ヤトが総帥ということになっている。
副総帥は、結界から出ることが出来るものが選ばれる。
一族の中から選ばれる時もあったし、冒険者から選ばれる事もあった。
ヤトは、前総帥の叔父が冒険者から引き抜いたとても優秀な人だ。
なぜか出会ったときから、私とリオウを大切にしてくれる人物だ。
隠してはいるけど、リオウの恋人だ。
暫くして、アギトと彼がこの部屋へと入ってくる。
アギトは殺気を撒き散らしながら、サフィールを睨み
サフィールは、アギトを馬鹿にしたように目を細め肩をすくめていた。
そんな2人に何時ものように、バルタスが間に入るが
2人は聞く耳を持たずにらみ合ったまま。
そんなくだらない争いの中、私はアギトの後ろに居た彼を見つめていた。
最初は私を見ているのかと思ったが、彼と視線は一瞬もあわなかった。
アギトを見るとアギトの顔色が少し変わった
その後に本当に小さな声で、彼がこう呟いたのだ。
『そうか……ハルは……ハルからつけられたのか』
それは、どういう、いみ?
私の思考が一瞬途切れる。
彼は辛そうな、苦しそうな表情を浮かべ視線を天井へとゆっくりと移動させる。
【もろともに あはれと思へ 山桜 花よりほかに 知る人もなし】
聞いた事もない言葉を彼は口にした。
天井に書かれている文字のようなものを見て、はっきりと言葉にしたのだ。
私が探しているものの手がかりは、彼にある。そう思った。
今まで誰も、サフィールですらこの部屋の文字のようなものを読めなかったのに。
彼はこの文字について何かを知っている。
サフィールが彼に問うが、彼は答えない。
彼が、手がかりを知っている。
私が、欲しいものを持っている。
『私達の枷を外す方法を貴方は知っているのね?』
私は自分の能力を発動させるために動く。
なのに……またヤトが邪魔をした。忌々しい……手を伸ばせばそこに
私が欲しいものを持っている人物が居るのに!!
ヤトの能力に邪魔をされて私は動く事も、口を開く事も出来ない。
彼と交渉しているように見せかけながら、ヤトは自分の能力を使い
欲しい情報だけを得ようとしていたが、私達が全く想像していなかった方法で
彼はここにいる全員の口を塞いだのだった。
黒の制約……。
なぜ彼が……黒でもない彼が誓約文をしっているの?
私にも制約がかかってしまったために、私は彼に能力を使うことが
出来なくなった。
どうして、いつもいつもいつもいつもいつも……。
言葉に出来ないほどの苛立ちと焦燥が私を襲う。
彼が告げた、この街の名前の意味。
私の手の紋様の植物の名前。
そして、私達は彼が持っている初代の記憶を見た。
それを見て、私の願いは加速する。
彼は、全てを知っているわけではないと言った。
確かに、全てはしらないかもしれないけれど
ここにきて、この記憶を貰ったというのは嘘でしょう?
だって……ここに来て、そう時間が経っていないのに
どうして貴方は、天井の文字を初代と同じように綺麗に発音できたの?
後ろの壁を、天井の花を見て辛そうにしていた理由はなに?
あの文字も、サクラの花も貴方は前から知っていたんじゃないの?
彼は何を知っているんだろう。
彼は何を隠しているんだろう。
そんな事を考えている間に、バルタスが彼を探る為に話題を振る。
『お前さんに、この記憶を埋め込んだのは誰じゃ』
『僕の恩人です』
『名前は?』
『ご存知かどうか知りませんが
冒険者で、ジャックと名乗っていたようですが』
……。
……。
どうして……?
どうして、彼の口からジャックの名前が出るの?
どうして、彼がジャックを知っているの?
……。
もしかして、もしかしてジャックは……。
脳裏をよぎった考えに、鼓動が大きく跳ねた。
『……どうしてジャックが死んだのか、教えてくださる?』
なぜか、最後にジャックと一緒にいたのは彼だとわかった。
そう感じた瞬間、彼の持ち物がジャックが何時も持っていたものだと気がつく。
あれはジャックの持ち物だった。ジャックにしか使えない鞄だと言っていた。
微妙なものがたくさん入っている、非常識な鞄。
子供の頃、会うたびに何かを私とリオウにくれた。
量も大きさも関係なく入る鞄から、何が出てくるのかと
リオウと一緒に楽しみにしていた。
ジャックが、なぜ死んだのか聞いても彼は何も答えない。
黒たちと彼の会話を聞きながら、私の視界は灰色に染まっていく。
そして……。
『彼は、僕を助けて死にました』
ジャック ハ モウ ドコニモイナイ
ほんの少し残っていた希望も、ここでなくなる。
同時に、自分の嫌な予感が当たった事も知る。
彼だったから、ジャックは命をかけてこの人を助けたんだ
そう思った瞬間、憎悪が湧き上がる。誰に? 彼に? 違う彼じゃない。
やり場のない感情が、頭の中で分っていても止まることなくあふれ出す。
ごちゃごちゃの感情の中で、現実が何処か遠い所にあるような感覚。
なのに、私の口は彼を傷つける言葉を吐き出していく。
『貴方が存在しなければよかったのよ』
違う……。死ねばいいのも
存在しなければよかったのも彼じゃない。
彼じゃない……。ジャックの言葉が頭をよぎる。
『自分が存在しなければよかったなど、死んでも言うな!』
だって、だってジャック!
否定できない、否定できないよ!
私の存在がジャックを殺したんでしょう?
時使いとして生まれてこなかったから!
時使いの彼を見つけて、彼を保護したんでしょう?
『今の時使いが、ぽっくり逝って
二進も三進も行かなくなった時は、俺が助けてやるよ』
……時使いの彼が生きて、貴方が居ないのが答えでしょう?
本当なら、いらない私が死ぬべきだったのに!
叫びだしたい気持ちを必死に抑え
その感情を目の前の彼にぶつける。
どうして、彼は私に言い返さないのだろう。
自分の瞳を罪悪感で揺らしながら、私を見るだけ。
彼が、ジャックとどんな時間を過ごしてきたのかは分らない。
彼は何も悪くない。そう、彼は何も悪くない。
恨む気持ちがないかといえば、嘘になるけれど。
彼は冒険者で、時使いで、ジャックと出会っただけ……。
『僕はこれからも旅を続ける。
リシアに縛られるつもりはありません』
そして、好きにこの街を出て行くことが出来る
自由の翼を持っている、ジャックが見つけた綺麗な鳥。
彼はリオウと同じ。
私が欲しいものを持っている。
籠の鳥の私だけど。
私も1つぐらい望むものを手に入れてもいいでしょう?
私が、探すものの鍵を貴方は持っているでしょう?
貴方は『彼が眠っている場所を』知っているでしょう?
私の今までの努力が全て、無になってしまっても。
私を支えてくれていた、一族の皆を裏切る行為だとしても。
私の願いが、この国を苦難に陥れるものだとしても。
私には叶えたい願いがあるから。
私の願いをかなえるために。
私に縛られてくれる?
私の願いが叶ったら……。
……。
彼にとって理不尽な言葉を紡いでいく。
冷たく聞こえるように。彼を傷つけるように
彼を追い詰めるように、言葉を並べる。
きっとこの事は、父達に届く。私が彼を巻き込んだ形になるだろう。
『貴方が幸せになる事を認めない』
だから……私の全ての未来と引き換えに
貴方の記憶を私に頂戴。私の全てを貴方に渡すから。
価値のないもので悪いけれど……。
私にはそれぐらいしか渡せるものがないから。
扉から出たところで、ヤトに副総帥を解任する事を伝える。
ヤトは、ギルドの信条を大きく外れた為だと思っているけれど
これ以上私の側にいれば、ヤトも責任を取らされ追放されるかもしれない。
それに、私の邪魔をされるのも嫌だった。
ヤトは次の総帥を支える役割がまっている。
苦労を掛けてしまうかもしれないけれど……。
私は自分の部屋へ戻り、ベッドの上に寝転がった。
後は、待つだけ……。待つだけ……。
私は目元を左腕で隠し、歯を食い縛った。
疲弊した心を休ませることなく、これからの計画を立てていく。
あれだけ、彼を敵視した言動をしたのだ
父や黒達が、私を警戒しているはずだ。
彼と接触するのが難しくなってしまったけれど
あれ以外の方法を考える余裕がなかった。
父達が行動に移した後、どうやって彼と接触を図るか……。
色々と考えていたのだけれど、父達が私に告げに来たその日に
2人だけで会えるとは思わなかった。
海と丘を隔てる手すりに、軽く魔法を使って腰をかける。
すぐ後ろは、真っ黒な海。波の音が私の背中の方から聞こえる。
黒の間で言った言葉を繰り返す事で
彼の心に負荷をかけた。彼の罪悪感を利用する形になるけれど
今更な話だ……。私は笑みを浮かべて、彼に話しかける。
「こんばんは。時使いさん」
「こんばんは。サクラさん」
私の挨拶に、視線を逸らさずに挨拶を返してくれる彼。
「こんな夜更けに、どうしてここへ?」
「サクラさんこそ、どうしてここへ来られたんですか?」
「質問を質問で返すのは、貴方の癖なの?」
「……」
「まぁいいけど」
私は彼から視線を外す。少し首を動かして海を見ながら答えた。
「ここは、ジャックが好きだった場所よ。
泣いている私をよく、ここに連れてきてくれたの。
決まって、夜にね」
「……それは」
緊張した面持ちで、微妙な表情を作る彼。
「それで、貴方はどうしてここへ?」
「眠れないので……」
「散歩ということ? ジャックにこの場所を聞いていたわけじゃないの?」
「違います」
「そう……」
「……」
冷たい風が、海から吹き付け
私のそばを通って、彼の服をはためかせた。
「ねぇ?」
「なんでしょうか」
「私のお願いを1つ聞いてくれないかしら?」
私の言葉に、彼の表情がすっと消える。
酷い言葉で、結婚を迫ったから
私の願いが、結婚だと思われているのかもしれない。
彼を縛り付ける方法が、結婚しか思い浮かばなかったのだ。
「貴方には、最愛の人がいるみたいだから
伴侶にするのは諦めるわ」
「……」
「そのかわり、今夜一晩私と一緒に過ごしてくれない?」
「お断りします」
「女性からの誘いを断るのは無粋じゃないかしら?」
「……」
「別に……貴方の最愛の人に、告げ口なんかしないけど?」
「……」
彼は、表情を消したまま何も答えない。
彼は真直ぐに、伴侶を愛しているらしい……。
『例え結婚していなかったとしても
僕は、貴方を選ばない。僕は彼女しか選びません』
そういえば、酷い振られ方をした気がする。
その時のことを思い出して、少しムッとした。
私ってそんなに魅力がないのかしら?
ジャックといい、ヤトといい、彼といい……。
そんなどうでもいいことを考えながら、話を続ける。
「別に、抱いて欲しいっていってるわけじゃないのだけど。
私の部屋で、話をして欲しいっていってるだけよ?」
「話であるなら、明日の昼間でもいいでしょう?」
「邪魔されたくないの」
「邪魔されるのを忌避するような話なんですか?」
「ええ、誰にも邪魔されたくない」
彼を射る様に真直ぐに見つめる。
機会は一度きり、失敗する事は許されない。
「なら、ここでどうですか?
誰にも邪魔されないように、結界を張る事が出来ます」
それでは駄目だ。
彼の結界の中では、成功するか分らない。
彼に魔法を使わせるわけには行かない。
「貴方はジャックと同じね。
こんな場所で、話せというの?」
ここは私の大切な場所だけど、それは教えない。
「……」
私は手すりに掛けていた手を離し、父達が来るまでそこに刻まれていた
サクラの紋様があった手の甲を軽く撫でる。
彼が私の手の甲に、視線を向け紋様がない事に気がついたのだろう
目を見開いて、凝視していた。そしてゆっくりと私に視線をあわせる。
「そんなに、私の部屋に来るのはいやかしら?」
「……こんな時間に、女性の部屋へは行けません」
「そう……」
彼は警戒してか、元いた場所から一歩も動いていない。
このままでは、彼を誘い出すのは無理そうだ。
「ならいいわ……」
私はその言葉と同時に、体の重心を後ろにかけた。
私の体は何の抵抗もなく、手すりを越えて暗い海へと吸い込まれるように
落ちていく。願いが叶わないなら、死んでしまってもかまわない。
だけど、彼は私を見捨てる事など出来ないだろう。
「なにを!!!!」
焦ったような声の後に、短い詠唱を口にのせながら
彼が迷うことなく手すりをこえ、落ちながら私に手を伸ばす。
視線があった彼の目は、とても暗い色を帯びていた……。
私が落ちる速度が極端に遅くなり、彼の手が私の腰をつかみ
自分の胸へと抱き寄せる。
彼の鼓動の音が、昔ジャックの胸の中で聞いた鼓動を思い出させ
一瞬目を閉じた……。
その記憶を振り払い、自分の能力を発動して
彼の中に、私の能力の種を植え
そして、何時も持っている転移魔法の魔道具を発動させ
彼を私の部屋へと誘ったのだった。
読んで頂きありがとうございました。
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