『 僕とはらぺこの子狼 』
僕の腕の中の小さなぬくもりと。
涙を落としながらも、真直ぐに僕を見つめ守るといってくれた
2人の想いを……僕はしっかり胸に刻み込まなければいけなかった。
……刻み付けていたならば、僕を大切に思ってくれた人達の信頼を
裏切る事などできなかっただろうから。
僕の心の中には、悲しみや憎しみだけではなく
喜びや、温もりも確かにあったということに……。
闇がより深い色に見えるのは
その闇を作り出している光が在ると言う事に
気がつけたかもしれないのだから。
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大型の魔物を狩り、色々と処理をしている途中で
アルトの不安げな声が届く。
その声に、動かす手を早めて処理を終わらせた。
かなり大きな魔物を狩ったので、転送するにはそれなりの場所が必要だ。
いつでも転送できるように魔法をかけ、1人でアルト達のところへと戻った。
姿を現した僕に、一目散に泣きながら走ってきたクッカと
涙を落としながら僕を守ると、宣言したアルト。
2人の想いに、気持ちに僕の心に暖かい何かが満ちる。
ふっと視線を後ろに移すと、アイリがユウイと手をつないで僕を見ていた。
僕を暖めていてくれたことに、お礼を言う僕の顔をじっとアイリが見つめる。
「大丈夫?」
「うん、もう大丈夫」
僕の言葉に、ほっとした表情を見せるアイリの横で
ユウイがしきりに首をかしげている。
「しとー?」
「うん?」
「……」
ユウイに呼ばれ視線を向けると
なぜかアイリの背中の後ろに隠れてしまうユウイ。
「ユウイ?」
アイリがユウイを呼ぶが、ユウイはアイリの背中の後ろから
僕を凝視している。その理由がわからずアイリと視線を交わす。
アイリもわからないというように首を振った。
「しとー……のにせもの」
「え……?」
ユウイの言葉に、その場の全員の視線が僕に集まり
僕は少し慌てて、ユウイに本物だと告げる。
「えー……。ユウイ、僕は本物だよ?」
「……」
そう告げても、ユウイは疑惑の眼差しを向けたまま。
そんな、僕とユウイの微妙な空気を壊したのはアルトだった。
「あー。師匠。眼鏡をはずしたから
ユウイには、師匠が別の人に見えるんじゃないかな」
「眼鏡を外しても、匂いでわかるものじゃないの?」
「師匠。ユウイはまだ小さいからわからないかも」
アルトの推理に対しての
疑問の答えをくれたのはアイリだった。
「そうなんだ……」
泣き疲れて、うとうとしていたクッカをアルトに渡す。
僕から離れるのを少し嫌がったけど、アルトがクッカに声をかけると
大人しくアルトの腕の中に移動した。
ためしに、壊れている眼鏡を内ポケットから取り出して
かけてみる。レンズはなくフレームも歪んでいるけれど……。
確かに、眼鏡には少し魔法をかけている。
出会って日が浅いユウイには、別人に見えるのかもしれない。
「これでどうかな?」
眼鏡をかけてユウイを見ると、ゆっくりとアイリの後ろから出てきて
僕の前に来た。
「しとー」
ユウイと視線を合わせるように、膝を折った僕の顔に
ユウイが小さな手を当てた。確かめるようにぺたぺたと顔を触る。
最後に、眼鏡に触ってやっと納得したようだ。
「こわれたの?」
「うん、壊れてしまったんだ。
もう外しても、本物だってわかるかな?」
「だいじょーぶ」
ユウイが頷いたので、壊れた眼鏡を取り内ポケットへとしまう。
眼鏡を外した瞬間、これでもかというほど見つめられていたけれど……。
キラキラとした、子供らしいを目を向けるユウイの頭を軽く撫でると
気持ちよさそうに目を細めて、可愛らしく笑った。
「しとー。おねぼうしちゃだめですよ?」
頭から手を離した瞬間、そういったユウイの言葉に
アイリが、寝坊したわけじゃないのに……と呟き
周りの大人たちは、微笑ましいという感じの笑みをユウイに向けていた。
膝の土を払って立ち上がり、アルトからクッカを引きとると
アルトが耳を寝かしたまま、情けない顔で訴える。
「師匠……」
「どうしたの?」
「俺……お腹すいた!!!」
その言葉と同時に、アルトのお腹がなる。
「よく考えたら、俺……朝も昼も食べてない!!」
悲壮な表情を浮かべて、空腹を訴えるアルト。
食事が一番の楽しみだというアルトにとっては
3食の内の2食も食べれなかったというのは
悲壮な表情が、驚愕に変わるほど重大なことになるんだろう。
「師匠、獲物は? 狩りにいったんでしょう?」
意識したら、空腹に耐えられなくなったのか
ソワソワと体を揺らし、獲物を探し始めた。
「ごはん? ユイもおなすいたー」
アルトと一緒にユウイもお腹がすいたと言い出す。
「そういえば……お昼食べさせるのを忘れていたわ」
ターナさんが、ディルさんにそう告げると
ディルさんは、苦笑を浮かべ「そうだな」と返していた。
「師匠~。獲物いなかったの?」
アルトの情けない声に、笑いをこらえながら返事を返す。
「ちゃんと狩ってきたよ。
少し大きいのを狩ってきたから、場所を確保してから転送しようと思ってね」
「大きいの!」
「おーきーの!」
「アルト達が、僕を暖めてくれていたお礼に
頑張って、美味しそうなお肉を狩ってきたからね」
「肉!!」
「おにくー」
アルトとユウイが、お肉と聞いてはしゃぎ
アイリも嬉しそうに、尻尾を揺らしている。
クッカは、完全に寝てしまっていた。
「しとー。おにくなにー?」
「何のお肉かってこと?」
眉根をきゅっと寄せて、肉の種類を尋ねてくるユウイ。
「ユイ、ホロホロいやー」
「ホロホロ?」
「ユイ、うしたんたべたいなぁ」
「ホロホロ……?」
首を傾げる僕に、アイリが答えをくれた。
「師匠、ホロニアリニスだよ」
「あぁ……ちゃんとした名前が言えないんだね」
ホロニアリニスとは、鶏に似た魔物で
鶏の肉よりも、安価で売られている。
ここでは、鶏肉の方が高価な肉となる。
卵が取れる事から、肉にする事は余りない。
家畜を育てるのは、魔物がいるこの世界では中々大変なこともあり
小さな村では、豚はともかく牛は手に入りにくいのかもしれない。
大きな町でも、それなりに大きい肉屋にしか置いてない事も多い。
トキトナと交流ができれば、ムイムイの肉が入ってくるとは
思うのだけど……。
ホロニアリニスの味は、鶏肉より劣るがまずくはない。
この世界の魔物は、大体が食べる事が出来るものだ。
食べるだけではなく、武器になったり防具になったり
薬になったりと、捨てるところがないぐらいに使い道がある。
だから、解体しなくてもキューブに入れてギルドに持っていくだけで
買い取ってもらうことができるのだろう。
この世界の肉や魚の種類は豊富で、食べた事のないもののほうがおおい。
その国にしか生息しない魔物も数多くいる。
食文化も、違ったものになるのは当然の事だろう。
ホロニアリニスは、サガーナに生息する魔物で
そう凶暴ではない事から、食料として狩られる事が多い魔物だ。
「ユウイは、ホロホロ嫌いなの?」
「あきたのー」
ユウイの切実な訴えに、なんと答えを返していいのかわからない。
ターナさんとディルさんは、苦笑を浮かべていたしアイリも微かに頷いた事から
ユウイの家の食事事情は、中々に厳しい状態だったのかもしれない。
「そっか。なら喜んでもらえるかもしれないね」
僕は、アルト達を後ろに下がらせて十分スペースを確保する。
期待の眼差しを僕に向ける子供達を背に、狩った獲物を転送させた。
表れた魔法陣の大きさに、周りがどよめき
転送された魔物を見て、どよめきが沈黙に変わった。
その沈黙を破ったのはアルトではなく、エイクさんだった事に少し驚いたけれど。
「お前っ! それ……」
アルト達は見たことのない、大型の魔物を凝視して固まっている。
想像していたよりも、大きかったのかもしれない。
「これ? フィガニウス?」
「俺でも名前はしってるっての!!」
「美味しいらしいよ?」
「あーー!! だからっ!
お前、本気でそれを食うきか!?」
「うん」
「フィガニウスといえば、死ぬまでに一度は食べてみたい
幻の肉5指に入る魔物なんだぞ!」
「そうみたいだね。食材図鑑にもそんな事がかかれていたよ。
楽しみだよね」
フィガニウス……。牛に近い魔物だがその大きさは牛より遥かに大きい。
僕が狩ってきたものは、村人全員でお腹一杯食べたとしても
3日分ぐらいは賄える量になるんじゃないだろうか。
味は極上らしい。幻のというのは味
そして見つける事が稀という2つの意味がある。
生息しているのが
凶暴な大型の魔物が徘徊する場所に居るので
そう簡単に踏み込む事が出来ないということと
生息数自体が少ないのか……それとも、森のもっと奥の方に生息しているのか
見かける事が少ないらしい。サガーナだけではなく違う場所でも目撃はされている。
なので……。
「いや、だからそういうことじゃなくて!
普通売るだろう! 売れば2年~3年は暮らせるだけの金が入る」
エイクさんの魔物の情報に、今までその大きさに驚いていた人達が
今度は違う意味で、驚きの表情を作っていた。
「そうだけど、食べるために狩ってきたんだし。
それに、僕も食べてみたい。幻のってつくからには美味しいんだろうし」
「というかな。お前……これをどうやって見つけて
どうやって狩ってきたんだよ……。" 酒肴 "のおっさんが
血眼になって探してんだぜ?」
「酒肴のおっさん?」
「チーム酒肴のリーダーだ」
「……」
チーム酒肴のリーダーといえば、黒の紋様もちの1人だ。
酒と食べる事が好きな人間が集まっていると有名だ、大所帯のチームで
確か、チームリーダーが何代か変わりながら存続している
古参のチームだったような気がする。魔物図鑑や食材図鑑を作ったのは
このチームの初期のリーダーだと言われている。
「酒肴だけじゃねぇ。傷のない皮を欲しがって
"剣と盾 "のリーダーも、探しているといっていた」
「……」
チーム剣と盾のリーダーも、黒の紋様の持ち主。
戦う事も好きだが、何よりもレアな武器や防具を集め愛で研究し
より強い武器や防具を作り出す事に命をかけている人達で
こちらは少数精鋭という感じらしい。
「エイクさんは、顔が広いんだね」
黒の紋様の持ち主、5人のうち2人と知り合いだというエイクさん。
「いや、俺じゃねぇ。邂逅のリーダーだ。
邂逅は "酒肴 "と "剣と盾 "のチームと同盟を組んでるからな」
「あぁ……そういえば、邂逅のリーダーも黒の持ち主だね」
黒は黒同士、色々繋がりがあるのかもしれない。
「そんな人間が、必死に探しても見つからない魔物を
お前は、短時間で狩ってきた。それに、そいつ……。
赤のランクだとしても、1人で狩れるようなもんじゃないだろ。
白の上位や黒ならともかくさ……」
「こう見えても僕は、それなりに強いんですよ。
竜の加護も貰ってますしね。魔物は僕の目の前にいたんです」
竜の加護は封じてあるが、魔物が目の前を歩いていたというのは本当だ。
「運が良かったとしかいえないですね」
「はぁ……。言いたい事は色々あるけどさ
とにかく、そいつは売った方がいいんじゃねぇの?」
エイクさんの言葉に、今まで黙って聴いていた
アルトが悲鳴に近い声を出した。
「えぇぇ!! 食べよう! 師匠、俺食べたい!」
「しとー、ゆいもたべたいなー」
アルトは、美味しいと聞いてもう食べるものと決めているのだろう。
ユウイは、ホロホロじゃなかったから食べたいといっているような気がする。
「お前ら、俺の話を聞いてたか?」
呆れたように、2人に視線を落とすエイクさんにアルトが反論する。
「売ったらお金は入るけど、食べれないじゃないか!」
アルトの台詞に、同じ事を僕もどこかで言ったような気がする。
さて? どこでいったんだっけ?
「その金で、別のものを食えばいいだろう?」
「嫌だ!」
「……」
アルトが僕の腕を握って、真剣な顔で食べたいと訴える。
ユウイも、僕の服の裾を引っ張っていた。
ふとアイリを見ると、もじもじしながらもその耳と尻尾は
食べたいなぁっという雰囲気を醸し出している。
そんな子供達の姿を見たら、売るなんていえない。
元々売るつもりもないけれど。
「これだけの大きさですから、全員で食べても余ると思いますし
余った分は……そうですね。僕とアルトの分を少し貰って
残りは、食糧倉庫の一部にでも時の魔法をかけますので
保存しておけばいいかな?」
「いや……余った分だけでもキューブにいれて
ギルドに持っていったらいいだろ?」
全員で食べようという僕の提案に、エイクさんが目を見張りながら
自分たちだけで食べて、残りはギルドへ持って行けと言う。
「おにいたん。うるさいですよ」
ユウイが痺れを切らしたのか、僕を気遣ってくれるエイクさんに
文句を言い始めた。
「うるさいって……」
そんな僕達に、声をかけたのは今まで成り行きを見守っていた
蒼露様だった。
「宴を開けばいいであろう。
火を囲み、食べ、飲み、歌い、踊るのじゃ。
遥か昔に、わらわも獣人達と共に楽しんだ記憶がある。
わらわも、その肉の味に興味があるのぅ」
肉を食べるという所に、少し違和感を感じて
思わず、疑問を口に出してしまった。
「精霊も肉を食べるんですか?」
「食べるであろう?」
「花の蜜とかしか食べないのかと」
「そなたの考える精霊とはいったいどういうものなのじゃ?
食べなくても、生きてはいけるが食べるのも飲むのも好きじゃ。
クッカもそうであろう?」
そういえば、クッカも甘いものやお茶を好んでいる事を思い出す。
しかし、肉も食べるととはおもわなかった。
こう……小説に出てくる精霊は、草花を食べるであるとか魔力だけで
生きてますという感じに描かれている事が多かった気がする。
違う世界では、もしかしたらそういう精霊もいるかもしれないが……。
肉食の精霊……少しおぞましい想像をして身震いする。
そんな僕に、蒼露様が呆れた視線を向けていた。
「と……とりあえず。宴はともかく
肉は、遠慮なく味わってもらえればと思います」
蒼露様から視線を外し、ロシュナさんとディルさんへと視線を移した。
「セツナ君はそれでいいのかい?」
「はい」
「それじゃぁ……セツナ君の言葉に甘えて
美味しく頂くとしようか。蒼露様も興味をもたれているみたいだしね」
ロシュナさんの言葉に頷く僕を見て、アルト達の顔に笑顔が広がった。
エイクさんが信じられねぇと呟くのを聞いて、思わず苦笑を浮かべてしまう。
冒険者として仕事をしているのならば
食べるよりも売る事を考える人が多いんだろうとは思う。
「エイクさん。良ければだけど、酒肴と剣と盾のリーダーが
求めるものを持っていってくれてもいいですから」
「はぁ?」
「血眼になって探してるんでしょう?」
「そうだけど」
「その情報をしっているエイクさんが、この場にいるんだから
運良く手に入れたっていうことでいいんじゃないですか?」
「うーん」
「僕が1人で狩ったっていう事は黙っていて欲しいですが」
「まぁ、そこら辺はうまくごまかしておくけどさ。
いいのか?」
「はい」
「確か酒肴は肝臓で、剣と盾は皮だ」
「肉じゃなくて、肝臓なの?」
「ああ、肝臓の燻製を作りたいらしい」
「へぇ……美味しいのかな」
「どうだろうな。あのチームの事だから
きっと酒にあう料理なんだろうけど……」
「お酒にあう……」
「……」
「エイクさん……」
「あぁ?」
器用に眉を上げながら、僕に返事をするエイクさん。
これから僕が言う事の予測はついているようだ。
「肝臓全部持っていっていいですから
出来上がったら僕にも分けてもらえるように交渉して欲しいな」
「……お前……」
「ちゃんと報酬も支払います!」
「いらねぇ……。わかったよ。わかった。
お前の分は俺が責任持って、貰ってくる。
ギルド経由で、送ればいいんだろう?
後でお前のカードをよこせよな。俺のも渡すから」
「ありがとう。お願いします」
エイクさんが疲れたように肩を落とし、諦めたように小さく呟いた。
「お前は本当……俺に食い物系のことしか頼まない」
僕とエイクさんが話している間に、ロシュナさん達が段取りを話し合っていた。
村人の男性全員で解体するらしい。
女性は調理担当で何を作るか話し合っているようだ。
「師匠、俺丸焼きがいい」
アルトの言葉に、ロシュナさんとハンクさんが顔を見合わせて笑った。
2人が何に対して笑ったのかがわからなくて、首をかしげると
ロシュナさんが、懐かしそうな光を目に宿しながら教えてくれた。
「ラギールも、よく丸焼きが食べたいと言っていたよ。
この大きさのものを、丸ごと焼くのは無理だから
もものあたりを、丸焼きにしようか? それでいいかい?」
ロシュナさんがアルトにそう尋ね、アルトは元気よく首を縦に振ったのだった。
気が済んだのか、アルト達は魔物の解体を見に行くといって僕から離れた。
そんなアルト達の背中をみながら、ロシュナさんが話を続ける。
「セツナ君は、欲しい部位はないのかい?
君が狩ってきたんだ、君に権利があるんだから
遠慮せずに、先に取らないといけないよ?」
「特に欲しいところはないですね。
皮と肝臓は、エイクさんに渡してもらってもいいですか?」
「わかった。それじゃぁ……。
腰辺りの柔らかい部分でいいかい?」
腰辺りの柔らかい……。
部位で言えばサーロインって言う事になるんだろうか。
「そうですね。有難うございます。
全部はいらないので、後は……筋あたりを少し取り分けて
もらえますか? 残りは、好きなように料理してください」
「了解した」
その言葉の後、少し沈黙があり、ロシュナさんが穏やかな笑みを浮かべ
僕を見る。
「私達は、君に甘えてばかりだな」
「……」
「君がこの場に帰ってきたら、どう言葉をかけようかという事ばかり
考えていた。半分は子供達のせいもあるんだろうが……。
考えていた言葉をことごとく、流してしまったよ」
そう言って、周りを見渡し楽しそうに魔物を解体している人
笑いながら、料理を相談している人達を目を細めて見ていた。
「皆もそれぞれ緊張していたと思う。
だけど、君と子供達のやり取りを見
エイクとの会話を聞き、各々が自然に振舞う方向へと
導いてしまった。君がね。君が意図した事なのか
そうでないのかは、私にはわからないが……。
それでも、こういう穏やかな空気に持っていってくれた事を
私は感謝しているよ」
「僕ではなく。アルト達が作った空気なんだと思います」
アルト達の、純粋な気持ち。
僕は、こんな優しい空気は作れない。
「ラギールがこの村を出て行ってから
宴など開いた事がない。若い者達も初めての経験だろう。
開く余裕もなかったからね。久しぶりに楽しめそうだ。
一番悩んでいた問題も解決したことだしね」
「僕が……」
僕の言葉をさえぎるように、ディルさんが言葉を挟む。
「主役はお前なのだから、姿を隠すなよ」
「……」
正直、参加してもいいものか迷っていた。
その迷いを、ディルさんが言葉でロシュナさんとハンクさんが視線で断ち切る。
「わかりました。僕もサガーナの料理が楽しみです」
「期待しておくといい」
ディルさんの言葉に、笑って頷いた所で
アルト達が、バタバタと走って僕のそばに来る。
「師匠! 解体するのに時間がかかるって言われた!」
「そうだね。あの大きさだから時間がかかるかもね」
「あれを食べるのは、夜になるってことだよね!?」
「うん、夕飯になるね」
すぐに食べる事が出来ると考えていたらしい。
今から解体して、料理してと考えると4時間以上はかかるんじゃないだろうか。
「師匠、俺お腹へって死ぬ!!」
「しとー。ゆいもしぬー」
「し……師匠、私もしぬ……かも」
若干一名、恥ずかしそうに言わされた感が強い感じを受ける。
お腹が減っているのは本当なんだろうけど……。
3人で何かをたくらんでいるようだ。
「でね、でね、師匠。俺……」
「とーなすたべたい!」
アルトの言葉を真っ二つに切り
自分の欲望に忠実に食べたいものを口にするユウイ。
「ユウイ! 俺が言うって言っただろ!」
「ユイとーなす、たべたことないよ?」
「私もない……」
アルトにどういう説明を受けたのかは知らないけれど
そこにあるのは、3人分の期待のまなざし……と。
アルト達に引っ付いていた、光の精霊の視線だった。
「まず……。とーなすが何かを教えてくれるかな?」
「とーなすじゃなくて、ドーナツだよユウイ」
「とーなすー」
「ドーナツだって」
アルトがユウイに教えているが、ユウイはとーなすとしか言えない。
ドーナツね……。僕はチラッと解体しているほうを見る。
僕が手伝いに入るより、任せてしまった方が彼等にとっては楽かもしれない。
「アイリ、ユウイ。我侭ばかり言うんじゃない」
ディルさんが、2人を嗜めるように2人を見ながら言葉をかける。
しょんぼりと項垂れるアイリと、ディルさんに元気に反論しているユウイ。
アルトは、我関せずという感じで僕の返事を待っている。
「ありゅが、とーなすおいしーって」
「そうか」
「おとうたん、とーなすたべた?」
「知らない料理だな」
「おとうたんも、たべたいよね」
ユウイは、アルトに聞いたドーナツの素晴らしさを
一生懸命父親に伝えようとしていた。その光景に思わず笑ってしまう。
鞄の中には、買いだめしている材料が豊富にあるから
作ろうと思えば、作れる。今から作っても夕食には響かないだろうと考え
作ろうと決めた。正直、ドーナツというよりサーターアンダギーに近いんだけど。
「時間もあるし、僕もお腹がすいてるし作ってみるかな?」
僕の言葉に、歓声を上げる3人と精霊が1人。
その歓声で、クッカが目を覚ます。
突然沸いた、にぎやかな声に注目を集めるが
嬉しそうに笑う子供達の姿に、目を細めまた自分達の仕事へと意識を戻す。
苦笑するロシュナさん達に、断ってから
アルト達をつれて、ドーナツを作るためにその場から離れた。
僕達の後ろを、ドーナツの説明を光の精霊から聞きながら
蒼露様もついてきていたのだった。
カード:名刺のような物。お互いが知り合いだと言う事の証明書。
(刹那の風景1章:僕と月光:アギトと交換したものと同じ)
読んでいただき有難うございました。