『 セツナ 』
嘘をつくたびに、鋭い痛みが体を襲う。前以て痛みを緩和する薬を飲んでいても
痛みを感じるのだから、奴隷商人たちを襲った痛みは凄まじいものだったはずだ。
この薬による痛みで、あの時の僕の心はすぐに折れた。
なのに、彼等の心は折れるどころか僕に対する敵意を増していった。
正直すぐにでも口を割るだろうと
高をくくっていたから、彼等に与える薬を僕自身も飲んだのだ。
薬がどれくらいの時間で効くのかが分らなかったから
自分自身を使う事にした。
彼等に、放った言葉を思い出し自分を哂いたくなる衝動を抑える。
少なくも、僕が思い描く通りには進んでいなかったのだから。
痛みと、記憶の中に残る精神的な苦痛と合わさって
僕の心は、時を刻むほどに余裕をなくしていった。
同じ薬を与えられ、同じ痛みを経験しすぐに心を折った僕と折れない彼等。
彼等に質問しつつ、心の深いところで僕と彼等の違いを考える。
違いはいったい何なんだろう?
その答えは、フゼイルさんの小さな呟きで解決する事になる。
彼はこう言ったのだ。
【帰らなければ】
- ……帰らなければ……。
そうか。彼等には帰る場所があるんだ。
それが僕と彼等の決定的な違い。
- ……。
それにあの時の僕はもう、孤独も痛みも絶望も全て受け入れ
生きる事さえ諦めていたのだから。
生きる為に足掻いている彼等と、比べる事が間違っているのだろう。
僕の心が少し沈む。
堂々巡りの会話に、埒が明かないと彼等の希望だった
魔道具を砕き、種を明かす。これで少しは素直に話してくれるかと思ったけれど
僕の思惑はまたしても外れてしまった。
火に油を注いでしまったようだ。
どうして彼等は自分の罪を認めないのだろう?
その答えもあっさりと見つかる。
「保護だ? 俺達の商品を奪い
己の交渉に使ったんだろう?」
あぁ……彼等にとっては僕が悪なのか。
彼等にとって見れば、僕は泥棒という事になるらしい。
彼等にとって、獣人は商品。商品を仕入れ、売って何が悪いという事になり
クットとサガーナの法は自分達を守るための逃げ道になるのだろう。
彼等はクットの民ではなく、本当はガーディルの民なのだから。
クットやサガーナでは、獣人の誘拐・奴隷売買は罪に問われる。
だが、ガーディルでは普通に商品として扱われているのだから。
だけど彼等は、国籍がガーディルである事を口にすることができない。
ガーディルの人間だと認めれば首をはねられるから。
だから僕は、彼等にこう告げた。
「サガーナでも、クットでも誘拐は犯罪です。
犯罪者を野放しにするわけがないでしょう?」
「貴様っ……」
僕から見れば、彼等が犯罪者。
彼等から見れば、僕が犯罪者。
だけど、ここはサガーナ。ガーディルではない。
そして今の僕は、サガーナとクットの契約を知らない新米商人。
国によって、法も違えば価値観も違う……。
子供の頃は、ただ純粋に正義の味方になりたいとあこがれた。
両親に、祖父に正義の味方になるんだと熱く語った。
勧善懲悪の世界。悪人は悪人でしかなく。ヒーローはヒーローでしかない。
そこに入り組んだ、様々な想いや背景など少しも気にすることなく
ただ、悪人を懲らしめる物語。僕もヒーローのように人を助けたいと思った。
だけど、それが夢物語である事に誰しも気がつく時が来る。
本当の悪人など、ほとんど居はしないことに気がつくのだ。
互いに立場や、思想があり、簡単に善悪を決めることができず
正義や悪は、自分の価値観により構成されることに。
そして、個人個人の正義を見つけることになる。
僕の場合は両親だった。
僕の為に、そして人の為に働く両親を見て
僕は医者になりたいと強く思う。それが叶わない夢だと分っていても
正義の味方になるのと同じぐらい、夢物語を語っていると知っていても
そう思ったんだ。僕も、こんな僕でも人を救いたいと思ったから。
だけど、僕は正義の味方にはなれなかった。
そして、医師になれなくて正解だったようだ。
なぜならば、今目の前で苦痛に顔を歪めのた打ち回っている彼を見ても
僕の感情は動かないのだから。
『刹那。命は尊いものだ。
それが善人であれ、悪人であれ助かる命ならば助けるのが医師だ』
父の言葉がよみがえる。
父さん、僕は敵だと認識した人の命を奪えます。きっと僕は助けない。
父さん、僕は貴方の息子でありながら医師には向いていなかったようです。
- ……。
『そなたは人でありながら、人が嫌いなのか?』
蒼露様の言葉がよみがえる。
僕は、人ではないのですよ蒼露様。
僕は、この世界で生まれた住人ではありません。
僕は僕が何なのか、解らない。
僕は僕であるのか、解らない。
この体は、親友を犠牲にして与えてもらった体で
魔力が尽きない限り、維持できる。
頭の中の記憶は、僕だけのものではなく
見たことがない風景に、不意に感じる既視感は既視感ではなく
時折感じる、追想は僕の感情ではない。
僕が僕である証は、この世界に唯一つしかなく。
その一つですら、僕は捨てました。
だけど僕は、その欠片に縋り付いている。
僕が僕で居るために。僕が僕を忘れない為に。
僕に国はなく、本当の僕を知っている人もいない。
無理やり同族を作るのならば、1人だけ僕に近い人が居る。
僕と同じように浚われてきた人が。
僕の身代わりになった人が……。
様々なものを見る事は、幸せであり。
健康な体で歩ける事は、喜びであり。
カイルや花井さんの残した功績はきっと素晴らしいもので
彼等から与えてもらった幸運を、僕は僕なりに返して行きたい。
だけど。
ダケド……ハ、ソレト、オナジグライ……ガ……イ。
- ……。
- ……。
狼の村に身柄を渡すといった僕の言葉で
オーバルトさんの瞳に希望が宿ったのを知っている。
- ……。
浚われる事で、運命を変えられた僕。
そして、僕の身代わりの勇者も運命を変えられた。
浚われ奴隷にされた事で、運命を変えられた獣人……。
酷い傷と、焼印を付けられたシーナさんもその1人。
シーナさんを浚ったのが目の前の奴隷商人だとは限らない。
でも、僕がアイリを見つけなければアイリが同じような姿に
なっていたかもしれない。
浚い、奪い、陵辱し、縛り付け、絶望と孤独を与える
奴隷商人という存在の彼等。
彼等の正義と僕の正義は、交差しない。
彼等が僕を悪だというのなら
悪は悪らしく……彼等の希望という芽を全て摘み取ってやろう。
僕と会ってしまった事が不運だったんだ。
恨むなら、僕をここに浚ったガーディル……君らの故郷を恨め。
殺しはしない。
本当の絶望というのは、生きていなければ感じる事がないのだから。
読んでいただき有難うございました。