『 私と少年と訃報 』
* 青狼の長視点
冷たくなってきた風に、襟元をかきあわせて風から身を守る。
すぐに戻ってこれるだろうと、薄着をしてきたのが失敗だったようだ。
深刻な状況が続く中、蒼露の葉が足りないと嘆く村に届け
それぞれの村の情報を集めるのに、手間取ってしまった。
蒼露の樹のことを考えると、無意識にため息がこぼれる。
蒼露の樹は、青狼の村と狼の村とで母体となる樹を管理している。
私が生まれる遥か昔から、この樹は存在していたという不思議な樹だった。
蒼露の葉を煎じて飲むと、病気や怪我が治る事から魔法が使えない獣人達にとっては
命の樹とも言えるだろう。蒼露の樹はサガーナの象徴と言ってもいい。
私達獣人が、人間からの迫害によって滅びの道へと進もうとしていたとき
1人の人間が、すべての獣人で協力して国を立ち上げろと先導した。
各部族の長が蒼露の樹の下に集まり、決まりごとを作り人間と戦う事を決めたのだ。
そして、人間との全面戦争の中蒼露の樹から実が落ちると
それが、芽を出し小さな苗木となった。
それは……今も心にずっと残っている奇跡。
各部族の長が苗木を持ち帰り、その土地に埋めた瞬間
爆発的に成長し、母体の蒼露の樹よりは小さいが立派な樹となり
戦いで傷ついた者、病気の者を包み込むように蒼露の樹がその恩恵を
分け与えてくれたのだった……。
1本の母体となる蒼露の樹の周りにも、かつては白、黒、茶、銀、青と
5種族の狼の一族があったが、どの種族も数を減らし
今は白、黒、茶とひとつの村に収まっている。
銀狼は……数を減らし今では、2人のみになってしまった。
人間との戦いは本当の意味ではまだ終わっていないが……。
現状、皆幸せな生活を送ることが出来る基盤が整ったところなのだ。
それなのに……。
私は、何度ついたか分からないため息を吐いた。
この息が白くなるもの時間の問題だ。本格的な冬が来る前に解決できればいいのだが。
村の入り口である門をくぐると、3日ほどしか離れていなかったのに
どこかほっとしたような気持ちになった。
自宅へと足早に歩いていると
私の補佐をしてくれているトリンが駆けて来る。
「長、ロシュナ様お帰りなさいませ」
「ああ、戻ったよ。村に変わりはないかな」
「あー……。白の長がおいでになっております」
「ハンクが? 来る予定はなかったような気がするが」
「はい、急なご用件のようで……」
歯切れの悪い、トリンを促し自宅へと歩く。
玄関前に差し掛かったところで、一度止まりトリンに尋ねる。
「用件は?」
「青狼の子を連れて来たとおしゃるんですが
私にはどう見ても、茶狼にしか見えず……」
「呆けたかな……」
「呆けとらんわ!!」
ぼそっと呟いただけなのに、なぜか玄関に居たハンクに聞かれてしまった。
「……やぁ、ハンク暫く見ないうちにまた老けたね」
「お前は、全く変わらんな」
私とハンクは、親友同士だ。年齢もほぼ同じなのだが
青狼と銀狼は普通の獣人と違って寿命が長い。
「それで、急に何のようだって?」
「青狼の子を連れてきたと言ってたろうが」
「本当に青狼の子なのか?」
「そうだ」
「なら、会ってみようかね」
やれやれと思いながらも、応接室へと向かう。
私の後ろから、ハンクとトリンが続く。
ハンクは、「人を耄碌したように言いよって」と零していたが
聞こえない振りをして、先に進む。
応接室に居た少年は、私が見てもやはり茶狼に見えた。
少年と目が合うと、少年は少しキョトンとした表情を作り
そして、私の後ろのいるハンクを視界に入れた途端
ものすごく嫌そうに、眉間に皺を寄せた。
「この小童が、魔法を解いておけと言ったろうが」
ハンクの言葉に、少年の眉間の皺がますます深くなる。
「俺は、魔法を解きたくないと言ったはずだ」
「うるさい! 解けといったら解け!」
「うるさいのは、じじいのほうだろう!」
いがみあう2人に、一体どうなっているのかが分からなく
隣のトリンを見ると、肩をすくめながら首を振った。
少年とハンクに座るように促し、私もソファーに腰掛ける。
トリンは、私の後ろで立っていた。
「まぁまぁ、2人とも落ち着いて。
えーっと、君の名前を聞いてもいいかな?」
「俺はアルトといいます」
立ち上がり、お辞儀をする少年に驚く。
ハンクとのやり取りと、私に対する態度が全く違った。
この2人の間に、一体何があったのか気になるところではあるが
それは後回しにしよう。
「初めましてアルト君、私は青狼の長をしているロシュナという。
ロシュナでも、蒼の長でも好きなように呼んでくれていい」
「初めまして……」
「さて……私はどう見ても君が茶狼に見えるんだけど
君は青狼なのかな?」
「俺は青狼だと思う」
「思う?」
「俺の両親は人間だったから、俺にはよく分からない……」
「……そう」
彼の告白に、トリンが息を詰めた。
私も内心驚くが、表情に出さないように気をつける。
「君のその髪の色は、どうしたのか聞いてもいい?」
「俺の髪の色と目の色は、師匠が変えてくれたんだ」
「師匠?」
「うん、俺に戦い方や勉強を教えてくれる人です」
「人間じゃ。人間がこの小童の師匠とか言っておる。
どこまで本当かは、わからん」
「……」
ハンクの言葉に、私は黙りこみ
アルトは、ハンクを睨みつけていた。
「アルト君、その髪の色は元に戻せるのかな?」
「……戻せ……る」
「一度戻してみてくれないだろうか?」
私の言葉に渋る様子を見せるアルト。
しかし、どこか諦めた様子で「解除」と彼が言った瞬間
彼の髪の色と瞳の色が変わった。
彼の本当の色を見て、今度は驚きが顔に出てしまう……。
「何てことだ……」とトリンも呟くほど驚いていた。
アルトの色は……宗教国のエラーナの神と同じ色だったから。
私達は、毛の色が青だと言うだけでエラーナの国の者から
生贄として狩られることがある。それを避ける為にこんな奥深いところで
暮らしているのだが……。
人から生まれたと言う事は、人里で暮らしていたはずだ
よくここまで生きていられたなと、正直感心した。
親に大切に守られていたのだろうか。
「綺麗な髪と綺麗な瞳だね」
私のほめ言葉に、アルトは少し嫌そうに眉をしかめた。
「俺はこの色は大嫌いだ。
師匠が居ないから、前の色に戻せない……」
少し落ち込んだようにそう呟いた。
「どうしてだい? 私は綺麗だと思うが
君の師匠が、その色が嫌いだといったのかな?」
そう告げた瞬間、アルトは私を射るように視線を合わす。
「師匠もこの色を好きだといってくれる!
だけど、俺はこの耳のせいで! この尻尾のせいで!
人から生まれたのに、親に奴隷商人に売られたんだ!」
「……」
「……」
「俺の最初の色は白だったけど……それでもこの色は
いろいろな事を思い出すから、大嫌いだ」
怒りと悲しみの混ざった感情を、真っ直ぐに私にぶつけてくる少年に
私達は絶句するしかなかった。
「そうか……。それで、アルト君は私に何か用事があったんだよね」
とりあえず、話題を変えて話を先に進める。
彼のことは後で、ハンクに尋ねたほうがよさそうだ。
「別に……俺はこんな所に来たくなかったけど……。
師匠が行けっていうから……」
今度は、しょんぼりと肩を落とすアルトを見て
この少年の中で、師匠と呼ばれる人間はとても大きな割合を
占めていることがわかる。
「どうして、君の師匠は私に会うように言ったのかな?」
「故郷が必要だって。俺にはよく分からないけど
同族が居るのなら、一度あって話をしておいたほうがいいって。
故郷があるというのは、帰れる場所があるという事だって
俺は……師匠の居る場所が、俺の居場所だって思うのに……」
そして最後に呟くように、口から出た言葉は
自問するものだった。
「師匠は何で俺に、故郷を作ろうとするんだろう……」
「アルト君は、この村で暮らすということでいいのかな」
アルトをここに連れてきて、私に会わせるということは
ここで面倒を見て欲しいということだろうと思った。
「違う。俺は師匠のところへ帰る。
俺は、俺のやりたい事を見つけるために師匠と旅をしてるんだ。
師匠と同じように強くなって、俺は何時か黒になるって決めてるんだ」
真っ直ぐ揺るがない視線を私に向け
この村で暮らすことを、即座に拒絶した。
「君の師匠は、君が戻る事を良しとしている?」
「……俺の好きにしたらいいって言ってた。
師匠は、俺が決めた道を信じるって」
「そう」
「ふん、あのへなちょこな魔導師の側で強くなれるとは思えんがの」
「師匠はへなちょこじゃない!」
「わしには、へなちょこにしかみえん」
「師匠は、じいちゃんと勝負して勝ったんだ!」
「どうせ、そこら辺の耄碌爺に勝っただけだろうが」
「耄碌爺はお前だ!」
「どこに、耄碌した爺が居るんじゃ」
「この中で、爺はお前しか居ないだろう!」
確かに……見た目では……ハンクしか居ない。
トリンの肩が小刻みに震えている。
「なっ! この口の悪い小童めが!」
まだ幼いといえる少年と同じ次元で口論しているハンクに
少し呆れた視線を送るが、ハンクは気がつかない。
「小童の性格が悪いのは、お前の師匠のせいじゃな」
「違う! お前の性格が悪いからだ!」
「わしのどこが悪い!」
「全て悪い!」
止めなければどこまでも口論してそうな2人に
呆れるのを通り越して、笑いそうになるが堪え
「アルト君、じいちゃんって誰のことかな?」
「じいちゃんは、獣人だよ。
名前はラギっていうんだ」
「ラギ?」
「うん……あー……ここでは確か、ラギール?」
思いもしなかった名前が出て、呼吸が止まる。
長年探していた、親友の名前がこの少年の口から聞かされるとは思わなかった。
「……あの人間が……ラギールに勝っただと……。
あの人間は……ラギールを殺したのか!」
ハンクが、低く唸るようにそう呟くと同時に
アルトが殺気を放ちながら立ち上がる。
そして、今までとは違う静かな声を響かせた。
「じいちゃんは、俺と師匠で看取ったんだ。
ベッドの上で静かに……笑って逝ったんだ……」
憤りを抑える事が出来ないのか、アルトの手が
剣の柄にかかりトリンが少し動く。
しかし、アルトは自分の意思で剣の柄から手を離し
右手で、左腕にはまっている腕輪に触れる。
殺気を消し、大きく息を吐き出すと
鞄を開け、その中から剣を取り出し机の上に置く。
その剣は……私達がよく知るラギールのものだった……。
ハンクは、ラギールの死を聞かされ俯いている。
そして次に、手紙を2通取り出すとそれも机の上に置いた。
「1つはじいちゃんから。もう1つは師匠から。
そしてこの剣は、蒼の長に渡して欲しいと頼まれたから持ってきた」
「……」
「俺がここに来た目的は、じいちゃんから剣と手紙を届けるように
頼まれたからだ。もうここに用はないから、俺は帰る」
そう言って立ち、扉に向かって歩き始めるアルト。
その背中に、少し慌てて声をかけた。
「アルト君。私はもう少し君と話しをしたい。
できれば、ラギール……君にとってはラギかな
ラギのことも聞かせて欲しい。私達とラギは親友だったんだ。
ずっとあいたくて……探していた。お願いできないかな」
「……」
アルトは振り返り、チラッとハンクをみて私を見る。
「蒼の長だけなら話してもいい」
それだけ告げると、扉を開けて出て行ってしまう。
トリンに後を追って、この村から勝手に出て行かないように
監視する事を頼む。トリンは一度頷き、静かに部屋を出て行った。
私は、彼が机の上においていったラギールからの手紙を手に取る。
手紙の封は、私かハンクにしか解けないようになっていた。
私が作った魔道具で封をしたようだ……戦いのさなか偽者の手紙を
受け取らないように考えたものだ。もし、捕虜になって無理やり何かを
書かされた場合は、また違う封の方法を考えていた。使う事はなかったが。
「その手紙は本物か……」
「ああ、本物だ。私達にしかあける事が出来ないものだ」
「あれは……もう逝ったのか……」
「……」
思いがけず聞くことになった、親友の訃報に私達の心は暗く沈む。
ハンクが立ち上がり、扉へ向かって歩く。
「暫く1人にしておいてくれ。あの小童のことは頼んだぞ」
そういい残し、部屋を出て行った。
私はまず、アルトの師匠と言う人間からの手紙を開ける。
手紙の内容は、アルトの生い立ちと人間との出会いが書かれており
アルトを村の子供として認めて欲しいと、綴られていた。
その文面はとても丁寧なもので、好感を抱かせるものだ。
彼がアルトを私に会わせる事にした理由も書かれている。
獣人として悩む事が出来たときに、アルトの力になって欲しいということ。
もし、アルトが彼と旅を続けるならば彼の身に何かあった場合
アルトの居場所を作りたかったということ。
そして、最後にアルトが村に残るか彼と旅をするかを決めるのは
アルトの意志に任せて欲しいという内容で、手紙は締めくくられていた。
決して幸せな境遇ではなかったアルトが、元気にしているのは
アルトが師匠と呼ぶ人間が、支えてきたからだろうか……。
この手紙だけで判断することは出来ないが……。
今のところ、そう悪い人間には思えなかった。
私は、彼からの手紙を封に入れ机の上に置く。
その時に目に入った、ラギールの剣にそっと触れた。
「お前は……ハンクの言葉を真に受けて
あれから一度もここの土を踏まなかったのだな……。
私達は、お前の帰りを待っていたと言うのに……」
剣から手を離し、ラギールの手紙を取り封を切り
手紙を取り出し開いた。
"この手紙が、アルトの手によってロシュナに届く事を切に願う。"
そこから始まるラギールの手紙は、アルトと人間……セツナという
青年との暮らしが事細かに書かれていた。ハンクと負けず劣らずの
人間嫌いだった彼が、ここまでこの青年に心を許していたのかと思うと
このセツナと言う人間に興味がわいた。
手紙をめくり、2枚目に目を落とす。
"私の最後の願いだと思って、聞き届けてもらえれば嬉しいのだが……。
私と最後の時を過ごした、アルトとセツナをどうか受け入れてやって欲しい。
アルトもまだ幼く、セツナは落ち着いているように見えるが……彼もまた
年若いのだ……。彼等の共通点は、頼るものが居ないと言う事だ
アルトは親に捨てられ、セツナもまた天涯孤独だという。
それでも、一生懸命生きている彼等を見て私は心から支えたいと思った。
彼等の成長を、側で見守りたいと……だが、私に残された時間は少ないようだ。
だから、村を捨てた私の身勝手な願いだとは分かってはいるが……ロシュナ
2人がこの先、何かに躓く事があったなら助けてやってはもらえないだろうか"
村を捨てた……ラギールと、親に捨てられたアルト。
そして、天涯孤独の青年セツナ……か。
それも、人間の師匠と獣人の弟子。
心休まる場所などなかっただろう。それを、天の采配なのかなんなのか
2人は孤独を抱えた、ラギールと出会ったか……。
ラギールは2人から、孤独を癒され
2人は、ラギールの側で羽を休めていたのだろう。
私は彼からの手紙を読みながら、ラギールが独りで
独りきりで死んだのではないと分かり、心から安堵したのだった。
手紙は3枚目に……。
"ロシュナとハンクには、とても迷惑をかけた……。
ネルとオルスは……元気にしているだろうか?
この手紙が、ロシュナに届いていると言う事は
私はもう、安らぎの水辺へと旅立った後だろう。
2人には、私が死んだ事は伝えないで欲しい。
最後にハンクと、蒼露の樹の下で会ったときに
私はもう死んだと彼女達に伝えたと聞いている……。
今更……真実を知らせる事などないと考えた……。
だから、私の剣だけ息子にオルスに渡してもらえないだろうか
私の形見だと言うのは伏せ、理由は何でもいい。君に任せる。
せめて……"
「剣だけでも、息子の側に……か……」
手紙の文字が滲む……。
「……っ」
"ロシュナ、君と会うのは先になりそうだが
先に向こうへ行っている。ハンクにもゆっくり来るように
伝えてくれ……。 ラギール "
ラギールからの手紙を、封筒にしまい机の上に戻す。
手のひらで、目を覆い様々な感情をやり過ごす。
彼の妻ネルと息子オルスの事を、何も知ることなく安らぎの水辺へと
旅立ったのは、ラギールにとって幸せなことだったのかもしれない……。
「ラギール、ネルとオルスは水辺辺りで君を待ってるよ……」
今はもう居ない友に……私はそっと呟いた。
読んでいただきありがとうございました。