『 僕と獣人との距離 : 後編 』
頭を下げたまま動かない、エイクさんに声をかける。
「エイクさん、シーナさんを支えていてください」
エイクさんは、すぐにシーナさんを抱きかかえて上半身を起こす。
そして、チラリと僕を見るとまたシーナさんに視線を落とした。
「お前は……俺達に何も思わないのか……」
「どういう意味ですか?」
「俺達のお前に対する態度は、好意の欠片もない。
俺達に不満をぶつけようとは思わないのか……」
「僕が、不満をぶつけたところで
苦しい思いをするのは、僕と貴方方の板挟みになってる
アルトとアイリですからね。2人がこれ以上辛い思いをしないのなら
僕の事など、どうだっていいんですよ。
僕はここに住むわけじゃないですから。一時の事です」
「……」
「とりあえず、痩せ我慢だろうが、意地だろうが
アルトが弟子である間は、僕がお手本にならないといけないわけです。
そう考えると、下手な事はできなくなりますよね?」
昨日の夜は少し……危なかったけど……。
「お前が、噂について何も言わないのは
アルトのためか……?」
「全てがアルトの為だというわけではありませんよ。
ただ、僕が風と時の魔法が使えると分かれば権力者が手を出してくる。
そうすると、僕の近くにいるアルトが狙われる事になります。
僕を利用しようとするためにね」
「だが、おまえ自身に向けられる目は……」
「そんなの、どうだっていい事です。
噂をどう受け取り、どう扱うかは本人しだいでしょう?」
「……本部からの依頼は、時の魔法関連なのか?」
「そうです。現在時の使い手は、僕を入れて2人しかいませんから。
だから、僕の個人情報は流れないようになっています」
僕が本当に隠したいのは、時の魔法ではないけれど……。
「アルトが居なければ、駆け上がれるだろう?」
「確かに、そうかもしれませんが……。
今走らなくてもいいでしょう? 後数年すればアルトも強くなる。
それからでも、遅くはないと思いますし……。
アルトと一緒に、歩くのも悪くないんです」
周りの獣人達も黙って僕達の話を聞いていた。会話が止まったので
僕は、シーナさんの首に手を持っていき、詠唱する。
「― 朽ちるまで時よ進め ―」
詠唱が終わり、シーナさんの首から首輪が壊れて落ちる。
それを見て、ネリアさんは崩れ落ちるように座り込み嗚咽を堪えるように
泣いていた。シーナさんの父親も涙を落とす。
「感謝する……」
エイクさんが僕にそう告げ、シーナさんを抱き上げようとするのを止める。
「眠っている間に、怪我の治療もしてしまいましょう」
僕の言葉に、驚いたように僕を見た。
「僕は風使いなので、怪我の治療も出来るんです」
「……」
シーナさんの首は、シーナさんが外そうと掻き毟っていたのだろう
小さな傷がたくさん出来ていたし、そこから化膿して酷い事になっていた。
僕は、その一つ一つを治していく。
首の傷を治し、シーナさんの顔を見る。
綺麗な顔立ちをしているのに、額の辺りから顎まで直線に
ナイフで切られた傷が残っていた。それだけではなく横にも傷が入っている。
痛めつける事が好きな人間に買われたんだろう……。
僕は、憤りを押し隠しシーナさんの顔に指を近づける。
「おい……」
エイクさんが、言葉で止めようとするのを無視して
指でその傷をなぞっていき、風の魔法と癒しの能力を混ぜながら
傷跡を消していく。
見る見るうちに消えていく傷に、エイクさんが息を呑んだ。
顔の傷が終わると、腕の傷へ、腕の傷が終わると足の傷と
僕が見えている範囲の傷は全て消す事が出来た。
「なぜ消せる……。
古い傷は、風の魔法では消えないだろう?」
「魔力を大量に使いさえすれば消す事は出来ます。
僕は2種使いなので、魔力量もそれなりに多いんです。
一般の風使いの魔導師には、辛いかもしれませんが」
僕の場合は、能力も混ぜながらだから
それほど魔力の消費はないけれど。魔法だけより能力も入れたほうが
傷跡が綺麗に消える。
「これで、大丈夫だと思います」
そう告げ、僕が立ち上がろうとした瞬間
エイクさんが僕の腕を掴んだ。
その表情は、怖いくらい真剣だ。
「まだ……魔力は残っているか?」
「ええ、大丈夫ですよ」
「虫がいいのは分かっているが……。
もう1つ頼んでもいいか……?」
「なんでしょうか」
「……」
頼みがあるというのに、僕の腕を掴んだまま
何も言わない彼に、首をかしげる。
エイクさんが、シーナさんに視線を落とし
そして、周りを見た。僕は、僕とエイクさんの周りに小さい結界を張る。
「これで、エイクさんの言葉は僕にしか聞こえません」
そう告げると、緊張したような表情で僕を見た。
「シーナの背中の焼印を消して欲しい……」
「……」
僕は、余りにも……想像していなかった言葉を聞かされて
一瞬思考が止まってしまう。エイクさんは僕の腕を強く握り
「無理なら……無理だと言ってくれ……」
「……いえ……消せますが……」
僕は、深く息を吐き心を落ち着けた。
「大丈夫です。消せます」
きつく唇を噛み、その目を憤りの涙で滲ませながら
エイクさんは一言「頼む」と僕に言ったのだった。
焼印を消すには、さすがにここでは無理だ……。
場所を変えましょうと言いかけた時に、僕の後ろに立っていた
アイリが倒れる。とっさに抱えたアイリの体はとても熱かった。
「アイリ!」
ターナさん達が、アイリを叫ぶように呼び
エイクさんも、心配そうにアイリを覗き込む。
「疲れがでたんだと思います。
ここまでずっと、緊張の中に居たでしょうし
自分の心の傷を後回しにしてきましたから、自分ができる事を
全部やり終わって、緊張が緩んだんでしょうね」
僕は、風の魔法で熱を下げる。
後はゆっくり寝て、両親の側で傷を癒していくしかない。
「ごめんな……」
エイクさんがアイリに謝りながら、頭を撫でた。
僕はアイリを抱えて立ち上がり、ターナさん達の所へと歩き
アイリの父親に、アイリを渡した。
「熱は下げておきました。
今日一晩ぐっすり眠れば、体調は戻っていると思います」
「わかった」
アイリの父親は、ターナさんにアイリを渡そうとするが
ターナさんは首を振った。
「シーナの残りの傷を消すんでしょう?」
「はい」
「姉は暫く動けそうにないから、私が手伝うわ」
僕はエイクさんに視線を送ると、エイクさんが頷く。
「わかりました」
「エイク、シーナを私達の家に連れてきて」
ターナさんの言葉で、僕達を取り囲んでいた人たちが
ゆっくりと自分の家に戻っていく。帰っていくときに、僕を見る表情は
今までのような憎しみや嫌悪ではなく、なんともいえない複雑な表情をしていた。
何を言うべきか、どうすべきか判断がつかないそんな感じだ。
ただ、彼等の纏う空気は格段に柔らかくなっている。
僕をどう扱っていいのかが決まらない為に、ぎこちない雰囲気はあるけれど
来たときの事を思えば、改善されているように思った。
アイリの家に着き、ターナさんに手伝ってもらいながらシーナさんの
傷を消していく。焼印は背中だけではなく、胸の上辺りにもつけられていた……。
焼印だけではなく、何度も執拗に鞭で打たれた後もある。
余りにも痛々しい状態に、様々な感情を胸に押さえ込み
歯を食いしばりながら傷を消していく。
全ての傷を消し終わったときには、精神的に疲れ果てていた。
このままテントに戻って寝てしまいたい……。
少しの間ほうけていると
僕が傷を治している間、一言も話さなかったターナさんが口を開く。
シーナさんの事を口にしないのは、僕を責めない為なんだろう。
「貴方はどうやって、アイリを見つけることが出来たの?」
ターナさんの問いかけに、そういえば
彼等は、どうして見つけることが出来なかったんだろう。
狼の一族は鼻が利くはずだ、アイリの匂いを辿ればすぐに見つけられたはずなのに
「多分無意識だと思うのですが、アイリの思念……。
想いみたいなものが、魔力に乗せられて流れてきたんです。
たすけてと繰り返し流れてくるので、様子を見に行ったら
アイリが袋に入れられて、担がれていた」
「……」
僕は鞄からアイリが入れられていた袋を取り出す。
「この袋に、入れられて運ばれていたんですが……」
よく見てみると魔道具のようだ。もしかしたらと思い
その袋を頭からかぶってしゃがんでみる。
「どうですか? 僕の匂いを感じる事が出来ます?」
「……いえ、感じないわ」
袋を外し、立ち上がる。
「この袋が、匂いを阻害する魔道具になっているようです」
そう告げたと同時に、部屋の扉が開いた。
「その袋は、私が預かろう」
扉の向こうで話を聞いていたんだろう、アイリの父親が入ってくる。
エイクさんは、シーナさんの様子を見てからターナさんに視線を向けた。
「大丈夫よ。全部の傷を消してくれたわ」
ターナさんがそう告げると、エイクさんが俯き足早に部屋から出て行った。
誰も追うことはしなかった。様々な感情が落ち着くまで1人になりたいだろうから。
僕は、アイリの父親に袋を渡し
そのついでに、アイリから預かった服も渡した。
「アイリに返すつもりだったんですが
嫌な事を思い出させそうで、渡せなかったんです」
ボロボロになった服を受け取り、それを見て一瞬殺気が混じったけれど
すぐに消してしまう。
「なぜ、私に殴られたの?
貴方なら、避ける事が出来たでしょうに
奴隷商人じゃないと言うのなら、殴られる必要はなかったでしょう?」
「……それは」
セリアさんが気がついたのなら、ターナさんも気がついているかなとは
思ってはいたが……。
「私に同情してくれたのかしら?
それとも、やっぱり奴隷商人で罪悪感にかられて
アイリを返しに来たのかしら?」
僕を睨むように、真っ直ぐ僕の目を見つめた。
「……いえ、そのどちらでもありません。
ただ……アイリの無事をもっと早く知らせる事が出来た。
だけど、アイリの願いと僕達の事情で街には寄らなかったんです」
「……」
「大切な人を……子供の無事を願いながら
日々を過ごすのは、どれほど辛いか知っていた。
だけど、僕は僕の事情を優先しました」
「だから、殴られてやったと?」
「……」
僕の自己満足でしかない行動に、何も言い返すことが出来ない。
「貴方の言い分だと、私は貴方に謝る必要はないという事なのね」
「ええ、謝っていただく必要はありません」
「……」
「むしろ……謝罪しなければいけないのは僕のほう……」
「貴方の謝罪も要らないわ。
私はやっぱり人間を許す事は出来ない」
「……」
「だけど……あの子が、アイリが貴方を信頼して
そして、私達にもそれを求めている。だから、私達は貴方を認める
努力をするわ。でもね、そう思っても気持ちがついていかない。
私達は、子供達のようには接する事が出来ない。余りにも多くの事を
知りすぎているから。獣人の歴史を人間達の行いを……そして……」
そこで言葉を区切りシーナさんを哀しそうに見つめた。
「理解してはいるつもりです。
僕とアイリが話すことを認めていただけるだけで十分です」
「そう」
ターナさんが一度俯き、そして顔上げ2人そろって僕に頭を下げた。
「私の娘を、保護し大切に守りながら連れ帰ってくれた事
ユウイの目を治し、シーナの傷を治してくれたことに心からの感謝を……」
「アイリが笑う事が出来るように、心を砕いてくださった事
アイリや私達が孤立しないように、気を配ってくださった事に感謝いたします」
人間に対する感情を、赤裸々に告白しつつも
僕個人に、心からのお礼を言ってくれる彼等に僕はただ
「どういたしまして」としか答えることが出来なかった。
2人と打ち解ける事ができるようになるには
少し時間がかかるかもしれないけれど、これからよりよい関係を
結んでいけるかもしれないと思うと、心が少し癒されたような気がした。
そして、2人の名前を教えてもらってから
僕はアイリの家を後にしたのだった。
読んでいただきありがとうございました。