『 俺と女の子 』
*アルトの共通語は、獣人語に吹き替えられています。
セツナは、獣人語を使っています。
俺は、目の前で泣いている女の子に
なんて声をかければいいのか分からなかった。
師匠がいきなり立ち上がり、難しい顔で何かを探っていると思えば
止めるまもなく、走っていってしまった。
一瞬で、見えなくなった師匠の背中に俺は愕然とする。
師匠の速度に、少しは追いついてきたかもと思っていたのに……。
俺はあの速度にはついていけない……。
「ムイ~」と鳴いて、俺の足に鼻を押し付けてくるムイのバンダナを見て
更に落ち込んでしまう。俺は……強くなっているんだろうか?
倒せなかった魔物が、倒せるようになっているから
少しは強くなっているとは思うけど……自信がない。
「ムイ……俺は、師匠やじいちゃんに追いつけるのかな?」
「ムイ~?」
「俺、ずっと弱いままだったらどうしよう……」
「ムイ」
ムイの鼻をつつきながら、ムイに少し弱音を吐いてしまう。
ムイとゴロゴロ転がりながら、師匠を待っていると
暫くして、師匠が戻ってきた。
師匠の両腕に、行くときにはなかった袋が抱えられている。
「師匠」と呼ぶ前に、声を出すなと合図をおくられ
師匠が袋をゆっくりと下におろし、袋の口をあけると中から
女の子が出てきた。師匠を見て小さな悲鳴を上げて
一目散に逃げ出す。何があったのかわからずに女の子を見ていると
首に、俺のよく知っている物がついていた……。
俺の頭の中に、あの時の記憶がよみがえってくる。
師匠と一緒に居るようになってから、少しずつ思い出さなくなっていた記憶。
体が冷たくなっていく、なのに汗が背中を流れ落ちるのが分かる。
体が震え、止めようとしても止まらなかった。
師匠は、奴隷商人からあの女の子を助けてきたんだ。
固まって動けない俺に、師匠が何時もより静かな声で俺を呼んだ。
師匠に言われたこと……いや、師匠にお願いされた。
この子を助けてあげてって、この子を助けることが出来るのは俺だけだって。
だけど俺は……俺は、目の前で泣いている女の子に
なんて声をかければいいのか分からなかった。
師匠と出会ってから、俺の周りは大人ばかりで
俺と同じ年の人も、年下の人も居なかったから余計に戸惑う。
女の子が声を殺して泣いているのは、きっとうるさいと殴られたからだろう。
師匠を見て、悲鳴が小さかったのも大きな声を出すと殴られるから。
俺は、師匠が俺にしてくれたことを思い出しながら
女の子へと近づく。確かあの時、師匠は音を立てて俺の側に来たんだ。
師匠に注意が向くように、俺を脅かさないように。
俺も音を立てて、女の子に近づく。
音に反応したのか、女の子の耳が微かに動くけど
体の震えは、近づく前よりも大きくなっていた。
すぐ側まで行ってゆっくりとしゃがむ。
『ひっ……』
俺が近づいたことで、息を詰まらせる女の子に
師匠がしてくれたように、出来るだけ優しく声をかけた。
「大丈夫。もう怖くない。師匠が守ってくれるから。
もう怖い人は居ないんだ」
『……ぅ……』
俺は声をかけながら、女の子の怪我の状態を見る。
軽い怪我なら、俺でも治療できるようにはなっていた。
薬草の種類はまだ全部覚えることは出来ないけど……。
見える場所しか分からないけど、骨が折れていることはなさそう。
その事に少し、安心する。よかったと思う。
骨が折れると痛い……。治療を受けることが出来ずにそのまま放置されると
もっと痛い……。歩くのも辛いし、走ることも出来ない。
だけど、女の子の場合は見えないところを殴られたり
髪の毛をつかんで、持ち上げられたりと傷がつかないように痛めつける……。
男の場合は……平気で顔も殴られるけど……。
俺は、師匠と会う前の俺を思い出し一瞬歯を食いしばる。
「大丈夫。師匠が助けてくれるから。
帰りたい場所に、送ってくれる」
『……』
俺の言葉に耳が動く。恐る恐る女の子が顔を上げた。
涙をこぼし、震えながら俺を見る女の子。
俺の顔を見て、耳を見て、尻尾を見て驚いたように目が開いた。
「どこか痛いところない?」
ずっと泣いていたせいか、しゃくりあげて呼吸が苦しそうだ。
「ゆっくりでいいよ。もう怖い人はいないから
泣かなくても大丈夫」
師匠が俺にかけてくれた言葉はたぶん、こんな感じだったと思う。
ゆっくりと、俺を安心させるように……声をかけてくれていた。
『あ……な……たは?』
震えて、声を詰まらせながら
女の子は、小さい声を出した。
「俺は、アルト。師匠と冒険者をしてるんだ」
俺が師匠のほうへ視線を向けると、女の子も一緒に師匠を見る。
師匠を見た瞬間、体を大きく震わせてすぐに視線をそらす。
『あ……なた……どれい?』
女の子の言葉に「俺は奴隷じゃない!」と一瞬声を荒げそうになるのを
ぐっとこらえた。師匠は一度も俺に声を荒げたり、怒鳴ったりはしなかった。
少し呼吸を深くして、優しく優しくと心の中で唱えながら答える。
「俺は奴隷じゃない、よ」
『わたし……は、あのひとに……かわれたの?』
「師匠は、君を奴隷商人から助けてきたんだよ」
多分。師匠から詳しい事情を聞いていないから
よく分からないけど……。
『……にんげん……なのに?』
「師匠は人間だけど、優しいよ。
俺も奴隷だったんだ」
俺の言葉に、女の子が俺を凝視する。
「だけど、師匠が助けてくれた。
奴隷だった俺を助けてくれたんだ」
『……』
「奴隷の首輪がないだろ?」
俺が首を見せると、女の子がコクっと頷き
そして自分の首に手をあてて、また目に涙を浮かべた。
ぽろぽろと泣く女の子に、少し困る。
首輪は師匠が外してくれると思うけど……。
俺は、そっと女の子を抱きしめる。師匠が俺に温もりを分けてくれたように。
もう怖くない。もう大丈夫という気持ちを込めて……。
女の子は、驚いたように体をすくませたけど
俺が抱きしめて背中を軽く叩くと、俺にしがみついて泣き始めた。
この子の気持ちは俺も分かる。
この子は俺よりもまだ小さいのに……。
『お……とうさん……おかあ……さん……』って泣きながら呟いてるから
きっと、親に売られたんじゃないみたいだ。よかった。
俺にしがみつき泣く女の子の涙で、俺の服がぬれていって
後で着替えようと思いながら、俺はじっとしていた。
女の子は、まだ少し呼吸はくるしそうだけど
泣き止んで体の震えも止まっている。少し落ち着いたみたいだ。
「痛いところはない?」
『あし……と、うでが……いたい』
「それじゃ、師匠のところへ行こう」
俺が立ち上がり、師匠のところへ行こうとすると
女の子が俺の袖をつかんでまた震えだす。
「大丈夫。師匠は殴らないし怒らない。
それに強いんだ! 師匠は最強なんだ!」
俺は師匠の凄さを、女の子に教えた。
『……さい……きょう?』
「うん! 俺は師匠が負けたところを見たことがない!
だから、絶対君も守ってくれる」
『……こわ……く……ない?』
「怖くない! 1人で行くのが怖かったら
俺が手を繋いであげるから。一緒なら怖くないだろう?」
女の子は少し俯き、目を彷徨わせていた。
「行こう?」
師匠は優しいから、きっと好きになる。
俺が、袖をつかまれてないほうの手を差し出すと
女の子は、少し考えてからゆっくりと俺の手を取った。
ここで俺は、女の子の名前を聞いていないことを思い出した。
「君の名前は?」
『わたしは……アイリ』
「アイリか。俺はアルト。
師匠が名前をくれたんだ」
『わたし……は、おとうさんが……つけてくれたの』
「いい名前だね」
『……』
そういうと、アイリの涙が地面に落ちた。
俺は急がないように、アイリが歩くのにあわせながら
師匠の側へと歩いていく。師匠に近づくに連れてアイリの体が震えるけど
頑張ってとか、大丈夫とか声をかけて師匠の前まで来た。
師匠は、じっと同じ場所に座っていて
俺が、アイリと話している間全く動かなかった。
「師匠、この子はアイリっていうんだって」
アイリは震えながら、俺の腕にしがみついていた。
『いい名前だね。初めましてアイリさん』
『……』
『僕は、アルトの師匠をしているセツナといいます』
『……』
アイリは、ずっと俺を見て震えている。
師匠はそんなアイリの様子を気にしないで、優しくアイリに話しかけていく。
『痛いところはないかな?』
『……』
アイリが答えないので、俺が変わりに答えた。
「腕と足が痛いって」
『少し足と腕を触るけど、僕が怖かったら
目を閉じて、アルトにしがみついていていいからね』
そう告げると、師匠はゆっくりとアイリに手を伸ばす。
アイリはギュッと目をつぶって、俺にくっついていた。
ちょっと、苦しい……。
師匠が魔法を使いながら、アイリの怪我を治していく。
痛みを覚悟していたのに、全く痛くないことを不思議に思ったのか
そっと、アイリが目を開けた。
アイリは、師匠が傷を治すのを驚いたように
そして真剣に見つめていた。
全ての傷を治すと、師匠がアイリの首に指を伸ばす。
アイリが一瞬体を引こうとするけど、俺を掴んでいるから大きくは動けない。
師匠の指が首輪に触れる。
その瞬間アイリの首にはまっていた首輪が地面に落ちた。
自分の首から、奴隷の首輪が外れたのを見てアイリが小さな声で呟く。
『とれ……ない……っていってた』
「……」
『こわいひとたちが、……かぎをすてたから。
もう……ぜったい、とれないって……いってた』
俺もそう言われた……。
鍵はない。お前は死ぬまで奴隷だって……。
あるのは、俺を痛めつける道具だけだって……。
『……』
俺も師匠がどうして、首輪を外せるのか知らないけど
外れたんならいいんじゃないかと思う。
アイリはまだ地面に落ちた首輪を見ている。
『アイリさん。首の傷を治すからね』
師匠はそう言って、アイリの首の怪我を治した。
アイリは、じっと師匠を見つめていた。
『……』
『痛くない?』
師匠が確認すると、アイリが頷く。
『他に痛いところはないかな?』
師匠の声はどこまでも穏やかだ……。
『……だ……い……じょうぶ』
小さな声で、師匠に返事を返すアイリ。
『そう、よかった。お腹はすいてる?』
『……』
コクッと一度頷く。
『もうすぐ、ご飯が出来るからね』
『……』
アイリはまだ、師匠を警戒しているようだけど
アイリに危害を加える人ではないことは、分かったようだ。
俺も、師匠と会ったときは警戒していたから仕方ないと思う。
そのうち、師匠が最強だって気がつくだろう。
『アルトもご苦労さま。よく頑張ったね』
「……」
そう言って師匠が、俺の頭を撫でてくれた。
師匠は、俺が色々思い出していた事に気がついていたんだ……。
俺は、少し嬉しくなって師匠に笑って返した。
師匠は何時も俺を守ってくれる……。
そんな俺と師匠を、アイリは黙って見つめていた。
師匠は、今ご飯の用意をしている。スープはもう出来てるみたいだから
後は、パンともう1つおかずがつくのかな? 少し楽しみだ。
何時もなら俺も手伝うのだけど、アイリが俺から離れないから
俺はアイリと一緒に食事が出来るのを待っていた。
そこで俺は、ムイの姿が見えないことに気がつく。
「師匠、ムイが居ない!!」
思わず叫んだ俺に、アイリが肩を震わせた。
『ムイなら、そこで寝てるでしょう?』
師匠が指差す先に目をやると、ムイが幸せそうに寝ていた。
「……」
ムイの場所へ移動しようとすると、アイリが俺の服の裾を引っ張る。
「あっちに、俺の友達がいるんだ。
アイリにも紹介するから、一緒に来る?」
『……うん』
ゆっくりと立ち上がり、師匠の位置を確認してから
俺の後について恐る恐る歩く。
アイリは、師匠の動きがどうしても気になるようで
師匠が動くたびに、師匠の位置を確認している。
師匠は、そんなアイリに気がついているのか
普段よりもゆっくりと動いているようだった。
俺はムイのそばまで行くと、地面に座る。
アイリも、俺の横に来て座ると、俺達の気配でムイが目を覚ました。
「ムイ」と呼ぶと「ムイ~」と鳴いて返事をする。
「アイリ、これがムイだよ。俺の友達」
『……』
「ムイ、こっちがアイリだよ」
「ムイ~」
ムイがアイリを見上げて鳴いた。
俺が、ムイを撫でているとアイリがそっと手を出すが
ムイが動いて驚いたのか、手をすぐ戻してしまう。
「ムイは噛み付かないから、さわっても大丈夫」
俺がムイを抱いて、ムイの背中をアイリに見せると
アイリが、そっとムイに触った。最初は恐々さわっていたけど
暫くすると、ムイを降ろしても触れるようになっていた。
ムイが、アイリの指に鼻を押し付ける。
すると、アイリは驚いたように目を丸めてそして笑った。
『可愛い……』
言葉も、途切れ途切れではなくちゃんと話せている。
俺が奴隷だった頃、俺は反抗していて売れ残っていたけれど
俺よりも小さい子が次々に買い取られて、売られていくのを見ていた。
連れられてきたときは、普通に泣いて話しているのに
暫くすると、泣かなくなって……話さなくなる。
そして、自分の世界に閉じこもってしまう……。
奴隷商人の命令だけに、反応するようになってしまうんだ……。
俺は、最初から言葉が分からなかったから話せなかった。
話せたとしても、誰も口を聞こうとはしなかったかもしれない。
みんな自分を守ることで精一杯だったから。
言葉が分からなくて、奴隷商人に命令されてもわからない。
すぐに動くことが出来ないから殴られる。
他の奴隷よりも、余計に殴られることが多かった。
そんな俺に、今から思えば同情してくれたのかもしれない。
殴られて蹲る俺に、獣人の男の人が最低限の言葉を教えてくれたんだ。
その人は、すぐに買われていったけど……。
……。
その時の俺は……父ちゃんが最後に言った言葉の意味が知りたかった。
俺の名前なのか、他に意味があるのか……。ちゃんとした答えが欲しかった。
言葉を教えてくれた人が居なくなっても、奴隷商人が話しているのを聞いて
言葉を覚えていった……トアルガの意味を知るまでは……。
意味を知ってからは……言葉を覚えることも口を開くこともしなくなった。
そして俺も、他の奴隷と同じように覚えた言葉を忘れていった……。
だけど、アイリはちゃんと話せてる……。
ムイを触って笑うことが出来ている。そんなことが嬉しいと思った。
あんな、希望なんてない真暗な絶望しかない檻の中で
言葉も笑うことも忘れてしまう場所に、アイリが入れられなくて良かったと思った。
師匠がアイリを見つけてくれて良かったと心から思ったんだ。
読んで頂き有難うございます。





