『 エピローグ : 後編 』
* サクラ視点
* 前編から読んでいただけると嬉しいです。
セツナが2杯目のお茶を入れてくれた。とてもおいしい。
泣きすぎて、ぼーっとする頭を何度か振るがはっきりしない。
そんな私を見て、セツナが魔法をかけてくれる。
泣きすぎて痛かった目も頭も、痛みが取れていた。
どれほど酷い顔をしていたんだろう……考えるのはやめよう。
「そろそろ戻りますか?」
セツナの言葉に、私は首を振る。
「戻れない……」
「……どうしてですか?」
「私は、一族の裏切り者だから
あの結界に守られる資格はないの」
「裏切り者?」
「そう」
「……」
「私がね、やろうとしていたことは許される事じゃない。
もちろん、セツナにしたことも許される事じゃない」
「僕の事は……」
「事実は事実でしょう?
貴方が気にしないと言ってくれても
私が貴方にしたことは、消えない。セツナは許してくれたけど
私は自分を許せないから」
「……」
「それに、父や母達にこれ以上迷惑をかけたくないし
黒達の優しさに甘えるわけにもいかない……。甘えられるわけがないの」
「サクラさんは、初代の何を知りたかったんですか?」
「私は、あの結界を壊す方法を知りたかったの」
セツナが、驚いた顔で私を見る。
私がやろうとしていたことは、ハルの街そのものを危険にさらす行為だ。
結界がなくなれば、色々な守りが剥がれることになる。
ギルドの存続も、危なくなっていたかもしれないし
魔物の攻撃に、町の人が沢山死んでいたかもしれない。
総帥という立場でありながら、私は街を滅ぼす種をまこうとしていたのだ。
結界を壊そうなんて、思う事が間違っている。
「だから私は戻れない」
「あの結界に手を入れるのは……なかなか難しいと思います」
「……結界が壊れなくてよかったと思う。
だけど、結果が問題ではなくて私が壊そうとしたことが問題なの」
「後悔しているんですか?」
「後悔?」
私は、少し考えて首を横に振る。
「後悔している事は、セツナを巻き込んだこと。
貴方を傷つけたこと。もっと、別の方法があったかもしれない。
だけど、結界を壊そうと考えていたことに後悔はしてないわ」
「……」
「だからね、よけいに私はハルにいる資格がない」
「結界を壊した後、どうするつもりだったんですか?」
「ジャックを探しに行こうと思っていた。
セツナの記憶を見る前は、ジャックの情報も取り出す予定だった。
結界から、出ることができると知って、ジャックがどこにいるかなんて
頭の中から抜け落ちていたわ。ただ、迎えに行かなきゃ……て」
冷静だったとしても、セツナの記憶を見ようとは思わなかったと思う。
セツナの記憶というところで、あの痛みを思い出し
ぎゅっと自分の体を抱きしめる。その時魔道具が壊れる音がして
セツナを見ると、困ったような表情をしていた。
「あんな記憶は、忘れてください。
いつまでも、持っていていいものではないですから」
意味が分からなくて首をかしげるが、彼の言葉の意味に気が付く。
セツナが拷問を受けていたことは覚えているけど、それがどんなものかは
綺麗に忘れていた。私が無理やり、引き出した記憶なのに……。
私が口を開こうとする前に、セツナが口を開く。
「冒険者になるつもりだったんですか?」
「うん、そう。
裏から触れば、わからないように登録できると思っていたし
姿変えの草の粉末も手に入れてた。サクラの紋様は冒険者登録とは
違う方法で、付けられるものだから……私の記録はなかったはずだし。
親しい人でもない限り、サフィールみたいに魔力で人を見分けることなんて
できないから、うまくいくと思ったんだけど……。
魔力がなくなったから、操作ができなくなってしまった」
「……」
「でも、多分すぐに死んでいたかもしれない。
魔法が使えても、あの魔物を倒せていたかは疑問だもの。
何の経験もない私が……1人で旅をするなんて無理だったの」
「ジャックを見つけて、ハルに戻った後
サクラさんはどうするつもりだったんですか?」
セツナの声が少し硬い。私の返事を聞く前から
答えがわかっていたのだと思う。
「一緒に眠りにつこうかと思っていたの」
「そうですか」
私の言葉に彼は、そうですかとしか言わなかった。
もっといろいろ言われると思っていたのに。
その時ふと、彼が私の隣で片手剣を持って立っていた時の事を
思い出す。
「セツナは、もし私が死にたいと言っていたら
殺してくれていた?」
私の問いに、セツナはただ私を見つめ返事をしなかった。
もしかしたら、私がそう心から望んでいたら……。
私の思考を遮る様に、ハルに戻ろうとセツナが口にする。
「サクラさん、ハルに戻りませんか?」
私は首を横に振る。
「セツナは帰って?」
「また魔物に襲われるんですか?」
「……」
「サクラさん、僕はあの結界がなくても
ハルはちゃんと機能すると思うんですよ。
あの結界のおかげで、ハルは発展したのかもしれないけれど
結界が街を守っているのは、ハルだけです。
他の国は、結界がなくてもちゃんと成り立っている。
最初は苦労するかもしれないけれど
ハルは、結界がなくてもやっていけると思います。
冒険者の国です。魔導師の国です。そう簡単に落ちるわけがない。
それに、サクラさんの一族は全員が魔法の使い手です。
だけどそれに特化せず、武器を扱える人もいるでしょう?」
「ええ」
「ハルの軍事力は、相当なものだと思います。
簡単に、攻め込むことなどできません。
反対に、他国はあの結界があってよかったかもしれませんね。
ハルに攻め込まれる心配がないですから。まぁ、内情はしらないでしょうけど」
セツナの言葉に、あれ? と思うところがあったが
何を疑問に思ったのかはわからなかった。
「多分、私が総帥でなかったら戻っていたかもしれない。
だけど、私はこれでも総帥だったの。守る立場の人間だったの。
後悔はしていないけど、裏切った私が生きていていい場所じゃない」
「……」
「セツナは、血の契約の事を知っていたの?」
「知っていました」
「私の血の契約が、破棄されていたことに気が付いていたの?」
「ええ」
「どうして、父様に言わなかったの?」
「言ってほしかったですか?」
「……わからない」
「あの時は、血の制約がサクラさんの命にかかわるようなものではなかったことと
サクラさんの1つの選択肢として、誰にも言いませんでした」
「選択肢?」
「一族からの厳しい風当たりに辛くなるかもしれないし
黒からの優しさを、辛く思う時がくるかもしれないと……。
その時に、逃げ道がなかったら辛いですから」
「……」
「サクラさんが、意識を失っている間に
全ての外堀が埋まりました。だから、サクラさんが選べる選択肢として
僕はその事を話さなかった。サクラさんが自分から話すかもしれないとは
思っていましたが、まさか目が覚めたその日に結界を抜けるとは
考えてもみませんでしたけどね……」
そう言ってセツナは苦笑した。
「どうして私の居場所が分かったの?」
「サクラさんの中には、僕の魔力が残っていますから
自分の魔力が移動していると、最近なぜか気になるんですよ……」
セツナはそう言って、少し遠い目をする。
何かあったんだろうか?
「だから、慌てて追いかけました」
「ごめんなさい」
「女性が1人で生きていくのは、大変だと思います」
セツナが真直ぐに私を見る。
「だけど僕は、サクラさんがハルから出ることに
反対しているわけではないんです」
「え?」
「魔力が使えないことは、遅かれ早かれ知られてしまうでしょう。
そうしたら、サクラさんの生き方はとても大変なものになる。
魔力が使えないことを、隠して生きるのも大変でしょうし
サクラさんが後悔しないなら、他の国で生きてもいいかもしれない」
「セツナ……」
「ただ、誰も手助けはしてくれません。
ギルドにも頼れません。サクラさんがハルに戻らない限り
ご両親にも会えません。ハルに戻れば、もう他国へは戻れません。
ハルに居れば、食べることや寝ることに困ることはないでしょう。
黒達が、サクラさんを守ると言っていましたから。
それに、ハルはとても暮らしやすい街です。
何もかもが、他国と比べて進んでいます。
だから、サクラさんにとって他国で暮らすというのは
想像以上に、大変なことになると考えたほうがいい。
サクラさんは、それだけの覚悟がありますか?
他国で、頼る人のいない場所で1人で生きていく覚悟が……」
最後の言葉を言った時の、セツナの目が少し曇った気がした。
私は、セツナに言われたことを頭の中で何度も繰り返し
自分がどうしたいのかを問う。
父の事、母の事……。ギルドの事。黒の事……。リオウやヤトの事。
いろんな感情がせめぎあって、ハルに帰りたい気持ちと
帰ってはいけないという気持ちが、渦巻いていた。
セツナは、黙って私が選択するのを待っていてくれた。
「セツナ、私はやっぱりハルには戻れない」
「後悔しませんか?」
「後悔する日が来るかもしれないけど……。
だけど、私は戻れない」
「一度ハルに戻って、ご両親に相談しませんか?」
「できないよ……。
父と母は、必死で私を止めると思う。
その姿を見たら、私は父と母に流されてしまう……から」
「……」
「だから、私は誰にも自分の居場所を教えるつもりはないの」
「その決心は変わりませんか?」
「変わらない」
「なら僕は、これ以上ハルに戻れとは言いません。
だけど、1つ約束してくれますか?」
「約束?」
「ええ。サクラさんは、違う国で自分が幸せになる為に努力する。
誰かの為ではなく、自分の為に……」
「……」
「僕は……サクラさんに、偉そうに言える立場ではないですが
サクラさんが幸せになってくれたら、僕は少し許される気がします」
それは……セツナの本心だったのか
それとも、私の為に言った言葉なのかはわからなかった。
だけど、彼が本当に柔らかく笑ったから……。
「私は、幸せに、なってもいいの?」
私は、彼に幸せになることを許さないといった。
それが本心ではなかったとしても、私が口から出した言葉。
なのに彼は私に幸せになれと言ってくれる。
「僕はそう……いえ、きっとジャックも
サクラさんの幸せを願っている」
私が幸せになることで、彼の心が少しでも楽になるのだろうか?
ジャックに対する負い目が少しでも減るのだろうか?
じっとわたしを見つめるセツナに、私はゆっくりと頷く。
頷いた私を見て、彼が安堵した表情を作ったから……。
私は幸せになろうと決めた。
彼の為に、そして自分の為に。
私の全ての未来は、セツナにわたす……。そう心に決めていたから。
セツナが私にくれた優しさを、いつかセツナに返せるように。
その為には、私は私の生活の基盤をちゃんと作っておかないと
彼を助けることができない。
今までのように、自由に使える力もなくなってしまった。
ギルドも頼ることができないし、魔法も使えない。
私にできることは、ほとんど何もない状態だけど……。
魔法が使えないからと言って、魔力がなくなったわけじゃない。
私もセツナも、長く生きるだろうしいつかこの恩を返せる日が来るかもしれない。
私には幸せになる権利などないのかもしれないけど
だけど……。ジャックとセツナ、2人が願ってくれたから。
私に幸せになれと願ってくれたから。
私は、幸せになれるように努力する。そう心に誓った。
私にとって何が幸せなのか……まだわからないけど。
努力するのは嫌いじゃないから。ふと白いものが視界に紛れる。
何かが結界にあたって消えた。空から落ちてくるものを確認するように
私は空を見上げる。次々に空から降ってくる白い雪。
セツナも、黙って落ちてくる雪を眺めていた。
「サクラさん?」
セツナに呼ばれ、セツナを見た瞬間私の頬を涙が伝う。
「あれ?」
「大丈夫ですか?」
「なんで……?」
なぜこんなに悲しいのだろう。
空から降る雪を見ていると、悲しいような寂しいような
胸が締め付けられるような、何とも言えない気分になった。
涙は次から次へと溢れる。
セツナは、困ったように私を見ているけれど
私もなぜ、涙が出るのか説明ができない。
雪は結界に阻まれ、私達に届くことはない。
その事に少しだけ、私は安堵していた。
雪がやむ気配はなく、本格的な冬が訪れようとしていた
なのに、この結界はとても暖かい。
私の前には、ミルクとそして数枚のクッキーが置かれている。
何かこの組み合わせを見ると、子ども扱いされているような気がするが
セツナも同じものを飲んで、食べているから気のせいだろう。
私は彼より年上なのに、精神年齢は彼のほうが高い気がするのが
とても悔しい……。
ミルクには、蜂蜜まではいっていてほんのり甘い。
セツナを見ると、特にこれが好きという感じの表情でもない。
「どうしたんですか?」
「なぜ、ミルクなのかなって」
私の言葉に、セツナは苦笑を零した。
「お腹がすいていたの?」
「いえ、とくには」
「甘いものが好き?」
「好きというほどでもないかな?」
じゃぁなぜと聞きかけて、今朝の母の言葉を思い出した。
『セツナさんは、まだ眠りについていると聞いているわ』
カップを持つ手が固まる。もしかしたら、私は疲れている彼を
無理やり起こしてしまったのかもしれない……。
そうだとしたら、彼は2日間何も食べていないはずだ。
「起きたばかりだったの?」
私の言葉に、セツナはため息をついて頷いた。
「ごめ……」
「謝らなくてもいいですよ。
本当は、何も食べたくないんですが……。
以前体重が落ちた時、恐ろしい目にあいましたから
とりあえず、簡単に食べれるものを出しました」
セツナが心なしか顔を青くしている。
よほどひどい目にあったのかもしれない。
その時の出来事を思いだしたのか
長いため息をつきながら、セツナは、鞄から何かを取り出した。
「サクラさん、髪の毛を一本もらえませんか?」
「髪の毛?」
「そうです」
セツナが取り出したものは、人形のようだ。
私は、その人形に見覚えがあった……。
「復讐のどっぺる君……」
「……」
セツナが微妙な視線を私に投げる。
「わ、わたしが言ったんじゃない!」
「わかってますよ。そんなことを言うのは
ジャックしかいないと思います……。
なぜ、そんな変な名前がついているのかと」
セツナの問いに、私はその時の出来事を話した。
多分、あの出来事は一生忘れないと思う。
「私が男の子にいじめられて、泣いていたら
突然、その男の子と全く同じ人間が現れて」
「……」
「私も、その子も吃驚したのと怖いのとでその場から動けなくて
そうしたら、その人間が "俺はお前の良心だ、お前が俺を邪魔者にするから
俺はこうやって外に出ることができた。か弱い女をいじめる奴は、俺の影になるといい。
俺がお前の体を乗っ取って、俺がお前として生きてやる" と話しだして」
セツナは、耳をふさごうとしている。
私はセツナの手を取って、耳をふさぐことを阻止した。
「僕は、その後の話を聞きたくないような気がします」
「駄目よ、ちゃんと聞いて。だって、思い出したら怖いんだもの!」
「……」
私はセツナにかまわず話す。
「スーッと空中を移動するように近づいてきたの。本当にそっくりだったの。
顔も服も声も……何もかもが同じだったの!!」
どっぺるですしねと、セツナが呟くが
どういう意味かは分からない。
「その男の子は逃げようとするんだけど、体が固まったように動かなかった。
男の子は、恐怖に泣き出してしまって」
「自分と同じ人間が、もう1人目の前にいて
体を乗っ取るなんて言われたら……誰でも怖いですよ」
私はセツナの言葉に、頷きながら続きを話す。
「必死に、ごめんなさいと謝ったんだけど
"お前は、泣いている女に向かって何をした?" と偽物が……」
セツナは、私の手を振り払おうと軽く手を振るが
私は、その手を離さない。全部言わないと、怖いじゃない!!
「そ、それでね、その男の子の偽物が
男の子の前まで来たの、そしてその近寄ってきた偽物の男の子の口が……」
あの時の衝撃はまだ覚えている。ちょっと体が震えた。
「口が物凄く大きく開いて……その男の子を頭から飲み込んだの
こ、怖かったのよ。すごく怖かった」
「……」
「でも、気がついたら男の子は茫然として立っていて
偽物の男の子は、どこにもいなかったの。
その後男の子は、気を失って倒れたけど……。そこにジャックがその人形を持って
私の傍に来て "面白かったか?" と聞いてきて、ジャックの仕業だったんだって思った。
その時、ジャックがその人形の事を "復讐のどっぺる君"て呼んでいたの。
私は怖いだけで、全然面白いと思わなかったわ。夢にまで見たもの」
「その男の子大丈夫だったんですか?
主に心が……」
「うーん、あまりにも怖かったからか
ほとんど覚えてなかったみたいで、数日寝たら元気になってた。
でも、私はその男の子にいじめられることはなくなった」
「そうですか」
セツナはそれ以上何も言わなかったけど
暫くしてから「カイルは大人げないな」と呟いていたのを聞いた。
「とりあえず……。この人形が
復讐に歩くことはないので安心してください」
私は、セツナから手を放し自分の髪の毛を一本セツナに渡す。
セツナは私の髪の毛を受け取り、人形の傍に近づけると
人形が髪の毛を食べてしまう。いったいあの人形はどうなっているの?
すごく怖い。少し震えている私を見てセツナが小さく笑った。
「何に使うの?」
「サクラさんの代わりに、ベッドで寝ていてもらいます。
その指輪をはずして、こっちの指輪にかえてください」
いつの間にか知らない指輪が指にはまっていた。
「あれ?」
「その指輪は、魔力制御の指輪だったんです。
急激に魔力が増えないようにしていました」
私はセツナに指輪を渡し、新しい指輪を付ける。
細い繊細な指輪で、ちょっと可愛い。
「その指輪と、この人形に入れた髪を魔法でつなげてあります。
髪の毛を媒体にして、サクラさんから無理やり魔力を吸い取ります」
「……」
呪いの人形みたいで、なんか怖い。
「大丈夫ですよ、眠っている体を維持するだけですから」
「どうして?」
「急にサクラさんが消えたら、問題になるでしょう?
血の制約が破棄されたなんて知られたら
サクラさんが、魔法を使えないと知られた時よりも
大変な騒ぎになる」
そう言われてみればそうかもしれない。
血の制約は、初代にしか書き換えることができないと言われていたのだから。
「なので、サクラさんがハルにいない間は
この人形に留守番を任せましょう」
「でも、ずっと寝たままっておかしく思われない?」
「ああ、人形と一緒にこれを使うから大丈夫です」
セツナが鞄から新しい何かを取り出す。
「魔道具?」
「魔道具ですが、アーティファクトの1つですね」
「え?」
自分の耳を疑う。サフィールに見せたら狂喜乱舞して
半年ぐらい、部屋から出てこなさそう……。
研究中に黒の会議に呼んだら、ずっと不機嫌だし。
「これは、起動させると解除されるまで眠りにつきます」
セツナの手の中にある、緑色の宝石を見つめる。
引き込まれそうなほど、綺麗な色をしていた。
「名前はあるの?」
「茨の試しというらしいですよ」
試し?
何を試すんだろう?
「何を試すの?」
「知りません」
じっとセツナを見るが、本当に知らないのか嘘をついているのかは
わからなかった。
「解除の方法は?」
「王子様からの口付け?」
「え?」
「想いあっている、異性からの口付けが
解除の鍵のようですよ」
「えぇぇ!! 駄目駄目駄目!
私、一生目が覚めなくなってしまう!」
「……いえ、使うのは人形ですから」
「あ……あー……そうだった」
自分の顔が赤くなっているのがわかる。
「でも、人形だと解除できなくならない?」
「大丈夫です。サクラさんが指輪を外せば魔力の供給が切れて
人形に戻りますから」
「人形に戻ったら、解除されるの?」
「多分?」
「多分?」
「まぁ、解除されなくても困らないでしょう? 人形ですし」
「いや……アーティファクトでしょう?
サフィールが欲しがるほどのものでしょう?」
「ああ……。まぁ解除できないままでいいのなら
持っていけばいいと思いますよ」
「セツナ、それ高く売れると思うよ」
「こんなもの、世に出ないほうがいいんですよ」
「……」
「使い道のある時に、使えばいいかと思います。
しかし、ジャックはこれを何に使ったんでしょうね?」
茨の試し……。
「……」
「……」
多分碌なことに使っていないことは、私もセツナもなんとなくわかった。
だから、この話題はここで終わってしまった。
「家を出て、1人で暮らそうと荷物を纏めていたら
ジャックから貰った魔道具が発動してしまった。これでいいんじゃないですか?」
十分あり得る内容で、否定することができない。
過去何度か、その問題で伯父が頭を悩ませていたことがある。
「ジャックから貰ったものとか、何かありますか?」
「持ってこれなかったものが、箪笥の上の箱の中にしまってあるわ」
「それを、ベッドの周りにばらまいておいてもいいですか?」
「うん」
セツナは、短く詠唱して人形に魔法をかけると
セツナの手の中の人形は、見る見るうちに大きくなって
今の私と全く同じになってしまった。その瞳は閉じている。
自分と同じ顔、同じ姿の人形が目の前にあると不気味で怖い。
ちゃんと呼吸しているかのように、胸が上下しているし……。
恐る恐る触ると、ちゃんと体温があった。
まるで、自分のほうが偽物じゃないかと錯覚してしまいそうになる。
「サクラさん。大丈夫ですか?」
「え……うん」
「僕は、この人形を置いてきます。
サクラさんは、しばらくここで待っていてくださいね。
この結界をでようとしても、僕の許可がない限りでることはできませんから」
セツナに釘をさされるが、出ていこうとは思わなかった。
出ていったとしても、魔物に食べられて終わってしまう。
私は幸せになるのだから……。
私が頷いたのを、セツナは満足そうに見つめて
転移魔法を使い消えた。
セツナが居なくなると途端に心細くなる。
雪がすべての音を吸収してしまったかのような、錯覚を覚える。
結界の周りは、うっすらと雪が積もり私以外の生き物の気配を感じない。
まるで……この世界に1人のような……。
私はその光景を見たくなくて、膝を抱えるようにして座り
顔をうずめる。
1人で暮らしていけるだろうか?
住む場所は見つかるだろうか?
仕事は見つかるだろうか……。
不安は次から次へと迫ってきて、ハルに戻ろうかとも考えてしまう。
だけど、それはできない。先ほど決めた意思が揺らぎそうになる。
怖い……。
一度も、ハルから出た事がない。他の国の事を話でしか聞いたことがない。
私はどこの国へ行けばいいんだろう……。
「うぅ……」
不安な気持ちを堪えることができず、涙が落ちる。
その時、温かい手が私の頭に触れた。
「サクラさん……」
そっと顔をあげると、セツナが私を心配そうに見ている。
セツナの顔を見た途端、次々に涙が落ちてまだ何も始まってもいないのに
弱音を吐きそうになるのを、ぐっと唇をかんでこらえた。
「さて、サクラさん。これからの話をしましょう」
「これ、か、ら?」
「そうです。ハルにはいつでも戻れます。
サクラさんが、戻りたいと思った時は
僕が、サクラさんをハルに帰してあげます」
「な……なん、で」
「ハルは、サクラさんの帰る場所ですから」
涙のせいで、セツナの顔がちゃんと見れないけれど
セツナは、私を優しい顔で見つめてくれていた。
その顔は、どこかジャックみたいで……。
ジャックが傍にいてくれているようで
私は子供のように頷くことしかできなかった。
私が泣き止むまで、セツナは何も言わずに傍にいてくれた。
私が落ち着くと、セツナが口を開く。
「サクラさん、どこか行きたい国はありますか?」
私は頭を振る。
「なら、リペイドに行ってみませんか?」
「リペイド?」
「ええ」
リペイドは、セツナが専属契約を結んでいる国だ。
「あの国は、少し揺れていますが
今のところは安全だと思います。もし…………しますし」
セツナが、後半何を言ったのか聞き取れなくて
首をかしげると、気にしなくていいと言われた。
「リペイドは、僕から見てもいい国だと思います。
ハルと同じように、獣人差別もありませんし国の人も楽しそうに
生活している。国の騎士が、1日に2回見回りをして治安を守っています。
リペイド国王も若いですが、しっかりした強い人です」
「……」
「それに、僕の知り合いも数人いますから
サクラさんが困ったとき、きっと助けてくれると思います。
みんな優しい人ばかりだから、きっとサクラさんも好きになりますよ」
セツナなら、きっといろいろな人に受け入れてもらえると思う。
リペイドでも、色々な人といい関係を築いてきたんだと思う。
そんな中に、彼を傷つけた私が入ってもいいんだろうか?
「ただ、サクラさんの素性を
リペイド国王だけには、話しておこうと思います。
サクラさんが、総帥だったことはこの先もずっと背負うものです。
総帥だったという事は言いませんが、総帥の秘書をしていたという事は
伝えておこうと思います」
「なぜ?」
「サクラさんは、総帥でしたから
ハルの全てを知っているでしょう?」
「ええ」
「サクラさんの素性が知れると、サクラさんが捕まる可能性がある。
ハルの機密を手に入れるためにね。サクラさんが総帥だと知っている人は
限られていますから、大丈夫だとはおもいますが
秘書として表に出ていた。総帥の傍にいた人物として認識されています」
捕まると聞いて、胸がぎゅっと痛くなる。
私はそこまで考えていなかった……。
「ハルの情報を探ろうと、こっちの大陸は結構必死でしょう?」
「うん」
各国の情報は、日々ギルドに上がってきていた。
「だから、サクラさんの素性が知られると危ないと思うんです」
「……」
「リペイドなら、酷い扱いを受けることはないと思います」
「どうして?」
セツナは、思いますと言いながら。
その瞳には、絶対の自信を浮かべている。
「リペイド国王は、誰かを拷問して情報を手に入れるような人ではないですし
敵となった人は知りませんが……。王妃様も、少し変わった人なので……」
変わった人?
王妃様に使う言葉じゃない気がする。
「もちろん、一国を治める人ですから決して甘い人ではありません。
国の代表が、国を一番に考える。
それは、サクラさんが一番よく理解しているでしょう?」
私はセツナに頷く。私は、国を一番に考えることができなかった。
最低の代表だったけど。
「国の王が、国を一番に思うのは当然。
自国が危なくなったとき、もしかするとサクラさんを切り捨てるかもしれません。
それでも、ギリギリまでは踏みとどまってくれると思います。
そして、そうなる前に僕に連絡が入るはずです」
本当にそうなのかは、私にはわからない。
「サクラさんから、情報を引き出そうとすると思いますが
血の契約で、話せなくなっていますからハルの機密は漏れることはない。
サクラさんも、話したくないことは話さなくてもいいですから。
ですが、もしサクラさんがリペイドの発展のために
なにか、手伝ってもいいなと感じたら手伝ってあげるのもいいかもしれません」
国の王に、問われて答えないと言うのは不敬罪になるんじゃないだろうか?
「不敬罪? 大丈夫ですよ」そう言って、セツナは笑う。
その自信はどこから来るんだろう? それに……どこかセツナの笑みが怖かった。
「手伝うといっても、私ができることなんてないと思うけど」
「いえ、サクラさん……。ハルは本当に進んでいるんですよ。
はっきり言って異常なほどに……。魔法も北の大陸は
南の大陸に比べて遅れています。北の大陸で一番進んでいる国は
帝国なんですが、僕は帝国が嫌いです。だから、連れていきたくありません」
北の大陸は、南の大陸に比べて魔導師が少ないことは知っていた。
帝国は、たまに転移魔法陣の使用許可を求める書類が回ってくる。
最近では、秋辺りに、要請があった。
「どうして、北と南でそんなに違うの?」
「説はいろいろあるんですが、わからないみたいですね。
例えば、神の怒りに触れて魔法が使えなくなったとか」
「そうなんだ」
「サフィールさん辺りが、研究しているかもしれませんよ」
サフィールの研究に興味はない……。
「南の大陸から、魔導師が働きに行ったら
優遇されるんじゃないの?」
「されます。されますが、北の大陸は南の大陸に比べて
魔力の回復が遅い上に、魔法を使うのに余分に魔力を使います」
「そういえば、そんなことをサフィールが話していた気がする。
北の大陸から帰ってくると、怠いとか、眠いとかいって
会議をさぼろうとしていた」
私の言葉に、セツナが苦笑する。
「多分、魔法を使うのに適していないんでしょうね。
だから、南の大陸の魔導師は北に行きたがらない」
「なるほどね」
「生活に関する魔道具は、ハルと比べても値段は少し高いぐらいですが
転移用の魔道具とか、戦闘用の魔道具などは高価な魔道具になります。
今までのように、気軽に使える魔道具ではなくなります」
この時の言葉を私は、あまり本気にしていなかった。
だけど、セツナの言葉が本当だったとわかるのにそれほど時間はかからなかった。
「手伝ってもいいけど……。
私がリペイドの機密を、ギルドに漏らすと思われないかしら?」
「ギルドに教えるつもりがあるんですか?」
「ないわ」
「その辺りは、僕とリペイド国王との話になってくるので気にしなくていいです」
「え?」
「僕が、サクラさんをリペイドに連れていくわけですから
サクラさんが何か問題を起こせば、僕がその責任を取ることになる」
「それは、だめ」
「だめ?」
「セツナにこれ以上、迷惑をかけることができない」
「サクラさんが問題を起こさなければ、いいだけでしょう?」
「でも……知らないうちに起こしたら……」
「大丈夫です。サクラさんは総帥をしていたんですよ。
大切なところで、失敗をするとは思えません」
「だけど……」
「避けられない失敗というのもあります。
そういうのは気にしなくてもいいです」
「……」
「サクラさん、そういうのを含めて僕はリペイドを勧めているんです。
多少の無理は聞いてもらえると思います」
その時のセツナの笑顔は、やっぱりどこか怖かった。
セツナこそ、国の代表に向いているんじゃないだろうか……。
「嫌ですか?」
私は首を横に振る。
「何処に行っていいかわからないし。
捕まる可能性とかを考えると、怖い……。
セツナが勧めてくれる国なら、少し安心できる気がする」
「なら、しばらくリペイドで楽しんでみてください」
「楽しむ?」
「ええ。辛いこともあると思いますが
楽しいことも、きっとたくさんあると思います」
楽しいこと……。
「それで、僕からお願いが一つあるんです」
セツナのお願いというところで、首を傾げて彼を見る。
「僕の知り合いが、花屋をしているんですが
とても忙しいのに、人を増やすことができないようなんです」
「どうして?」
「その花屋は、王妃様や近衛騎士と仲がいいんですよ。
だから、人員募集をかけると下心満載の人が来て
雇うことができないらしいんです」
「……」
「この間手紙で、そんな愚痴が綴られていて……。
愚痴というか……泣き言というか。王妃様に相談したら
王妃様の侍女が、お店に来て手伝うと言いだして困り果てていると」
「それは……大変ね」
普通、王妃様に相談するだろうか?
「なので、いい案がないかと相談が……」
こんな遠くにいる、セツナに相談するなんて
よほど困っているんだろうと思った。
「販売経験がないんだけど……できるかしら?」
「僕でもできたので、大丈夫ですよ」
「え!?」
「え?」
「セツナがお花屋さんの店員!?」
驚く私に、セツナはその時の事を教えてくれた。
「自分の手の中で咲く花は、本当に綺麗ですよ」
「そう……」
「なので、サクラさんさえよければ
2人に紹介しようと思うんですが」
「雇ってもらえるかな?」
「それはわかりませんが
駄目なら、違うところを探せばいいんです」
「うん、そうね……」
セツナに励まされながら、私はゆっくりと
他国で生活するのだという事を受け入れていく。
その後は、セツナが私の為に姿を変えるための魔道具をくれた。
これも細い指輪で、先ほどもらった指輪と重ねてつけた。
この指輪をつけると、腰まであった黒髪が肩辺りまで短くなって
髪の色は、金色になっていた。鞄から鏡を取り出してみてみると
目の色は、蒼色になっている。なんだか、自分じゃないみたい。
そして、セツナはもう1つ指輪をくれた。
魔法が使えない私の為の、護身用魔道具だと言って。
3つの指輪は、全部私のあふれ出た魔力を吸収するらしく
魔導師に魔力を補ってもらう必要はないらしい。
ギルドに構築式を教えたら、とても便利なものができそう
そう告げると、僕は教えるつもりはないですよと言われた。
セツナが作って売れば? と聞くと
ギルドに、こき使われそうだから嫌だと言われた。
でも、確かにと私が頷くと
セツナは苦笑して、内緒にしていてくださいねと言った。
私はセツナに頷いて返した。
セツナが護身用魔道具だという指輪に、魔法を刻むのを見ていたけど
はっきり言って、セツナは天才だと思う。あそこまで緻密な魔力制御で
指輪に魔法を刻める魔導師が、他にいるとは思えない。
ハルマンから聞いてはいたけど、実際に見てみると
鳥肌が立った……。
ジャックも、すごいと思ったことがあるけれど
それはセツナとは正反対だった。いったいその魔法構築で
どうして、こういう魔法になるんだろうと……。
私は、その妙な魔法を見ているのが好きだったけど。
護身用魔道具の指輪は……。
1つは私の身を守るための風の結界。
次に、相手を捕縛するための風の縄。
そして最後は、できれば使いたくないと思う魔法だった。
男の人限定の魔法だけど……。
「サクラさんは、可愛いですからね。
変な男に付きまとわれても困りますから、手加減しないで
殺してください」
やるって、殺せっていう事じゃないよね?
躊躇せずに、魔道具を使えっていう意味だよね?
「サイラスという騎士には気を付けてくださいね。
近寄ってきたら、迷わず最後の魔法を使っていいですから」
騎士でしょう? 騎士だよね?
使うと駄目でしょう? でも、セツナの眼はとても真剣だった。
そしてセツナは、私自身にも魔法をかけた。
私の魔力が、私だとわからない為の魔法らしい。
サフィール対策だと言っていた。
でも、寝ている私の傍にアーティファクトがあるのなら
絶対に、そこから離れないような気がする。
あと何か、詠唱していたようだけど何をしていたのかは
私にはわからなかった。
そして最後に、セツナが鞄から短剣を取り出す。
「これは、ジャックが最後まで持っていた短剣です」
「……」
「短剣を使ったことは?」
「実際戦った経験はないけど、一応習った」
「魔道具の、風の結界と風の縄は僕以上の魔導師の魔法でない限り
破れません。なので、できるだけ魔法で自分の身を守ってください。
短剣を使う事は、まずないと思いますが武器は持っていたほうがいい。
ハルのように治安がいいわけではないので、夜は外出しない事」
私も一応、武器を持っていることを伝えると。
短剣に魔法がかかっているから、こちらのほうがいいと言われた。
セツナは私の手に、短剣をのせてくれる。
すると短剣が淡く光った。
「その短剣は、サクラさんしか使うことができなくなりました。
落としても、返ってきますから」
「うん、ありがとう」
私は短剣を胸に抱いて、鞄にしまった。
「あと、これは道に落ちていた魔道具です」
そう言って、袋に入った大量の魔道具を渡してくれた。
ちょっと恥ずかしかった……。
全ての準備が整うと、セツナが静かに口を開く。
「サクラさん、名前をどうしますか?」
「名前?」
「ええ、サクラさんの名前は珍しいですから。
きっとそこから探し出せる」
「……」
「名前をかえたくない気持ちはわかります。
だけど、名前をかえない事には先に進めません。
大丈夫、ちゃんとジャックがつけた名前に戻れるときが来ます」
戻れるときがくる……。
セツナの言葉に、私は素直に頷いた。
「好きな、名前はないですか?」
「ない……かな……」
「自分でつけるというのもなんですし。
僕がつけてもいいですか?」
「お願いしてもいいの?」
「ええ、気に入ってもらえるかはわかりませんが」
「教えて?」
「シエル」
「シエル?」
「そうです。サクラさんは春の女神の名前を知っていますか?」
「シルキスでしょう?」
「いいえ、本当の名前はシルキエスといいます」
「へぇ……」
「春の女神の名前から、貰いました」
「……恐れ多いような気がする。
怒られないかしら……」
「大丈夫。春の女神は悪戯好きの優しい女神ですよ」
「私が知っている春の女神様と違うような気がするけど」
「どんな女神なんですか?」
「美しい微笑みで、慈愛に満ち満ちていて
物静かな、お淑やかな女神って書いてあった」
「……それ間違ってるんじゃないですか?」
「えー……どこが?」
「いえ、歴史書なんてそんなものですよね」
私が首をかしげると、気にしなくていいですよと笑う。
何かを隠している気がする。
「【桜】は春に咲きますから。
優しい春の女神の加護がもらえるように。
それに、ハルも【春】からつけられていますからね」
「……」
「サクラさんの、心の中の【桜】が綺麗に咲くことを願います」
「うん……頑張る。
綺麗な花を、咲かせることができるように頑張るから」
「はい。でも、頑張りすぎないでください。
サクラさんらしく、生きていけばいいと思います」
セツナの言葉に、私はただ頷くことしかできなかった。
私の感情が落ち着くのを待ってから、セツナは私をリペイドへと送ってくれた。
【春の嵐に舞う桜 : 完 】
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