表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
刹那の風景 第二章  作者: 緑青・薄浅黄
『 女郎花 : 約束を守る 』
107/117

『 エピローグ : 前編 』

* サクラ視点

 とても怖くて、寂しくて……。

懐かしくて、優しい夢を見た気がする。

どんな夢だったかは覚えていないけど

誰かに「幸せになりなさい」と言われた事だけは覚えていた。

誰に言われたのかなと、夢を思い出そうとするが思い出すことができなかった。


目が覚めてから、何がかは分からないけど何かがおかしい気がする。

大切にしていたものが消えたような……。そこまで考えてその理由に思いあたった。


私の中にあったものが、消えているんだと。


ジャックの記憶を覗いてから、ずっと私の中にあったもの。

どこかに帰りたいという気持ちと、誰かに逢いたいという気持ち。

私が大切に守っていたもの……。


時折どうしようもなく、辛くなることもあったけど

その感情は、私の原動力にもなっていたのだ……。

私がジャックの、帰る場所を守るのだと。


大切なものが消えてしまったのに、不思議と心は落ち着いていた。

なぜ消えてしまったのか、冷静に考えてはみたけど

その答えは見つからなかった。


ただ、1つわかったことがあるとすると


その感情のあった場所に、夢の中で言われた言葉が

なぜか居座っているような気がしたということ。


考えることを諦めて、体を動かそうとするが体が重い。

体調が悪いのかしらと思いながら、ゆっくり体を起こすと

私のベッドの傍に母がいて、母が驚いたように私を見つめていた。

そして次々に涙を落とし始める。


「サクラ! サクラ……よかった」


泣いている母を見て、やっと私は自分が何をしたのかを思い出した。

それと同時に、あの強烈な体の痛みとセツナの死にたいという感情もよみがえる。

思わず悲鳴をあげそうになるのを、ぐっとこらえセツナの事を母に尋ねた。


「母様……セツナは……セツナは」


「セツナさんは、まだ眠りについていると聞いているわ……」


眠り続けたままと聞いて、私の指先が冷えていく。


「……」


「セツナさんは、不眠不休で

 貴方を助けてくれたんですよ。セツナさんの体には

 怪我をしていた様子はなかったわ」


体はという事は。心の中は違うという事だ……。


「あれから、何日……」


「2日程経っているわ」


「……」


暫くして父も来て、私が目を覚ましたことを喜んでくれた。

軽く食事をとらされ、父と母……そして伯父の3人で

私が意識をなくしてからの事を詳しく話してくれた。


セツナは、私を助けるために一晩中

薬の材料を集め、駆けずり回ってくれたらしい。

どうして、酷く傷つけた私の為なんかに……。


私が何らかの理由で意識をなくしたせいで

リオウが、黒の総帥を継いだという事になったらしい。

実際倒れて目を覚まさなかったことで、誰も何も言わなかったようだ。


日頃の私の行いも後押ししたんだと思う。

何事もなく、リオウに総帥が受け継がれたことに少し安堵した。

リオウなら……私のような想いを抱くことなくハルを守ってくれるはずだから。


俯き何も言わない私を、父が呼ぶ。


「サクラ」


顔をあげて父を見ると、父はとても辛そうな表情を浮かべ

口を開いた。父から告げられたことに、全ての思考が止まる。


「え……?」


「お前は、一生魔法が使えなくなった」


父の言葉に、魔法を使ってみようとするが発動しない。

体の中に確かに魔力はあるのに、引き出すことができなかった。


父の説明を茫然としながら聞いていた。

だけど、頭の中では当然の報いだと考えている自分もいた。


私がやろうとしていたこと、そしてセツナにしたことを考えると

初代からの制裁と同じ罰を受けたとしても、文句は言えないのだと

それだけの事をしたのだと。


「セツナ君を恨んではいけないよ」


父が私にそう言うが、恨む気持ちなどない。


そして黒の制約がすべて破棄されていると聞いて、思わず父を凝視した。

黒の制約は、増やすことも減らすこともできるが

初代が刻んだと言われている制約だけは、絶対に破棄できないと言われていたから。


破棄できるとしたら、初代より魔力の高い人にしか無理だろうと。

どうして破棄されたのかは、セツナもわからないと答えたそうだ。


父たちの話を、私は黙って聞いていた。

今までの事を話し終えると、これからの事を話してくれる。

この先、魔力を使えない事が一族の皆に知られてしまっても

心配することはないと言われた。黒の皆が守ってくれると……。


あれだけ迷惑をかけた私を、彼らは許し守ってくれると言うのだ。

その気持ちは、純粋にうれしかった……。


だから、私は彼等に心の中で謝る。

そして、私を見て安堵している父と母に心の中で謝る。伯父にも。


「セツナ君が目を覚ましたら、一緒に謝りに行こう」と父が言い

私は父の言葉に頷くけれど、私は彼のもとへ行く気はない。


だから……一番迷惑をかけ、一番傷つけてしまった彼に

私は何度も心の中で謝った……。誰にも私の謝罪は届かないけれど。


もう少し寝たほうがいいと言われ、素直にベッドに横になる。

睡魔はすぐに来て、私を眠りの中へと誘った。夕方近くになり目を覚まし

父と母と一緒に食事をとり、私を見て笑う2人に何度も心の中で謝る。


そして、皆が寝静まった頃私は箪笥の中から鞄を取り出し

その中に荷物を詰め込んでいく。ジャックから貰った非常識な鞄。

ジャックが持っていた鞄のように、無制限で入るわけではないけれど。


部屋の中の魔道具は、綺麗に片付けられていた。

私はジャックがくれた、私だけが開けることができる宝箱から

隠しておいた魔道具とお金を取り出す。リオウも同じものをもらっていたはずだ。

伯父と父も同じものが欲しいと、ジャックに頼んでいたようだけど

「おっさんに、貢ぐ趣味はねぇ」と言われて諦めていた。


鞄に荷物を詰め終わり、以前から用意してあった冒険者用の服に着替え

転移魔法陣の魔道具を発動させる。魔道具が砕ける音と同時に魔法が発動し

目を開けると私は、初代が創った結界の前にいた。


恐る恐る結界に手を伸ばす。今までなら、薄い壁が邪魔するように

私の手は向こう側へ抜けることはなかった。


なのに、私の手は結界に邪魔されることなく向こう側へと通り抜けている。


黒の制約が破棄されたと、父に聞いた時

私は自分の中の、血の制約の一部が破棄されていたことに気が付いた。

父はその事には触れなかった。セツナも気が付かなかったのかもしれない。


私は結界をこえることができる。

なぜ、その部分だけ破棄されたのかはわからない。わからないけど

私は、私の願いをかなえることができるかもしれないと思った。


心の中でもう一度、父と母、伯父と黒達。

そしてリオウとヤトに謝り、最後にセツナに謝った。


一度手を戻し、深く深呼吸して私は結界の外へと一歩踏み出した。

あっさりと、本当にあっさりと私の体は結界を抜け

結界の外から、ハルの街を見た。


そして、今から進もうと思う方向へ視線を向ける。


暗い道がずっと続いている。この先に何があるのだろうと夢を見ていたが

この先に行くのが怖くて仕方がない。だけど……。


ハルの街を背に、私はその恐怖を振り払うように

真暗な道に向かって歩き出した。




 ぜぇぜぇと、自分の呼吸音しか耳に届かない。

だけど、私の後ろには確実に私を追ってくる魔物がいる。


魔法が使えなくなったのだからと、魔道具を全部持ってきていたのだが

魔物に襲われたときに落としてしまった。落とした場所に戻ることはできず

私を追ってくる魔物に、翻弄されるように逃げ回ることしかできない。


魔物は余裕があるのか、まるでウサギを追い詰めるように私を追い詰めていく。

魔物にしてみれば、私もウサギも同じだろう。ただの餌でしかない。

食べる前のちょっとした運動……。


逃げている私は、どうにかして助かる方法を考えているというのに。

足がもつれる。こんなに必死に走ったことはない。攻撃魔法は練習したけれど

武器は護身術ぐらいしか習っていない。

一生ハルから出ることはないと思っていたから。


どれぐらい走ったのかはわからない。暗くてどこを走っているかもわからない。

だけど、後ろから魔物が追ってきている気配が消えていた。

私よりも気を引く何かがいたのだろうか……?


恐る恐る後ろを振り向き、魔物がいないことを確認して

ホッと息をつく。大きな木を背に、ゆっくりと座り込み

ポケットの中にある、魔物除けの魔道具と

小さな明かりがつく魔道具を取り出す。


逃げる時に、明かりが目印になるかと思いポケットへとしまいこんだ。

おかげで足は、傷だらけになっている。


魔物除けの魔道具は、役に立たなかったようだ。

魔道具よりも強い魔物には、効果がない。


小さな明かりを頼りに、鞄の中から水入れを出そうとした瞬間

私の前に、先ほどまで私を追いかけていた魔物が現れた。


逃げようにも、緊張が切れた体は思う通りに動かない。

それ以前に、疲れすぎていて立ち上がることもできない。


どうやら、追いかけることに飽きて

私を仕留めることにしたようだ……。

魔物は笑わない。だけど、その雰囲気から魔物が哂っているように感じた。


そして、鋭い牙を見せ私に飛びかかる。


感情は、もうだめだという恐怖で支配されている。

頭の中は、死にたくない。死にたくない! と叫ぶことしかしていない。

だけど、周りに助けてくれる人などいなかった。


魔物に襲われる衝撃に備え、ぎゅっと目をつぶる。

できれば……一思いに殺してほしいと願いながら、鋭い牙で裂かれる

自分を想像して、体の震えは止まらなかった。


なのにいつまでたっても、痛みはやってこない。

もしかしたら、この状況を楽しんでいるのかもしれない……。

そんなことを考えながらも、私はそっと目を開ける。


するとそこには、目の前には

私を追いかけまわし、楽しんでいた魔物が首をはねられて死んでいた。

血は暗くてあまり見えなかった。


「え……?」


誰が……? 私の周りには誰もいなかった。

魔物に追いかけられて、とっくに道からも外れている。

もしかしたら、違う魔物がいるのかもしれないと考え

私は息をつめたまま、ゆっくりと視線を動かした。


魔物の傍には誰もいない……。

ふと自分のすぐ横に、視線を向ける。


一番最初に見たものは、足。

その足は人のものだ、そこで私は助かったのだと安堵の息がもれる。

そしてそのまま視線を、上にあげていくと……すぐそばに立っていたのは

血に濡れた片手剣を持って、私を見下ろしているセツナだった。


セツナはじっと私を見ていた。

私は、彼がここにいることが信じられなくて声を出すことができない。


驚いて声が出ない私を見ながら、彼がゆっくりと口を開いた。


「死にたかったんですか?」


「え?」


死にたかった? 誰が?


「生きているのが嫌だから

 こんな時間に結界を抜け出したんですか?」


「違う!」


セツナは私が死ぬために、結界を抜けたと思っているようだ。

暫く私を見つめた後、軽く溜息をついてセツナが懐からキューブを出した。


「とりあえず、帰りましょう」


セツナが魔物をキューブに入れながら、私にそう告げる。


帰る……。その言葉に私は、条件反射のように走り出す。

動かなかった体が、簡単に動いた。

帰りたくない。私は帰らない!!


だけど疲れた体は、あっという間にセツナに追いつかれ腕を取られる。


「サクラさん!」


「嫌! 離して!」


「離せません」


必死にセツナの手から逃げようとするが

セツナは離してくれなかった。


「嫌!」


「サクラさん!」


「行かなきゃ……! 迎えに行かなきゃ!!」


「こんな時間に、誰をどこへ迎えに行くんですか!」


セツナが私の両肩を抑え、無理やり視線を合わせてくる。

紫色の瞳は、少し怒っているように見えた。


「誰を……誰って……ジャックを……」


ジャックの名前を口にすると、彼の瞳が大きく開いて私を見る。


「ジャックを迎えに……」


「何処へ……?」


「何処へ?」


「ジャックを、どこへ迎えに行くつもりだったんですか?」


私を見つめる瞳から怒りが消えた。


「何処へ……」


「ジャックはもう、どこにもいません」


そんなことは知っている。だから、私が迎えに行くのだ。

彼が生きていたら、彼は自分で帰ってくるのだから。


だけど……。


何処へ迎えに行けばいいんだろう。ただ、迎えに行きたかった。

ジャックがいる場所も知らないのに……。


涙が頬を伝い落ちる。苦しい……。苦しいよ。


「だって……。ジャックは帰りたいって。

 ずっと、帰りたいって……思ってた」


「……」


「なのに、帰れないって。一番帰りたい場所に帰れないって……」


セツナが小さく息をのむ。


「逢いたいって、ジャックの心が泣いてた……の。

 誰に……あいた、いのか……教えてくれなかったけど。

 逢いに……逢いに帰り……たいって」


セツナの目に映る自分は、酷く滑稽な顔をしている。


「だから……」


「……」


「だから……迎えに行こうと思ったの。

 ジャック、が、帰る場所がハルだといったから。

 ハルが、帰る場所が、あるから、もう辛くないって!」


「……」


「なのに、彼はまた独りで、独りぼっちで冷たい、土の中にいるの?

 帰りたい場所に、帰れないで、独りでいるの?

 ジャック、が眠る、場所は、帰る場所はハルなの!!

 私は、もう、彼を独り、ぼっちにしたくないの!」


嗚咽で、言葉をちゃんと紡ぐことができない。

途切れ途切れになる言葉を、セツナは黙って聞いていてくれた。


「だから……私は……」


ジャックを迎えに行くの。寂しくないように。

ジャックを大切に思ってる人が、ハルには沢山いるの。

せめて、彼が2番目に帰りたい場所へ。


苦しいほどの感情が、私の中から消えてしまっても

ジャックを迎えに行くんだという気持ちは、消えてはいなかった。


自分がどれほど周りの人に迷惑をかけ

心配をかけ、心を砕いてもらっているかは理解している。


総帥として、一族の一員として結界がどれほど大切なものかも知っている。

だけど、それをすべて裏切っても……私は彼を独りにしたくなかった。


全ての言葉を紡ぐ前に、私は彼の腕の中に入れられる。

そのぬくもりが、私の胸に押し寄せてきて私は久しぶりに子供みたいに泣いた。


ヤトに見せた半分演技の涙ではなく。

心の底から叫ぶように……セツナの胸の中で泣いたのだった。




 薪がはぜる音を聞いて、ゆっくりと目を開ける。

目の前には、柔らかい火が暗闇を照らしていた。

火があるだけで、こんなに安心することができるのか……。


最初にそんなことを考え、そして自分の状況を思い出し

勢いよく体を起こす。


「毛布から出ないようにしてください」


どうして……私は、こんなところで寝ていたんだろう?

セツナの言葉に従うように、毛布を肩からかけて彼を見る。


カップに、2人分の飲物を用意して1つを私に渡してくれた。


「熱いので気を付けて飲んでくださいね」


セツナの言葉に頷き「いただきます」と言って

ゆっくりと飲み物を口の中に入れて飲み込む。

温かい……。軽く息を吐き出し、そしてもう一口飲んだ。


セツナが、少し驚いたようにこちらを見ていたけど

何かを言う事もなく、隣に座り視線を私から焚火へと移し

セツナもお茶に口をつけていた。


「……どうして……」


「……」


「私は、セツナに酷いことばかり言って

 傷つけることをして、自分勝手な行動を押し付けていたのに

 どうして……」


セツナの顔を見ることができず、俯いたまま言葉にする。


「サクラさんは、ジャックの記憶を見たんですね」


それは断定。私は隠すことなく頷いた。

先ほど泣いた時に、ほぼ話してしまっている。

ジャックの記憶を見た事を、初めて人に話す。

その記憶の内容も……。今まで頑なに、秘密にしていた事なのに

抵抗もなく、セツナに話してしまった。


私がすべて話し終えると、セツナは淡く笑って

その感情を胸に秘めるのは、大変だったでしょうと私を労わってくれた。


そのやさしい声に、涙が落ちる。

慌てて、下を向いて目元をぬぐった。


そしてジャックが命を落とした原因は、私にもあると告げた。

彼は、それは違うと否定して。私のせいではないと言ってくれた。


「どうして、優しくしてくれるの?

 どうして、助けてくれるの? 私は……」


「オウルさんにも、同じことを聞かれました。

 僕は、ジャックは貴方を助けたいんじゃないかと思った。

 だから、助けたんだと思います」


「……」


「オウルさんの話を聞いた時、助けてよかったと思いました」


「父様の?」


「ええ」


「理由を教えてくれる?」


「貴方の名前を付けたのは、ジャックだと聞きました」


「え?」


「知らなかったんですか?」


「知らなかった……」


いや……知っていた? どこかで聞いたことがあるような

思い出せない……。


「どうして?」


ジャックは、私の名前を付けただけだ。

それがどうして、助けてよかったという事になるのかわからなかった。


「ジャックは、何を考えてサクラさんの名前を付けたんだろうかと

 オウルさんが言っていました。その時、僕は何となく理由が思い浮かんだんです。

 サクラさんを抱いて、絶対サクラだと叫んだ理由が……」


セツナはそこで一度口を閉じ、何かを考えるように俯く。

私には、ジャックがなぜ私の名前をサクラにしたのか今の話では分からなかった。


「サクラさんは、ジャックに笑えって

 言われたことはなかったですか?」


「え……」


『サクラ、笑え!

 お前は、笑ってるほうが可愛いんだからよ。

 うじうじ泣いてるな、笑え!』


ジャックが、会うたびに私に言っていた言葉を思い出す。

泣いているといつの間にか傍にいて、ジャックがいてくれることに安心して

笑顔を見せると、ジャックはいつも優しく笑い返してくれた。


「子供のころいつも言われていたわ」


私が泣き虫だったのも、あるのかもしれないけれど。


「バラに種類がある様に、桜にも種類があります。

 その中に、山桜という桜があるんです」


「ヤマザクラ?」


「ええ」


「最近どこかで聞いたことがある気がする……」


私の言葉に、セツナが私の疑問に答えてくれた。


【もろともに あはれと思へ 山桜 花よりほかに 知る人もなし】


「そう……そうだった。セツナが黒の間で呟いた言葉。

 そのヤマザクラが関係あるの?」


「いえ……」


セツナはそう言って、口を閉じ

何かを考えながら、私を見る。「別の意味で、サクラさんは

ジャックの山桜だったかもしれませんね」と言われたけど

私にはよくわからなかった。セツナもそれ以上何も言わなかった。


「山桜の花言葉は、"あなたに微笑む" なんですよ」


「微笑む?」


「そうです。ジャックはサクラさんにいつも笑っていて

 欲しかったのかもしれません」


「……」


「僕の想像でしかないんですけどね」


何かが胸に引っかかった。


『笑え、笑えサクラ!

 お前が笑ってると、俺も嬉しくなるからよ』


楽しそうに私を見て、笑えと言っていた。


『また泣いてるのかよ……。

 俺は、笑えって言ってるだろ?

 どいつだ、お前を泣かせた奴は

 その親を、半殺しにしてきてやる』


ジャックの表情は真剣で、一度も名前を教えたことがない。


『お、今日は笑ってるな。

 何かいいことがあったのか? 俺に話してみろよ』


私の話をいつも、目を細めて聞いていてくれた。


『口角をだな、こうやってあげているだけで

 いて、叩くな! 俺は、お前の為を思って……』


すねた顔をしていると、無理やり口角をあげようとされたから

よく手を叩いて、抗議していた。


ジャックの言葉が、ジャックの笑った顔が次々と

頭の中にあふれ返る。胸が痛い。

想像でしかないと彼は言うけれど。

私は、それが真実だとなぜか知っていた。


「ジャックにとって、サクラさんは大切な人だった」


「うぅ……」


堪え切れずに声がもれる。


『サクラ、幸せになってくれ』


頭の中に、響くような声。

夢の中で、私に幸せになれと言ったのはジャックだった。


どうして、そう言われたのかは覚えていないけど。

夢だから仕方がないのかもしれないけど、ジャックは確かに

"幸せになれ"と言ってくれた。


セツナは、心配そうに私を見ている。

心配してもらう、資格などないのに!

彼の優しさを、彼のジャックに対する負い目を利用して

私は、自分の望みを叶えようとしたのに……。


『ジャックの大切な人だから』それだけの理由で。

私を助けなくても、誰も彼を責めなかっただろう。

私が残した記録用の魔道具は、彼の精霊によって壊されてしまったらしいけど

あれを見れば、私が悪いことが誰にでもわかったはずだ。


それなのに……。


「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい」


謝罪の言葉しか出てこない。

そんな私にセツナは「サクラさんが……」と何か言いかけてやめ

「もういいですよ」と違う言葉を私に告げた。


多分、彼が告げるつもりでいた言葉は

「私の言った言葉が正しい、だから謝罪の必要はない」と言うつもりだったのだと思う。

だけど、それを言葉にすると私が傷つくから

許すという言葉を、くれたのだ……。


私は……。

ぐすぐすと泣いている私に、セツナが静かに私を呼ぶ。


「サクラさん」


「は、い」


「ジャックの亡骸はどこにも存在しません」


セツナの言葉に、涙を止められないままセツナを見る。


「ジャックは、魔力の枯渇で亡くなったので

 肉体は消えてしまいました」


セツナの言葉に、私はただセツナを見つめることしかできない。

セツナが嘘をついているとは思わなかった。


「だから……」


迎えには行けない……。

私の行動は、全て無意味だったんだろうか?


「……」


涙を落としながら、黙り込んでしまった私に

セツナが焚火の近くに落ちている小さい木の枝を持ち

地面に何かを書く。


【桜】


「【桜】初代の国の文字で書くとこういう文字になります」


私は地面に視線をやり、落ちている小枝を拾って

地面に涙を落としながら、その文字を練習する。

何度も、何度も書いて覚える。ジャックが私にくれた言葉だから。

初代の大切な【桜】。本当は、この文字を覚える資格は

私にはない。だけど、私は自分の名前となった【桜】を胸に刻んでおきたかった。


初代に謝りながら、私は【桜】を地面に書いた。


そして私が、その文字を書くのをやめたのを見計らって

セツナは、地面に新しい文字を書いた。


【かなで】


「この文字は?」


私に何か関係ある文字なんだろうか?


「……ジャックの名前です」


「え……?」


「ジャックの本当の名前です。

 【かなで】と読みます」


【かなで】……ジャックの本当の名前。


私は地面の文字を凝視する。そして、【桜】という文字以上に

一生懸命その文字を書いた。忘れないように、何度も何度も……。


セツナが、私の手にそっと自分の手をのせ書くのを止める。

私は、小枝を手から離した。力を入れすぎていたのか

尖っていた場所があったのか、手に少し傷がついて血がにじんでいる。

セツナは、何も言わず魔法で癒してくれた。


「ありがとう……」


「いえ」


いろいろ聞きたいことがあった。

どうして、ジャックの本当の名前が初代の国の文字なのかとか

どうして、それをセツナが知っているのかとか……。


だけど、それを聞いてはいけない気がした。

聞いてしまうと、彼を傷つける気がした。

私はもう、この人を傷つけたくない。

散々傷つけておいて、言えたことではないけれど。


「ジャックは、本当は知られたくなかったかもしれません。

 その名前は……彼が捨てなければならない名前でしたから」


「……」


「だけど、ジャックにとって一番大切な名前です」


「どうして、どうして私に」


「サクラさんが、全てを捨ててまで

 彼を独りにしたくないと、泣いてくれたから」


涙がまた、地面に落ちる。

彼は私を見て、淡く笑った。


それはどういう意味なのかと、尋ねることができなかった。

彼の表情が、聞くなと言っていたから。


「だから、サクラさんだけは

 ジャックの本当の名前を、覚えておいてあげてください。

 彼が、【かなで】と呼ばれていたことを覚えていてください」


多分、隠さなければいけない名前だったのかもしれない。

なのに、私の為にセツナは【かなで】の名前を教えてくれた。

骨すらも残らなかった、ジャックの形見を一番大切なものを

私にくれたんだと思う。


「その文字の事は、サクラさんの胸に秘めておいてくださいね」


声が出なかったから。だから、何度も頷くことでわかったと告げる。

私の宝物……。セツナからもらったジャックの形見。


「特に、サフィールさんにだけは

 絶対知られないようにしてください。

 知られると、僕はずっと付きまとわれることになりますから」


セツナの言葉に、その表情に思わず笑う。

本当に嫌だという感情が、素直に出ていたから。


「ジャックは、水辺でいい夢を見ているかな……」


私の言葉に、セツナは一瞬俯き軽く溜息をつき

「きっと、悪戯ばかりしている夢を見ていると思いますよ」と言った。


セツナの言う通りかもしれないと、ジャックが悪戯をしている

ところを想像して笑う私を見て


「サクラさん。サクラさんは、笑っているほうが可愛いですよ。

 そうやって、いつも笑っていてください」


そう言って、私に笑ってくれた笑顔は見惚れるほど綺麗だった。



読んでいただきありがとうございました。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
僕達の小説を読んでいただき、また応援いただきありがとうございます。
2025年3月5日にドラゴンノベルス様より
『刹那の風景6 : 暁 』が刊行されました。
活動報告
詳しくは上記の活動報告を見ていただけると嬉しいです。



html>

X(旧Twitter)にも、情報をUpしています。
『緑青・薄浅黄 X』
よろしくお願いいたします。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ