『 不結果 』
* サクラ視点
広い広い空間に、1人で立っていた。
「寒い……」
思わず口から、零れ落ちる。
軽く腕を摩ってはみるけど、効果があるとは思えなかった。
私は、どうしたんだろうか?
セツナを部屋へと連れていき、セツナに抱き付いたところまでは覚えているが
そこから先の記憶がなかった。
私は周りを見渡し、ここがどこなのかを考える。
この空間にあるものは、黄色く輝く月のようなものが3個浮いている。
大きさは、ちょうど私の掌にのるぐらいのものだ。
1つは、煌々と輝き一際明るい。
1つは、心が温かくなるような輝き。
そして最後の1つは、淡く儚い光をはなっていた。
明るく輝くものが、3個もあるのにその光が照らすことができるのは
私の足元ぐらい……。それほどこの闇は深かった。
その明かりを頼りに、足元を見ると素足で水の上に立っている。
その水はとても澄んでいるのに、綺麗と思うより怖いと思ってしまったのは
なぜだろう?
足元から、目線をあげて前を見るけれど奥へ行けば行くほど
暗闇が広がっていた。冷たい空気は、奥から流れているようだ。
一歩踏み出してみると、振動を受けたように波紋が広がるが
水は跳ねなかった。足を濡らしている様子もない……。
しかしそこで、水の中に浮かぶ大きな黄色の三日月が波紋の中に揺れているのを見つける。
たぶん、月よね……? 月というのは青いものだから少し違和感があるが形が月だ。
黄色い月をどこかで見たような気がするけれど、どこで見たのか思い出せなかった。
これだけ大きな月なら、空に浮かんでいる月も大きいのだろうと思い上を見ると
そこには何もないただの暗闇があるだけ……。先の見えない闇が……。
首をかしげもう一度足元を見ると、やはりそこに月は映っている。
そして、水の中の月は何も照らしていなかった。
まるで、水が月の光をさえぎっているような……。
心の中に、ゆっくりと恐怖がわきあがってくる。
私はいちばん明るく光る球体を手の中に入れ、恐怖を無理やり飲み込み
歩き出す。このまま立ち止まっていれば、この水の中に取り込まれそうな気がして
怖かった。
深い深い暗闇……。手の中にある明かりでは自分の手元しか見えない。
それでも、真直ぐ歩く。後ろを振り向くと、残りの明かりは闇に飲まれたように
消え去っていた。
闇に浸食されていくような恐怖に、気が付けば闇の中を走っている。
どこまで行っても暗い。どこまで行っても明かり一つ見えない。
呼吸が苦しくなり、立ち止まった瞬間、手の中の明かりが逃げるように
戻っていく。慌てて手を伸ばすけど、もうその明かりは見えない。
自分の手を見ることもできないほどの暗闇に、息をのんだ。
体が恐怖からか、寒さからかわからないが
震えるのを止めることができない。
身動きができず、叫びそうになったその時
闇の中で、仄かに明かりが揺れた……。
その明かりに私は目を奪われる。
ジャック……。ジャック……?
見間違うことはない。ずっと、ずっと探していたのだ彼を。
彼だけを! 体に纏わりつく闇を振り払いながら、私はジャックを見た方向へと
直走る……。
「ジャック! まって!」
息が切れるほど走った先で、ずっと探していた彼が項垂れながら膝をついていた。
息を整えながら、ジャックの傍へとゆっくりと近づく。
ジャックの前には、水晶のような透き通った分厚い氷の塊があり
その中には、見た事がない花が一輪咲いている。
だが、その葉はすべて下に落ち枯れ果ててしまっている。
粉々になっているものもあれば、ちぎれている葉もあった。
そして、かろうじて赤い花だけが氷の中で色を保っていたのだった。
彼の周りには、白い雪がゆっくりと降り注いでいた。
その雪が、水の中に落ちるとその水を少しずつ凍らせる。
ジャックはうつろな目で、凍っていく水面を眺めていた……。
ジャックの頭の上にも、肩の上にもうっすらと雪が積もり始める。
これだけ、落ち込んだ様子の彼を私は見た事がない……。
「ジャック?」
ジャックの隣に立ち、彼を呼ぶが彼は私を見ない。
私の声が聞こえてないのかもしれない。膝をついて、ジャックの手を
とろうとした時、ジャックの見ているものが私の視界にも入る。
そこに映っていたものは、セツナが私の手を取り自分の事を話している姿だった。
セツナの独白に、私は自分の血の気が引いていくのを感じた。
背中に冷たい汗が流れ落ちるような感覚。私は……。
ジャックは、こぶしを握り黙ってセツナを見ている。
その手は、血が止まっているのではないかと思うほど白い。
『最近はね、僕に死ねと囁く』
セツナがこの言葉を、口にした瞬間ジャックが歯を食いしばる音が響いた。
その時、低いけどよく通る声で誰かを呼ぶ声が聞こえる。
「かなで」
かなで?
「……」
「私は、お前の枷を外す時にこう告げなかったか?
私の構築した魔法に、絶対に手を加えるなと言わなかったか?」
「……忘れていた」
「忘れていた結果がこれか?」
「……」
「忘れていたふりをしていたんだろう?」
私は、ジャックの隣に立った人を見て息をのむ。
ジャックをかなでと呼んだ人は、最近セツナが見せてくれた映像の中にいた
初代だったから……。
彼も私を見ない。
「魔力制御の甘いお前では、私の魔法の構築をそのまま使う事しか
できないだろうと言ったのを、覚えていなかったのか?」
「……」
「私の魔法に手を加えるのなら、魔力制御を学べと言っただろう?
有り余る魔力に、頼り切っていたお前にそう忠告したはずだ」
ジャックは俯いたまま、何も答えない。
「お前が、私の構築式に中途半端に手を加えたために
刹那への魔法が、中途半端にかかりこのような状態になっている」
「ぐっ……」
「本来なら、彼はとっくに狂っていても不思議ではない。
お前がいたずらと称して、割り込んだ場所の構築式には
私達が、感情を阻害しない為の魔法と
私達が、目を覚まさない為の式が書かれていた。
お前が、刹那に説明していただろう? 何と言ったのか覚えているか?」
「……」
「かなで」
初代は、ジャックに返事を促す。
「俺達の……俺とじいさんの魂はただ単に
情報というものに置き換えられるから、お前の人格になんら影響されるものではない」
「今の彼は、その通りになっているか?」
「……なってない」
「私とお前の感情と記憶が、すべて刹那に影響を与えている。
私達が、ふとした瞬間に目を覚まし刹那が見ているものを知り
その見ているものに対して抱いた感情が、すべて刹那に流れている」
「……」
「お前は、私がお前の枷を外した瞬間から
私の感情を感じることがあったか? 私の記憶を見ることがあったか?」
「一度もない」
「刹那は、お前も自分と同じ思いをしていると思っているようだが
私は、そんな残酷なことをお前に背負わせはしなかっただろう?
記憶を見せたとしても、なぜ、情報としてだけ残そうとしなかった。
そこに感情を入れる理由などないだろう」
「……俺も入れるつもりはなかったんだ」
「失敗したという事か」
「……」
「自分の望郷だけでも、もてあますものを
お前は、刹那に3人分背負わせているのをわかっているのか?」
ジャックは、黙って初代の言葉を聞くことしかできないようで
もうこれ以上、彼を責めないでと口にしたくなる。
2人の話は、分からないことが多かったけど
私は、聞いていることしかできない。
「刹那は、自分の感情を見失いかけている」
「どうすれば……」
「どうすることもできない」
助けを求めるように呟いたジャックの言葉に
初代は、冷たい声で返事をした。
「竜の娘の事にしてもそうだ。
お前の、竜王に対する嫌悪と少女に対する罪悪感が
刹那の感情に、影響を与えていないとは言えまい」
「あんなにすぐ、フィーリアに会うとは思わなかった……」
「出会う、出会わないはどうでもいいことだ。
私が言いたいのは、そういうことではない」
「……」
「お前の未練が、お前の心残りが
刹那を苛んでると言っている。未練があるということは
生きていたいという事と同義だろう」
ジャックの肩が大きく揺れた。
「竜の娘の事だけではない。
私の子孫である、リオウにしてもサクラにしても
心残りがあったのだろう? だから、刹那に伝言を託した」
色々驚くべきことや聞きたいことがあるが
私の声は、2人には届かない。
「お前のその未練がその感情が、お前を犠牲にして生きているという
考えに至っていると気が付いていなかったのか?」
「……」
「本当は生きていたかったのではないか? と刹那が疑問に思っても
仕方がないだろう。お前が中途半端な幕引きをしたせいで
お前を慕う人間の言葉を、はねのけることができない。
自分の存在を自分で否定するという状況になり……。
そして、あのような言葉を刹那に吐かせることになった」
「違う。俺は、俺の意思であいつを生かしたんだ」
「お前を、犠牲にして生きているという思いから
刹那は、自身の大切な人を巻き込むのを極端に恐れている。
巻き込むと言うのは、自分がその人の命を奪ってしまう
かもしれないという事も、含まれている。
巻き込む前に、自分が狂って殺してしまう前に
自分が死んだほうがいいのだと考えるようになった。
それはお前にもわかっているだろう」
「……」
「刹那は、生きることと向き合えない。
いや……彼は最初から……生きることを望んでいなかっただろう?」
初代が視線をジャックから外し、周りを見渡し深く溜息を吐いた。
「かなで。どうして刹那を殺してやらなかった」
初代の言葉に、思わず息をのむ。
ジャックは、勢いよく顔をあげて初代を睨みつける。
「刹那の願いは、生きることではなかっただろう」
「……」
「この世界で何がしたいと、問うたとき
彼は、逝きたいと答えただろう? 」
ジャックは反論しない。
「それが、真の刹那の願いであり
望みであることは、記憶を覗いた時にわかったはずだ。
なぜ、そのまま殺してやらなかった」
「じいさん!」
ジャックが聞きたくないというように、叫ぶ。
「やりたいことは何かと、問うたとき」
「やめろ!」
「刹那は、世界を見て歩きたいと言った。
そして、その後こうも言っている。覚えているだろう?」
「……」
『僕は僕が選んだ場所で死にたい』
初代の言葉に、先ほどセツナがセリアという女性に話していたことを思いだす。
『カイルからすべてをもらっておきながら
頑張ると……言っておきながら
守るものがありながら……。
僕は、死に場所を……。寂しい部屋の中ではなく
できれば……日の当たる場所で……。
それが無理なら、せめて月の下で……』
「刹那の旅の目的が
自分の死に場所を求めるものだと、お前は気が付いていただろう。
なぜ、お前と出逢って一瞬でも満たされていたあの時に
殺してやらなかった」
「……ないだろ……」
ジャックは、何かを呟くが聞き取ることができない。
「刹那が話を断っても、自分は死ぬと脅して刹那を追い詰めた。
お前という存在に、希望を見せていた刹那にお前はいちばん残酷な
言葉を使った。刹那を独り置いていくという言葉を放った」
「……」
「そのことに迷いを見せた刹那に、お前は魔法をかけてまで
生きる選択をさせた。刹那の意思を曲げてまで、お前の意思を通した」
ジャックは自分の目元を、片手で覆い俯いてしまっている。
「その結果がこれだ」
初代が、もう一度周りを見回した。
「希望も何もない、絶望があるだけのこの空間だ。
死に場所を求めているから、希望など生まれるはずがない。
夢など持てるはずがない。狂わずにいることが私には信じられない」
ここは、セツナの心の中?
だとしたら……なんて……なんて……。
寂しいなんて、そんな生易しいものではない……。
筆舌に尽くしがたいほどの……。
そこに追い込んだのが、自分だと気が付いた。
セツナの心に、新しい傷を刻んだのは……私だ。
どうしようもないほどの罪悪感に、立っていることができなくなって
座り込む。座り込んだ地面は……体の芯が凍り付くほど冷たかった。
「なぜ、私達と同じように考えた。
私達は、まだいいほうだった。
自由はなかったが、刹那みたいな拷問を受けることはなかった。
あそこまで手ひどく、痛めつけられることはなかった。
お前にも、そして私にも友がいた。孤独を忘れることができた一瞬があった。
だが、刹那は違っただろう? 最初から最後まで独りだった。苦痛とともに。
その命を、何度捨てようとしていたか知っているだろう。
その度に、自分の胸の中にある【椿】の葉を落とし唯一つの約束を守り続けた。
何度も何度も、自分の心の中で自分を殺しながらも、ただ耐えていた」
初代が、氷の中に咲く花を見て一瞬表情を悲しみにゆがませた。
あの花は……ツバキというらしい……。どこか寂しい花に見えた。
「死を覚悟し、受け入れ、最後の最後まで生き抜いた刹那が
もう一度、この世界で同じことを繰り返さなければならなかった苦痛を
お前はどうしてわかってやらなかった。
肉体的にも精神的にもボロボロだっただろう?
そんな状態でも、また最後まで生き抜いた刹那の唯一の願いがかなう時に
お前はまた、生きろと告げた」
「……俺は……」
「今、刹那が必死に生きているのは
お前の言葉を、胸にしまい込んでいるからだ。
お前との約束があるからだ。お前との約束と自分の望みとの狭間で
必死に戦っている……。自分の精神を削りながらな」
「……」
「自分の、感情の在り処を問い。
自分の、存在の意義を問い。
自分が、この世界で何になるのかを問い。
自分が、この世界にいることの意味を問い。
何のために、生きているのかと問う。
答えの出ない問いを、自問自答しながら刹那は生きている」
「……」
「かなで。刹那はいつ狂ってもおかしくない。
今の刹那では、他人を受け入れることはできない。
この世界を憎み、この世界の人間を憎み
全てを諦めた、刹那の1人目の希望だったお前を失い。
そして、刹那を受け入れ初めての安らぎを与えた
ラギールという獣人を失った。
彼の死は、刹那にさらに深い孤独を与えた。
心許した人を失う恐怖を、たった半年の間に2度経験し
失いたくないあまりに、無意識に心に誰かを入れるのをやめた。
元々、この世界を憎んでいる刹那の心に他人が入れたというのが
奇跡に近いのだ……。ラギールが生きていれば
また違った結果に、なったかもしれないが……。
今、刹那の心に寄り添っていられるのは、ラギールという獣人と
出会う前に出会った3人だけだ」
「……」
「もう一度聞く。お前はなぜ刹那を殺してやらなかった。
この世界で生きる孤独を、一番理解しているお前がなぜだ」
「……ないだろう……」
「……」
「殺せるわけがないだろう!!」
ジャックの瞳には、怒りはなく……深い悲しみの色が広がっていた。
こんな、ジャックは見た事がない。彼は怒っているか、笑っているかだったから。
「じいさんもみただろ!?
あいつの記憶を! あいつが生きてきた道を!!」
「……」
ジャックは一度そこで、大きく息を吐き出す。
「じいさんは……日本では幸せだったのか」
俯いたまま、ジャックが初代に聞く。
日本とはなんだろうか。
「戦争に行くまでは、幸せだったな。
両親がいて、恋人がいた。暮らしもそれなりだった」
「俺は……。俺もそうだ。
両親がいて、親友がいて……。恋人ができそいつと結婚して娘がいた」
え……?
「俺たちの時代は、平和だった」
「ああ、記憶を見た」
「両親から愛情をかけてもらい、何不自由なく育った。
高校時代に、親友ができ馬鹿もやったし、同じ夢を追ったりもした。
大学時代に、知り合った恋人と学生結婚をし娘も抱けた。
何よりも……俺は、彼女を愛していたし彼女も俺を愛してくれた」
懐かしむように、ジャックの目が優しくゆるむ。
「俺が死んだのは、夢を追っている最中に死んだんだ。
言い換えれば、自分の好きなことをして死んだ。
未練はあるが、仕方ないと割り切ることもできた」
「……」
「だけどさ……あいつは、俺が経験してきた幸せだと思うことを
何一つ経験していない……」
「……」
「あいつは、刹那は家族には恵まれていたが
いつも心の底で謝っていた。生まれてきて悪かったと。
何も恩を返せずに……悪かったと……。
だから、あいつが死をむかえる瞬間を心の底から望んでいたことを知っていた。
これで、苦労を掛けずにすむと……」
何かをこらえるように、ジャックが一度固く眼を閉じ開ける。
「この世界に召喚され、病に侵され、拷問を受け……孤独の中にいても
こいつの胸の中にある、【椿】の花を折らぬように生きていたのも知っていた」
「……」
「だけどさ……だけどじいさん。
俺達は死んでも救いがない。死んでも孤独だ。魂が消えるまで!
あいつは何一つ知らずに、何一つ満たされずに消えるのか!
俺と出逢ったという、ちっぽけな思い出だけを抱かせて殺せと言うのか!
俺には……できなかった。俺には殺せない!
あいつの記憶を覗き、あいつと言葉を交わし
あいつは……本当に静かに涙を落とした……。
誰かを恨んでの涙じゃない。誰かを憎んでの涙じゃない!
ただ……俺と話した。
それだけの事で……。
俺は、あいつに学校へ通う楽しさや、買い食いで腹を満たす喜びや
親友とくだらない事を語り合い、馬鹿なことをして同じ時間を共有し
笑いあう。そんな普通の喜びをあいつにも知ってほしいと思った……」
「……」
「……誰かに恋して、誰かを愛して。
誰かに恋されて、誰かに愛される……。
そんな、普通の幸せを……誰もが手に入れることができる幸せを。
あいつも、刹那も享受していいはずだろう!!
高望みなんかじゃない、誰にでも与えられる普通の幸せだ!」
ジャックの声が震えた。
「一度目の人生も死を望み。
二度目の人生も死を望む。
それこそ、あいつは何のために生まれてきたんだ!!」
自分の感情を鎮めるように、ジャックは深く息を吸い込み
呟くように言葉を紡いだ。
「それに……あいつ、米が食いたいって……望んでた。
俺達の世界の米じゃないけどさ……ハルには、あるだろう。
だから、食わせてやりたかったんだ……」
「かなで」
「だけどあいつは、食えなかった……」
「かなで。刹那が最後に食べたものが握り飯だ」
「知っている」
「それも、食事がとれなくなる前に少しだけ。
刹那の母親が、刹那のために握ったものだ」
「……」
「米が食べたかったわけではない」
ジャックが、空を仰ぐように上を向いた。
ジャックの瞳から、綺麗な涙が静かに落ちた。
「もういいだろう! 誰か! 誰か助けてやってくれ……。
こんな寂しい空間に、あいつを閉じ込めないでやってくれ。
あいつの涙を……この雪を止めてやってくれ。
誰でもいい……誰でもいいんだ。
あいつの心に……光を……。この氷を溶かしてやってくれ……。
あいつに……刹那に……幸せを……」
ジャックが切望という言葉を紡いでいる間も
私や、ジャック、初代の上には冷たい雪が降り注いでいた……。
「俺は、こんな結果を望んでいたんじゃない。
俺は、幸せを感じながら、眠りについたはずだった……」
力なく項垂れていたジャックが、ノロノロと顔をあげ初代を見る。
初代はそんなジャックを、見つめてため息を吐いた。
「刹那が狂わずにいるのは、アルト、クッカ、トゥーリの存在と
私達の感情を拒絶せず、そのまま受け入れ私達を尊敬してくれているからだ。
この空間にある3個の月を見ただろう。あれは、3人の姿を映している。
刹那が守りたいもので、今の刹那の唯一生きる意味だ。
だが、2個の月が刹那を支えてもいる」
光は3個あった。初代はなぜ2個と言うのだろう?
「私も、お前も尊敬に値する人物ではないというのに。
刹那の、忍耐強さ、約束を守ろうとする信念……。
そして、人を助けようとする心のほうが尊いものだというのに」
初代は、苦虫を噛み潰したような表情を作った。
「私達は、憎しみにかられ数えきれないほどの人を殺している。
お前は、その事実を何一つ刹那に教えることはしなかった。綺麗な過去しか
見せていない」
「……」
「お前は、魔王と呼ばれていたんだろう?」
初代の言葉に、息が止まるほど驚いてジャックを見る。
ジャックは、怖いほど目を細めて初代を見ていた。
ジャックが……魔王?
海を渡った国から伝わっている話だ。
腐敗した国同士が、戦争を続ける中 "魔王"と名乗る何かが現れたと。
遥か昔の作り話だと思っていた。
恐ろしいまでの魔力と力で、歯向かってくるものは皆殺しにしたと言われている。
その国は今はもうない。その国が存在していたのかもわからない……らしい。
「別に責めているわけではない。
私もリシアを作った理由は、軍事国家を作りこの大陸を滅ぼすためだったからな」
初代の告白に、私もそしてジャックも目を見開いて初代を凝視する
「理由はお前にならわかるだろう」
「……」
「勇者という枷から外れても
あの魔法陣に、魂の名前が刻まれている限り
私達はあの魔法陣には近づくことができない。
そして、ガーディルの王族を殺すことさえできない……。
まぁ……魔法陣に近づけたとしても、神の魔法を壊すことができるだけの魔力を
持ってはいなかったが……。
私とお前の魔力と命を懸けて、一文字削れるかどうかというところだろう。
考えつく先は、お前と同じだったということだ。
私以外のものに、ガーディルを滅ぼさせればいいことだと」
「刹那の魔力量は、じいさんより多いんじゃないか?」
「ああ、私よりも遥かに多くなるだろう。
多分……実験と称した拷問の副産物だろうがな」
あの、絶望的な恐怖と体の痛みを思い出し
自分の体を抱きしめる。そして、ふと彼が私の手を握っていてくれたことを
思いだし、少しその恐怖が薄れた……。
私はセツナに、酷いことしかしていないのに……。
「普通なら、サクラと同じように魔力の器が壊れてしまうものだ。
だが、刹那は自身が持つ能力のせいもあり、魔力を体を維持する方向へと
無意識のうちに向けていたのだろう。自分から命を絶たないという約束のために」
「……」
「だから、刹那の魔力の器にはいつも空きがあった。
そこに無理やり、魔力を詰められ器を徐々に広げられる。
その無理やり詰められた魔力をも、体を維持する力に変わっていたようだが……。
それが刹那にとって、よかったのかはわからないな。
その器の情報と私達の器の情報が重なり、想像もつかないほどの魔力量を保持しているようだ」
「……」
「ガーディルの馬鹿どもは、一向に魔力が溜まる気配がない刹那の器は
どこかに穴が開いていると結論付けていたようだが……。お粗末な話だ。
学者の質も、ずいぶんと落ちているようだな」
「刹那なら、命を懸けなくても一文字なら削れるだろう?」
「ああ、削れるな」
「だが、どの文字が何の役割を持っているかがわからない限り
あの魔法陣に手を加えることができない。一人の王族が最高でも
2回しか召喚できない理由を、お前は知っているか?」
「魔力量が関係あるんだろう?」
「確かに、それも関係しているが
魔法陣自体が、同じ人間の魔力を受け付けなくなるからだ。
一度召喚するために魔力を流すと、同じ人物が召喚するには
長いときが必要になる。そのころには、体も老い、魔力量も減り
寿命もある。勇者がいる間は、本来なら次の勇者は呼び出せない。
老い先短い人間が呼び出したとしても、得になることがあまりない」
「おい、刹那が生きている間に次の勇者がいたぞ」
「大量の犠牲を払っているだろうな」
初代の言葉に、ジャックが嫌悪感を表情に出す。
「魔法陣を壊すには、魔力が必要だ。
大量の魔力が……。だとすると失敗するわけにはいかない」
「じいさんは、どの文字かわからないのかよ」
「神の文字だ。そう簡単にわかるものではないだろう。
わかったとしても、今の刹那には壊すことはできないだろうな」
「なぜだ?」
「お前は、私が与えた知識をどう扱っていた?」
「……」
「大雑把なお前の事だ。
魔法陣に近づけないと知って、すぐに魔法陣から興味を失ったのだろう。
もともと、魔法にはあまり関心がなかったようだからな」
「俺には、魔法制御は性に合わなかったんだ。
制御しなくても使えたからな」
「……」
「人間向き不向きがあるだろう?」
「その不向きが、刹那に更なる苦痛を与えているがな」
初代の言葉に、ジャックが傷ついたように視線を逸らした。
「魔法陣を壊せば、勇者の命はなくなる」
「……」
「自分の後に召喚された勇者というのは
その前に、召喚された者の魂の欠片の一部を持っている」
「え……?」
「お前は、私が枷を外した後
お前を召喚した人間が死ぬまで、寝ていたから気が付かなかったんだろうが
普通は自分以外の勇者に会うことはないから、気が付いているものはいないだろう」
「欠片を持っているとどうなるんだ?」
「自分の魂の欠片を持っている人間に、どうしようもなく惹かれる。
それは、相手も同様にだ。刹那が彼女と戦いたくない理由は
彼女に対する罪悪感だけではないということだ。
刹那はまだ気が付いていないようだが……」
「それって……」
「できるなら、このまま彼女とは会わないほうがいいな」
「……」
深い沈黙が続く。2人の会話は謎ばかりだ……。
ジャックが、ぽつりと初代を呼んだ。
「じいさん」
「なんだ」
「サクラは助かるのか?」
ジャックから私の名前が出たことに、少し驚く。
ジャックの質問に、初代が呆れたようにため息をつく。
「お前の魔力制御なら、絶対に助からなかっただろうな」
「俺が、サクラを助けてほしいと願ったから
あいつは、サクラを助けてくれたんだろうか……」
「……」
「俺の感情が、あいつの感情を乗っ取ったのか?」
「さぁな。ただ、刹那なら何を言わずとも助けただろうな」
「そうか……そうだよな」
「どうして、サクラからお前の記憶を消してやらなかった」
記憶を消すと聞いて、初代をみて首を振る。
記憶を消されたくない。
「私達の望郷が、どれほど自分を狂わすのかを知っているだろう。
そんな強い感情を覗いてしまった、10歳にもならない少女が
どうなるか、お前は想像しなかったのか?」
10歳より、上だったような気がする……けど。
どうでもいいことを、口に出してしまう。
「普通に記憶を覗いたわけではない。
お前の記憶を、追体験するものだろう?
それは、消えることなく精神に焼き付けられたことだろう。
お前の感情だとわかっていながら、自分の感情に置き換わるぐらいには」
「……」
「その結果、お前と同じ感情を共有することになったサクラは
必死に努力し総帥にまでなり、お前が帰る場所を守ろうとした。
自分が帰る場所と定めた、お前の孤独を支えるために」
「俺は、サクラの人生を狂わせたんだな……」
違う! 違う……。
ジャックの隣でそう叫ぶけど、ジャックには届かない。
「サクラが生まれた時、オウルの家にこっそり忍び込んで
サクラを見に行ったんだ。そしたらさ、目を開けて俺を見て笑ったんだ。
それが……娘が……サクラが生まれた時の事を思い出した。遠い記憶だ」
懐かしむように、目を細める。
「サクラの名付け親はお前か」
「ああ。俺の大切な大切な宝物……娘と同じ名前を付けた。
可愛かったな。泣き虫でさ……でも、優しい子供だった」
それは私の事?
それとも、自分の娘の事?
「だから、この娘の願いを叶えようとし
私の魔法構築に手をだし失敗して、ハルに戻ることが困難になったという事か。
刹那に魔法をかける前に失敗しておきながら、なぜ同じ愚行を繰り返す?」
「……」
「お前は、そういう失敗した感情がセツナに流れず
私の記憶ばかりを、刹那に流しているのはなぜだ?」
「いや、そ、それは、おれにもわかr……」
「ここで、確実に息の根を止めてやろうか?」
初代の目が、怖いほど真剣だった……。
私も、怖くなって身がすくむ。
「じ、じ、じいさん、お、落ち着いてくれ。
俺の記憶は、鍵をかけたからだと思う」
「その鍵は、お前の魔法の失敗のせいで
役に立たないものと成り果てているがな……」
「うぐ……」
「刹那は、お前がリオウ達に会わなくなった理由が
私の子孫たちに手を出さない為だと思っているが……。
間抜けな理由で、ハルに戻れなくなったと知ったらどう思うんだろうな?」
「やめてくれ……戻れないわけじゃなかったしさ……」
「なら、戻ればよかっただろう?」
「じいさん……あの魔法はえげつない」
「ククク……」
「俺はさ、サクラに外の世界を見せてやりたかったんだ。
キラキラした目で、海の向こうの世界を夢見ていた。
辛い出来事があって、ぴたりと結界から出たいと言わなくなって
毎日、毎日泣いていた……海に連れ出したら、暗いから怖いと言って
また泣いてたけどな」
ジャックはそこで、苦笑を落とした。
「だから、外に出ることができるように
構築式を弄ったんだが……」
「お前の魔力制御と構築方法では無理だ。死んでいる今でも無理だ。
刹那なら、あと数年すれば触れるようになるだろうがな」
「……」
「あの結界には、私の全てが籠めてある。
知識だけで触れるものではない。そう簡単に破ることはできない」
「だいたい、どうしてあんな結界を作ったんだ。
自分の子孫を、閉じ込めるような結界を……」
「私は、自分の息子をこの手で殺した」
「え……?」
「私達の子孫を、外に出さないでほしいと願ったのはリシアだ」
ジャックは、初代にそれ以上質問を重ねることはなかった。
「黒の……黒の制約は……」
「そんなものは知らない」
「はぁ?」
「私の後を継いだ息子の一人が、つくったのではないか?
リシアが死んで、お前を見つけ私はお前の中で眠りについた。
お前が寝ている間に、私の息子かその子供が作ったのだろう」
「……」
「基本は、私の結界を真似しているが……。
いまいちな出来だな」
「じいさんの……記録がほとんど残ってないのはどうしてだ」
「必要なもの以外、残す必要はないだろう?
この世界で生きているものが、研鑽していくものだ。
必要最低限のものは、残したはずだ。
それに、私のすべての知識や魔法は
お前の頭の中にあるだろう?
お前が刹那のように、まじめに取り組んでいれば
魔法技術はもう少し残っていたはずだ」
「……」
「刹那を通して、現在のギルドを見たが
色々と脚色がされていて、笑えるな」
「笑えねぇんだけど」
あはははと、初代が笑う。
私も初めて知った事実に、言葉が出なかった。
「さて……かなで、そろそろ眠れ。
私達が起きているだけで、刹那の心が揺らぐ」
「……」
「今の段階で、私達にできることはない」
「サクラ……」
いつの間にか、ベッドに横たわっている私を見て
ジャックが私の名前を呼ぶ。
「刹那に任せるしかあるまい。
お前と違って、魔法の腕は確かだ。
失敗することはない」
「ああ……寝る。
サクラ……お前はお前の道を生きるんだ。
俺のもう一人の娘……幸せになってくれ」
ジャックの言葉が、悲しいのかうれしいのかわからなかった。
ただ、今は何も考えたくなかった……。
ジャックは、目の前の氷の塊に手を当て
何かを心の中で願っている……その顔は真剣でそして哀しみが浮かんで。
「刹那……ごめんな……。
だけど生きてくれ……生きて……」
「かなで……」
「……」
初代の言葉で、ジャックがこの場から一瞬にして消えてしまった。
「さて……サクラ」
ジャックが消えてすぐ、初代が私の名前を呼ぶ。
「え……」
「いつまでもここに居てはいけない。
お前は、お前の体に戻らなければ」
「どうして……」
初代は何も答えず、私の頭に手をのせる。
そのやさしい手つきに、思わず涙が落ちそうになる。
「私は……」
「刹那は、許してくれるだろう」
「酷いことを……」
「半分は、ジャックのせいだ」
「違う……」
「違わない。長い間苦しんだだろう。
もう楽になるといい。目が覚めたらその感情は消えている」
「嫌!」
「駄目だ。自分の道を生きなさい。
ここで聞いた会話も、私達の事もすべて忘れているだろう」
「お願いです!」
「諦めなさい。
ただ、ジャックの言葉だけは覚えておきなさい」
「ジャックの……」
「幸せになりなさい」
その言葉を最後に、私の姿はこの空間から消える。
そして、目が覚めた時には何も覚えていなかったけど……。
誰かが、幸せになれと言ってくれたことだけは覚えていた。
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