『 サクラと魔力の器 』
* アギト視点
セツナの精霊がそっとセツナから離れ、セツナがサクラの手を外す。
サクラをそのままに、ベッドへと近づき鞄から赤い液体の入った小瓶を取り出した。
精霊が、トコトコとセツナの傍まで歩いていきセツナの体に触れる。
その精霊の頭を、セツナが一度軽くなで魔法を詠唱しながら小瓶のふたを開け
赤い液体をベッドの上へ落とした。
その液体は、ベッドに染みこむことなく
セツナの詠唱に合わせるように、形を変えていった。
セツナが詠唱を終えると、その液体は魔法陣の形を作り光り輝いた後
そのままの形で、ベッドの上に描かれるように落ち着いた。
精霊がセツナを見上げ、セツナが精霊に頷く。
精霊をベッドの前に残したまま、セツナはサクラの元へと戻り
サクラを抱き上げ、ベッドへと運びその上にそっと寝かせた。
セリアさんは興味深そうに、セツナのすることを黙ってみていた。
それは、サフィールとエリオも同様で真剣にその魔法陣を見ている。
セツナがサクラの胸元あたりのボタンを外し始めると
『セツナ。ケダモノはだめだワ』と、セリアさんが口をはさんだ。
『……』
セツナが、冷たい視線をセリアさんへと送る。
精霊が、首をかしげてセリアさんとセツナを見ていた。
「セリっち……」
エリオが苦笑して、セリアさんの名前を呼び
エリオの少し甘さを含んだ声に、サフィールがチラリとエリオを見て
私を見る。私が軽く肩をすくめるとサフィールは首を振って深い溜息を吐いた。
『僕は、セリアさんの中でどれだけ鬼畜な人間になっているんですか?』
『えー……。それを私に言わせるノ?』
『もう、黙っててください』
セツナは一度頭を振って、サクラの胸が見えない程度に胸元を開き
そこに、先ほどと同じように詠唱しながら赤い液体を落とす。
サクラの心臓の上に、女性の握りこぶしぐらいの大きさの魔法陣が描かれた。
セツナはサクラの服を軽く整え、精霊へと視線を向ける。
その視線を受けて、精霊がセツナに触れた。
セツナが右腕を軽く前にだし、手のひらを上に向け詠唱を始めると
セツナの手のひらの上に、魔法陣が浮かび、その手のひらを内側へと向け
左手を横にして剣の柄を握るように、右の手のひらの魔法陣につけた。
そしてゆっくりと剣を引き抜くような動作で、左手を魔法陣から離していく。
そこに現れたのは、透き通った透明な剣。サクラの胸に刺さっていた剣だった。
サフィールとエリオだけではなく、私達もその光景に見入ってしまう。
このような魔法を私は見た事がない。
「フィー……あの魔法はなんなわけ?
武器を出す魔法なんて、初めて知ったわけ……」
「教えないのなの」
フィーは、サフィールの問いを叩き落とすように答える。
手のひらの魔法陣から引き出した剣を、セツナは迷うことなく
サクラの胸の上に、描かれた魔法陣の真ん中に突き刺した。
剣はベッドの魔法陣まで届いている。
全員がその瞬間に息をのんだが、声を出すものはいない。
サクラの体から、血が流れるかと思ったが体を傷つけている様子はなかった。
あの剣がどういうものであるのか聞きたかったが
フィーに聞いたところで、教えてくれそうにもないので聞くことはしない。
サフィールと違って、余計な言葉が返ってくるのが目に見えている。
セツナは、しばらくサクラを見つめ何かを確認した後
小さく息を吐きだす。精霊も、安堵したように体から力を抜いていた。
セツナは、机のほうへ向かい
鞄からいろいろな道具を取り出し並べ、薬と思われるものを作り始める。
『これは何をしたの?』
サクラをじっと見つめていた、セリアさんがセツナに問う。
『簡単に言ってしまえば、サクラさんの肉体の維持と
黒の制約の発動防止……と言ったところでしょうか
僕の魔力を使っているとはいえ、自分の魔力が薄くなると肉体が
欠損する可能性がありますし、そこに黒の制裁が加わると
どういった状況になるか想像がつきませんからね』
「……」
リオウが、セツナの作った結界を見て
自分の体を、抱きしめるようにして自分の感情をやり過ごしていた。
『それだけじゃないでしょう?
どうして、剣を突き刺したノ?』
今の説明だけでは足りないと言うように
セリアさんが、立て続けにセツナに質問を投げる。
セツナは、魔導師に魔法の説明を求めるのは
間違っていると思いませんか? と笑いながらセリアさんを見たが
セリアさんは、私は幽霊だから聞いても使えないからいいじゃない! と
開き直っていた。
セツナは、仕方ないですねという表情を作り
セリアさんに丁寧に魔法の解説を始める。
『ベッドの上の魔法陣は、古代魔法を基本にして
時の魔法と、風の魔法を組み込んであります』
「ありえないわけ」
「ありえないっしょ」
サフィールとエリオが、頭を抱えている。
「おい、フィーこいつらに聞かせてもいいのか?」
私がフィーにそう告げると、サフィールとエリオが私を睨む。
余計なことを言うなと言いたいのだろう。フィーは2人を見て
鼻で笑った後、強烈な一言を放ったのだった。
「どうせ理解できないのなの」
「……」
「……」
フィーの言葉に、2人の矜持が深く傷ついたんじゃないだろうか……。
フィーはそんな2人を気にすることなく、セツナのほうへと視線を戻した。
『時の魔法は、サクラさんの時を止めるため。
風魔法は、サクラさんの体力と魔力を回復させるためです』
『魔力回復の魔法なんて、聞いたことがないワ』
『まぁ……。魔力回復の魔法は材料が必要ですから』
『ああ……。だから竜の血を使ったのネ』
「……」
「はぁ!?」
「エリオ、うるさいのなの」
セリアさんの竜の血という言葉に、皆が驚く。
サフィールとエリオの驚きは、私達以上だった。
魔導師にとって、竜の血は喉から手が出るほど欲しいものの一つらしい。
その話を聞いた時に、魔導師だけじゃないだろうと思ったが口には出さなかった。
サフィールは、口を開けてセツナを見ている。
『そうです』
『竜の血を使った意味と、ベッドの上の魔法陣がなにかは分かったけど
胸の上の魔法陣の役割はなんなの?』
『ああ、それは』
セツナは、手を動かしながらセリアさんの問いに答えていく。
『胸の魔法陣は、サクラさんの魔力の器の代わりです。
器が壊れてしまったから、魔力を溜めることができないのでしょう?
僕の魔力を与えても、流れていくばかりで僕の魔力まで枯渇してしまいますから』
『剣は?』
『僕とサクラさんは、サクラさんの能力でなぜか魔力までつながってしまっている状態です。
魔力の器の代わりに、魔法陣を刻みましたが2人分の魔力を溜めるのは無理なので』
『2人とも魔力量が多いものね』
『はい。その剣は、僕の魔力を吸収して蓄えることができます。
その剣を、サクラさんに通してベッドの魔法陣に干渉させることによって
ベッドの上の魔法陣の維持にかかる魔力を、剣から引き出している形になります』
『なるほど、そのあたりが古代魔法の役割になるのね。壊れないの?』
『クッカの魔力で作っていますから、2日は持つんじゃないかな?
サクラさんの体から、魔力が流出しなくなったから
僕から、サクラさんへ流れる魔力もそう多い量ではありませんし』
『便利な魔法があるのネ』
『そうですね』
『剣の魔法と、器の魔法は完全な古代魔法よね?
どうしてこんな魔法を知っているの?』
セリアさんの言葉に、セツナは少し顔をあげてセリアさんを見た。
『秘密です』
それでも、じっとセツナを見て
セリアさんは、返事を待っている。その態度に、セツナが苦笑を落とし
鞄の中から、一冊の本を取り出し机の上に置いた。
セリアさんがそれを見て、驚いた様子で声をあげた。
『魔導書!!』
「魔導書!?」
「魔導書!!?!」
サフィールとエリオが、セリアさんと同時に同じことを叫ぶ。
魔導書とは、師から弟子へと受け継がれていくものだったらしい。
2000年以上前の書物だと言われている。今ではほとんど残っていないようだ。
『その魔導書は、医学書に近いものです。
今は、魔力の器が壊れるということはないようですが
昔は、魔力量が今より遥かに多かったからか、壊れる人がまれにいたようです』
セリアさんが魔導書に目を奪われながら、セツナに返事をする。
『でも、竜の血なんてそう簡単に手に入らなかったんじゃないの?』
『本当は、竜の血は必要ないんです。
だけど、本来の方法はサクラさんに苦痛を与えてしまうので』
『ふーん』
セリアさんの冷たい声に、セツナが困ったようにセリアさんを見た。
『なるほど~。本にのっていたのね』
『そうです。その本を参考に
構築しなおしたのがこの魔法です』
『そこは理解不能だワ』
セリアさんの言葉に、セツナが笑った。
セツナが、机の上に広げていたものを鞄にしまうときに
魔導書も一緒にしまってしまった。それを見て、サフィールとエリオが
やはり同時に、ため息を吐いた。
「……後でセツナに」
「ここで知ったことは、言葉にできないのなの」
「ぐっ……」
サフィールが、がっくりと肩を落とした。
それは、エリオも同様のようだ。
いつもなら、サーラも魔法に興味を持つはずだが
彼女は、一心にセツナを見つめていた。
「セツナ君は……本当にすべてを諦めてしまっているのね。
だから……感情をすべて殺してしまえるのね。
誰にも期待しない。この世界でただ独り、独りで……。
心に仮面をつけて、生きているんだわ。深く心を閉ざして……。
誰にも、心を見せないように、誰も心に入れないように。
深い深い、傷を隠したまま……」
サーラが小さな声で、呟き俯く。
フィーがサーラを見ていた。サーラのつぶやきはフィーには聞こえているようだ。
「私なら、笑えないもの……」
「サーラ……」
「それでも、サーラはセツナの傍にいることを望むのなの?
セツナは、人間も、獣人も、竜も、神も信じない。
セツナは相手に、優しさを与えることができる人だけど
セツナ自身は、誰にも何も期待していないのなの。
セツナにとって大切なものは、あの鞄とアルト、お姉さま、伴侶ぐらいなの」
「……」
「それに、セツナはお姉さまにさえ
自分の心をすべて預けていないのなの……」
サフィールが驚いたように、フィーを見る。
「契約者と精霊は、深いところで繋がっているわけ」
「セツナとお姉さまは、繋がっていないのなの」
「どうして」
「セツナがそう望んだからなの」
「……」
「精霊と契約するということは
精霊は、その契約者の感情の影響を受けることになるのなの」
「うん」
「上位精霊や中位精霊は、制御しようと思えばできるけど……。
それでも、契約者の望むことを叶えたくなるのなの。
それを、セツナは嫌ったのなの」
「なぜ?」
「セツナは縛られるのが嫌いなの。
だから、お姉さまと契約してもお姉さまを縛ることを嫌ったのなの」
「上位精霊と中位精霊との契約は、一方的に縛るものではないだろう?」
「そうなの」
「僕とフィーの契約は、束縛ではなく絆だろう?
一方的に、縛っているわけではない……よな?」
最後が疑問形だったことに、フィーが優しく笑う。
「そうなの。私は、サフィと繋がっていてとても幸せなの
とても満たされるのなの……。でも、セツナにはそれが理解できないのなの。
セツナにとっては、絆ではなく、鎖なの……」
「……」
「上位精霊も、中位精霊も絆を結べる人としか契約しないのなの。
その絆が、違うものに変わったら契約を破棄することもできるのなの」
「僕もフィーに嫌われないように努力しているわけ。
色々と大変だと思うこともあるし、苦労もあるわけ。
知られたくないことも、知られてしまうし……だけどそれ以上に
フィーは僕に、幸せをくれているわけ」
「……」
「僕は、フィーと離れたくないわけ。
一度契約を結んでしまうと……離れていかれるのは怖いわけ……」
サフィールが、自分の心を素直にフィーに伝える。
フィーがセツナに見せる好意を、サフィールは不安に思っていたのかもしれない。
「フィーも、サフィが大好きなの。
我儘なところも、研究馬鹿なところも。サーラ馬鹿なところは嫌いなの」
サーラがそっと、フィーから視線を逸らした。
サフィールは、少し慌てたようにフィーに違う質問を投げた。
「あいつはそんな状態で、どうして精霊と契約したわけ?
普通、精霊も受け入れないと思うわけ」
「セツナは、自分から契約したわけではないのなの。
お姉さまに、だまされて契約したのなの」
「はぁ?」
「お姉さまが、セツナを気に入って
セツナを騙して契約したのなの」
「そんなことしていいわけ?」
「本当はだめなのなの。
でも、それだけセツナが魅力的だったのなの。
私も、サフィールと契約していなかったら契約していたのなの」
サフィールは少し眉間にしわを寄せたが、聞き流すことにしたようだ。
「無理やり契約したからといって
セツナが、お姉さまを大切にしていないというわけではないのなの」
「それは見ていてわかるわけ。
あいつが、フィーに取る態度を見ていてもわかるわけ」
「お姉さまを、ちゃんと大切に思っているのなの。
でも、お姉さまの本当の願いはセツナには届いていないのなの」
「フィーは、僕との契約を絆と言ったわけ。
契約の絆だと。だけど、あの精霊は……契約の鎖と言っていたわけ」
フィーが悲しそうにうなずいた。
「あの精霊の心が、セツナに届くといいわけ……」
フィーは、サフィールに頷きサーラに視線を合わせる。
その瞳は、怖いほどに真剣だ。
「お姉さまでも、セツナの心にちゃんと入れないのなの。
アルトは……セツナにとって守るべき存在だから
余計なことは聞かせてないのなの。
今のこの状態で、サーラがどれほど心を砕いても
セツナが受け入れることができなければ
サーラの心はセツナには届かないのなの。
近い未来、そのことを寂しいだとか、辛いだとか思う日が来るかもしれないのなの」
フィーの言葉に、鼓動が跳ねる。
先ほど私が感じた感情を、フィーに責められているような気がした。
「その時、手のひらを返すようにセツナから離れるかもしれないのなの?」
「……」
サーラはフィーから視線を逸らさない。
「それなら、最初からセツナの心に踏み込んでほしくはないのなの。
適度な距離で、セツナと付き合うといいのなの」
「私は……」
「フィーは、セツナから離れることを勧めるのなの」
セツナから距離を置けと、フィーがサーラだけではなく私達家族全員を
見て告げる。その言葉をいちばん先に否定したのはサーラだった。
「嫌よ。私は決めたの。
あの時、彼が死を望んでいたと知ったあの時から
私の子供と同じように、彼を愛することを誓ったの。
彼が、私を私達をこの先ずっと信頼できなくても
それでも、私はセツナをクリス達と同じように愛するって決めたのよ!」
「……」
「それを、精霊だとしてもとやかく言われる筋合いはないわ」
「……」
フィーとサーラが睨み合う。サーラがここまでフィーに言うのは
初めてのことかもしれない。
「フィー。私もサーラと同じ意見だ。
前にも言ったが、私は彼が私を信頼できなくとも
私は彼の支えになると決めた」
「セツナは、アギトやサーラにとっては他人なの。
どうしてそこまでするのなの? セツナのように親のいない子供は沢山いるのなの」
「……」
「その想いは、自己満足でしかないのなの」
「なら、貴方の想いも自己満足ということになるわ」
サーラの言葉に、フィーが目を細めてサーラを見る。
サフィールは、心配そうにサーラとフィーを見つめていた。
「人間だとか、精霊だとか……自己満足だとか
同情だとか……そんなことはどうでもいいのよ。
私が、セツナを愛したかった。それだけよ。その感情は
精霊も同じではないの?」
「……」
「確かに、親のいない子供はいっぱいいる。
だけど、私がセツナを愛したいと思ったの!
アルトをかわいいと思ったの! 2人が自分の子供として生まれてこなかったことが
悲しいと思ったの! なぜなのかは、わからない。わからないけど、そう思ったの!」
サーラは最後のほうは、ようやく止めていた涙をまた落として叫ぶように
フィーに伝えていた。
「この気持ちは、誰にも渡さない」
「貴方達はそれでいいのなの?」
フィーが、クリス達をみて問う。
「母の好きにすればいいと思います。
私も、セツナさんとの付き合い方を変える気はありません」
「俺っちも、かえるきはない」
クリスとエリオの言葉に、ビートも深くうなずく。
「その言葉を覚えておくのなの。
お姉さまの存在を、アギト達は知ったのなの。
セツナの近くにいるということは、お姉さまと会うことも多くなるのなの
精霊は、精霊の大切な人以外どうでもいいということをちゃんと覚えておくのなの」
「……フィーちゃん」
フィーはどうやら、私達家族を心配し忠告してくれたようだ。
「ありがとう」
「……サーラ達のためじゃないのなの」
そう言って、私達から視線を外した。
フィーが、セツナ達のほうへと視線を戻すとセリアさんの声がまた聞こえ始める。
『そういう魔導書があるということは、壊れた魔力の器は元に戻るのネ』
握れないサクラの手を、ずっと握っていたオウルが
はじかれたように顔をあげ、セリアさんを見た。
オウルやリオウ達が一番知りたいことだったはずだ。
『……戻りません』
『え?』
「え……」
セツナの返事に、オウルやリオウ達の時が止まる。
『壊れた器を元に戻すことはできません』
『それじゃ、彼女はずっとこのまま?』
「そんな……」
リオウが暗い声でつぶやく。
『そうならば、僕は迷わず殺してます』
セツナが静かな声でセリアさんに告げた。
『……』
『女性の肌に、何かが残るのは気の毒だとは思うんですが
胸の上の魔法陣は、一生消えません。
あれは一時的なものではないんです。
本来は、あの魔法陣の中央に魔道具を埋め込んで
それを魔力の器のかわりにするんですが……』
『痛そうネ』
『ええ、僕もできればそれはやりたくないですね。
サクラさんの魔力量は大きいですから、普通の魔道具じゃ壊れてしまいますし』
『じゃぁ、竜の血が魔道具のかわりになるのネ?』
『そうです』
『*************では駄目だったの?』
『駄目でした』
セリアさんとセツナの会話がわからない。
サーラを見ても首を振る。サフィールを見ても首を振った。
私達には教えられないということか。
『竜の血ほど、魔力と相性のいいものはないはずだから
この人は、運がよかったわネ』
運が良かったという言葉に、セツナはどうなんでしょうねと返した。
『でも、小瓶の中身がなくなってしまったワ』
『いつかはなくなるものですよ』
『……貴重なものを、使ってあげる必要なんてなかったんじゃないかしら』
セリアさんの言葉に、精霊もうなずいていた。
『クッカもそう思うのですよ』
『いいものがあるのに、わざわざ苦痛を与える必要はないでしょう?』
『そうだけど』
『……』
『セツナは、優しすぎるのよ』
『ご主人様は、優しすぎるのですよ』
『普通なら、助けないと思うワ』
『そうなのですよ』
2人から同じように言われたセツナは、少し俯き
本当に小さな声で何かを言ったが、何を言ったのかは聞こえなかった。
『助けたかったのか……。あの感情は、僕のものだったのか
僕は、僕の感情が本当に僕のものなのかが……』
セツナのつぶやきは、セリアさんと精霊にも聞こえなかったようだ。
『何て言ったの?』
セツナは、はっとしたように体を揺らして
軽く息を吐き出してから、顔をあげた。
『優しいとか、優しくないとかではなく
最善を尽くせるなら、最善を尽くしたほうがいいと思うんです』
『……セツナらしい答えだワ』
セリアさんは、そういって苦笑し
精霊は、セツナの手の甲の傷を見て悲しそうな顔をし
小さな手で撫でていた。そのことに気が付いたセツナが
精霊の魔力を借りて、自分の手の甲の傷をきれいに消し去る。
精霊はほっとしたような表情をみせ、セツナの手を握っていた。
セツナが一瞬、何とも言えない表情をセリアさんに見せる。
『血が必要になったら、竜を半殺しにして奪えばいいんですよ』
そういって、セツナが綺麗に笑った。
セリアさんは微妙に固まり。精霊は、何も言わなかった。
『冗談ですよ?』
『……』
セリアさんは、やっぱり固まったままセツナを見ている。
「俺っち、一瞬本気かと思った」
「いや、さすがにそれはありえないだろう」
「竜を半殺しにするとか、冗談でしかないだろう」
「竜がそう簡単に見つかるとも思わないしな」
「あいつの冗談は、やっぱりよくわからない」
クリス達が、そんなことを話しているのを聞きながら
私も、あの竜の血はジャックが残したものだろうと思った。
セリアさんは、フルフルと数回頭を振り
何かを振り払ってから、セツナとの会話を続ける。
『元に戻らなくても、解決策があるなら大丈夫そうネ』
『……』
大丈夫そうという言葉に、セツナの顔が曇る。
『器については、竜の血以上のものは見つからないでしょうし
問題はないと思います。ただ……問題なのは……』
セツナは、机から離れ最初に座っていた椅子へと疲れたように腰を下ろす。
実際疲れているはずだ。精神的にも肉体的にも……。
セツナの精霊は、席に着いたセツナに手を伸ばす。
セツナは精霊を抱き上げ、膝の上に乗せると精霊はセツナに抱き付くようにして座り
そっと目を閉じた。
『クッカちゃん大丈夫?』
セリアさんの心配そうな声に、精霊が答える。
『大丈夫なのですよ。ご主人さまに少し魔力を分けるのですよ』
『そう……』
『……』
セリアさんも、セツナと対面する形で椅子へと座る。
最初にサクラがいた位置だ。セツナが自分の前に置かれているグラスを持ち上げ
一口飲み、机の上へと戻す。精霊に何か飲むかと聞き精霊が横に首を振ると
セリアさんと視線を合わせた。
『問題は、サクラさんの能力と魔力が僕と結びついてしまっていて
無理やり断ち切ると、サクラさんの意識が戻らなくなる可能性が高い』
『戻る可能性もあるんでしょう?』
『うーん、戻らない可能性のほうが高いような気がします。
だから、僕から能力を断ち切ることはできません。今の状態じゃ
僕の魔力も使えません』
『だから、クッカちゃんがセツナに魔力をわけているのネ』
『ええ』
セツナが鞄から、小さい袋を取り出しその中身を
無造作に机の上にばらまく。机の上には、沢山の魔道具が散らばり
セツナはその中の一つを、手に取ると発動させた。
魔道具が、高い音を響かせながら発動すると
床の上の血が跡かたもなく消えていく。次々と魔道具を発動させていき
最後には、サクラの服の血まで消してしまっていた。
『高価な魔道具を、そんなことに使わないほうがいいワ』
『自分で作ったものですよ』
『掃除なんて、あの人の親がやればいいことでしょう』
『……落ち着かないので』
『……ごめんなさい』
『いえ』
『……』
『……』
『ねぇ、セツナ。1つ聞いてもいい?
答えたくないなら、無理して答えなくてもいいワ』
『なんでしょうか』
『今のあなたは十分強いと思うワ。
たぶん、貴方の隣に立てる人は誰もいないほど強い』
『……』
『貴方を苦しめた人達に、復讐しようとは思わないの?』
『もう、復讐したあとかもしれませんよ?』
『それはないワ』
『どうして、そういいきれるんですか?』
『思い出したの』
『何をですか?』
『セツナが、魔物と戦う道具という言葉で思い出したの。
それにずっと、考えていたの……』
『……』
『私はあの腕輪を、遠い昔に見た事がある。
彼と一緒に……』
腕輪?
『その時、彼があ……』
急にセリアさんが声を詰まらせる。
『セリアさん。言葉にしてはいけない』
セツナの声は酷く低い。
『僕は、僕の事をこれ以上知られるつもりはないんです。
あの人の耳には入れたくない』
『……』
あの人というのは一体誰なんだろうか。
セツナの言葉に、フィーの眉間にしわができる。
セリアさんが、悲しそうに一度頷いた。
『彼は、セツナとよく似たことを呟いたの
"戦闘用奴隷"てね。聞き間違いかと思って聞いても
もう何も答えてはくれなかった』
『……』
『その時の私には、それがどういう意味か分からなかったワ
彼がなぜ、顔を歪めたのかのもわからなかった。
だから、すぐに興味を失った。だって、皆が笑っていたから。
祝福していたから……』
『……』
『だけど……この間の出来事と、今日の事。
そして彼の言葉とセツナの言葉の共通点……。
全て繋がった気がしたの。たぶん、私の考えは間違っていない。
セツナは……』
セリアさんは、そこで口を閉じる。
『僕は、戦う道具としての欠陥品。
ただそれだけです』
『セツナ……』
『僕は、戦いたくない』
『……』
『僕は、もう会いたくないんです』
『そうね……』
セリアさんが、セツナを慰めるように机の上に乗せていた
セツナの手に自分の手を重ねた。
なぜ戦いたくないのか、誰と戦いたくないのか
誰と会いたくないのか、何もわからなかった。
だけど、それをセツナに聞いてはいけないような気がした。
そこに触れると、きっとセツナは私達の前から姿を消してしまう気がした。
きっと、セリアさんにたずねても答えてくれることはないだろう。
『そろそろ時間なのですよ』
セリアさんとセツナの会話が途切れたちょうどその時
セツナの精霊が告げる。セツナが優しい表情で精霊を見る。
『ありがとう、クッカ』
『何の時間なの?』
『花が咲く時間なのですよ』
『はー……?』
セリアさんが、精霊に聞き返そうとしたその時、甲高い何かを割る音と同時に
私達がいるこの空間が、一瞬にして破壊された……。
ガラスが粉々に砕け落ちるように、キラキラとした欠片が私達に降り注ぐが
その事に気を取られる余裕もなく、私達の体も口もすべてが凍り付いたように
動かすことができなかった……。床の上にはフィーが描いた巨大な魔法陣がまだ残っている。
その上に、複雑な模様の魔法陣がクルクルと回りその中心にアルトが倒れ
そして、今の今まで記録の中で話していたセツナの精霊が静かに立っていた。
その姿は子供なのに、その体から発している威圧は人が出せるものではない……。
フィーですら、表情を青くしてその小さな体を震わせていた。
精霊の瞼は閉じられていて、その瞼がゆっくりと開く。
開いた先にある瞳の色は……息をのむほど美しい赤色だった……。
読んでいただきありがとうございました。





