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ティエンランの娘  作者: まめご
ティエンランの娘
9/21

剣の舞

「それは、いつなのですか」

シラギはうんざりして聞いた。目の前の宰相もため息をついている。

「十日後だ」

忌々しげにいう髭男の顔を見ながら、この人も歳をとったなと思う。黒かった髭はすっかり白くなってしまっていた。心労と疲れから来るものも多いのだろう。やつれて一回り小さくなったようでもあった。欲がうごめいている宮中で泳いでいくのには相当な体力と知力を要する。ただ流されているだけなら、すぐに足元をすくわれて消えるだけだ。

その中で、精一杯、流されずに己の債務を果たそうとするこの男を、シラギは素直に尊敬していた。

しかし。

「誰なのです、御前試合などという事を持ち出したのは」

「知らぬ。だがショウギらと敵対している輩であることは間違いない」

最近、寝付いてすっかり気弱になっている王を慰めるため、御前試合を設けようじゃないか。本殿では、この話で持ちきりである。右将軍と左将軍、つまりシラギとカグラで、国王の前で剣の打ち合いをしてはどうかと言うのだ。

幼い頃から剣を叩きこまれ、今や国一番と言われるシラギに対し、左将軍であるカグラの経歴を知っているものはいない。が、一流の剣使いなどそうそう転がっていない。分が悪いのは目に見えた。

左将軍という肩書を持っているにもかかわらず、ただ王の愛人に侍って澄ましているだけの輩に一泡吹かせたい。と言うところであろう。

それならお前がやれ。

言いだしっぺにそう言いたい。

厄介ごとはごめんだった。大勢の人前で見せものになることも。

「陛下はなんとおっしゃっているのです」

「以外に乗り気で困っている」

宰相と将軍は同時にため息をついた。

このところ、王は持ち直して寝台から離れるようにはなっているが。

「国王のほかに、その一族、ほか臣下たちが見物する中での試合になるが」

「やりますよ」

そんな大勢の観衆の中の注目を集めるのは嫌だったし、左将軍に負ける気は全くなかったが億劫だった。しかし仕方がない。

これも仕事なのだ。たとえ滑稽な猿芝居であろうが、上からの命令なのだ。ならば舞台に上がって踊ってみせるしかないではないか。


「御前試合?」

王女は目を丸めてシラギをみた。茶器を机に置くと、チンと可愛らしい音が響いた。目の前には色とりどりの菓子や果物がある。昔から、食欲は旺盛だったが最近はさらに増えたらしく、午後に間食をするようになった。気持ちの良い食べっぷりで、目の前のものを胃袋に運ぶ王女をみて、背後に控えているトモキが口をだす。

「あんまり食べ過ぎると、カガミさんのようになりますよ、ほどほどになさい」

「それは困る。明日から控えよう」

そういってリウヒは饅頭をとって口に入れた。楊枝を使えとまた背後から声がする。

トモキはあれからシラギを避けるようになった。あからさまではないが、空気は伝わってくる。当然だと思う反面、寂しさは否めない。そう思う自分に驚いた。

「試合はいつなんだ」

「九日後です」

国王に正式に認定された。公式試合となる。

シラギの話を聞きながら、リウヒは目を輝かせた。こんな表情もできるようになったのか。改めて、目の前の少女の変貌ぶりに目をみはる。

「面白そうじゃないか、わたしもみたい」

「今なんと?」

幻聴かと思った。トモキも控えていた壁から身を浮かせ、固まっている。

「シラギが打ち合うのを見てみたいし、東宮からも出てみたい」

「人が大勢いますし、その、…陛下もいらっしゃるのですよ」

リウヒは僅かに表情を曇らせたものの、それはそうだろう、御前試合なんだから、と笑った。

「となれば、殿下のご衣装も用意せねばなりませんね!」

「わたしたちが腕によりをかけます!」

「誰よりも美しく装って御覧にいれます!」

女官三人が力強く宣言した。その勢いにリウヒが怯えたように、身じろぎをする。

「あの、あんまりに飾られても、恥をかくのは王女なんだから…」

恐る恐る諌めたトモキを侍女たちはギッと睨んだ。

「トモキさんは、わたしたちの感性(センス)を信用してらっしゃらないの?」

「そうだ、殿下の近くに控えられるのなら、トモキさんの衣装も必要よ!」

「お姉さんたちに任せなさいって!」

興奮した三人に囲まれたトモキは壁際に追い詰められ狼狽している。そんな風景を見ながらシラギがポツリと言った。

「王女さま、健闘を祈ります」

リウヒも返した。

「うん、お前もな」


****



運がよかった。

マイムは女官の制服をきて、すまして控えている。

御前試合なんて、王族かそれに関係するものか、その臣下達しか見られないのである。踊り子なんぞお呼びでない。だが、どうしても見てみたかった。陰気な男、シラギとショウギの愛人、カグラの試合を。だから、知り合いの女官を買収して入れ替わってもらった。

マイムは会場の雰囲気を体全体で感じる。久しぶりに華やかな席だ。

緞帳のかかる上座に一段上がって王の椅子が鎮座し、その両側に重そうな、しかし高そうな椅子が並べてある。王座の前に広々と場所がとってあり、ここで二人は打ち合うのだろう。臣下たちはざわめきながら、ひらけた場所の前に立っていた。多い。百人は下らないのではないか。教師陣までいるなんて、なんて物見高いのだろうとマイムは自分を棚に上げて呆れた。

丁度臣下らと王座が向き合い、その中で、二人の将軍が剣を打ち合う形だ。

ざわめきがやみ、みな一様に跪礼の形をとった。マイムもそれにならう。王族たちが入ってきたのだ。

「面を上げよ」

一面は、みな驚き再びざわめき出した。マイムももちろん驚いた。

王女がいたのである。公の場に初めて姿を現した王女。

端の席に大人しく座っていたが、その可愛らしさに目がいった。

とりたてての美人ではない。が、賢そうな黒い眼はぱっちりと開いており、白い肌に映えていた。輝く藍の髪は緩くまとめられて華奢な簪が控えめに彩っている。いくつもの玉が箸からつらなっており、優美に揺れていた。衣は薄桃と萌黄の合わせ重ねで襟、袖は髪の色と同じ藍。少女らしい、愛らしい衣だった。帯はこげ茶の兵児帯で結び目を前にたらしている。ふと後ろにひっそりと控える少年に目が行った。濃紅の衣に黒の帯。簡易だが人目を引く。あら、トモキじゃない。マイムは一瞬手を振りそうになった。

快達で、人気者のアナンもこの時ばかりは霞んで見えた。

こっそりショウギを見ると、少女とは対比して醜悪だった。金銀の花刺繍を散らした薄紅の衣。刺繍が派手すぎて浮いている。簪は一体何本刺さっているのであろうか。試合がつまらなかったら数えてみよう、とマイムは思った。

本日の主役二人が登場し、王に膝を折って跪礼をとった。

シラギは見事に黒一色で統一されていた。黒髪はいつもの様に後ろの高い位置で括られており、長い髪束が一直線に垂れている。帯も黒。衣は漆黒、さらに黒糸で青浪の模様が見て取れた。下は動きやすいように袴を細くしたものに裾を黒布で絞って邪魔にならないようにしている。そして相変わらずの仏頂面。

対するカグラは白で統一。同じような恰好に瞳の色と同じ紫の帯だった。遠くからでも目立つ銀髪は、今日は後ろに一纏めに括られている。

双方、距離をとり構えた。緊張が会場を包む。

「勝負は五本」

審判が手を挙げる。

「始め」

一瞬、間があいた後、激しい金属音が鳴り響いた。

二度、三度、間。再度激しく打ち合う。離れたかと思えば近づき、打ち合ったかと思えば間合いのために距離を開ける。お互いの隙を計りながらゆっくりと移動した瞬間、剣の音が幾度も重なり合う。圧倒的な試合であった。余りにも早くて剣先が見えない。黒が攻めていると思ったら、離れ今度は白が反撃する。

しかし、シラギはともかくカグラである。あんなに剣ができるなんて以外も以外だった。

会場が息をのんだ。

シラギの剣をかわしたカグラがそのまま回転し、相手の頬に傷をつけたのである。

「左将軍に一本!」

声が響き渡った。どよめく会場。当たり前だろう、国最高位の剣士が一本取られたのだ。マイムはふと、シラギの顔を見て戦慄した。

頬を拭いながら、その男は静かに笑っていた。餓えた野獣が獲物を見つけたときのような、禍々しくて狂気すら含んだ嬉しそうな笑みだった。

まるで色気すら漂うような…。いやいやいやいや何を考えているのだあたしは。

「始め」

二本目。瞬時に大きな音が響いたと思ったら、静寂が訪れた。カグラが信じられない、と言う顔をして己の右手を掴んでいる。その中にあるはずの剣は、回転しながら空を飛んでカグラの後ろに落ちた。

「右将軍に一本!」

審判が声を上げたが会場は静かなままだった。何が起こったか理解できなかったのである。

マイムも分からなかった。もっと近くで見たいのに、ここから動けないのがもどかしい。会場は異様な熱気に包まれ始めた。

「始め」

三本目。今度はカグラが地を蹴って仕掛けた。シラギはただ受けるだけである。押されているようにも見えるが、その顔は相変わらず笑ったままだった。それにしても、あんなに早く動いてよく疲れないものだ、とマイムは変な所で感心した。二人とも汗は流しているのに呼吸が乱れていない。その時、誰かが声をあげた。カグラの剣を受け流してシラギがそのまま突き出したのである。その先はぴたりと相手の喉元に定まった。しばらく誰も動かなかった。静寂。

「見事!」

国王の声が響いた瞬間、ドンと歓声が上がった。臣下たちは、御前と言う事も忘れて熱狂的な声援を送っていた。マイムの隣に控えている女官も自分の立場を忘れて騒いでいる。あそこで手を振り回しているのは大老の一人ではないか。あ、倒れて運ばれて行った。ショウギの簪なんて何本でもいい、この試合をずっと見ていたい。マイムは祈るような気持ちで剣を構える二人を凝視した。

「四本目、始め!」

審判の声も上ずっている。

お互い隙を窺っているのだろう。次は一歩も動かなかった。息が上がってきたカグラに対しシラギは余裕の表情で構えている。まるで小動物をなぶる獣のようだ。と、黒が動いた。いっそ無邪気にすたすたと白にむかって歩いてゆく。カグラは呆けたように立っていた。観客もぽかんとした。そのまま、子供の遊びのような剣振りでシラギは手を払った。高い金属音がして気が付けばカグラの手から剣が消えていた。

「右将軍に一本!」

間をおいた後、ほとんど絶叫と言っていいほどの声が響いた。会場が揺れるようだ。国王も王族も身を乗り出すようにして手を叩いている。その中で一人、ショウギだけが顔を顰めて扇を弄んでいた。これを企画したものは、ショウギのこの顔がみたかったのかもしれないとマイムは思った。でも今はどうでもいい、白と黒の剣技を見ていることが面白い。しかしもう最後だ。臣下…というより観客たちからは誰ともなく黒将軍、白将軍と声が上がってきた。

「五本目、始め!」

瞬時に剣がぶつかる音がする。最後の試合は壮絶だった。双方死力をつくしてぶつかり合う。シラギの顔からも笑みは消えた。

黒が波となりうねると、白は大海となって呑み込む。白が虎となり剣を咆哮させる、黒が竜となり撥ねつける。黒が雷となり撃ち落とせば白は風となりかわす。白が鷲となって襲いかかると黒は鷹となって迎え撃つ。黒が風を巻き起こせば白は凪となって流す。

ああ。

マイムは思わず声をもらした。まるで舞を見ているようだ。激しく壮烈な舞。なんて美しい。全員が息をひそめ瞬きをする間も惜しんで見守っていた。そして勝負はついた。

「右将軍に一本!」


****



「黒将軍に剣術を教えたのはジュズだって本当か?」

東宮の部屋にて。茶を飲みながら、王女が目の前の老女に聞いていた。

「まあ、誰がそのような事を」

苦笑を浮かべながら老女が茶器をおいた。リウヒは御前試合がよっぽど気に入ったらしく、数日経った今でもその話を持ち出す。しかし、ジュズが剣師範をやっていたなんて初耳だ。後ろに控えていたトモキは、耳を澄ませて続きを待った。

「タイキに聞いた」

「あの方は意外とおしゃべりなのですね。ええ、稽古をつけてやりましたとも。幼い頃に」

へえ、と王女は目を輝かせた。

「小さい時のシラギなんて想像付かないな」

確かに。後ろでトモキも頷く。

「どんな子供だったんだ?」

興味津津で聞いてくる少女に、老女は目を細める。孫に微笑む祖母のようだった。

「そうですね、昔から陰…落ち着いていて、頭も良かったのですがやはり剣の筋は教え子の中でも一番でした」

懐かしむように遠くを見る。

「あれだけ腕が立ったのは、あの子ともう一人…」

はっとしたようにジュズは口を閉じた。

「もう一人?誰だそれは。ジュズの子か」

好奇心丸出しで聞くリウヒ。こうなったら誰にも止められないのを講師達は知っている。

「いいえ、わたくしに子はおりません。その昔拾った子供ですの」

シラギと同格ぐらい上手かったという。

「今までに色々な国を旅して参りましたが、中々優れた剣士と巡り合う事は少ないですね」

「その子は今でも元気なのか」

「元気そうですわ。剣の腕は落ちたようですが」

そういって、なぜか淋しそうに笑った。

「さて、殿下」

ジュズの背筋が伸びる。顔つきまで変わった。リウヒはつられて背筋を伸ばした後、顔色を変えた。その目がちらりと扉に走る。トモキは急いで扉の前に立った。ち、と小さな舌打ちが聞こえた。

「御前試合はたしかに見事でしたね。でもわたくしは殿下の態度をみて涙が出そうでしたわ。なんですか、あの座り方は。普段わたくしたちと一緒にいるときは大目にみましょう。あまりにも改まり過ぎても殿下が大変ですものね。しかし、大勢の前に出る時ぐらいはしゃんとなさりませ。よいですか、…」

小言は続く。

リウヒは猫のように小さくなって聞いており、トモキは笑いをこらえながらそれを見ていた。


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