表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ティエンランの娘  作者: まめご
ティエンランの娘
7/21

宮廷生活

月日が経つのは何と早いことか。

シラギは、ふと目の前の少年をみて感慨深くなった。

東宮の一角、小さな広場でトモキの剣の稽古をつけている最中である。休憩をとろうか、と声をかけると、はい、と返事が返ってきた。

「トモキ、お前いくつになった」

「今年で十七になりました」

滴る汗をぬぐって、トモキが答える。幼かった顔が大人びてきている。身長もかなり伸びたようだ。

「あれから四年か」

早いな、と呟くとそうですね、と笑顔でトモキが答える。

トモキが宮廷に入って、四年。その四年で東宮は変わった。

一番変わったのは王女だった。十一になる。表情はまだ若干乏しいものの、笑い、会話をするようになったのだ。癇癪を起して物にあたることもなくなった。女官や教師たちにも愛されて過ごしているらしい。以前に比べて考えられないほどの進歩である。

投げた匙を、トモキは拾って丁寧に磨いてくれた。そして匙は輝きつつある。

感謝しても、し足りないくらいだ。

「さて、再開するか」

「お願いします」

双方、構える。

と、トモキが目にも止まらぬ速さで繰り出してきた。シラギは余裕で受け止める。

「脇がまだ甘い。足さばきも軽い!」

幾度も剣のぶつかりあう金属音が木霊する。

それを東宮の宮の窓から見ているものたちがいた。

リウヒの女官三人である。

「トモキさん、こうみるとかっこ良くなったわねぇ」

「えー、まだまだ子供よ」

「あたしはシラギさまの方がいい」

思い思いに勝手なことを言い合っている。

そこへ。

「何を見ているんだ」

リウヒが顔をのぞかせた。

あら、殿下。と一人が声を上げた。

「だめですよー、殿下はお勉強の時間じゃないですか」

「いいじゃないか、減るもんでもないし」

そういう問題じゃないんですよ、と三人がキャアキャア言っているとカガミもやってきた。

「殿下、ぼくの講義がそんなに…あ、トモキくんだ」

青年と少年は、青空の下激しく打ち合う。

娘四人とオヤジ一人が、団子になって見学しているとは気が付かずに。


****



気が付いていないのかしら、全く。

朝日を浴びながら、マイムは疲れた体を引きずりつつも、北寮へ帰る途中だった。

昨夜の宴は、もう醜悪を通り越して滑稽だった。

今や、ショウギの独り舞台である。王族など国王しかいない。しかし王も年だ、力尽きて毎回脇息にもたれて居眠りをしている。その横で、ショウギは人目も憚らず若い男といちゃついているのだ。銀髪の美しい男だった。

そこまで調子に乗っておいて、いざ後ろ盾をうしなったらどうなるのか、気が付いていないのだろうか。それとも分かった上で、不安を紛らわす為にはしゃいでいるのだろうか。どうでもいい、あたしには関係ない。

後ろで後輩たちがさえずっている声がする。更に疲れが増した気がした。

何故、この子たちは注意しても注意しても聞いてくれないのだろう。どれだけ言わせれば気がすむのか。ああ、それすらもどうでもいい。面倒くさい。

後輩たちに先に行かせ、一人庭石に座って空を仰ぐ。透き通るような青空、天高く舞う鳥。緩やかに吹く風が心地よい。

ふと辺りを見渡した。東宮の小庭園。

かつて、ここで小さな王女にであった。どれくらい前になるのだろう。

「あの」

背後から声をかけられて、驚いた。完全に無防備な状態だったのである。

「御気分が悪いなら、お水をお持ちしましょうか」

「いいえ、そういう訳ではないから大丈夫。ありがとう」

答えながら振り向くと、少年が一人立っていた。

明るい茶色の髪の毛と、こげ茶の目が可愛らしい。

こんなに朝早くから、何をしているのだろう。もしかして。

「迷子…じゃあないよね?」

「違いますよ」

少年は心外だというように、目を見開いた。

「どこから来たの」

しなやかな手が東宮を指差した。聞けば王女の教育係をしているという。王女は、人前に姿を現したことがない。マイムもあの時見たきりだ。

「王女さまは、お元気?」

「ご存知なんですか?」

驚いた顔で聞いてくる。

「昔、ここで」

地を指差す。

「寝ていらっしゃったわ」

くすりと笑う声が聞こえた。

「王女は、めいっぱい元気です」

少年はクスクス笑いながら答える。

「元気すぎて、困っています」

マイムも笑った。

いい気分だ。計算だの、相手に何を言わせるだの媚を売ることを考えずに、ただ会話をしている。偽の笑顔を常に貼り付ける日々に、もしかしたら心が擦れていたのかもしれない。

何も考えずに、話し笑うことがこんなに楽しいなんて。

「あなたの名前は、なんていうの?」

「トモキです」

心臓が跳ねた。弟と同じ名前だった。

「マイムよ」

手を差し出す。何も考えずに、ただ手を差し出す。

トモキがその手を握った。温かくて、さらりと乾いた手だった。


****



トモキの手がリウヒの襟首を掴んでいる。そのまま引きずられるようにして王女は歩いていた。後ろ向きに。

「なあ、わたしは王女だぞ」

「存じ上げております」

トモキは一瞥もくれずに答えた。

「しかるべき態度があると思うんだが」

「ならば王女らしく、慎ましくなさいませ」

ふんっとリウヒは鼻をならした。

まったくもって慎ましくない。

襟を掴む手を緩めず、トモキは黙々と歩く。

四年前に比べ、王女は格段に成長した。箸をつかって食事をする。癇癪を起こすこともない。会話をするようになった。顔色も明るくなったし、目の隈も消えた。何といっても笑うようになった。

すべて当たり前のことだが、以前とは想像できないほど前進した。

ただ、多少ぶっきらぼうに育ったこと、未だ触れられるのは嫌がること。そして脱走癖は残った。

思い出したように逃げる。トモキがいる時に限って。

今日も、ジュズの講義の前に逃げた。慣れているもので、すぐに追いかける。

王女の捕獲率は九割五分。殆どの割合で成功している。なんせ、トモキの頭の中には、宮廷の地図が叩きこまれているのである。散歩と称して、色んなところに出かける。国王がいる本殿や、ショウギの住んでいる南宮は基本的に立入禁止だが、最近の警備が緩いこともあり、平気で歩き回った。堂々としていれば怪しまれないのだ。事実この四年で、宮廷生活に完全に馴染んでいた。

所々に配置されている警備の者はおろか、門番とまで顔見知りになった。彼らは基本的に兵士であり、それを総ているのは右将軍であるシラギである。無愛想なシラギも面倒見は良いらしく、二人の副将軍を始め兵士たちに壮絶な人気があった。中には信者らしき男までいる。シラギに剣の稽古をつけてもらっているトモキを、みな一様にうらやましがった。

知り合いが増えると、情報も集まってくる。

東宮におけるリウヒとトモキの追いかけっこは、名物となっていると聞いて驚いた。

話題を提供しているわけではないのに。

だが、笑いを元となろうとも王女が逃げたら捕まえるしかない。

体に触るのを嫌がるので、毎回、仕方なしに襟首を掴む。ゆえに王女は、猫のように引きずられるか、後ろ向きに引きずられるか。

どちらにしても、間抜けな恰好である。これも笑われる一因なんだろうな。ため息をついて顔をあげると、タイキとカガミが向かいから歩いてきた。

リウヒが目ざとく発見してもがく。教師たちはこちらに気づき、ほほ笑んだ。

「タイキ、カガミ、見てないで助けてくれ」

リウヒは、ここの教師たちに愛されている。その事を本人も知っている。哀願するように暴れた。しかし。

「いやぁ申し訳ありません。本日、わたくしめっきり目の調子が悪うございまして…」

何も見えません、と老人は目を瞬かせた。

「ぼくも、耳の聞こえがどうも悪く…」

何も聞こえません。横でオヤジも耳をほじくる。

韜晦する二人にトモキは黙礼すると、再び王女を引きずって歩きだした。

おぼえてろーと悲痛な叫びが廊下に木霊した。


****



「ああっ」

カガミが悲痛な声を上げた。

「お酒、こぼしちゃった」

あーもう、トモキが布を取りにはしる。

「気を付けてくださいよ、これ高かったんだから」

「それはもったいない」

と床に口を付けようとするカガミにトモキがギャーと叫んだ。

この二人は面白いな。

湯呑に口をつけながら、シラギはひっそり笑う。中身は勿論酒だ。

たまに、ごくたまに、こうやってトモキらの部屋で酒を飲む。

ある時、トモキが誘った。

「ヨカッタライッショニノミマセンカ」

一瞬、何を言われているのか分からなかった。理解するのに時間がかかった。トモキが不思議そうな顔で見ているのに気が付いて、慌てて承諾した。

この子は本当に屈託がない。そびえ立つシラギの壁を、ひょいと乗り越えて声をかけてくれた。

そして感心することに魔窟な宮廷において、擦れることがない。

愛情をたっぷり受けて、育ってきたのだろう。かつて訪ねたトモキの家を思い出した。

温かで居心地の良い家だった。優しそうな母親と、小さな弟。

しかし、自分はそこから彼を引き離したのだ。己の便宜のために。厄介者の王女を押し付けるために。そして王女を厄介者にしたのは…。

胸がズキリと傷んだ。

「どうしたんですか?」

トモキが覗き込む。

「あ、ああ。いや、ご家族と連絡はとっているのか」

咄嗟に覗きこまれて、少し動揺した。

「はい、母は元気です。弟は、離れた町で中学に行っています。下宿して」

シラギさまのお陰です。頭を下げられた。下げるのはこちらであるというのに。

「ぼくも中学に行きたかったなぁ」

「よく言うよ、昼は王女さんの授業を横で聞いて、夜はぼくの本を読んでいるくせに」

へへへ。トモキが笑う。

確かに、この部屋には大量の本があった。壁の一面に巨大な本棚があり、行儀よく収められている。

「ぼくが作ったんですよ。あまりにもひどかったから。部屋中が本で埋め尽くされていて、最初、ぼくの居場所なんて寝台の上だけだったんですから」

と笑うトモキに対し、カガミは不満そうだ。

「ぼくはあの方が落ち着いたのに」

「でも、部屋は片付いていた方がいいでしょう?」

「猥雑な方が、落ち着く事もあるんだよ」

話は自然、宮廷のことになる。

表面化では、平穏に見えても水面下では派閥争いが勢いを増してくるようになった。

まずに第一王子であるアナン。そして二人の王子。王女であるリウヒは一番年が若いこともあり、あまり関わりはないようにみえる。

しかし、それぞれの血縁者が本人らの意志とは関係なく担ぎあげるのだ。臣下の者も今後の行く末がかかっているため必死だった。

「シラギさまは?」

「王女派になるな」

自分は側室であった亡きイズミの親戚にあたる。面識はあまりなかったが。

争いには興味がなくても、結局は血に縛られるのだ。勝手に派閥に組み込まれる。

「継承者はアナンさんで間違いないと思うんだけど、どうなるか分からないねぇ」

「どんな方なんですか?」

王子たちの講師をしているシラギとカガミは、アナンの事をよく知っている。

「温厚篤実、謹厳実直、胆大心小」

「なんですそれ。呪文?」

「君は一体何を勉強していたんだい」

呆れるカガミをよそに、ぼくも王女派なのかなあ、他の人を知らないし。とトモキが首をかしげる。

「ただ、ショウギが何やら動いているみたいだな」

「国王の後ろ盾もありますしね」

「ショウギの息子さんにも、ぼくら教えているんだよ。この親にしてこの子ありって感じの子なんだけどさ、王位を継ぐことはないね」

「どうしてですか」

「当たり前じゃあないか、連れ子だもの。いくら王の権を笠に着ているからってそれだけは許されないだろう」

まあ、ぼくは日和見派だけどーとオヤジが体をゆすった。腹がのっそのっそ前後にゆれる。このタヌキオヤジとトモキが肘でつついた。

「まあ、誰が王位に立つにしろ、王女さんは守りたいね」

それはシラギもトモキも同意見だったので、二人揃って頷いた。あの小さな王女は守ってやりたい。その周りのものたちも。

「ところでトモキくん」

「はい」

「ぼく、吐きそうなんだけど。限界…」

カガミが口を押さえ、虚空を睨む。

「やめてぇ! 今吐かないで我慢して!」

叫んだトモキはオヤジを引っ掴んで、部屋を飛び出していった。

取り残されたシラギはしばらく呆然とし、それから噴き出した。笑いは止まらず、後から後からわいてくる。声をだして笑ったのは、一体何年振りだろう。眼尻に涙をためて、そう思う。

もしかしたら、生まれて初めてかもしれない。


トモキとカガミはナイスなコンビ

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ