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ティエンランの娘  作者: まめご
ティエンランの娘
5/21

再会

トモキは初めて見る宮廷に圧倒されていた。

大門の前で、あんぐりと口をあけて上を仰ぐ。

中央に鎮座するのが本殿。平屋造りに屋根は銀色瓦におおわれ、日を受けては燦然と輝く。それを支える朱の柱は大人が三人で抱えてやっとなほど大きかった。桟にはびっしりと彫刻が施され、朱、黄、緑を基調とした色が彩られており匠の業を見せつけた。王はここを居住とし、政を行う。

本殿の右側に位置するのは、側室、その子供たちなど王の一族が暮らす後宮。東宮、西宮、南宮、北宮に別れ、傾斜に立つにも関わらずそれぞれが小山となっており、まるで島のように独立している。その間を小さな庭園や、山から流れる滝が雅を添えていた。本殿と各宮は、すべて小さな橋と階段で複雑に結ばれ、後宮に仕える女官や侍女たちが住まう棟がぐるりと円形上に囲んでいる。この棟を北寮と呼ぶ。

丁度、本殿をはさんで後宮の間逆に建つのが、大臣や大老など上位官位が暮らす住宅群。こちらは地形のまま、ずらずらとふもと近くまで続いている。それが途切れると、ふもとまでは段重ねの空中庭園があった。石壁に縁取られた園は、人工と自然が見事に融合され小鳥のさえずりが絶えず響いている。その住宅と庭園を囲み、官に仕える待者たちの棟があった。こちらの棟の名は南寮。

本殿の正門から大門までは、巨大な階段がのびていた。正面から見ると、きれいな台形になっていることが見て取れる。

これが「天の宮」か。

トモキは開きっぱなしの口を閉じた。


城下町に入った時から、違和感があったのだ。街ゆく人はみな、品の良い身なりをしていて優雅に笑いさざめいていた。自分の衣を見る。一張羅のはずなのにみずぼらしく見えた。道は石畳である。初めて踏みしめる感覚に、歩き方までおかしくなった。

やっと、宮までたどり着いたと思ったら、その迫力に小さくなってしまう。

恐縮しながら門番にシラギへ取り次いでもらえるよう頼み、しばらく待った。

リウヒがこの中で待っている。兄のぼくを呼んでくれたんだ。

トモキはそう思っていた。

きっと、慣れない宮廷生活で大変なのだろう。実母が亡くなって、悲しんでいると聞いた。一人ぼっちで寂しい思いをしているのだろう。リウヒがトモキの元から消えたのは、トモキが十一、リウヒが五つのときだった。

あれから二年しか経たないのに、すっかり記憶の彼方へ押しやっていた。

嫌な事は思い出さないよう、記憶というものはできているのかもしれない。

ぼんやりとそんな事を思っていると、遠くからシラギがやってくるのが見えた。

「待たせてすまない」

「いえ」

連れ立って、門の中に入る。

目の前に広がるのは、どこまでも続く長い階段。本殿までいったい何段あるのだろう、頂上は遥か遠くて雲の上にあるのではないかと思った。

「あの、シラギさま」

トモキは恐る恐る尋ねた。

「まさか、この階段をのぼるんじゃあ…」

「登らなければ、中に入れまい」

シレっと返され、トモキはがっくりとうなだれた。


ようやく本殿の正門下についたのは、日がだいぶ高くなってからだ。

息も絶え絶えのトモキに、汗一つ流していないシラギが、体力をつけた方がいいな、と忠告した。そんなの言われなくても分かっている、と内心膨れたが、無言で頷いた。

「さて、これからの事だが」

再び歩きながら、シラギがいう。

「まず、第一に着替えてもらう。それから、陛下へご挨拶。その後、東宮に行って、殿下にお目見えだ。あとは北寮に君の部屋を用意したので、そこで休むがよい。相部屋で申し訳ないが。何か質問は」

「ええと、あの、殿下って誰ですか?」

シラギは少し黙った。

「リウヒ王女の事だ」

ああ、そうか。リウヒは王女だった。トモキは頭をガリガリと掻いた。

言われるまま着替えを済ませ、再び歩き出す。初めて着る絹の感触にトモキはうれしさを隠せなかった。体をとろりと包み、ひんやりとして気持ちがいい。綿とは全然違う。襟や袖には、細かい刺繍が入っている。お金持ちの人って、いつもこんなに良いものきているんだと思った。

シラギは黙々と歩く。途中、あそこがどこそこに行く道で、など説明してくれたが、浮ついていたトモキの頭の中には入らなかった。

はやくリウヒに会いたい。ぼくの小さな妹に。

その内、庭園にでた。

中央やや右寄りに小さな池があり滝があり、川が緩やかに流れていた。

その川沿いと、いたるところに様々な木が植えられている。緑が生い茂り、花が咲き乱れていた。

大樹の下に、華やかな一団が見える。

シラギについて、そこへ向かっていった。

中央に、豪華な衣をまとった老人がいる。肌はしわがれており、幾日も水をもらっていない土を連想させた。その老人を膝枕している女性がいた。老人の口に酒を注ぎ、こぼしては大笑いしている。美しいが過剰なものを乗っけているような、変な感じがした。たとえば濃い化粧とか、大仰な簪だとか、重ね着しすぎた衣だとか。

二人の周りを大勢の女官が控えていた。楽師が音を奏でている。

「御前失礼いたします、陛下」

シラギが手を重ね、膝を折った。

トモキもそれに倣う。

「わが宮に、新しい臣が入りましたゆえ、ご挨拶をと思いご機嫌を伺いに参りました」

トモキは何も言えずただ頭を下げる。

「つきましては、リウヒ王女のもとへ就けさせたいのですが、よろしいでしょうか」

「よいよい、好きにせい」

老人はどうでも好さそうに、手を振った。

シラギと共に一礼をして下がる。後ろから女の嬌声が上がった。

「なんですか、あれは」

思わず、前を行くシラギに聞く。

「我が国王と、その愛人さまだ」

「あれが…」

田舎者といえど、トモキも知っている。ショウギの名前は、民にも広がり概ね好意を持たれていた。貴族を跪けた色町上がりの女。でもあんな人だったんだ。いい感じの人ではなかったな。

本殿からさらに橋を渡り、宮を渡り、階段をのぼり、また橋を渡った。迷路のようだ。

そうこうしている内に東宮へ着いた。

いよいよ、対面である。どれだけこの日を夢見たことか。

扉が開く。

そこにいたのはトモキの知らない少女であった。投げやりに椅子に座り、脇息に肘をついて顔を預けている。王女らしからぬ行儀の悪さだ。ぼんやりと外をみており、こちらを見向きもしない。シラギが再び、手を重ねて膝をつき礼をとる。何かを言っている。

が、トモキは、呆然と目の前の少女を見つめるだけだった。

藍色の髪は簪一本も刺さっておらず、結ってすらいなかった。衣の襟は、みっしりと細かい刺繍が施され高級なものであるのが見て取れる。

その少女の顔には表情はなく眼のふちに濃い隈があった。顔色も悪い。青白くてまるで幽霊のようだ。

トモキをちらりと一瞥したが、何の反応もしなかった。

シラギがこちらを睨んでいる。慌てて、跪礼の形をとったが頭はまだまっ白だ。

気が付けば廊下に出ていた。頭は混乱したままだった。

あれは誰だ。妹は、リウヒはどこだ。ここはどこだ。

「大丈夫か」

体中に大量の汗をかいていた。多分顔は真っ青だろう。

「シラギさま、リウヒはどこなんです。あの子は誰なんです」

思わずシラギの胸倉をつかみ詰問していた。

シラギが、ゆっくりとその手をほぐす。

「あの方が、リウヒ王女だが」

嘘だ。

「間違いなく一緒に君と育った方だ」

嘘だ嘘だ。トモキはそのままズルズルとくずれ、床に突っ伏した。ぼくは悪い夢でも見ているのだろうか。


呆然としたまま、これから暮らす棟の部屋へと案内されシラギと別れた。

扉を開くとドドウと本が雪崩れてきた。

「うわあ!」

咄嗟のことに抵抗できず、直撃を受ける。立ち上がろうともがいたものの、意外と重くてしばらく一人で格闘していた。

「いやあ、ごめんごめん。もう来たんだー」

呑気な声が降ってきて、本の隙間からのぞくと丸いオヤジが頭をかいて笑っている。

「今日から君と一緒に暮らすカガミです、よろしくね」

丸い手を差し出された。握手のつもりだろうが、その前に救出してくれないか。

本の海から脱出し部屋に入って、驚いた。いたるところに本の山が築かれており、その隙間を縫って進むしかないのである。しかも、トモキの場所は己の寝台の上だけという情けなさであった。

部屋は思ったよりも広くて、大きな窓がついていた。薄暗いのは多分、窓をふさいでいる本の山のせいだろう。あとは分からない。すべて本に埋もれている。隙間からさす光に、塵が舞ってキラキラしている。

カガミがお茶を淹れてくれた。器用に山の隙間を縫って持ってきてくれる。

「ありがとうございます……あの、これは……」

「お茶だよ。ああ、そうか。君は今までお茶を飲んだ事がなかったんだね。まあ、一服どうぞ。そんなに高いものじゃないけど、おいしいよ」

恐る恐る、一口すする。びっくりするくらいおいしかった。香り高い黄金色の液体は、喉を通るたびに心を落ち着かせてくれた。

「カガミさんは、何をやっている方なんですか」

「ぼく? ぼくはねぇ、歴史学者なんだ」

目の前の、本の小塔に腰かけたカガミはにっこり笑った。なかなか愛嬌のある顔立ちだ。

丸い輪郭の顔に、小さな目がちょこんとついている。赤い頬は見るからに健康そうで顎は無精ひげに覆われていた。頭は不思議な髪形をしていて天辺の方は無毛なのに、左右の白髪を伸ばして無理やり中央に集めて括っていた。しかし数束は力尽きたのか、ほつれ垂れている。それはなんとなく哀愁を漂わせていた。腹はぼってりとせり出しており、針でつつけば破裂しそうだった。

「歴史学者さんって、王宮でどんなことをなさるんですか」

「教師。王子さんたちや王女さんなどに」

にこにこ笑いながら答える。

「もともと、ぼくはね、大学で教えていたんだ」

トモキはお茶を吹いた。

「学問の最高機関じゃないですか!」

この国の教育制度として、まず小学がある。どの村にもあり、どんな年代のものでも受けられる。期間は大体一年くらいだ。主に読み書き、簡単な計算を学ぶ。それを卒業すると中学に入学できる。

小学は無償だが、中学からは有料。学ぶことも専門的になってくる。

国語、歴史、数学、礼儀、馬術など。期間は6年間。裕福な者や貴族が多いため、民は敷居が高い。また大きな町にしかない。

そして大学。学問の最高権威である。まず、入るにも試験があるし、卒業するにも国試がある。ここを卒業できたものは選り抜きの人材として、主に宮廷に入る。位を頂けるのである。ただし、約束された輝かしい未来とは引き換えに狭き門であるため、また入学金に莫大な費用がかかるため、民には全くの無縁であった。故にこの国の上官は大卒者で固められている。ちなみに大学は都にしかない。

その大学で教師をしていた人間が目の前にいるのだ。というより同室だ。

トモキは、勉学に対して憧れをもっていた。小学を卒業して、本当は中学に進みたかったのだが、金がかかるため断念したのだ。小学で講師を手伝いつつも独学で学んでいたが、限度があった。

だから、本がこんなにあるのか。

紙は貴重品である。本など、村に十冊ぐらいしかなかった。

むさぼり読んでやる。ひそかにトモキは決意した。

「うん、王族の講師陣は大学の教師って昔から決まっているから」

なんてうらやましい。民にとって学問は贅沢だというのに。

「今日は、疲れたでしょう、ゆっくり休みなさいよ」

確かに疲れた。壮大な宮廷、国王と愛人、暗い目をした陰気な少女。カガミはじゃあ、また後でねと言って山の中に消えてしまった。トモキは寝台にごろりと寝そべってみた。妙に柔らかい蒲団に現実感がわかなかったが、いつの間にやら寝入ってしまった。

夢の中に幼いリウヒが出てきた。

「にいちゃん」

あどけない笑顔で呼んでいる。

閉じているトモキの目から、涙がこぼれた。


翌朝。

カガミに起こされた。

昨日は君、すぐに寝ちゃったでしょう。水を浴びておいで。あと朝餉をとりに、後で一緒に食堂に行こうよ。

朦朧とした頭で歩きだす。即、本の山にぶつかって転げた。


トモキらが住む棟は、北寮といい後宮に勤める女官や侍女、踊り子などが住んでいるらしい。その中に食堂もあった。盆をとって自分の好きな物をとる形で、田舎育ちのトモキが見たことのないような御馳走が並んでいた。

「お、女の人が多いんですね」

「そりゃ後宮に仕える人が多いから。反対側の南寮は男の人が多くてむさくるしいけどねー」

ぼくはこっちの方がいいなーと目の前のオヤジがのんびり茶を啜った。

カガミはこのままリウヒの部屋へと向かうらしい。自分の仕事は、リウヒの話し相手である。ということで、一緒について行った。

扉を開けると誰もいなかった。部屋の中は無人だった。

呆気にとられるトモキの横で、カガミは仕方なさそうに笑う。

「ああ、また失踪しちゃったねぇ」

トモキには理解できない。

「ええと、どういうことですか」

聞けば、リウヒは勉強が嫌いでしょっちゅう行方をくらませるらしい。その度に、シラギや世話係の侍女やらが探し回っていた。が、食事の時間になるとちゃっかり戻ってくるため、最近では大騒ぎすることもなくなったという。

「勉学は、生きていくために必要なものなのにね」

悲しそうにほほ笑むカガミの横で、トモキは猛烈に腹が立った。

学問の権威が、専属教師としてついているのである。それを、「勉強嫌いだから」という理由だけで投げ出すなんてとんでもない。勉強したくてもできない者たちに、申し訳ないと思わないのか。

「探してきます!」

叫ぶなりトモキは駈け出した。


「元気だしなさいよ」

カガミの呑気な声が降ってきたが、トモキは食堂の机に突っ伏したまま、顔を上げられなかった。

恥ずかしさと情けなさと居たたまれなさで。

向かいの席では、カガミが夕餉を食べている。

リウヒを探しに行ったものの、自分が迷ったのである。

「すみません、ここはどこですか」

と何回聞きまわったことだろう。やっと東宮にたどり着いたときは、もう夕方だった。

リウヒは昼には帰ってきて、昼餉を食べた後は、部屋で大人しくしていたらしい。

自分は方向音痴ではない。宮廷が複雑すぎるのだ。まるで迷路だ、嫌がらせか。

「まずは、知ることが大事だよ」

「どういう意味ですか」

顔をあげてカガミをみる。

「さあね、自分で考えてみなさいよ」

オヤジは、ずずっと汁物を啜りながら言った。

「トモキくん、ご飯たべないの? その肉もらっていい?」

あまつでさえ、トモキの飯にも手を付けようとする。

一日中走り回った挙句に、昼餉も食べていないのだ。取られてたまるか。あわてて盆を取り上げ、飯をかきこんだ。


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