再再会
酒場の煌々とした灯りの中、大人組の四人カガミ、シラギ、カグラ、マイムは酒とつまみを注文しつつ席に着いた。港の大きな酒場だけあって活気がある。
隅の方に小さな舞台があり、年老いた女が一人月琴の音をお供に歌っていた。
「下手くそ」
マイムがつまらなそうに呟く。
この女はそういえば宮廷の踊り子だったとシラギは思った。その頃はもっと愛想があって、堂々としていた。自信がみなぎっていた。今はなぜこんなに投げやりな態度なのだろう。
「自分の方がうまいと思っているのでしょう」
カグラがニヤニヤ笑いながら酒を注ぐ。
「当たり前じゃない」
マイムが腕を組んで鼻を鳴らす。
「ヒヒハヒヒンハハヘエ」
カガミが口をせわしなく動かす。
「カガミさん、せめて飲みこんでから話されてはどうか」
呆れたようにシラギが酒を啜った。
「それならあそこに出て歌ったらどうです」
「やあよ。一銭にもならないもの」
「ああ自信がないのですね」
マイムが隣の男をギッと睨んだ。
どうやらカグラはマイムを焚きつけて遊んでいるらしい。二人はなんだかんだと言い合いを小声でしていたが、シラギもマイムの声を聞いてみたいと思った。
「一度拝聴したいものだな」
「ぼくも聞きたーい」
「わたくしもあなたの舞しか見たことがないので」
あんたら。マイムが目の前の男らを睨みつけた。そして何かを思い付いたらしく、にっこりと笑う。
「じゃあ、賭けをしましょう」
「賭け」
「そう、賭け。あたしがお客から歓声なり拍手なりもらったら」
金をよこせと言い放った。
「でも、もし何の反応がなかったら?」
「その時は、あなたたちの言う事を何でも聞くわ」
艶然と微笑むとマイムはゆっくりと席をたった。そのまま舞台の方へ歩いて行くのを男三人は口を開けて見送った。
「何でも言う事を聞くんだって」
「あの女がそんな事を言うなんて」
「よほど自信があるのだな」
マイムは月琴を抱えた女と二言三言話すと、笑顔で席と楽器を譲った女に軽く頭を下げつつ、椅子に座った。確かめるように、音を鳴らしている。
「お手並み拝見」
カグラが腕を組み後ろの壁にもたれた。
歌声が響き始める。酒場の喧騒はその歌声に反応したように揺れ、波が引くように静まっていった。静寂の中をただ月琴の音とマイムの歌だけがゆったりと支配する。
声はまるで楽器の音のようだった。女の唇は言葉を紡いでいるが、言の葉はもう一つの音と絡まるように踊るように空間を漂う。
民話を基にした有名な歌だ。
あるところに男と女がいた。
二人はお互いを想いあい、中睦まじく暮らしていた。
ある日、突然男が消えた。
女は泣いた。泣いて泣いて涙が枯れてもまだ泣いた。
あの人はここに必ず帰ってくる。
あの人の帰る場所はここだけだから。
そう信じた女は待った。
ただひたすら待った。
待って待って、年をとっても老女になっても待ち続けた。
いつしか女は松の木になってしまった。
それでも待ち続けた。
この身が松になろうともあの人はここに帰ってくる。
月日が幾度となく巡ったある日、松は燃えた。
炎は天高く舞い空の星となった。
星になっても男を待つ女の気持ちは変わらなかった。
その星は夜のとばりがおりると真っ先に輝く。
男が帰ってくるのを今でも待っている。
永遠に待っている。
月琴の音を従えて舞い踊る歌声に、シラギは不思議な感覚が足の先から這い上がってくるのを感じた。
女の奏でる音以外には咳ひとつ聞こえない。酒場中のすべてが停止していた。
月琴の音が途絶えると、数秒間の空白のあと引いた波が返すように戻ってきた。それは次第に高まっていき、割れるような歓声と拍手に変わる。涙を流している者もいた。興奮して腕を振り回す者もいた。飛び跳ねている者までいた。
その歓声を一心に浴びたマイムは優雅なお辞儀をすると、シラギたちのもとへ戻ってきた。
そして誇らしげに宣言する。
「あたしの勝ちね」
****
先に泣いた方が勝ち。
それがキャラの常識だった。
泣けば母は兄を叱り謝らせ、友達は動揺し、すぐに謝罪した。謝った方が負けなのだ。
それを見るのは気持ちのよいことだった。勝った。いつもそう思った。
でも、今自分は泣いて目の前の少女は謝っているというのに、なぜこんなにみじめな気持ちになるのだろう。涙が出れば出るほどみじめさは増長してゆく。
大人たちが夜の町へと繰り出した後、リウヒと部屋に戻った。なんとなく二人で話している内に諍いになった。原因は下らないことだったが、キャラの今までたまっていた不満が爆発したのだろう。
「何よ、いつでもどこでも心配してくれる人がいて、それに甘えて」
「甘えてなんかいない」
「甘えているじゃない。それが当り前なんでしょ、あんたの中ではっ」
「キャラは何か勘違いをしているんじゃないか」
勘違い。勘違いと言うか。
あたしが味わったような疎外感など今まで経験したことないくせに。王女と言うだけでちやほやされて。ただ生まれが違うだけで。
涙は止まらない。くやしくて腹がたってしょうがない。
「いいわよね、王女さまって!偉そうにしていればそれでいいんでしょ!」
「みんな、わたしを心配しているわけじゃない。わたし自身を見ているわけじゃない。わたしが王女だからそうしているだけだ。そうじゃなかったのは」
リウヒの顔が一瞬変わった。柔らかい笑顔。
「トモキだけだった」
でも、キャラに不快な思いをさせたのはすまなかった。とうつむく。
腹の底から怒りが沸いた。頭が痛い。割れそうだ。
「あんたなんか大っ嫌い!」
感情のまま手を挙げる。リウヒが素早くよけた。
この少女が体に触られるのも、人に触ることも嫌がるのは分かっている。寝るときは寝台の隅と隅にわかれて寝たし、実をいえばどうでもよかった。
だけど今は殴らせろ。
しかし、リウヒはそれを避けつつ逃げる。しばらく狭い部屋で二人暴れていたら、階下からドンドンと音が響いた。うるさい静かにしろという注意なのだろう。
少女たちは、息を弾ませて睨み合っていた。
「下々の者には触らせないってか。さすが王女さまよね」
皮肉をこめていうと、リウヒが顔色を変えた。
「違う」
「なにがどう違うのよ。何か原因があるなら言いなさいよ。どうせないんだろうけど」
キャラはチンピラのごとく顎を突き出した。
リウヒは真っ青になって、口を開けたり閉じたりしている。何か言いたいけど言いにくい、そんな感じだ。
見ているとますます嗜虐心が煽られる。
「ごめんなさいねぇ。こんな下の者には言えないわよねぇ。ずっと一緒にいて友達だと思っていたのに」
そんなことはちらりとも思っていないけど。
リウヒが意を決したように息を吸い込んだ。そして話し始めた。
「…昔、気が付いたら全然知らないところに連れて行かれた」
母や兄たちのいない、変にきれいな所。美しい衣を着せられて見たことがない広い部屋を与えられて嬉しかった。当然母や兄たちも来るものだと思っていたら、もう会えないという。何を言っているのだろう。早く帰りたい。にいちゃんたちがいるあの家に帰りたい。お願いと泣いても、回りの大人たちは仕方なそうに笑うだけで何もしてくれなかった。
不思議な女の人に会わせられた。人形を自分の子供だと思い込んでいる美しい人だった。自分の母だといわれた。全然違う。母はいつも陽のあたる台所にいる。いつも忙しそうでリウヒがいたずらをしたら、ものすごい顔をして尻をぶった。
やさしそうなお爺さんにも会わせられた。お爺さんは喜んでリウヒを膝の上にのせて離さなかった。この人なら頼りになれそうと思った。ところが。
「寝ていたら、そのお爺さんが来て寝着を脱がせられた」
キャラが息をのむ。リウヒの顔は青を通り越して白くなっていた。小さく震えている。
「何をしているのか分からなかったけど、すごく気持ちが悪くて怖かった」
やめて、お願いやめて。泣いても暴れても懇願しても老人はやめてくれなかった。
にいちゃん、助けてお願い誰か。兄は来てくれなかった。誰も来てくれなかった。
老人は毎晩来る。夜が恐ろしかった。後宮が恐ろしかった。
誰も助けてくれない。ただ仕方なさそうな顔をして笑っているだけだ。
まず人が怖くなった。触られると悪寒がして気持ちが悪くなる。
そうだ、悪い子になれば、みんな呆れてわたしを嫌いになって、ここから出してくれるかもしれない。そしてあの家の帰してくれるかもしれない。かあさんとにいちゃんのいるあの家。それだけがリウヒの希望になった。だが、それすらも叶わなかった。
老人はいつしか来なくなったが、周りの態度は変わらなかった。仕方なさそうに笑って、見て見ない振り。
いつかここを自力で出ようとしょっちゅう部屋を抜け出した。ただし、体力をつけるために食事だけはしっかりとった。かあさんが言ってたもの、ご飯は大切だって。衣を着させられる事は必死で我慢した。もしここを抜け出したとしても金が必要だ。その時はこれを売ろうと袖に施された美しい刺繍をみて思った。
「ごめん」
目の前のリウヒは、小さく震えながら膝に頭を埋めていた。まるで自分の身を守るように。
「もう言わなくていいから。ごめんね」
キャラは同い年の少女の肩を引きよせそうとして、手をひっこめた。
触れない。
ああ、触ることで伝えられる事もあるのに、言葉で表せないから抱きしめて慰めたいのに、それができない。なんてもどかしいのだろう。
ごめんという言葉もそうだ。すべてが帳消しにできる言葉だと思っていた。帳消しになんて無理だ。あたしはこの少女の闇を掘り起こしてしまった。
でも今はそれしか言う事が出来ない。
「ごめんね」
膝を抱えて震えるリウヒと、ただ立ちすくむしかできないキャラを、窓から差し込む月の光が照らした。
****
月明かりを受けて黙って歩く。
カガミはもう少しここにいるから、と言い、カグラはいつの間にか消えていた。大方女でもひっかけに行ったのだろう。シラギと二人、宿に戻る途中だった。
目の前には陰気な男の背中がある。最近は表情が出るようになったのかもしれない、とマイムはクスリと笑った。
「いい歌だった」
突然、シラギが振り返りもせずポツリと言った。
考え事をしていたマイムは一瞬、何を言われたか分からなくて止まった。
「今何て?」
「きれいな声だったと言った」
その声に若干の照れが混じっている様な気がして、つい動揺してしまう。
「あ、ありがとう」
ひっくり返った自分の返事に内心舌打ちをしながら
「まあ、宮廷一の踊り子なめんなって感じかしらね」
と軽口でごまかした。しっかりしろ、あたし。と心の中で叱咤する。
初な小娘じゃあるまいし、歌を褒められたくらいでなにをうろたえているのだ。
「陛下が気に入っていたのも分かる気がする」
「何それ」
そんな話、聞いたことがない。
「どういう事」
目の前の男の腕をとると、男は振り返った。その目には「しまった」と後悔の色が浮かんでいたが、知ったこっちゃあない。
「言いなさいよ」
掴んでいた腕を揺さぶると、シラギはため息をついて白状した。
「宴で踊るあなたを見て、陛下が側に召そうとしたことがある。ショウギ側にこっそり密告して事なきを得たが…」
「ちょっと待ってよ、それはあんたの一存で?」
シラギは頷いた。王女の時もそうすればよかったのだ、とため息混じりにブツブツいっていたが、そんな事はどうでもいい。
「何を、何を…」
怒りで手に力がはいる。
「何を余計な事をしてくれたのよっ!」
怒鳴りつけると、シラギは目を見開いて身じろぎした。
「たんまり金が入ったのに、余計な事を、もう」
「わたしはあなたの為を思って」
「それが余計な事だって言っているのっ」
ああ、どれだけの金になったのだろう。頂ける宝珠なんかも国宝級に違いない。何ておしいことを。
頭の中を色んな欲望が回っている。すべて幻になってしまった欲望。
「先ほども金を要求していたな」
目を上げると、嘲るような男の顔があった。
「そんなに金が大事か」
マイムの中の怒りの炎がさらに燃え上がった。何を言っているのだこの馬鹿は。
「当たり前じゃない」
低い声がでた。
「名家のお坊ちゃんには分からないでしょうね。今流行りの精神的外傷よ。家には金がないばっかりに、弟は死んでいったわ。医者に見せることもできないで、この腕の中で死んでいったのよ。だから、世の中お金が一番大事なの!」
一気にいうと、掴んでいたシラギの腕を払うように離した。
呆然としている男を尻目にずかずかと立ち去る。
しばらくは怒りが収まらなかったが、それが静まってくると今度は顔が緩み始めた。
阻んでくれた。
あのしわがれた老人の手から、仏面顔の愛想のかけらもない男が守ってくれた。
「わたしはあなたの為を思って」
「いい歌だった」
「きれいな声だったと言った」
シラギの声が頭の中をクルクル回る。
もう、本当に初な小娘じゃあるまいし、宮廷の荒波をかいくぐってきたこのあたしが、あんな男に、あんな台詞に喜んでしまうなんて。
顔を引き締めようとしても、どうしても緩んできてしまう。なんだか胸が温かい。
マイムは頬を手に当てると、一人笑いながら宿を目指した。
****
港の宿の部屋に入ると、トモキは寝台にひっくり返った。
久しぶりの蒲団の感触を楽しむ。海の上では吊床で、意外と寝心地はよかったもののやはり蒲団の感触には負ける。
頭領と愉快な仲間たちは、約束通り港でトモキを下ろしてくれた。いくばくかの金ももらった。余所から奪った金を頂くのは気が引けたが、背に腹は代えられない。頭領はもし用があったらここに来てくれと港はずれの一軒家をさした。誰かしらいる筈だからと。
明日からは、リウヒを探しに行こう。
別れてから二年近く経つ。あっという間に経ってしまった。東宮で王女と追いかけっこをしていたのが嘘のように遠く感じる。そして意識も遠くなっていった。
翌朝、身支度をして宿の朝餉をとってから外に出た。
今日も朝から日差しが厳しい。どこに行こうか。とりあえず、また片っ端から宿に聞いて回ろうと踵を返した瞬間。
信じられないものをみた。
こちらに向かってくる集団のなかに、リウヒがいる。トモキが知っているリウヒよりも、たいぶ背が伸びている。人違いか。しかし、見覚えのある藍色の髪の毛は、依然と変わらず陽の光を浴びて輝いていた。
少女と何か話しながら、ふとこちらを向いたリウヒはそのまま止まった。
トモキも足が動かない。
あんなに会いたかった少女が目の前にいるのに体が動かない。声すらも出なかった。
リウヒの周りにいた五人もこちらを見て固まっている。
長い時間が流れたような気がした。
「トモ……!」
リウヒの隣にいた少女が叫んだ瞬間、リウヒがこちらに向かって駆けてきた。
風が吹いて木々を揺らす。リウヒの足が地を蹴る。
そしてゆっくりとトモキの胸へと飛び込んできた。
その体を受け止める。腕に力をいれて抱きしめると、太陽の香りがした。
マイムがほほ笑んだ。
カガミが感嘆の声を上げた。
カグラが口笛を吹いた。
シラギが目を見開いた。
キャラが顔を背けた。
二人はそんな面々に全く気が付かずしっかりと抱き合う。
「待っててろって言っただろう」
トモキがリウヒの髪に顔をうずめて言う。王女への言葉づかいではなかったが、もうどうでもよかった。ずっと会いたかった。狂おしいほど会いたかった。この腕の中で、リウヒの存在を確かめている今でさえ現実感がないほど会いたかった。
「心配かけさせないでくれ、この馬鹿」
「馬鹿はお前だ」
トモキの胸に顔を擦りつけるようにして言い返す。その手はトモキを確かめる様に、背中を掴んだ。
「二度とわたしから離れるな」
返事の代わりにもう一度腕に力を込めた。リウヒが苦しい、と言って笑っても力を抜くことはできなかった。
「いつまでそうしているつもりなの」
呆れた声に顔を上げるとそこに立っていたのはマイムだった。
「マ、マ、マイムさん!」
なぜこの人がここにいるのだろう。
慌ててリウヒを引き剥がす。リウヒはきょとんとした顔でトモキを見た。
「いやあ、ぼくはちょっと感動しちゃったよ」
「カガミさん!」
変わらない赤ら顔と髪型が懐かしい。
「堪能させてもらった」
「シラギさままで…」
なぜここにいるんだろう。宮廷から出たのか。
「感動の再会ですね」
誰?
ああ、昔シラギと打ち合った人だ。この人もなぜここに。
その横にいるのはシシの村の、友達の妹ではないのか。名前が思い出せない。どうして王女と一緒にいるのだ。その子は拗ねたように横を向いていた。
不思議な面々だった。
その後、カガミの提案でリウヒたちが泊っている宿に向かい、部屋で色々な話をした。自分を探して色々な村や町を彷徨っていたという。海賊船に乗っていたといったら、リウヒが目を輝かせてうらやましがった。
「あら、もうこんな時間」
日はだいぶと高くなっている。
「あなたたち、今日は港での仕事があるんでしょう。早く行きなさい」
マイムが少女たちに言うと、二人はえー、と口を尖らせた。
「働かざる者食うべからず。じゃないと今日の夕餉は抜きですよ」
銀髪の男が笑うと
「トモキの再会を祝って、特別にみんなで酒場に行こうと思っていたのだが」
とシラギも笑う。すると二人は先を争うように部屋から出て行った。
「君たちも大分、扱いがうまくなったねぇ」
カガミが笑っている。
トモキ一人、訳が分からずぼんやりしていた。
「さて、ここからが真剣な話だ」
カガミが言うと、四人の顔が引き締まった。
彼らは、トモキを探しつつも王女の為仕事を請け負いながら、町や村を飛び回っていたという。
トモキが見つかった今、これからどうするかという相談であった。
「その事なのですが」
シラギが迷いながらも口を開く。宰相が言った言葉。若干、カグラを警戒しているようだったが、カグラは涼しい顔をしていた。
「一理ありますね」
ショウギの元愛人は口に手を当てながら言う。
「国王はショウギの手の内にあるのでしょう。今行動を起こせば謀反征伐の大義名分を与えかねない」
「なるほど」
「狙い目は国王崩御か……」
「あの、どうしてもリウヒさまに王位に就いてもらいたいんですか」
トモキが口をはさむ。
「ぼくは、わざわざあの宮廷へ戻るより、このまま外の世界で平和に暮らしてほしいのですが」
その方がリウヒの為になるに違いない。贅沢で醜悪な場所より、多少貧しくても清らかで美しい場所にいててほしい。
「トモキくんがそんな事をいうなんて」
カガミが珍しく怒り出した。
シラギも険しい顔でこちらを見ている。
「昔、君は王家の人間は、自分で稼いだ金ではなく国民の税で暮らしている。だからこそきちんと教養を受けて国に恥じない人間になるべきだと言ったね」
言ったような、言ってないような。あまり記憶にない。
「ぼくはそれを聞いて、たいへんな衝撃を受けた。そしてそうあるべきだと思ったんだ。さらに言えば、王家の人間には国を治める義務がある。それがどんなに困難であろうともね」
「わたしも王家の血を引かぬ者に仕える気はない」
シラギが語気も荒く言った。
「まっぴらごめんだ」
この人はこんなに表情豊かだっただろうか。トモキは別の所で疑問に思った。
「宰相の言う舞台が気になりますね」
思案顔でカグラが言う。
「内側から何か工作をする気でしょうか」
「どちらにしても、今は動けないのでしょう」
マイムが髪をかきあげた。窓辺に腰かけて腕を組んでいる様子はそれだけで絵になる。
「このまま旅を続けるのがいいんじゃないかしら」
みな頷いた。
「しかし、国王もがんばるね」
「寝ついてもう何年経つのだろう」
「ショウギが用済みだと思ったら、毒殺でもされるでしょうね」
カグラに視線が集まる。
「可能性の話ですよ」
「もしかしたら、以外にショウギは宮廷で孤立しているのかもしれないね」
部屋に沈黙が訪れた。
「ああそうだ、トモキくん」
カガミが呑気な声を出した。
「一応、リウヒくんが王女と言うのは伏せて旅しているからね。砕けた感じで接してちょうだいよ」
「そうそう、あの感動の再会の時みたいに」
マイムが笑いながら言う。
「やめてくださいよ!」
トモキが顔を赤くした。
「リウヒも随分変わったな。自分から抱きつくなんて」
「あなたもではないのですか。最初は王女を呼び捨てに出来なかった黒将軍」
「それを言うな、白将軍」
軽口を叩き合う二人の男に、カガミとマイムは笑い声を上げた。
御前試合で死闘を繰り広げた男たち。この人たちはいつの間にこんなに仲良くなってしまったんだろう。
トモキはちょっぴり疎外感を味わったのだった。
夕方になって、リウヒとキャラが戻ってきた。労をねぎらう大人たちに得意そうな顔をしている。そして、初めて参加を許される酒場への同行に興奮を隠せないでいた。今まで理由をつけては追い返されていたのに、今回は特別なのだ。二人はクスクス笑いながら、いっぱい食べようね、お酒もこっそり飲んじゃおうか、などとろくでもない相談をしていた。
「最近、なんだか妙に仲良くなっちゃって」
少女たちをみながらマイムが笑う。
「前はあんなにいがみ合っていたのに不思議ですね」
「良いことではないか」
「やっぱり旅はいいものだねぇ」
「あの子は何でついてきたんですか」
「ん? 世の中を見てみたいんだって」
隣にいたマイムが一瞬微妙な顔をしたが、トモキは気が付かなかった。
以前、マイムが歌を披露した酒場の扉を開ける。喧騒が七人を包んだ。
少女たちが物珍しそうにあたりを見回す。舞台があるよ、酒の瓶があんなにあるんだとはしゃいだ声を上げた。
「こぉら、落ち着きなさい」
マイムに注意されても聞く耳をもたない。あたしたちもお酒を飲みたい、ねえ、いいでしょうと声を揃えてねだった。渋い顔でたしなめる大人組にカグラが
「果実酒を薄く割ってもらえばいいでしょう」
と提案すると歓声をあげた。
キャラはともかくリウヒはこんな性格ではなかったはずだ。こっそりシラギに聞くと
「トモキがいるのと初めての酒場で喜んでいるのだろう」
と笑った。
七人は大いに食べて飲んで笑ってしゃべった。
特にリウヒはみなが呆れ心配するほど食べた。
シラギはひっそりと、しかし笑いながら飲んでいる。
カグラが手品を見せてくれた。
カガミが腹をゆすらせながらでたらめな歌を歌い、みなを爆笑させた。
トモキがリウヒにねだられて、船上の話を面白可笑しく語る。
マイムは基本的に黙ってはいたが、時たま絶妙な突っ込みを繰り出した。
キャラはただただ、笑い転げていた。
こんな酒は初めてだ。かつてカガミやシラギと部屋で飲んだ時とも、気のいい海賊たちの宴会とも違う。
リウヒがいるからだ。
トモキは目の前で楽しそうに笑う少女を見た。少女はその視線に気が付き、にっこりと笑い返した。
腹も膨れ、酔いもだいぶ回ってきた時、賑やかな団体が入ってきた。頭領と愉快な仲間たちだった。騒ぎながら酒場の隅を陣取っている。
「元気な集団だね」
「あ、ぼくがお世話になった人たちです」
そうだ、頭領にあらためてお礼を、探していた人が見つかったという報告をしないと。とトモキが席を立とうとした瞬間。
シラギが弾かれたように中腰になった。勢いで倒れた猪口からは酒がこぼれているにも関わらず、一点を凝視している。
「もう、なにやっているの……」
マイムが猪口を戻しながら同じ方向をみて固まった。
カグラがその視線を辿ってむせた。
カガミに至っては目を見開き、開いた口からは酒がだらだらとこぼれている。
リウヒはそんな面々を不思議そうに見ていたが、視線の先をみて驚いた。
トモキは今初めて気がついた。そうか。だから、どこかで見たことがあると思ったんだ。
キャラだけが何も分からず「なに? どうしたの?」と聞いていたが、だれも答えられなかった。
最初に行動を起こしたのはシラギだった。
つかつかと海賊たちに歩いて行く。中の一人がそれに気が付き
「あんだぁ、兄ちゃんなんか用かい」
敵愾心もあらわにした声をだした。
「そこの男に用がある」
「あぁ?」
「そこの笑いながらこちらを見ている男だ」
荒くれ共はいきり立った。
「うちの頭領を馬鹿にしてんのか」
「なんだお前」
殺意が走る。海賊たちはそろって構えはじめ、シラギも剣の柄に手を添えた。
「はいはいはい、ちょっと待った」
突然色っぽい女が間に立ち、手を広げた。
「ごめんなさいねぇ。懐かしい顔が見えたものだから、うちの連れがつい興奮しちゃって」
うふ、とシナを作りながら流し眼を荒くれ共に送る。根は単純な男たちである。ふにゃんと相好が崩れた。
その間にシラギは、カグラとカガミに両脇を挟まれ引きずられていった。
「なんだよ、ねえちゃん。うちの頭領と知り合いかい」
「そうなの、こんなところで会うとは思っていなかったから、びっくりしちゃって」
だから是非ともお話がしたいなーと、女は上目づかいで頭領を見た。
「わたしも驚きましたよ。とても珍しい方たちがいるものですから」
頭領が笑いながら女に言った。普段とは違う言葉づかいに男たちは顔を見合わせる。
「話すことなどありませんが、そちらはそうはいかないでしょう」
良ければ場所をかえませんか。と不敵に笑う頭領に女も花のような笑顔を返す。
「ええ、ぜひお願いいたしますわ」
その笑顔は華やかだったが目は笑っていなかった。
「アナンさま」
遠くでそのやりとりを聞いていたトモキの耳に、聞こえるはずのない潮騒が聞こえた。