外の世界 2
暗い洞窟、水滴の音が響いている。頼りない灯の中でトモキは必死になって石の隙間を掘っていた。指先の皮は破れて膿んでいる。触れると激痛が走る。それでも狂ったようにトモキは手を動かす。
聞きなれた足音がした。急いで体勢を変える。
「よう、坊主。飯持ってきたぞ」
牢の看守、シクロがのっそりと格子越しに顔を覗かせた。
「ご飯はいらないから、鍵をください。もしくはぼくをここから出してください」
「そうしたいのは山々なんだが、おれも仕事でね」
乱暴に盆を押し込むと、同情するように豊かな顎髭を撫でる。
「飯は食え。人間、何が大事って体力だからな」
トモキはため息をついて、下を向いた。
約一年前、その城下で宮廷の事を聞きまくった。早く情報収集して家に戻りたかった。その焦りがいけなかったのだろう、兵に捕まりあっと言う間に軟禁された。
自分の迂闊さを恨むには、あとの祭りだった。
同時期に同じく牢に入れられた人々は、一人、また一人と姿を消して、トモキだけが残った。彼らがとうなったのか、想像にしがたくない。
シクロはまだ宮廷に慣れていない頃のトモキに色々親切に教えてくれた恩人でもある。数年前は警備兵だったが、今は看守として宮廷の外れの牢に努めている。
昔と違い何を聞いても黙りこみ、欠片も答えてくれない。ただ「飯は食え」と繰り返すのみ。
「……大切な人がいるんです」
リウヒは、あの家で待っていてくれているだろうか。待っているに違いない。母とカガミと一緒に。相当怒っているだろう。会えば必ず文句の一つや二つや十や百は言うだろう。
「もう少しの辛抱だ。おれがなんとかしてやる。だから下手に足掻かず大人しくしてろ」
驚いて顔を上げると、シクロはもう背を向けて立ち去っていた。
それから数日後。
人の足音が近づいてくる事に気が付いた。シクロのものではない、聞いたことのある足音。まさか。
「シラギさま!」
シラギだった。懐かしさと腹立たしさがこみあげてくる。聞きたい事もたくさんあった。
しかし、シラギは静かにするよう身振りで示した後、小声でトモキに告げた。
「看守に話は聞いた。時期を見計らって外に出す」
そのまま、出て行こうとする。その背中に
「王女はご無事です」
これだけは言いたかった。
シラギは一瞬顔を歪めたが、「頼む」と一言呟くとそのまま去ってしまった。
「坊主」
焦れるほど長い時が経過して、シクロがやってきた。
「西門から出ろ。話はついている」
「シクロさん、ありがとうございます。でも、どうしてぼくにこんなに……」
良くしてくれるんですか。トモキに全てを言わせず、男は急かした。
「早く行け。ばれたらおれもシラギさまもただじゃ済まねえ」
深々と頭を下げて、湿った石畳の階段を上る。一年ぶりの外の開放感を味わう余裕もなく
、全神経を使って慎重に動いた。肌を差す冷気と朧の日の気配からして、まだ早朝なのだろう。西門の門番はトモキを見ても見ないふりをしてくれた。城下に出る。走れば多分目立つ。何げない振りをよそおい歩くだけで息が切れた。それでも気は急く。
早く、早くシシの村に。リウヒの元に。
焦る気持ちを抑えながらトモキは黙々と歩いた。
息も絶え絶えに、シシの村に戻ったトモキは愕然とした。
何とリウヒはカガミと共に、トモキを探しにゲンブの町へ向かったという。半年も前に。疲れきった体にこの衝撃はこたえた。思わず手をついてへたり込んでしまった。母があわてて駆け寄る。
その母をなじりたい。なぜ、止めなかった、行かせたのだと。目の前に広がる床を見ながら責める声が頭の中に聞こえる。
リウヒとカガミにも腹が立つ。どうして待っていてくれなかったのだ。自分は必ず戻ると言ったではないか。
いや、悪いのは自分だ。自分の失態で捕まり一年近くも戻らなかった。
母も、肩を落としてトモキの前に座っている。両手はトモキの肩に置いたままだ。
しばらくそのままで二人止まっていた。遠くで鳥の鳴く声がする。
立ち上がらなければ。立ち上がってゲンブの町へ行かなければ。それでも力が入らなかった。このまま、ずっと黙って座っていたかった。
「あの子が……」
母が小さな声で言う。
リウヒの事を言っているのだと分かった。
「ここを出ていく時に……」
「うん」
「わたしの事をかあさんって呼んでくれたの」
そういってはらはらと涙を流した。
「うん」
「それまでは、ずっとよそよそしかったのに…」
かあさんって呼んでくれたの、と母はもう一度繰り返した。
肩に置かれていた母の手に、自分の手を添える。水気を失って乾いた手を握りながら、リウヒを探しに行こうと思った。
東宮でも、よく繰り広げたではないか。ぼくはいつだってリウヒを追いかけている。
****
目の前のリウヒにキャラは口を尖らせた。
「なんで?なんでそんなに不器用なの?」
「好きでそうなったわけじゃない」
自分の指に針を突き刺したリウヒも応酬する。
「キャラの刺繍だって、見本とまったく違うじゃないか」
「うるさいっ」
「はいはい、それくらいにして口より手を動かしなさい。明日中に仕上げなきゃいけないんだから」
マイムが呆れた声を出すと少女たちはお互いを睨みつけ、大人しく手を動かし始めた。三人の前には大きな布があり、これに刺繍を施す仕事を請け負ったのだが、仕上がりには程遠かった。あとで、カガミとカグラにも協力させよう。針を手に取るオヤジの姿にも笑えたが、刺繍作業をするカグラを想像してマイムは吹き出しそうになった。
ゲンブの町をでて約半年が経つ。
カガミの目論見どおり、トモキを探索するという名目であちらの町、こちらの村と言う風に王女を連れまわしている。この町で三つ目だ。その度に「働かざる者、食うべからず」の精神で色々な仕事を請け負った。
「お金は無限にあるものじゃないからね。宿代もけっこうバカにならないんだよ」
とカガミが少女たちに諭していたが、実は稼いだお金の大半は、大人三人組の酒代に消えていた。
物心ついたときから後宮暮らしで「お金」の概念が全くなかった王女は、その仕組みに大層驚いていた。そんな事も知らなかったの、信じられなーいと笑うキャラに
「知識はあったけど、実感がなかった。やるのとやらないのでは全然ちがうんだな」
と一人で納得していた。
逆にキャラはしっかりしていた。
宿さがしでも口をだしてくる。物を買うときも値切ろうとする。
「お酒なんて、飲めばなくなっちゃうじゃない。どうしてそんなに飲むの?」
と目を吊り上げて言う少女に、オヤジが真剣に反論した。
「古代より酒は人々にとって欠かせないものなんだよ。癒しの効果もあるし、一緒に飲むことでより近しい気持ちが芽生える。生活を営む人間の間に行われる知識、感情、思想の伝達をより豊かにできるんだ。また、その事によって己の動機づけの向上、さらに強い仲間意識の強化だって図れるんだよ」
「じゃあ、あたしも飲みたい」
「ダメ」
愛想がよくて大人の輪に入りたがるキャラと、無愛想で人見知りするリウヒは対照的だったが、頑固なところだけは共通していた。ゆえに諍いが絶えない。大人から見ると微笑ましいものだったが、当人同士はいたって真剣なのだろう。
「ねえ、マイムさん」
キャラが焦げ茶色の目で見つめてくる。
「ここにもトモキさん、いないのかなぁ」
小さな肩を落としている。罪悪感がちらりと疼いた。
王女はともかく、この少女がただただトモキに会いたい一心で、行動を共にしているのは気が付いていた。
トモキの話をする度に瞳が輝く。表情が華やぐ。それはもう嬉しそうで背後に花でもしょっているのかと思うくらい周りが明るくなった。
同期や後輩の中にも、恋愛の話をするものもみな一様に同じだった。相手の話をする度に顔を輝かせる。片思いから光を増し始め、両想い寸前で光は最高潮に達する。しかし、いざ付き合いを始めたり結婚してしまったりすると、輝きは不思議な事に急速に失われるのだった。
マイムが口を開こうとしたその時、カグラが部屋に帰ってきた。
「あ、丁度よかったわ。手伝って」
針と刺繍糸を渡す。
「わたくしがですか」
「ええ、あなたが」
少女二人がクスクス笑う。
カグラは仕方なさそうに椅子を引き寄せると娘たちの輪に加わった。刺繍なんてやったことがないというカグラに、キャラが教えている。その横顔をみて、小さくても女なのね、と苦笑した。
リウヒは黙って真剣に手を動かしている。たまに指に針を刺して、痛そうに手を振っていた。
「すごーいカグラさん、うまーい」
呑み込みの早い男なのだろう、器用に針を動かしては鮮やかな手つきで進めていく。その姿も様になっていて、マイムはなんだか面白くなかった。うっかり見とれていたら、カグラが一瞬、得意そうにマイムに視線を投げかけた。
思わず顔を顰める。負けるものか。
それから、しばらく四人は黙々と針を動かしていた。余りにも夢中になっていたのでカガミが帰ってきても、誰も気が付かなかった。
「いやぁ、がんばっているねぇ」
その声にみな弾かれたように驚き、散々文句を言ったあと哀れなオヤジも巻き込んで再び針仕事に精を出し始めた。
手の感覚がおかしい、と目の前の男がこぼす。ぼくもだよ、とその横のオヤジも同意した。
「まあまあ、お疲れ様でした」
と二人の猪口に酒をついでやるとしなやかな腕と、丸い腕が同時に伸びた。
刺繍は見事に完成した。
その布をマイムが広げると少女たちは歓声をあげ、カグラはぐったりと壁に寄りかかり、オヤジはきれいな円を描いてひっくり返った。どおんと音がした。
「やっぱりみんなでやると早いわねぇ。また手伝ってもらおうかしら」
と男二人に流し眼を送ると、カグラとカガミは同時に首をふる。それをみて少女たちが軽やかに笑う。
「刺繍仕事は金になるんだぞ」
「それにすごく楽しかった」
そう、楽しかった。
ただ針を動かしていただけなのに。五人とも無言で、ただ手を動かしていただけなのに。なぜなのだろう。
「ずっと同じ姿勢でいたからでしょうか、妙に肩が痛いのです」
「ああ、それ凝っちゃったんだよ。ぼくも痛いんだよ。きれいなお姉さんに揉んでもらえば、治ると思うんだけど」
「湯につかれば治ります」
ぴしゃりというと、オヤジはしょげた。
でも、あのカグラが一瞬みせた得意そうな顔。思い出す度笑ってしまう。子供が見せるような、無邪気な顔。澄ました表情しかできないと思ったら、あんな顔もできるんじゃない。
いや、でもだめだ。この男は何を考えているのか分からない。油断はできない。
マイムは慌てて顔を引き締めると、目の前の酒をあおった。
****
目の前で恐縮するように頭を下げる副将軍たちに、シラギはため息交じりに言った。
「面をあげてくれ、もう終わったから。報告してくれて助かった」
「いいえ!」
宮廷軍唯一の女性である副将軍モクレンは強い口調で遮る。
「中将軍の管轄とはいえ、目の行き届かなかったわたしの不始末にございます! 何卒、お咎めを!」
「何を言う、小娘めが」
その隣で同じく腰を折っていたもう一人の副将軍、タカトオが吐き捨てるように口を開いた。
「一人いい子ぶろうとしたってそうはいかん。シラギさま、この老人にも責はございます。ぜひお戒めはこのわしに!」
「貴殿には関係ないだろう、しゃしゃり出てくるな」
「連帯責任じゃ、馬鹿者が」
器用にお辞儀をしたままの体制で、老人と女は低次元の言い争いを始めた。
「いいから」
シラギのため息はますます深くなる。この二人はいつだってそうなのだ。仲良く喧嘩をしながら自らだの孫だのをお勧めしてくる。
監視役の男たちに金を握らせて、外に出しておいて正解だった。
「タカトオ、モクレン。仕事に戻れ」
副将軍たちはぴたりと口を閉ざすと、もう一度礼をしてそれぞれの卓に戻った。
宮廷はショウギの天下となっていた。意気揚々と朝議に出席し、王気どりで口をはさむのだ。その周りを固めているのは、甘い汁を吸おうとする奸臣たち。喜んで暗躍している。しかし、宰相は何も言わず諦めきったように政務を進めていた。国王は寝台に伏せったままで、まったく表に出てこない。
シラギも混乱したままの軍や、兵士を整理するのに必死だった。それ以上に、上から雑務を押し付けられる。あっという間に一年が経った。そんな中、西牢獄の看守、シクロからモクレン経由で報告があった。トモキが投獄されているというのである。騒ぎからしばらく後、城下で宮廷の様子を探っていたらしい。
城下及び国内の治安を統べるはずの中将軍は、只今賄賂請求とショウギの胡麻擂りで大忙しだ。
「信用できる人間がなかなかいませんで」
シラギにふてぶてしくも、髭面の男シクロはそう言った。
「看守の一存では中々動けません。後ろ盾が必要な訳で」
「分かった」
急ぎ西牢に駆けつける最中、ふとシクロに聞いた。
「お前はトモキと知り合いだったのか」
「そう言われれば、そうなのですが」
シクロは前を見ながら淡々と答えた。
「惚れた女の息子を守りたいと思うのは、男として当然ですから」
シラギは何も言わなかったし、言えなかった。
洞窟に手を加えただけの牢の中にいたのは、やはりトモキだった。すぐに逃がした。一年も放置していたなんて。申し訳なさと共に腹立たしさも湧いてくる。なぜ、わざわざ火に飛び込んできた。
だが新しい情報も入った。王女は無事だ。
ため息をついて、背もたれに寄りかかった時、扉が叩かれた。
宰相が倒れたという。シラギは椅子を立ち、急いでその元へ向かった。
確かに父は寝台に横たわり苦しそうに息をしている。
「すまんが、下がってはもらえんかね」
宰相はシラギと自分の監視の男たちに言う。
「これが息子への最後の言葉になるかもしれん」
男たちは、顔を見合わせると黙って頷き部屋を出てくれた。扉の前で待機しているようだ。多分買収でもされているのだろう。
彼らが出て言った後、宰相はよいしょ、と起き上った。
「お、起き上がられて大丈夫なのですか」
シラギがうろたえた声をだすと
「む。仮病じゃ」
とケロリとした顔で答えた。
「何かしら理由がないと、ゆっくり話ができんからな」
「……」
「頼みがある」
「はい」
「先日、王女は生きていると言っておったな」
声をひそめて話す宰相にシラギは頷いた。
「その王女を宮廷に連れ戻してくれ。そして王座に付けるのだ」
「しかし、今の状態では難しいでしょう」
なあ、息子よ。と宰相は小さな声で呟いた。
「わしは、王の血を引いてない者にこれ以上頭を下げたくないのだよ。王の愛人としてならいくらでも下げよう。しかし、その血を一滴もひいておらぬものを王として崇め、頭を垂れるのは我慢がならん」
それならいっそ、あなたが王になったらどうです。とは言えなかった。
その心を読み取ったように宰相は続ける。
「人はそれぞれ矜持というものがある。あのショウギでさえもっているだろう。そしてわしの矜持とは、三百年続いたこの王家に仕えることなのだ。今更その血を引いていない輩に仕えることができるか」
それはそのままシラギの心でもあった。
「もしかして、今まで知らぬ振りをしていたツケが来たのかもしれませんね」
見て見ぬ振りをして、その場をやり過ごす。王を諌める立場にありながら、己の身が可愛くて黙っている。自分の考えに蓋をして、ただ与えられた仕事だけをこなす。
そして国は傾いていくのだ。今はその兆候が見えなくとも、長い目で見れば確実に沈むだろう。たとえ、ショウギが王になったとしても、甘言しか聞かない彼女が優れた政治をする訳がない。
「分かりました。行ってまいります」
「宮廷の事は心配するな、内側から固めておいてやる」
頷いて了承した。
「ただし王女を見つけたとしても、すぐには戻ってはならぬ」
宰相は髭をしごきながら、思案顔で言う。
「国王が崩御してからじゃ。わしが舞台を用意しよう」
政治家の顔で笑う父を目の前に、シラギは呆れた。また、舞台の上に立って踊らなければならないのか。御前試合どころではない、国と言う舞台だ。しかも踊るのは王女。
「父上」
「なんじゃ」
「もしかして楽しんでおられるのではないですか」
「楽しんでいるとも。今までの恨みを晴らしてやるわ」
この人は何を言っているのだろう、こういう性格だっただろうかとふと訝る。もしかしたら壊れてしまったのかもしれない。