故郷
馬をひいてどれほど歩いただろうか。日は天にのぼり、じりじりと地を照らす。
リウヒは黙ったままである。トモキも無言で黙々と歩いた。会話がないのは、疲れきっているのと、腹が減っているからだった。喉の渇きは道端にある井戸で癒した。
ふと、木に実がなっているのに気が付く。名前は知らぬが、暑い盛りに橙の実をつける木だ。大きさは子供の拳ほどある。数個もいでリウヒに渡した。
リウヒはきょとんと実を眺めている。多分、果物というものは切られ皿に飾りつけられて出るものだと思っているのだろう。どうやって食べるんだ、と言うのでこう食べるのですよ、とかぶりついたら、いつもは楊枝を使え、箸を使えだのうるさいくせにと笑った。笑ったことに安堵した。
村への坂道を登る。懐かしいような、初めて通る道のような奇妙な感覚。この坂道を最後に通ったのは何年前だろう。
七年前だ。十三の頃。またリウヒを連れて、通るなんて思ってもいなかった。
村間近になると、一人の少女がこちらを見ている事に気が付いた。驚いた顔で立っている。その顔に見覚えがあった。たしか、遊び友達の妹だった。
「トモキさん!」
その少女が走って抱きついてくる。すきっ腹で力が入らない為、少しよろめいた。
「どうしたの。宮廷にいったんじゃなかったの」
はしゃぐように見上げる少女の頭をなでてやる。
「ちょっと用があってね」
そうなんだ、おかえりなさい。あのね、あのね、カズちゃんがね。嬉しそうに周りを飛び跳ねるようにまとわりつく少女に苦笑しながら歩き出す。
リウヒが馬上で、その少女を不思議な生物をみるような目で眺めていた。
家が見えた。
懐かしさがこみ上げる。弟とうっかり壊してしまい母にこっぴどく叱られた柵。友達と遊んだ原っぱ。道端にぽつんと立っている風車。何一つ変わっていない。
畑に母が立っていた。
呆然とこちらを見ている。あんなに小柄だったっけ。髪もすっかり白くなっている。
リウヒが馬から降りた。同じく母を凝視している。
トモキは母に近づき笑った。
圧倒的な照れくささ。
「かあさん」
母は手で口を覆い、目を見開いた。
「ただいま」
「最初誰だか分らなかったわ」
白湯をだして、母がいとおしそうにトモキを見た。その視線がくすぐったい。
「本当に大きくなって…。あなたもリウヒも」
リウヒは弟の寝台で寝ている。かなり疲れていたようで、夕餉を食べるとすぐ寝てしまった。始終大人しかった。母に対してもよそよそしく、戸惑っているようでもあった。
ただ、家に入った瞬間「あ…」と呟いた。遠い記憶を手繰り寄せるように。何か思い出したのかと聞くと「匂いが」と言った。懐かしい匂い。それきり口をつぐんでしまった。
リウヒが寝入った後トモキは、一通りの経過を話した。母は黙って聞いている。しかし、まだ状況は分からない。知っている人たちの安否や、誰が政権を握っているのかも。国王は生きているのだろうか。生きているとしたら、誰がその後を継ぐのだろうか。
そして、この後自分たちはどうしたら良いのだろう。まずは、中の様子が分からなければ、身の振りようもない。万一、追手がここに来ないとも限らないのだ。
ため息をついたその時。
戸が叩かれる音がした。
母が顔をあげてトモキを見る。ぼくがでるから、と頷いて椅子をたった。
「どちらさまですか」警戒しながら戸を開けると
「えへへ、来ちゃった」
カガミが立っていた。
「間に合ってます」
何が間に合っているのかよく分からなかったが、そう言って閉めようとした。するとカガミの足が隙間にガッと差し込まれた。
「ひどいなトモキくん開けてくれよう」
「オヤジに小娘みたいな台詞吐かれて実家に押し掛けられても困るんですよっ」
「可愛かった? ねえ可愛かった?」
「全然ちっとも全く可愛くないっ」
戸をはさんでオヤジと二人もみ合っていると、母が変な顔してやってきた。
「どうしたの、トモキ。そちらさまは…」
諦めて戸を閉める力を抜くと勢い余ったカガミがおおう、と転がり込んできた。
「ぼくの…」
なんだろう。教師? 同居人? 言い迷っていると、オヤジがえへへと笑って母にあいさつした。
「はじめまして、トモキくんのお母さん。ぼく、トモキくんの教師兼同居人兼友人のカガミと申します」
母はあらまあ、とほころび深々と頭を下げた。
「いつもうちのトモキがお世話になっております」
「はい、お世話しております」
カガミも合わせるように丁寧に頭を下げる。
世話をしているのはぼくの方だ! 心の内で叫んだが、黙っていた。
「どうして、ここが分かったんですか?」
「愛の力」
「…出て行ってください。さようなら」
「嘘だよ、うそうそ。シラギさんに教えてもらったんだ」
「無事だったんですか!」
立ち話もなんですからどうぞ、と家の中に勧められ改めて入ってきたカガミの姿に驚いた。
頭の天辺に寄せ集めている毛は所々縮れており、衣も黒く煤けていた。少し焦げくさい匂いもする。そして、大きな風呂敷を大切そうに抱えていた。
「もしかして…」
「あの部屋は焼けてしまったよ」
沈んだカガミの言葉にトモキは大きなため息をついて、椅子に座りこんだ。
焼けてしまった。あの部屋。大量の本を読み漁った。カガミと色々な話をした。一緒に酒を飲んだ。たまにそこにシラギが加わった。窓から見えた城下の町並み。夜になると家々の灯りが広がり、その風景が好きだった。七年間過ごした愛すべき空間は、炎にのまれ消えてしまった。カガミが大切にしていた本たちも共に消えた。
しばらく鎮痛な沈黙が流れた。
「シラギさんって、以前こちらにいらした方? その方は無事だったの?」
その空気を助けるように、母が口を出す。椅子に座ったカガミの前に白湯を置くと、オヤジがぺこんと頭を下げた。
「そうだ、シラギさまは」
「無事だったよ。ひどく疲れているように見えたけど」
もっともみんな疲れていたけどね。そう言って白湯を啜った。
その後、宮廷がどうなったのかを根掘り葉掘り聞いたが、カガミも詳しいことは分からないようだった。
「トモキくん」
名前を呼ばれて顔をあげると、カガミが畏まってこちらを向いていた。
「ぼくは、君のおかげで生き延びることができた。君が起こしてくれなかったら、真っ黒焦げになって死んでいた」
カガミが深々と頭を下げる。
「本当にありがとう」
****
「お星さま、ありがとうございます」
キャラはいつものように、一番星に祈りをささげ感謝した。
だって、願いは届けられた。トモキがこの村に帰ってきたのだ。隣村にお使いにいって、その帰り道だった。馬を引いて歩く青年を見つけた。見間違えるはずがない。トモキだった。まず心臓が高鳴って、足が勝手に動いた。気が付いたら走り出して、抱きついていた。はしたないことをと思ったが、トモキは優しく頭をなでてくれた。
そのことを思い出すと今でも顔がにんまりしてしまう。
嬉しさの余りトモキにくっつきまわり、どうでもいいことを報告した。
体が喜びで跳ねる。口が言葉を紡ぎだして止まらない。自分でもどうしようもなかった。
だけどもトモキは微笑んで、それを受け入れてくれた。もう、叫びだしそうなくらい幸せだった。
ずっとこのまま横にいたかったが、家の近くになって帰りなさいと言われ不承不承、家に帰った。トモキはそのまま、自分の家に連れていた少女と共に入って行ってしまった。
あの少女。
キャラは鼻に皺を寄せる。あの子は何なのだ。えらそうに馬にのって、トモキに歩かせて。あたしを変なものを見るような目で見ていた。挨拶も声もよこさなかった、暗そうな子。そんなに可愛いわけでもないのに。あたしの方が、ぜったい可愛い。
質のいい高そうな衣を着ていたから、もしかしたらトモキが仕えている人の子供なのかもしれない。
トモキが突然宮廷に上がった時は、悲しかった。親から聞いて悲しさの余り大泣きした。母親は、キャラはトモキちゃんに懐いていたものね、とほほ笑んだ。そんなんじゃない、と当時七歳の少女は思った。そんなに軽い表現で表わさないでほしい。これはもっと偉大なものなのだ。が、それをどう言っていいか分からず、言葉はぐずぐずと消えていった。
宮廷に入ってしまったら、めったのものでは外に出られない。トモキに会える方法は、キャラが大学を卒業して、入廷するしか思いつかなかったが、到底不可能だった。そんな金は家になかったし、第一、勉強が嫌いだった。何でそんなものが必要なんだと思う。読み書きなんて、日々の暮らしには必要ないではないか。畑を耕すだけの毎日。
それでもトモキには、どうしても会いたかった。縋るものがほしかった。
だから、毎日一番星にお願いをした。
どうかトモキに会わせてください。お星さま。どうかどうか。
天は聞き入れてくれた。トモキが帰ってきた。
シシの村に帰ってきたのだ。
****
「そんな、あなた帰って来たばかりだというのに」
「ごめん、かあさん」
気丈なはずの母は、うろたえて息子を止めた。その顔に申し訳なさは募ったが、ただ頭を下げるしかなかった。
あれから数日が経った。都に関する噂はあまり流れてこない。情報がまったく入ってこず、ただ不安だけが増していく中トモキは一つに決意を固めていた。
宮廷の様子を探りに行く。
状況が分からなければ、動きようがない。動けるのは自分しかいない。命の危険すらもあるかもしれないが、このまま手をこまねいているのは嫌だった。
「リウヒの事、よろしくお願いします」
「分かりました」
母に再度頭をさげると、母は溜息をついて目を閉じた。
「カガミさんもいるから大丈夫よ。くれぐれも気を付けて」
「うん、ありがとう」
奥の部屋から咳きこむ声が聞こえる。リウヒは、ここに来てから体調を崩し寝込んでいた。今までトモキが注意するほど、健啖だった少女が粥しか口を通さないのも心配だった。
寝ているリウヒを覗き込む。身を守るように丸く小さくなって寝ていた。うっすら汗をかいている。顔に張り付いた数本の髪の毛をとってやると、うわ言を二言、三言呟いて、苦しそうに眉を顰めた。
なるべく早く、戻ってこなければ。
畑仕事の手伝いをしていたカガミにも告げ、ここまで乗ってきた馬の手綱をとった。
「危険すぎるよ、何も君が行かなくても」
「このまま何も分からないのは、嫌なんです」
それに、と続ける。
「まずは知ることが大事。そう教えてくれたのはカガミさん、あなたですよ」
手綱をめぐらせトモキが笑った。
「そうかい」
オヤジは頭をかいて馬上の青年を眩しそうに見上げる。
「リウヒさまを頼みます」
「うん。頼まれた」
カガミは大きく頷いた。
「行っておいで。無事を祈っているよ」
トモキが笑顔で応え、馬腹を蹴ろうとした瞬間。
「どこにいくんだ」
リウヒが戸口に立って、馬上のトモキを睨みつけていた。擦れていたがその声は低く怒りをにじませている。
「お前はわたしを置いて、どこに行くんだと聞いているんだ」
トモキは一瞬、馬から降りてリウヒに駆け寄りそうになった。
すみません、ウソです。だからお願いですから、寝台に戻って横になってください、どこにも行きませんから、ずっと横についていますから、と言って一緒に家の中に戻りたかった。しかし、今ここで、馬を降りたら自分の決心はぐらつくのは分かっている。すんでのところで腹に力をいれて堪えた。
「ここで待っていてください」
馬の頭を巡らせて叫ぶ。
「必ず戻ります」
そのまま、振り切るように馬腹を蹴って駈け出した。馬は驚き大きく嘶いて走り出す。
小さくなっていく後ろ姿をリウヒは呆然と、カガミは厳しい顔をして見送っていた。