第七夜 聖堂の結界
七冊目の綴りを開くと、火薬の匂いがしそうな気がする。
十年前の秋、被告人ティルダ・ハシェル、二十一歳。罪状は王立第二聖堂の損壊。判決は沈黙の修道院送り。
ハシェルという姓を、私は二度目に書く。一度目は最初の夜、銀の匙の事件で。今夜は妹のほうだ。姉のヘルカが流刑に処されてから、二十二年が経っていた。
◇◇◇
ティルダ・ハシェルは、姉が流刑になった翌年に、ハシェル男爵家に生まれた。
「忘れられたあとの娘」だった。姉が流刑になり、男爵家が爵位を保ったまま王都の隅で細々と暮らしていた頃、男爵夫人は四十を過ぎてから二人目の娘を産んだ。男爵家は再婚を考えなかった。一人娘として生まれたティルダは、姉の名を一度も家の中で聞かずに育った、と後に法廷で本人が証言した。
ティルダは、姉が薬学者だったことを知らないまま、王立学士院の魔法学部に進んだ。専攻は古代結界術。中世の聖堂や王宮の地下に眠る古い結界を、解読し、再構築する学問だった。学士論文の主題は「聖堂地下の禁忌結界の解読」だった。論文を書くために、彼女は王立第二聖堂への立ち入り許可を申請した。
学士院での彼女の評判を、私は事件の後で調べた。ティルダは同期の中で最も早く上級論文の執筆に入った学生だった。指導教授は彼女のことを「読解の速い子」と呼んでいた。古代結界術は、単なる魔法の運用ではなく、結界を組んだ術者の意図を文字の並びから読み取る学問だった。読解、という言葉が適切だった。ティルダはその読解の速さで、学士院の書庫の奥の禁書にまで手を伸ばしていた。
姉ヘルカが薬草の解読書を書いたのは十六歳だった。ティルダが結界の解読論文の執筆に入ったのも、十六歳だった。二人は血の繋がりを知らないまま、同じ年齢で「解読」という言葉を自分の学問の中心に置いていた。血ではない、と私は今夜も書く。育ちでもない。けれど、偶然だと言い切るには、私の六十二年の経験が反発する。偶然ではない何かが、姉妹のあいだには確かにあった。私はそれを名付けられない。名付けられないものを、今夜、綴りに書き残す。
許可は下りた。
許可を出したのは、当時の聖堂評議会の議長で、ティルダの指導教授の旧友だった。
◇◇◇
事件の夜、王立第二聖堂の地下から、爆発音が聞こえた。
正確に言えば、爆発音ではなかった。古代結界が破れる音だ。地下三層にあった結界が、内側から崩れた。崩れたあと、地下三層の隠された部屋から、十一人の女性が外に連れ出された。
連れ出した者は、ティルダ・ハシェル一人だった。
十一人の女性たちは、いずれも王都の花街から「奉納」された者だった。聖堂評議会は表向き、奉納の慣習を二十年前に廃止していた。廃止していたはずだった。地下三層には、廃止後も毎年数名が運ばれ続けていた。彼女たちは外界との接触を絶たれ、聖堂の祭祀のための「清めの存在」として暮らしていた、ということになっていた。実際は、聖堂の高位聖職者の慰みものとして使われていた。
十一人のうち、最年長は三十代半ばの女だった。最年少は十七歳だった。年齢の開きは二十近くあった。中には、地下で子を産んだ女もいた。子は産んだあとすぐに連れ去られ、どこに引き取られたのかは誰も知らなかった。ティルダが連れ出したとき、最年長の女は「私の娘は、もう誰の娘でもないのですね」と呟いた、と後に慈善施設の世話役が私に伝えてくれた。最年少の女は、外の光を浴びた瞬間に膝を折って地面に座り込み、立てなくなっていた。立てなくなった彼女を、ティルダが背負って階段を上った。ティルダは小柄だったが、階段を上りきった。
ティルダは結界術の解読作業の途中で、地下三層の異常な術式に気づいた。生きた人間を内部に閉じ込めるための封印術だった。彼女は許可された範囲を超えて結界を解き、十一人を外に出した。
結界を解くのに、彼女は自分の学士論文の方法論を全部使った。論文の方法論は、まだ学士院の外では誰にも知られていなかった。彼女自身の発明だった。結界を解いた瞬間、古代結界の術式が地下の空間で崩れる音がした。ティルダはその音を、後に法廷で「書物の頁がいっせいに破れるような音」と形容した。形容を、判事は記録に残すなと命じた。私はその命令に従わなかった。記録の端に、小さく「書物の頁がいっせいに破れるような音」と書き残した。書庫に収められた判決記録の、どのページかに、今でもその一行は残っている。
法廷では、彼女は「聖堂を損壊した」罪で起訴された。地下から連れ出された十一人の存在については、起訴状にも判決文にも一切記載されていない。
◇◇◇
法廷でティルダは、何度か指導教授の名を出そうとした。
そのたびに判事に遮られた。
「被告人は質問にのみ答えよ」
ティルダは奥歯を強く噛み合わせた。法廷の天井が高く、声が反響する。被告席の彼女は小柄で、声が天井に飲まれていく。それでも彼女は最後まで「結界を破ったのは私の意志です」と繰り返した。「私の論文の方法論によれば、地下の結界は人を閉じ込めるためのものでした」と。
判事は、論文の方法論については審議の対象としない、と短く言った。
私は記録席で、ティルダの姉のことを思い出していた。
ヘルカ・ハシェル。銀の匙の事件のときも、彼女は同じように「自分の意志です」と最後に言ったのだ。姉妹は二十二年離れて生まれ、互いに会ったこともなかったはずなのに、法廷で同じ姿勢で被告席に座っていた。両手を膝の上に置き、親指の付け根に力を入れて、視線を判事の口元に固定する。
これは血ではない。育ちでもない。私は今でもそう思う。これは、罪を被ろうとする女性の、ある種の構えなのだ。法廷という場所で、自分を壊さないための姿勢なのだ。
私はそう書こうとして、書けなかった。
書けばそれは法律の言葉ではなくなる。記録官の領分を超えてしまう。私はそう自分に言い聞かせて、ペンを動かした。「領分」。私は何度この言葉を、自分の沈黙の柵として使ってきただろう。
◇◇◇
ティルダは沈黙の修道院に送られた。
地下から救出された十一人の女性たちは、その後、王都の三つの慈善施設に分散して引き取られた。引き取りを手配したのは、聖堂評議会だった。彼女たちのその後の消息を、私は追えていない。追う立場にはなかった。
姉のヘルカが眠る北の鉱山と、妹のティルダが入った沈黙の修道院は、地理的には半日の距離だった。けれど、二人が再会する手段は何もなかった。姉は流刑、妹は終身幽閉。互いに姉妹であることも、知らないままだった。
私は事件の翌年、沈黙の修道院に手紙を出した。
ティルダ宛てに、彼女の姉のことを書いた手紙だった。短い手紙だ。「あなたには姉がおりました」とだけ書いた。返事は来なかった。
手紙を書いた夜、私は机の前で三枚の紙を破った。書きすぎた紙、書きたりない紙、途中で自分の筆を信じられなくなった紙。四枚目に書いた一行が「あなたには姉がおりました」だった。その一行の上に、私は何も書き添えなかった。書き添えれば、それは姉について教える文になる。ティルダが姉のことを知りたいかどうかを、私が決めていいはずがなかった。
四枚目を封筒に入れた。封をした。郵便の使いに預けた。預けた後、私は自分の机の引き出しから、一冊目の綴り、銀の匙の事件の記録を取り出して、机の上に置いた。置いて、眺めていた。蝋燭の芯の長さが指三本分から指二本分に短くなるまで、眺めていた。その時間のあいだ、私はヘルカとティルダの二冊の綴りのことを考えていた。
返事は来なかったが、その三月後、私の家のポストに、薺の押し花が一枚、差出人の名のないまま届いた。雪夜の剣の事件のあとに届いた薺と、同じ修道院から。
押し花は、厚紙に挟まれていた。厚紙の裏に、小さな字で、ただ「姉」とだけ書かれていた。誰の字かわからなかった。ティルダの筆跡を、私は知らなかった。ボーディルの筆跡も知らなかった。修道院の誰かの筆跡かもしれなかった。けれど、その字は、私の家の玄関に立ったまま、動けなくさせる力があった。私は厚紙を手に持ったまま、蝋燭を灯す手間さえ忘れて、玄関の扉を閉めるのも忘れて、立っていた。
◇◇◇
蝋燭の蝋が、皿の縁から二筋目を垂らした。
私は襟元を正し、指先でペン軸を一度握り直した。鎖骨の窪みが張りつめている。書きながら、私はティルダの姉と妹のことを、二人並べて頭の中に描いていた。二人は二十二年離れている。二人の事件は別の出来事だ。けれど私は、二人を一冊の綴りに収めようとしている。
姉は銀の匙の重さを知らないまま流刑地へ向かった。妹は地下の十一人を救い出したあとに沈黙の修道院へ送られた。二人とも、自分の判決を受け入れた。受け入れる姿勢が、法廷の被告席で、そっくりだった。姉を知らない妹が、姉と同じ姿勢で座る。この事実を、私は三十年以上法廷で記録し続けてきて、一度も誰かに語ったことがなかった。語れば、記録官の中立が揺らぐ。揺らぐことを恐れて、私は一度も口にしなかった。今夜、口ではなく紙の上に書く。紙の上の言葉は、揺らいでいい言葉だ、と私は今夜、初めて自分に許す。
それが、記録官として最後にできることだと、今夜の私は思っている。
判決文の余白に、今夜は十一という数字を書く。誰にも記録されなかった十一人の女性たちの、十一だ。




