『終焉竜は人見知り(可愛いですね)』
「嘘であってくれと願っていたが……まさか、その姿をまた見ることになるとは」
中庭に到着したシルヴェリアは、僅かに声を震わせた。
全身を覆う漆黒の鱗。蒼紫色の眼。逆向きに湾曲した黒い二本角。
存在するだけで、世界を黙らせる威圧感。
――間違いない。
1万年前、世界連合と共に終焉ノ島にて封印したはずの終焉竜エンドラシアだ。
なぜ、ここにいるのか。
シルヴェリアの脳裏にあの日の記憶が蘇る。
目を合わせるだけで心臓を握り潰されるような感覚。
咆哮するだけで大地が割れ、翼を一振りするだけで1000の軍勢が塵と化す。
四天王全員が揃ったとしても10秒持つかどうか。
それほどまでに、終焉竜エンドラシアという存在は規格外なのだ。
「……」
シルヴェリアは、エンドラシアの足元に視線を向ける。
黒く焼けた芝生。
膜翼から舞い落ちる死の瘴気が生命を否定していた。
その瘴気は、魔王であるシルヴェリアでさえも触れれば即死である。
――即死、であるはずなのだが。
「あっ、この人が魔王っぽい!!」
「……は?」
終焉竜エンドラシアの背中に、人間の少女がちょこんと座っていた。
「お人形さんみたいに綺麗だなぁ。髪もサラサラだし」
思わず素っ頓狂な声が出た。
到底信じられない光景が、シルヴェリアの目の前に広がっている。
触れれば即死の終焉竜エンドラシアの背中に、人間の少女が乗っているのである。
しかも普通に。
「ワタシは今、何を見ている……?」
「おっとっと、見惚れている場合じゃないよね。初めまして、私はミレイア。君が魔王でいいのかな?」
ミレイアと名乗った少女は、背中から軽やかに飛び降りた。
死の瘴気を纏う背中から、何事も無かったかのように。
情報量が多すぎて、シルヴェリアの思考回路がショートしてしまう。
返事を、返事をしなければならないが――というか、終焉竜エンドラシアの前で口を開いていいのだろうか。
喋った瞬間、殺されたりしないだろうか。
思考停止の末、シルヴェリアの口から洩れたのは。
「ハ、ハジメマシテ……」
「すっごい声震えてる!!」
驚くミレイア。
声が震えることに驚いているミレイアだが、そもそも声が震えるだけで済んでいるシルヴェリアの精神力がおかしい。
常人ならば即気絶。運が悪ければショック死。
「……」
視線を送るシルヴェリアだが、目を逸らされてしまう。
シルヴェリアは理解した。
終焉竜エンドラシアにとって、魔王でさえも道端に生えている雑草以下だと。
弱すぎて興味すら抱かれない。
そもそも覚えているのかすら怪しいところではある。
「……最初に言わせてもらうけど」
人差し指を立てると、シルヴェリアの意識が自分に向いたことを確認してからミレイアは話を始める。
「私たちがここに来た理由は魔界を滅ぼそうとか魔王を殺したいとかそういうことじゃないから安心してほしい」
その発言を聞いて、ばっくんばっくんと破裂しそうになっていたシルヴェリアの心臓が少しだけ落ち着いた。
「では、何の用だ」
「単刀直入に言うけど――」
終焉竜エンドラシアの頭に手を置いて、ミレイアはにっこりと笑った。
「この子の力を封じ込めたり、身体を小さくできるアイテムを持ってないかな」
「……なに?」
理解不能といった表情を浮かべるシルヴェリア。
ミレイアの目的が分からない。
力を封じる? 身体を小さくする?
一体何のために?
身体を小さくできるアイテムは持っていないが、強すぎる力を封じ込めることができるアイテムは持っている。
封魔ノ指輪――魔王の家系が代々管理してきた貴重なアイテムで、人間界の偵察や魔界の視察などに使用している。
歴代最強の魔王であるシルヴェリアは、あまりにも強すぎるせいで封魔ノ指輪を嵌めて力を封じ込めなければ魔力感知にてすぐ正体がバレてしまうのだ。
貴重なアイテムなので、魔王の間にある机の引き出しにお気に入りの財布と一緒に入れている。
「理由を聞いてもいいか?」
シルヴェリアが訊くと、ミレイアは終焉竜エンドラシアの頭を撫でながらとんでもない発言をしてくる。
「ヒカリには、人間界で楽しい人生を送ってほしいんだ」
「……え?」
「この姿だと、みんな怖がっちゃうし身体が大きすぎて家にも入れないし瘴気のせいで私以外が近づくと死んじゃうしですっごく困ってるんだよね」
「……え?」
「ヒカリは優しくて可愛いんだよ?」
ヒカリといったか。
ミレイアという少女、どうやら終焉竜エンドラシアに名付けまでしているらしい。
死の瘴気を撒き散らす漆黒のドラゴンに、ヒカリという名はさすがに合わないだろう。
終焉竜エンドラシアに対して、可愛いという評価。
正気とは思えない。うっかり口に出してしまえば確実に怒りを買うであろう発言を、シルヴェリアは胸内で連呼する。
「終焉竜エンドラシアが? 人間界で?」
「うん、目的はそれだけだから安心して。魔界には何も危害を加えない。あっ、結界を壊したのと襲い掛かってきた魔族兵を殺しちゃったのは許してね」
戦力低下は惜しいが。
魔界が地図上から消えていないだけでも喜ぶべきことだろう。
シルヴェリアは自分に言い聞かせる。
「……ヒカリも、人間界で過ごしたいよね?」
「……うん」
「喋ったァ!!」
「ひっ……」
終焉竜エンドラシアの口から微かに聞こえてきた可愛い声に、思わず絶叫してしまうシルヴェリア。
「……ひっ?」
「ひっ」という怯えた声。
間違いなく、終焉竜エンドラシアの口から聞こえてきたものである。
「エ、エンドラシア、ワタシの言葉が分かるのか」
「あっ、えっ……えっと」
「ごめん、ヒカリは人見知りだからそっとしてあげて」
「……ええっ?」
終焉竜エンドラシアが人見知り。
そこで、シルヴェリアの脳裏に1つの可能性が浮かんだ。
倒せるのではないか。
何があったのかは知らないが、終焉竜エンドラシアは1万年間の封印で弱体化しているのではないだろうか。
今思えば、終焉ノ島で対峙した時の目を合わせるだけで心臓を握り潰されるような感覚も無い。
ぎゅっと拳を握り締めるシルヴェリア。
今はおとなしくしているが、全盛期の力を取り戻してもう一度世界に牙を剥いたら今度こそおしまい。
今が、今こそが、終焉竜エンドラシアを倒すことのできる唯一のチャンスかもしれない。
悲劇を繰り返すわけにはいかない。
「……ワ、ワタシは魔王だぁ!!」
覚悟を決めたシルヴェリアは後方に跳躍すると、右手を天に掲げる。
『紫月断罪ノ煌』
紫色の巨大魔法陣が空に展開され、雷を纏った黒い光線が終焉竜エンドラシアめがけて撃ち出された。それはたった1発で国を半壊させるほどの力。
――しかし。
「あううっ、なに今のぉ……」
無傷。
何事も無かったかのようにしている。
無意識のうちに周囲への影響も考えてしまい、魔法の威力が落ちてしまったのだろう。
シルヴェリアは、そう自分に言い聞かせる。
全力を出さなければ、終焉竜エンドラシアを倒せない。
シルヴェリアの頭部に、黒色の角が生える。
全魔力を解放すると角が生えるというのは、魔族の特徴だ。
「『魔王ノ世界』――ようこそ、ワタシの世界へ」
静かに手を掲げる。
シルヴェリアによって、世界が書き換えられた。
どこまでも続く虚無の空間。
そこに存在するのは、玉座に腰掛けたシルヴェリアとヒカリだけである。
「ひっ、こ、ここは、どこぉ……?」
「この魔法は神すらも殺す――くらえ、『終魔星崩』!!」
不安気な様子で周囲を見渡すヒカリに、玉座に腰掛けたままのシルヴェリアが軽く人差し指を振るう。
黒い星が出現。
それは超圧縮されたシルヴェリアの魔力。
完全消滅の一撃。
「なにこれぇ……」
「くらえっ!!」
黒い星に触れた存在は、塵も残さず世界から例外なく抹消される。
しかし、信じられないことに。
「あうっ……」
「……これをまともにくらっておきながら鱗に傷だけか」
「びっくりしたぁ……」
軽く舌打ちするシルヴェリア。
第2撃。
『紫月断罪ノ煌』
紫色の巨大魔法陣を空に無限展開。
先ほどは現実空間だったので範囲を限定していたが、今回は周囲を気にすることなく全力で撃ち出せる。
無限に撃ち出される雷を纏った黒い光線。
敵の生死が確認不可能な連撃。
轟く爆音と凄まじい衝撃波により、シルヴェリアの透き通るような銀髪が激しく揺れる。
「……有り得ない」
致命傷は与えられなくとも、腕か翼は落とせたと思っていた。
しかし、少量の出血だけという。
「……いたいよぉ」
「くそがあぁぁぁぁぁ!!!!」
シルヴェリアは腰に差していた魔剣を抜く。
魔王だけが扱うことを許された魔剣――ラ=フェンデュカ。
その魔剣は、因果を断ち切る。
「や、やめてぇ……」
「なんなんだ貴様はァ!!」
音を置き去りにするほどの速度で、ヒカリに斬りかかる。
どれだけその鱗が頑丈だろうと、因果を断ち切るこの魔剣の前では意味を成さない。
「ひぃ……」
怯えるばかりで、回避する素振りはない。
鱗を切り裂き、首が落ちる――そう、確信した。
――しかし。
首が落ちることはなく、掠り傷が一筋。
ラ=フェンデュカに「防御」という概念は通じない。
斬られた者は単に肉体が損傷するだけでなく「斬られなかったはずの未来」という因果を失うため、いかなる防御手段も意味を成さない。
故に、世界法則を無視したラ=フェンデュカの斬撃をまともにくらっておきながら掠り傷しか負わないというのは有り得ない。
――まさか。
シルヴェリアは気づく。
終焉を司るということは、因果の終点そのものではないかと。
生きる、死ぬという因果が既に終焉に属しており斬るべき因果の線がそもそも成立していないので、斬った瞬間その因果が終わる。
終焉竜エンドラシアは弱体化など一切していない。
シルヴェリアの死がここで確定した。
「ここ、までか――」
魔剣を鞘に戻すシルヴェリア。
戦意喪失したことにより、ヒカリとシルヴェリアを包み込んでいた世界が消滅してしまう。
「あっ」
「ヒカリ!!」
「ミ、ミレイア……!!」
ミレイアからすれば、突然姿を消してしまったヒカリとシルヴェリアが何の前触れも無く現れたように見える。
「うわ、血が出てるじゃん!! 魔王、可愛いヒカリに何してくれちゃってんの!!」
「……ワタシの負けだ」
静かに目を閉じるシルヴェリア。
それに対して、ミレイアは怒りを露わにした。
「意味分かんない。突然襲い掛かってきてヒカリを傷付けて勝手に敗北宣言? こっちは戦う気ゼロだったのにいきなり攻撃しておかしくない?」
「それは……」
「ヒカリは、魔王に対して1回でも攻撃しようとした?」
ヒカリはただ怯えていただけで、シルヴェリアが一方的に攻撃を仕掛けていただけである。
勝手に勘違い。勝手に敗北。冷静になってみれば理解不能な行動。
魔界を統治する者としてあるまじき愚行。
「ヒカリ、だったな」
「ひっ」
突然名前を呼ばれ、びくっとするヒカリ。
怯えるヒカリを見て、シルヴェリアは軽く溜め息を吐いてから深々と頭を下げた。
「怖がりたいのはワタシの方だというのに……ヒカリ、突然攻撃を仕掛けて悪かった。終焉ノ島にて貴様と戦った時のトラウマが蘇ってしまい、ワタシはおかしくなっていた」
「あっ……え、えっと……」
「ワタシを生かすも殺すもお前の自由だ。手足を切り落として奴隷として売り飛ばしても構わん。だから、どうか魔界の民たちは見逃してもらえないだろうか」
「ぶ、ぶぶぶ物騒なこと言わないで、ください。き、ききき、気にしなくて、だいじょぶ、です。ふ、ふふ封印のせ、せいで記憶が無い、けれど……わ、わわ私が何かしちゃった、んだろうから、おた、お互い様だと思い、ます」
「……そうか」
安心したのか、軽く息を吐くシルヴェリア。
「ミ、ミレイアも、いいよね?」
「いいよねって言われても私は何もされてないからなぁ……ヒカリがいいなら私は何も言わないよ」
「ありがと、ミレイア」
「でも、酷い目に遭わされてごめんねいいよで帰るわけにもいかないよね。せっかくだし魔王城の便利アイテムいくつか貸してもらっちゃおうよ。魔王、私がさっき言ったアイテムとか持ってない?」
ミレイアにとって有利な状況ではあるが、一定のラインだけは超えないようにしなければならない。
ヒカリがどれだけ強くとも、これからのことを考えれば魔界の王であるシルヴェリアを敵に回すのは避けたいからだ。
「身体を小さくできるアイテムは持っていないが、強すぎる力を封じ込めることができるアイテムは持っている。ヒカリに効くかは不明だが、上手くいけばその瘴気を抑え込めるかもしれん」
「やった!!」
強すぎる力を封じ込めることができるアイテム――封魔ノ指輪。
世界にとって、希望となるか災厄となるか。




