彼女を取られ、職場を失った男
錬金術工房に、若い男女の恋人同士がいた。
男は平民で、女は身分の低い貴族の出身だが、美人であった。どちらも才能があったが、女のほうが工房の売り上げに貢献していた。
そこへ、ある力のある男性錬金術師が入ってきた。
あっという間に職場の人間と打ち解けたが、男のほうは少し警戒していた。
理由はなんとなくだが、恋人の女性にも、やたらと親しげに話しているように見えたからだ。女のほうも、まんざらでもなさそうだった。
男は女に言った。
「あんまり親しげに話さないでほしい。なんだか取られそうで心配だ」
女のほうは笑って、
「やあねえ。そんなことないわ。あの人はあんなに素敵なんだもの。わたしなんか目じゃないわ」
と言っていたが、男から見るとそんなふうには見えなかった。
ある時、疫病が流行った。
錬金術工房にも、その病の薬を作ることが求められた。
男は頑張って薬を作り、女の分まで肩代わりして作ったが、ついに倒れてしまった。病ではないが、過労であった。
一週間ほどして復帰すると、どうも雰囲気がおかしかった。
女のほうに声をかけると、なぜか妙に優しい。変だな、と思いながら勤務を終え、帰ろうとしたところで、新しく入ったほうの男に声をかけられた。場所を変えようと言われ、店に入る。
そこで聞かされたのは、
「私はあなたの元恋人と、近々婚約する予定だ」
という言葉だった。
男はびっくりして、「私と彼女は恋人同士だった」と言ったが、
「今はそうではない」
と返された。
慌てて男は女のほうのところへ行き、事情を聞いた。
「そのとおりよ」
と言われた。
話を聞くと、男が寝込んでいる間に新しい男がいろいろとアプローチをかけ、恋人同士になったらしい。
錬金術工房の仲間たちも、この新しい恋人関係には批判的だった。
しかし、新しく入った男は優しく気遣いもでき、しかもこの錬金術工房に資金を援助していたオーナー貴族の子息ということがわかると、手のひらを返したようになった。
男は平民であり、何の後ろ盾もなかったので、そのまま見ているしかなかった。
やがて、新しく入った男、オーナー貴族の子息と女は結婚した。
元の恋人だった男は、幸せそうに過ごす夫婦を横目に見ながら、かといって辞める勇気もなく、そのまま同じ工房にいた。
気づくと、オーナー貴族の子息が、その錬金術工房の長になっていた。
そして男に、辞めるようにと言ってきた。
「いつまでも君がいてたら、彼女が嫌な気持ちになる。悪いが、やめてほしい」
ふんぎりがつかなかった男だが、その言葉で工房を辞めた。
別の町へ行き、幸いそこで錬金術ギルドのギルド員として雇われた。
そこには、幸薄そうな女性ギルド員がいた。
自分もかつて彼女を寝取られ、抵抗もできず、その職場を辞めることもできなかった意気地なしだ。なんとなく彼女のそばにいると落ち着くので、一緒にいることが多くなり、やがて付き合うようになった。
料理は上手で、少しずつ距離を縮めていき、結婚した。
月日が流れた。
子どもも三人に恵まれた。上に二人の男の子、下に一人の女の子。その三人も、結婚適齢期という時期になった。
上の男の子が、「会ってほしい女性がいる」と言って連れてきた。
夫婦は嬉しそうにその女性と会った。その女性の親も錬金術師だそうだ。
しかも工房を持っていたが、借金でつぶれてしまったという。
自分はそんな親を助けたくて、錬金術師になったのだと話した。
妻は「健気でいい子じゃないですか」と言う。
しかし男はふと疑問を持った。
どこか、面影がある。
「もしかして、ご両親のお名前は──あの二人ではありませんか?」
そう尋ねると、女性は驚いた顔でうなずいた。
なんと、その二人の親は、かつて自分から彼女と職場を奪った者たちだったのだ。
男は、「実はな……」と、過去の話を始めた。
「もしかすると、君のご両親が反対するかもしれない」
と告げる。
女性はその日は帰った。
男は息子に、「私のせいで破談になったらごめん」と謝った。
数日後、女性とその親――つまり、かつての恋人と、その彼女を寝取った男がやってきた。
そして、開口一番こう怒鳴った。
「俺たちへの恨みで娘を巻き込むな! 大方、子どもに命じて誘惑させたんだろう!!」
実際には、女性のほうから息子に声をかけてきたと聞いていた。
「お父さん? 違うわよ。私が彼に声をかけたの」
「いいからお前は黙っていなさい。いいか。娘をお前なんかの息子に嫁がせると思うなよ。どうしてもというなら――」
「いえ、結構です。お引き取りください」
息子が冷静に言った。
「は? お前、娘が好きなんじゃなかったのか?!」
「ですが、あなたのような方と親族になりたくありません」
「はっ。お前の親父は、彼女を寝取られても工房をやめなかった意気地なし。息子のお前も、とんだ甲斐性なしというわけだ。好きな女のために――」
「たったいま、好きではなくなりました。お引き取りを」
「な、なにを……」
見ると、女性のほうは俯いて涙を流している。
そのそばで、かつての恋人である母親が慰めていた。
「お父さんたちのせいで私は、」
泣きながら親に恨み言をいう女性を尻目に息子が続ける。
「あなたの工房を調査したら、借金漬けでつぶれたと言いますが……工房がつぶれたのは、評判が悪くなったからです。借金は、あなたの女遊びが原因でしょう」
母親はサッと表情を暗くした。
「工房は、私の父を追い出してから評判が悪くなったと思います。調べてみてください」
「な、なにをデタラメを……」
「父は、目立たず派手ではありませんが、仕事は丁寧で、義理を大事にしていたので、貴族たちからの評判が良かったのですよ」
「とくに仕込みの面倒な中級マジックポーション。労力と価格のつり合いが取れないそのマジックポーションの仕込みを、父は得意としていました」
「当時のあなたの工房も、中級マジックポーションがもっともよく売れていたはずです」
ポーションやマジックポーションといった魔法薬は、薬師よりも錬金術師の領分である。
とくにマジックポーションは魔力を回復させる薬だが、魔力草からマジックポーションの素になる状態にするまでが、とても面倒くさい。
男は、その錬成を得意としていた。
「父を追い出してから、その中級マジックポーションを作るスピードが落ちて、少しずつ経営が傾いていったのですよ」
息子の言葉を聞きながら、男はふと自分の手を見下ろした。
かつて何も守れなかったこの手が、今は家族を支えているのだと思うと、胸の奥が少しだけ熱くなった。
親子が去りゆく間際、母親から一言、
「あの時、裏切ってごめんなさい」




