(3)
「どうでした? お見合いは」
副隊長のアベルが恐る恐る尋ねる。
アリベール侯爵令嬢フェリシアとの見合いの翌日。
ロドリクは普段と変わらず警備隊長としての任務に就いている。
「どうもこうも……」
ロドリクは、一日の終わりの報告書を書く手を止めて顎を擦る。
「どう説明したらいいのか……非常に困る令嬢だった……」
「やはり噂通りの『外見は温和に見えるが中身は悪』だった?」
「いや、そう思うほど話はしてない。……ただ」
「ただ?」
副隊長が身を乗り出してくる。
よほど自分の見合いに興味があったらしい。
――いや、興味があったのは見合い相手の方か。
ロドリクは慎重に言葉を選び口を開く。
「なんというか、令嬢ばかり喋って対話らしい対話をしていない」
「あー……隊長はどちらかと言えば寡黙な方ですもんね。それにアリベール侯爵のフェリシア様は、すごくよく喋るという話を聞いています」
「そうなのか。……よく話されることは問題ないのだが……なんというか、俺と違う世界に生きているような感じがした」
「そりゃあ、向こうは高位貴族で侯爵位のご令嬢ですからね。暮らしぶりも我らと違う生活をしていますから、違う世界に生きていることには間違いないでしょうね」
「そうじゃなくてな――まあ、いい」
彼女のことをどう説明していいのか悩む。
なにせ侯爵家のご令嬢で、我々とは住む世界が違う高位貴族だ。
下手な説明して令嬢の品位をけなしては「矜持を傷つけられた」と訴えられるかもしれない。
「しかし、なぜ貧乏貴族の俺のところに見合いの話がきたかだ。レディ・フェリシアいわく、暴漢に襲われているところを助けてもらったというんだ。そんなことあったか?」
「うーん、つい最近の話じゃないんじゃないですか? ほら、よく『十年前に助けてもらって、それ以来忘れられずにいました』って、話はよくあるでしょう?」
「あるのか?」
「恋愛小説の中では常識中の常識ですって」
「はあ……もしかしたら『前世も夫婦だったとか恋人とかだった』というのも、恋愛小説によくある話なのか?」
「そうですよ、なんだ隊長も知ってるんじゃないですか」
副隊長が朗らかに笑う中、ロドリクは神妙な顔をして報告書を見つめる。
そうなのか、恋愛小説に――ロドリクは見合い中に話されたフェリシアの妄想『前世からの縁』とやらも、そこから引用したのかもしれないと理解した。
「まあ、部下としていいますが、逃げられるなら逃げたほうがいいと思いますよ。アリベール侯爵家のご令嬢で売れ残っている三女のフェリシア様は性格に問題ありということで、高位貴族の年頃の殿方からも見合いをする前から、全て断られているっていう話ですし」
「……だから、名ばかりの貴族である俺の家に見合いの話がきたのか」
納得とばかりにロドリクは頷く。
ジィと副隊長に見つめられてロドリクは「なんだ?」と首を傾げる。
「ほんっとうに気づいてないんですよねぇ、隊長は。自分に無関心というか」
「なんだよ。そう見えるのか? 俺は。隊長らしくきちんと身だしなみを整えているし、一応貴族子息だから女性への応対だって気を付けている」
「いやいや、そうじゃなくて……いや、いいです。それよりも早く報告書仕上げて夜勤組と交代しましょう」
自分から話を振っておいて、とブツブツ言いながら報告書に筆を入れていくロドリクを見て副隊長は溜め息を吐く。
(ロドリク隊長って、自身がどれだけ女性を魅了させる容姿なのか、気づいてないんだよね)
高身長に広い肩幅。伸びた背筋。グレーの短く刈り上げた髪に、深い青の瞳。
そしてスッとした鼻梁に、少し大きめだが形の整った唇。
要するに人目を惹く容姿なのだ。
特に女性には好ましい顔らしく、ロドリク狙いの町娘は大勢いる。
残念なのはあまたの女性の秋波に、彼はまったく気づかないのだ。
そういう者はどこまでもマイペースで、女性に関わらず周囲の者の気持ちに配慮できない者が多いが、彼はその部分はやけに気遣える。
だからこそ、女性たちは期待してしまうのだ。
――おそらくフェリシア嬢も、どこかで隊長と接触して勘違いしたのだろうな。
まあ、もしかしたら割れ鍋に欠け蓋になるかもしれない。
副隊長は、ふっと嫌な予感に十字を切る。
――生真面目でお人好しの彼は、この令嬢から逃げることはできないかもしれない、と。
貴族同士の見合い――というものは、結婚に直結する。
破談になることは稀だ。
そして下位の貴族からは見合いを断れない。
子爵位の父を持つが爵位を持っていないロドリクは、アリベール侯爵の三女フェリシアの見合いを断れないのだ。
この時点ですでに『詰んで』しまっている。
そしてロドリクの家は爵位を持っていても貧乏。
王都に構えている家族との住まいは郊外の、猫の額ほどの庭と平屋の家屋だった。
清貧に甘んじている生活であったが、ロドリクはそれを苦に思わないでいた。
寝床もあるし、栄養不良にならない程度の食べ物にもありつける。
学も学ばせてくれて、父自ら剣術を教えてくれた。
両親とも体が丈夫で滅多に病気にならない。
それを受け継いだロドリクも健康で風邪を引いても一晩寝れば治ってしまう健康優良児だった。
体系にも恵まれ、肩幅の広い兵士に適した体つきに成長し、希望の王都警備隊に入団。
めきめきと頭角を現し、二十八で数団あるうちの一つの団長に抜擢された。
ここまで大したトラブルもなく生きてきた。
残念なのはいまだに結婚が決まってなく、お付き合いしている女性もいないことだった。
まあ、いずれは焦った両親が自分と似た身分の女性を探してきてくれるだろうと、ロドリクは呑気に構えていた。
まさか、ここで特大級のトラブルに巻き込まれるとは夢にも思わなかった。
狭いながらも楽しい我が家にアリベール侯爵家から使者が尋ねにきたとき、それは始まった――
『急ぎ帰られたし』
と王都中央にある警備隊宿舎に連絡がきたロドリクは、両親の訃報かと顔を真っ青にして実家に向かって愛馬を走らせた。
息を切らしながら自宅に入ると両親はピンピンしていて、その姿にホッとする。
しかし、よくよく見ると二人とも顔色が悪く元気がない。いつもなら「おかえり」と抱きしめてくれる母も戸惑っている様子だ。
開口一番に両親は口を揃えてロドリクに告げた。
「お見合い! アリベール侯爵家から!」
――アリベール侯爵家から見合いが!?
「本当ですか? 間違ってきたのでは? 私が確認しましょう」
ロドリクは手紙をしたため、アリベール侯爵家に送った。
しかし返ってきた返事は「事実」ということだった。
ロドリクの住む国は、そう大きくない。国土としては中よりやや小さめだ。
なので下位の貴族でも、アリベール侯爵家のフェリシア嬢の話は伝わっていた。
「気性が荒く、機嫌を損ねると平気で他人の物を壊す」
「倹約家だが倹約し過ぎで、壊れて使い物にならなくなっているのも取っておく。役に立たないガラクタを置くフェリシア専用の『ゴミ部屋』が侯爵家には存在する」
「食い意地が張っている。人の食べている物を欲しがる『一口だけ頂戴』が決まり文句」
「相手によって裏の顔と表の顔が違いすぎる」
「自分より何かに恵まれていると思ったら、その相手を悪し様に言い広める」
「自分は常に正しいと思い、謝らない」
等々。
思い出したらきりがないが、性根が悪いということがここまで広まるのも大層珍しい。
何せ生まれたときに占い師に占ってもらった内容まで広まっているのだから。
『この子は外面は温和、内面は悪として育つ』
占い師に告げられた両親は悲しみにくれる。
というもの、誕生時には将来は美人に育つという確証はなかったからだ。
よく言えばつぶらな瞳は小さく、また他の部位も小粒だった。
成長してもおそらくは秀でた容姿にはならない。
それなのに、性格まで悪く成長したら不憫だ。
『そうならないよう育てよう。なに、こんなにきょうだいがいるのだ。揉まれて心優しい子に育つだろう』
両親は大層仲がよく、フェリシアのあとも子供を作った。
合計で七人。
この国では多産が多いが、貴族でここまでは珍しい。
そうして厳しいながらも心優しい両親と、たくさんの兄妹に囲まれて育ったフェリシアは――
「本当にフェリシア嬢と見合いを?」
「もう一度確認した方がいいわ!」
格下貴族であるロドリクの両親が「我が家はおしまいだ」と、真っ青になってオロオロするほどの令嬢に成長したのだった。
「父上、母上。こちらからは断ることはできません。見合いに挑みます。俺と俺の階級に生活をみれば向こうから断ってくれるでしょう」
当のロドリクは両親を落ち着かせ、粛々と告げた。
そうして挑んだお見合いでは、思考が彼方へ飛んで行った気がした。
(気性が荒いというより、どちらかと言えば異界の人間という者がいたら、こんな感じかな? という印象だったな。異界の人間に会ったことがないから、よくわからんけど)
報告書を書きあげたロドリクは、副団長に渡し背もたれに体を預ける。
話を折って自分のお喋りをして、その内容も違和感があった。
何か常人と考え方が違うような。
けれど、高位貴族というものはそういう、常人とは違う考え方を持っているのかもしれない。
そう結論づけると、高位貴族の令嬢は単に『夢見がちで妄想の好きな、少々身勝手』なのだ。
(高位貴族の令嬢と接したのは今回が初めてなので、それが真実なのかよく知らないけれど)
それにお喋りが好きだというなら、自分はそんなに話す必要がない。
聞いて、うんうんと頷いていればいいのだ。
あまり会話の得意ではない自分にとって、渡りに船ではないか?
それに、身長も低くすべてが小粒で顔が平坦な女性だったが、醜悪ではなかった。
服装も質素だが清潔感があって、苦手な香水の香りはなかった。
それに表情がたいそう豊かだ。
上位貴族であそこまで怒ったり、笑ったり、はしゃいだりすることを周囲に見せていいのかわからないが、自分的にはそこは好ましかった。
(うん、フェリシア嬢も諦めていないようだったし。向こうから打診があったらお受けするか)
ロドリクは会って話した時の違和感を、あまり深く考えていなかった。
『高位貴族はそんなもの』
と、勝手に結論づけて蓋をしてしまったのだ。




