(2)
ヒロイン、どこかおかしいです。
腹立つかもしれません。
赤味のあるラセットブラウン色の髪をきっちりと結い上げ、装飾の少ないカクテルハットが頭を飾る。
ドレスは首の詰まったサイドウェイカラーの深緑のドレス。これも装飾を極限まで落としている。
見合い前の挨拶時に彼女の身長は標準より低いほうで、高身長の自分とはバランスが悪いと思った。
しかし、服装の趣味は質素で控えめだ。清潔感もあり、悪くない。
いずれ自分が、名ばかりの子爵の地位を受け継いでも、浪費しないで質素な生活も耐えてくれそうだ。
――見合い始め、ロドリクはそう思った。
少し俯いた顔で、恥ずかしそうに上目遣いで見つめてくる。
彼女の小柄な体系から彼の大好きな小動物を連想させ「悪くないかも」と思ってしまった。
――しかし。
そう思ったことをすぐに取り消しした。
やはり、噂通りの女性らしいと考えを改めた。
最初は取りとめもない話。そう、見合いでよく話題にあがる「ご趣味は?」「好きな食べ物は?」「休みの日には何をしている?」とか、から始まった。
――はずだった。
ここは紳士らしく自分が話を振るべきだろう、と口を開きかけたときだ。
「ロドリク様、ご趣味は? わたくしの趣味は花を育てることですの。それと、子供たちに出す問題集を作ることかしら」
初っ端から出鼻を挫かれた。
「お……、わ、私は街を散策することとか、あと――」
「素敵ですわ! わたくしも街を散策するの大好きですの! 国民の生活をつぶさに見て、困っている者がいたら手を差し伸べるのは貴族の役目ですもの!」
「そ、そうですね」
セリフにかぶせるように話し始める彼女に、ロドリクは目を白黒させた。
最後まで人の話を聞くようにと教育された彼には、信じられないことだったからだ。
フェリシア・ルルーシャ・アリベールはそんな彼の様子に気づかず、意気揚々と言葉を紡いでいく。
「つい最近、こんなことがありましたの。わたくしの教え子である市井の子供なんですが、自分より小さな女の子をからかって、仕舞いには突き飛ばしましてね」
「それはいけませんね」
「それで女の子は大泣きしてしまいましたのよ。まあ、その突き飛ばした男の子はその子が好きで、なんとか自分に振り向いてほしかったのでしょうね。――だから、女の子に『許して差し上げなさい』と話したんですの」
(――えっ?)
「あ、あの理由はわかりましたけれど、突き飛ばしたことは謝罪させるべきで、許す許さないはその女の子に任せるべきかと」
「えっ? そんなことしませんわ。だって可愛い理由じゃありませんか」
「でも、突き飛ばされた女の子は怪我をされたのでは?」
「ええ、手のひらを擦りむいた程度です。それはわたくしが手当てしましたの。だってわたくしは子供たちの教師ですもの」
うふふふ、と頬を染めて笑うフェリシアは、自分が教師であることを誇りに持っているようだ。
(けれど、考え方がズレてないか)
ロドリクはモヤモヤしながら口を開いた。
「アリベール侯爵令嬢殿は、教師として真摯におつと――」
「嫌ですわ、ロドリク様。わたくしのことはもう『フェリシア』とお呼びになっていいんですよ。知らない仲ではないのですから」
(――ん?)
「いえ、今日お会いしたばかりですよね?」
その言葉にフェリシアは小粒な――もとい、つぶらな瞳をカッと開く。
次に出たのは怒りの言葉であった。
「わ、わたくしとの最初の出会いを覚えていないなんて……! なんて失礼な! わたくしはあなたとの運命の出会いをはっきりと覚えているのですよ! それなのに、覚えていないなんておかしいですわ!」
顔を真っ赤にして怒鳴るフェリシアにロドリクは慄く。
一度、会ったことがあるらしい。
烈火のごとく怒るのもどうかと思ったが、覚えていないのは確かに失礼だったかもと、ロドリクは頭を下げた。
「それは誠に失礼なことをしました。それで、いつお会いしましたか? 粗忽者の私にわかるよう、お教え願いたい」
「ええ、初めてお会いしたのは二か月ほど前でしょうか? わたくしが街の暴漢に襲われかけていたときですの」
「……暴漢」
「まあ、それはいいですわ。それよりもわたくしとロドリク様との初めての出会いですわね?」
(いいのか?)
「わたくしがまだ、アリベール侯爵令嬢として誕生する前。そしてロドリク様も今の生を受け取る前での話ですの」
「――はい?」
「まあ、黙ってお聞きになって」
フェリシアは片手をひらひらさせながら、お茶を飲み喉を潤すと饒舌に語りだしたのだ。
フェリシアが言うには――
自分とロドリク様は前世では夫婦で、仲睦まじく暮らしていた。
しかし不幸は起きた。ロドリク様は不治の病に冒されたのだ。
自分は産んだ愛の結晶である子供たちとともにロドリク様を看病したが、亡くなってしまった。
亡くなる前に消えいりそうな声で自分に言った。
『来世でも一緒になろう』と。
「実はわたくしも前世のことなど覚えておりませんでしたの。――けれど、あなたに会った瞬間に思い出したのですわ!」
頬を染め、うっとりとした目で語るフェリシアはチラチラとこちらを見つめる。
(これは、前世を思い出したかどうかを探っている目だ)
当然、彼女の話で思い出すなんて都合のいい展開などあるはずない。
しかし、ロドリクは困った。
――どう答えたらいいのだろう、と。
彼女は「思い出しました! 愛しい人!」というセリフとハグを期待しているのがわかる。
黒目がちの小さな、もとい、つぶらな瞳がこれでもか、と見開き、輝いているからだ。
――令嬢に恥をかかせるわけにはいかない。
と普通なら紳士にふるまい、相手の話に合わせるとか望む態度を取るとかするのが貴族の男として当然の務めだが、そのような気遣いをするのはロドリクは難しかった。
特に今回の見合いでフェリシアを見て「噂通りやばい」と納得したものだから、王都警備隊の団長としていつも通りの態度で接する。
「申し訳ないが、今の話を聞いたところで私は、前世を思い出しておりません」
「……っ!? な、ななな、どうしてですの!? わたくしは貴方と出会ってすぐに思い出しましたのよ!? わたくしが思い出して、どうして貴方は思い出せないのです?」
小さな体全体を絶望でブルブルと震わせている。
衝撃が目に見えていて、哀れだと思うが致し方ない。
「紳士としてきっと本来は、あなたの話に合わせるべきなのでしょう。しかし、これは嘘を吐いてはいけない話だと思いました」
――そう、彼女を諭さねばならない。
それは王都に住む民の健康と安全を守る、王都警備隊の団長の役目だ。
「貴女を見て何も思い出さないということは、貴女の『運命の人』と違うのではないでしょうか? もし、あなたの言う私が『前世で夫婦だった』としたら今頃、思い出しているとお思いになりませんか?」
「……確かにそうですわ」
ロドリクの話に落ち着いたのか、フェリシアの目からは異様な輝きが消えている。
「まずは前世の話は家族に聞かせて、それから判断を仰いだ方がよろしいかと存じます」
医師から診断を受けるとか。または療養するとか――は、さすがに失礼だし、「無礼だ」と牢に入れられてしまいそうなので口にはださない。
フェリシアはジッと冷めた紅茶を見つめている。
どうやら堪えているようだ。
目が潤んで、表情が削げ落ちている。
こうして大人しくしていると、深窓の令嬢と囁かれてもおかしくない風情である。
いや。身分からして彼女は、かしずかれて当然の高位貴族の娘だ。
彼女は王家の血が入っている由緒正しきアリベール侯爵家令嬢であり、貧乏子爵の自分とは本来はなんの接点も生まれないはずだから。
それがどういうわけか侯爵家の花咲く園庭で、自分とこうして見合いをしているのだ。
だから先ほど「無礼だと牢に入れられてしまいそう」は、現実にありえない話ではないだろう。
しばらく静寂が続いた。
キュッと口をつぐんだまま、まだ紅茶を見つめているフェリシアを見て「きつく言い過ぎたかな」とロドリクはちょっぴり後悔する。
だが、見合いを打診する際に自分の身上は調査したであろうし、評判だって耳に入っているであろう。
――もともと、身の丈の合わない見合いなのに受けたのだ。これでいい。
そう思った瞬間だった。
「わたくし、急ぎすぎましたわよね」
とフェリシアがポツリと呟くと、またノンストップで喋りだした。
「ロドリク様と初めて出会ったとき、これは『運命の出会いだ』と思いましたの。だって殿方を見てあれだけ胸が騒いだことは、生まれて初めてだったんですもの。だからこれは『前世からの縁に違いない』と『なら、わたくしとロドリク様はきっと、前世では恋人か夫婦であったのに違いない』と考えましたの。なら運命に従ってわたくしたちは結ばれるべきだと、両親に見合いを整えてくださるようお願いいたしましたの。でも、ロドリク様はわたくしが運命の相手で前世からご縁のある女性だとおわかりになっていないようですね」
「は……はあ」
紅茶から顔を上げ、また最初のように自信満々に笑う。
自信満々に答えているが、先ほどの話と少々ずれていることを彼女はわかっているのだろうか?
前世の記憶を語っていたが、今は『ただ、運命の出会いを感じたからきっと前世との縁に違いない』となっている。
「……ということは、先ほどお話しされた。前世では夫婦で、仲睦まじく暮らしていた。だが前世の自分は不治の病に冒された。レディ・フェリシアの前世は愛の結晶である子供たちとともに自分を看病したが、亡くなってしまった。そして私は前世の貴女に言った。『来世でも一緒になろう』と仰ったのはいったい……?」
「いやですわ、ロドリク様ったら。そんなどうでもいいことを覚えていらっしゃるなんて」
(はっ?)
彼女は自分がいったことを覚えていない?
いや、覚えていないふりをしている?
――頭が混乱する。
「――でも、きっと結婚までにお分かりになると思いますわ。わたくしと貴方様は夫婦になる運命だと」
ロドリクは背筋を正したまま固まった。
――評判通りの令嬢だ。
いかれてる。やばい。
――この令嬢からは逃げられない。




