脆き心の殉死
自分の人生に意味など要らない。
さんざん否定されてきた人生だった。怯えの中で生まれて、いつも恐怖と向き合ってきた。人々の視線、笑顔が突き刺さる。
俺に何を期待しているのだろう。
学校では友達を作れと言われた。その友達はすぐに競争相手に変わった。毎日毎日宿題というものが出された。目まぐるしさに耐えられずに、放置し続けたらいつのまにか、担任も見放していた。
俺はバカだから。そんな言葉を、笑って言えるようになった。
人生を吹っ切ってしまうにはそこそこ真面目で。
いやそもそも、単にネクラで華がなかっただけか。
誰かと付き合うとかいう高校生活でもなく。義務教育を終えて罵声は人格否定へと変わり、たぶんそうなんだろうなと俺は教師の言葉をすんなり受け入れた。
どんなに恐怖しようと、人生を諦めていても、安全な社会とそこそこ頑強な体は無理矢理に精神を明日へとつれていく。ぎこちなく歩き回る俺の体を輪切りにして、パカッと頭を開いてみれば、たぶん中にはなにもない。
精神は死んでいた。ずいぶんも前に、怯えて死んでいた。
けれど学校生活から追い出されたら、本当に俺には行き先がないことがわかった。
人生六十年、といわれる。
そんな長い間、生き長らえなければならないのか?
誰かの犠牲の上にたつ人生、と深夜アニメに挟まれるコマーシャルががなりたてる。100円からの寄付。100円で救える命。
俺が貧しさの中で死んだら、それは100円で救えた命、と言われるのだろうか。
こいつらは、俺のような、比較的恵まれている社会にも適応できない人間のことを、考えてもくれないんだろう。
終わらない就活。君なにもやってないんだね、君は本当に空っぽなんだね、君はひとつでも自分でなにかをやろうとしたことがあるのかい。
面接官一人一人は別人だ。だが一人一人が社会を代弁していて、俺はそれに対して反論できない。
俺は、社会から見放されている。慣れないスーツが重く体にのし掛かる。
俺の人生に、意味がなくたっていい。
だが、俺の死には、せめて意味を持たせたい。
人殺しを考えたことがないかと言えば、嘘になる。ふんぞり返ってにやにやしている政治家や教師、面接官......曖昧な社会の一面を体現したやつら。そいつらを殺すことで、社会を否定してやりたい。その願望は今も残っている。
希望のない人間が、それでも生きていこうとするならば、憎悪の手を借りなければならない。
復讐のために生きていかねばならない。
だがそうはしなかった。選べなかった。
理由はわからない。
俺の死には意味を持たせたい。社会に弄ばれ、時代に翻弄された人間として、どうすればそれを実現できるか。
俺は履歴書に視線を落とし、ああ、と呟いた。
変わったばかりの元号。苦労して書いた履歴書の、たった一ヶ所のミスを嘲笑されて追い返された。
元号は変わった。そしてやがて、本当の交代が行われる。
俺が生まれた時代は、もう過ぎてしまった。少なくとも、一区切りしてしまったのだ。
「そうだ、殉死しよう」
時代に絶望はした。その証として。
こちらを知ることもない、象徴としての方々に、持てる最大限の敬意を示すために。
俺の死を、誰かが肯定的に受け取ってくれるように。
今までどんな国語の問題も解けずにいた俺が、解答者から出題者へと。
「さて、俺の死には、一体どんな意味が込められているでしょうか?」
今、俺は、来るべき日に向けて備えている。