第1章「塔からの脱走」【5】
しかしテネリミは違う。
「フェリノアの呪術師よ。なぜバドニアの私を選んだ? 私を特別だと言ったが、本当にそうか? 私のように陰に埋もれて消えていく者など、どこの国にでもいるはずだ。言え、狙いは何だ?」
ガーディエフの言葉にもテネリミは顔色を変えることは無い。
「そうですねえ。確かに、決定的な理由は別にありました」
「別の理由とは?」
「もう1人、必要不可欠な者がバドニアにいます。どうしても外せない欠片。そして、そこにガーディエフ様がいらっしゃいました。ガーディエフ様も必要だと感じたのです、これからの計画に」
「なるほど、私はついでという訳か」
「お気に召しませんか?」
ビルトモスはガーディエフの動向を伺っている。ついでという扱いが気に食わないと言うなら、テネリミに今回の件については断りを申し出る。もちろんガーディエフはこのまま逃がす。他国へ亡命という形でも良い。
テネリミを斬れと命じられれば、実行するのみ。術をかけられる前に剣を抜けばいいのだ。
「いや、面白い」
言葉通り、ガーディエフの口元には笑みが浮かんでいた。
「主役かついでかなど、どうでも良い。こうして生き延びている事こそが重要よ。なあ、ビルトモス?」
「実に、仰せの通りに御座います」
内心ホッとしていた。ビルトモス自身はテネリミを信頼できる人物だと思っていたから。その気なら、最初から自分にもガーディエフにも術をかけて操れば良いだけのこと。それをわざわざ説得したのは、ガーディエフに敬意を払ってくれたものだと考えていた。
「これからどうする、テネリミよ? その必要不可欠な者の元へ行くのか?」
「ええ、計画は動き出しております。一緒に迎えに参りましょう、あの娘を」
マセノア国首都ムーバット。
本城ヨール・マール。その城門。
通商大臣ヤーべは今まさに旅立とうとしていた。10数名の見送りの中にいる経済大臣と握手を交わしている。
「頼んだぞ、ヤーべ。我が国の明暗はお前の手腕にかかっておるのだ」
「お任せ下さい。国王に最上の報告が出来るよう、全力を尽くして参ります」
10数名の者たちに手を振って見送られ、ヤーべの乗る馬車と3騎の護衛は西へ向けて出発した。
馬車の中のヤーべはしかし、不安で一杯であった。両肩にのしかかる重圧で、真っ直ぐに座ってなどいられない。
「いやもう、冗談じゃないよ。俺1人に全責任押し付けるなっての!」
彼が大臣に任命されたのは、僅か5日前の事である。この突然の人事はヤーべにとって青天の霹靂と言う他ない。
通商院に勤めて12年が経つが、別段目立った仕事をしてきた訳ではない。本人も、可もなく不可もなく務めを果たせば良いと考えていた。そんな彼が大臣などと、本来なら誰もが首を傾げる所である。
任命後すぐ、彼は出張を命ぜられた。目的地はトミア国。そこで彼は他国の大臣と会い、国同士の交易の契約を締結しなくてはならない。
この世界で最も小さな国マセノアが豊かに発展していく為には、他国との交易を増やしていくしかない。それが叶わなければ、経済はジリ貧となるのは目に見えている。
だからこそ、各国の大臣が集まる今回の好機を逃す訳にはいかないのだ。
それが新人大臣のヤーべに託された。
ちなみに前任者は副大臣に格下げになったのだが、大臣のヤーべが留守の間は副大臣が通商院を仕切る事になる。つまり何も変わっていない状態である。
前任者が逃げた、とはヤーべでなくとも考える。ヤーべに同情する者は少なくなかったが、こればかりはどうしようもない。
「国王も期待している」
この言葉が彼をがんじがらめにした。
家族の顔が目に浮かぶ。妻と娘2人と息子が1人。
もしも上手くいかなかったら、どんな顔をして帰ればいいのか。国王の期待を裏切ったと、逆賊扱いでもされてしまうのではないか。
職を失い、家族共々路頭に迷う。最悪な未来ばかりが脳裏をよぎる。
今から転職について考えた方がいいかもしれない。
幌馬車の中にヤーべのため息が充満していく。