第1章「塔からの脱走」【2】
この部屋には何もない。
小さなベッドと用足しの為の剥き出しの便器。
ガーディエフは長身なので、ベッドは長さが足りない。
真っ直ぐに身体を伸ばすと足が飛び出てしまう。
シーツもしばらく交換してないので、少々黄ばんでいた。
ふとガーディエフの頭に閃きが生まれる。
このまま黙って殺されてなるものかと、せめてもの抵抗を思いついたのである。
そうと決まれば、まずは腹ごしらえ。残っていたパンを全て平らげた。すっかり固くなってしまったパンも残らず飲み込んだのだ。
それから、黄ばんだシーツを手に取り、細長く畳んでいった。黄ばんだ縄のようなものが出来上がった。
その両端と真ん中を結び、畳んだシーツが元の姿に戻らないようにする。これで完成のようだ。
これでどうするのか?
この部屋は塔の最上階にある。だからこの縄で下まで降りようとか、それは不可能。
別の使い道がある。
ガーディエフは縄の片方の端と真ん中辺りを握り、垂れ下がった片方をブンブンと回し始めた。勢いがついたら回している方を勢いよく前方へ飛ばす。
これを何度も繰り返した。他にやる事なんて無い。ひたすら没頭した。長い時間をかけて繰り返すうちに、投げている方の先端の結び目が思った方向へ行くようになった。
布とはいえ、硬く結んだ部分が当たれば、多少は痛いはずである。
そう、鞭の代わりにしようというのだ。処刑執行人に意地の一撃を見舞ってやろうという事だ。
もちろん、勝てるとは思わない。相手が驚いたり焦ったりしてくれればそれで良い。彼が思い付いた、せめてもの抵抗である。
その日は唐突に訪れた。ガーディエフの耳に、階段を上る足音が聞こえてきた。
だが、いつもと違う。
足音が速い。むしろ駆け上がっていると言っていい。
ガーディエフの心臓も早鐘を打ち始めた。いよいよ来たかと、シーツで作った縄、いや鞭を握りしめる。
足音は、あっという間に部屋の扉の前までやって来た。
ガーディエフは鞭をブンブンと回している。その瞬間を見逃さぬよう、集中させる。人生最期の大1番と昂っていた。
鍵が解かれる。扉が開く。人影が現れる。
鞭が飛んだ!
だが相手は兜を被っていた。鞭の結び目は音も無く弾かれ、鎧を纏った者の足元に落ちた。
ガーディエフが再度挑戦しようと鞭を引っ張ろうとするも、鎧の者に鞭の先端を踏まれて一巻の終わり。
橙色の鎧はバドニア正規軍のものである。やはり殺しに来たのではないか、とガーディエフは鞭を手放した。
すると正規兵らしき者は兜を脱いで顔を見せた。
しばらくはキョトンとしていたが、その正体に気付くとガーディエフは口をあんぐりと開けたのだ。
「ご無沙汰しております、ガーディエフ様」
「ビルトモス?」
「お迎えに上がりました」
「お前が処刑執行人なのか?」
「ご冗談を。さあ、すぐにお支度を」
気が付くと、ビルトモスの後ろにもう1人橙色の鎧兵がいた。背が高い。自分と同じくらいだとガーディエフは思った。
ビルトモスともう1人の兵は部屋の中央まで入ってきた。ガーディエフが不思議に思ったのは、鎧兵が人形のように見えたからである。歩き方もぎこちなかったし、今もただ突っ立っているだけなのだ。
するとビルトモスは鎧兵の鎧を頭から脱がせ始めた。
鎧を全て脱がされた男を見て、ガーディエフは身長だけではなく身体の細さや手足の長さまで同じだと感じた。目立つ違いは自分よりやや若いという位か。後、喉に包帯が巻かれている。
ただ、男の顔に生気が感じられない。無表情で、眉毛ひとつピクリとも動かさない。
「その鎧をお召しになって下さい」
ビルトモスはもう1人の男に興味を惹かれていたガーディエフを現実に引き戻した
鎧はガーディエフの身体にピッタリであった。生まれて初めて身に纏う鎧に、これも気を取られてしまう。
その手をビルトモスに掴まれ、引かれる。
「時間がありません。ガーディエフ様、ここから脱出します」
ガーディエフとビルトモスの2人は部屋を出た。ガーディエフにとっては、この部屋を出る事すら思うところがあった。
何しろ、この塔に幽閉されて以来、ずっと部屋に閉じ込められていたのだ。