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短編

真夜中のベートーベン

作者: 高原 律月


 夜の薄暗い校舎のどこからか美しい旋律が聴こえてくる。


 激しく感情を揺り動かすその音色を辿るように僕は歩いた。近づくにつれ、やがて旋律は激しい感情の叫びから儚げな悲しい音へと移り変わっていく。

 音の出処は音楽室のピアノだった。おそるおそると覗き込むと、雪のように白い肌をした線の細い女の子がむき出した感情を鍵盤に叩きつけている。今にも砕けそうな白磁の指先が弾む度にユラユラときらめく髪が月明かりに当たり、僕の琴線に触れた。


「なにか御用でも?」


 少女は僕に問いかけた。

 物怖じせずにまっすぐこちらを見据えた瞳は宝石のように力強く無垢だ。


「あ、いや……深夜の警備をしていたら音が聴こえたもので」

「そう、ですか」


 彼女は鍵盤蓋をそっと閉じるとスカートを軽く(はた)いて足早に僕の横を通り過ぎていった。

 ふわりと金木犀の香りが鼻を撫ぜると狐に化かされたような心地になり、僕は自失していた。




 翌晩、また音色が響く。

 僕は一直線に音楽室まで向かっていた。


「……こんばんは」


 彼女は僕を認めるなり、蓋を閉じて会釈する。


「今晩もいたんですね」


 真夜中の校舎に少女が忍び込んでピアノを弾く非日常を忘れるほどに僕は彼女の音色に心酔していた。


「咎めはしないのですか」


 彼女は言った。


「なぜだか、そうはならないんです」


 僕はそう答えた。


 少女は再び蓋を上げると黙って鍵盤を弾く。とつとつ始まる旋律が次第に荒れ狂い、吹き荒ぶ嵐はやがて凪いでいくと、なぎ倒された丘が静かな月明かりに照らされてさざめく。そんな情景が浮かぶような音色に耳を傾かせる。


 弾き終えた彼女は黙ったまま、立ち去っていった。

 しばし、余韻に浸っていた僕は色々なことを考えながら仕事に戻った。




 そんな晩が何日か続いたある日、少女はたずねた。


「アナタはなぜ、私のことを詮索しないのですか」

「なぜでしょうね」

「はぁ……」


 明らかに怪訝なため息が聞こえる。


「僕にも分からないんですよ、アナタのピアノがなぜこんなにも心に響くのか……それが分かるまで聴きたいと思ってしまうんです」


 率直に心の内を彼女に告げると、これまでの彼女とは思えない艶やかで挑発的な微笑を彼女は浮かべた。


「狂ってますね、とても……」


 真っ赤な口元から零れた言葉は言い得て妙だった。


「悪魔か、あるいは悪霊か、取り憑かれたような気分です」


 その言葉を聞いて、少女はクスクスと笑う。


「コーヒーでもいかがでしょうか」


 彼女はポットを取り出すと紙コップにコーヒーを注いだ。芳醇な香りが立ち込めると僕の鼻先をくすぐった。


「ぜひ、いただきます」


 手渡されたコーヒーを受け取る時に彼女の指先が触れる。恐ろしいくらいに冷えた指先に少し驚いたがあまり気に留めはしなかった。


「私も狂ってるんです」

「え……」


 湯気をふぅーと吐息で揺らめかせて彼女は続けた。


「人の感情みたいなものがわからないんですよ、嬉しいとか寂しいとか悲しいとか苦しいとか……そういうの全部わからないんです」


 僕はコーヒーをすすりながら横目で彼女を伺う。


「知りたくて、だけどもそれはとても遠い。掴みたくてもがくようにこうして悪いことしちゃってるんです」


 そう言って彼女は寂しそうに微笑んだ。

 僕はコーヒーを飲みながらポケットを漁り、安物のチョコレートを取り出す。無言のまま、彼女の手のひらにそれを握らせると彼女はまた微笑んだ。


「ありがとうございます」


 包装しているセロハンがぴりぴりと引きちぎれると半どけのいびつなチョコレートが姿を見せた。少女はそれをほお張ると少し嬉しそうだった。

 コーヒーを飲み終えた僕は一息だけ入れて言った。


「アナタのピアノは情景が浮かぶとても美しい音色ですよ」

「そうですか」

「僕にも音楽をやっていた時期はありましたが才能はからっきしでした。だから妬ましいくらいですよ、本音を言うと」

「どうして」

「芸術に魅せられた人間は芸術に愛された人間を羨望するものです。それと同時に真贋を区別が出来てしまうからこそ、才能に屈服して頭を垂れる他はないんです」


 少しの間、静寂がたゆたう。


「アナタは感情が分からないというよりは複雑に織り込まれてるからこそ表現をする術が音色に乗るんでしょうね」


 少しだけ彼女に近付けたような気がした。

 非現実的な彼女の存在の輪郭が僕の中で腑に落ちたような感覚があり、朧気だった彼女は年相応の悩みを持った少女に見えた。


「長話をしすぎてしまったようですね」


 彼女は心情の読み取れない表情をしながら立ち去った。






 あくる日、音楽室に彼女の姿はなかった。

 僕に退屈な日常が戻ってきた。

 何も無い静かな校舎をグルグルとまわっては無意味な記録表に印を付けてやり過ごす。

 焦がれた旋律を手繰り寄せるように僕は彼女を思い浮かべた。

 きっと彼女はもう戻って来ないだろう。



 昨日のコーヒーの味を思い出したらなぜかとても苦かった。



ハジメマシテ な コンニチハ!


高原律月です。


怪談なので割とホラーです、設定ガバガバなの怖い。

個人的には怪談話なんですがいかがだったでしょうか?


タイトル通りです、はい。



それでは、また次回〜ノシ

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